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形勢逆転

「おい! ガストン!」

「は、はい!」


 文官さんは服をジャラジャラと鳴らしながらこちらに駆けてきた。あの人、呪術師だったのか……。

 空気だと思っていたけど、ここで出しゃばってくるなんて……。


「ねぇ? 私を奴隷にして解決すると思ってるの?」

「もぉちろんだともぉ」


 息子によく似たニタニタとした笑みを向けながら子爵はペラペラと喋りだした。


「おぉ前を奴隷にしてしまえばぁ、すぅべて思いのままだ。食料をぉ取引してあげるぅ?ハッ! おぉ前には、食料をぉ献上させてやろう。我がぁ命令すれば、馬車馬のように働くのだ。ハーッハッハッハ」


 主張の激しい腹をさらに主張させながら笑った。

 その間に文官さんが脇を抜け、部屋から出ていった。脇目も振らず、一心不乱に。

 それは、今まで空気だったことに対する謝罪から来るものだろうか? 忠誠を誓った相手の役に立ちたいという気持ちから来るものだろうか? それとも……。

 子爵は話を続けた。


「おぉ前を見世物にぃして、他のぉ奴らに働かせるのも、悪くない。吸血鬼ぃの奴隷。これはぁ売れるだろう」

「私を奴隷にして、みんなが言うこと聞くと思うの? 家族を奴隷にされた人たちが、素直にいう事を聞くと?」

「でなければぁ、殺すまでだ。作業を教えるのは、一人いればいい」


 たぶん、みんなは私のためにいう事を聞いてしまうだろう。それがあの人たちだから。

 だから私はここで奴隷になるわけにはいかない。

 復讐のために来て返り討ち? 笑えない冗談だよ……。


「私を奴隷にできると思ってるの?」

「こぉの状況でかぁ? おぉ前は身動き一つできず、味方はゼロ。武器はぁなく、非力だ。頭はぁ、少し回るようだがぁ、この状況ではなぁ。口だけではぁどうにもならん」


 わかってる! そんなこと言われなくてもわかってるんだよ!

 何かないか、何か……。


「……私を奴隷にするための罪状は?」


 私の罪状のための議論をあれだけやっていたのだ。何かあるはず。

 国への報告? 市民への説明? 何でもいい。とにかく、罪がなければ罰を与えられないに違いない


「こぉれだけ我に不敬を働いたのだ。十分だろう?」

「街の外で、勝手に捕まえておいて不敬罪? それでいいわけないじゃない!」

「ふぅむ。でぇは、こうしよう。街の外をうろついていた不審者にぃご同行願った。しかぁし、特に何もなく、詫びるために面会した。ところがぁだ」


 そこで一旦区切り、面白い玩具を与えられた子供のような目で私を見た。

 焦らす様に、ゆっくりと口を開き、ねちっこく、厭らしく、私を絶望させていく。


「こちらがぁ、下手に出たのをぉ、いいことに、クソだの、デブだのとぉ、暴言をぉ、吐いた。我は、我慢した。ああ、我慢したとぉも。だがぁ、おぉ前は続けた。我の厚意をぉ無碍に、したのだ。その罪はぁ、重い」

「そんなの! ……そんなの!」


 ダメだ。この罪の代わりに取引してあげるって話だったじゃん! わかっていたことなのに。

 何か、何かないか……


「我にぃ不敬を働いた罪、しかとぉ償え。この街にいるのだ。この街のルールに従ってもらう」


 嫌だ! 奴隷になっちゃダメなんだ! 奴隷になんかなりたくない! 嫌だ、嫌だ、嫌だ!


「嫌! 嫌ぁあああ!」

「フゥーハッハッハッハ」

「やめて! やめてよ! 放して!」


 奴隷はダメ! 嫌! 逃げなきゃ。ここから逃げなきゃ!


 私は必死に暴れた。掴まれている肩が外れるんじゃないかってくらい暴れた。肋骨が折れるんじゃないかってくらい身体を捻った。手首がもげるんじゃないかってくらい手枷を引っ張った。

 だけど拘束は解けなかった。ガッチリと抑えられていた。私は逃げられなかった。

 足を振り上げて、抑えている奴を思いっきり蹴った。力の限り、思いっきり蹴った。

 でも、虚しくガシャンと音が鳴っただけだった。隣の奴はびくともしなかった。

 

 私は非力だ。このままじゃ逃げられない。奴隷にされてしまう。

 自分の意思を持てない存在。命令には絶対服従。


 食料を売れと言われれば売る。牧場を経営しろと言われればする。教えろと言われれば教える。全部言いなりだ。

 もし、みんなを殺せって言われたら、私は……。


 ダメ……。そんなのは、絶対にダメ……。

 そんなことするくらいならいっそ、死んでしまった方がいいのかもしれない。

 みんなに救ってもらったせっかくの命だけど、でも、みんな命を奪うくらいなら、私の命なんて、無い方がいいから。


 こんなところで散らしちゃって、ごめんね?


「なっ……」


 私は思いっきり舌を噛んだ。


 ブチブチと肉の潰れる音がする。

 グニャリとした感触が歯を伝わって私の脳に伝えられる。

 生臭い、鉄の味が口に広がる。

 咽返るような血の臭い。口から漏れ出てくる真っ赤な液体。


 痛い。でも、この痛みは私の罰だ。命を無駄にしてしまった私の罰だ。


 ポタポタと絨毯へと滴が垂れる。唾液の混ざったそれは粘性を増し、糸を引くようにして落ちた。

 真っ赤な絨毯に染みを作る私の真っ赤な血。私の血は絨毯よりも黒ずんでいて、点々とあとを残していく。


 この染みはきっと取れないだろうなぁ。

 

 ふふふ、ザマーミロだ。これだけ長い絨毯を買い替えなきゃね。


「毒でもぉ飲んだか」


 毒じゃないんだな、これが。

 察しの悪いあなたじゃ、気がつかないかもしれないけどね。


 子爵の声は低く、残酷な響きを持っていた。興味を失った、ゴミを見るような声が後ろから聞こえた。

 私はまるで、責められているかのような感覚に陥った。

 お前は逃げるのか、と、戦わないのか、とそう言われているような気がした。


 私だって、出来ることなら戦いたい。

 でも、奴隷にするなんて言われちゃったら、どうしようもないじゃない。

 呪術なんていう絶対の契約があって、嘘やハッタリで誤魔化すことも出来ない。

 奴隷になるよりも魅力的な手札も私にはない。力も、金も、知識も、全部通用しないんだ。

 どうしたらいいの? 私はどうやったら戦えるの?

 私にはもう、何にもないんだよ……。


「その辺にぃ、捨て置け」


 やっぱり、私はゴミなんだ。適当にポイってされる程度のゴミなんだ。

 でもさ、その辺ってどこ? あなたの前? 後ろ? 

 場所の指定がないならどこにいてもいいよね? 最期だし、わがまま言ってもいいよね?

 あなたの後ろにずっと憑いていようかな? 死後の世界はあったんだもん。きっと強く念じれば幽霊になれるんじゃないかな?

 あ、でも、毎日あなたを見ないといけないのは嫌だなぁ。うぅ、こっちが呪われた気分だよ。

 それなら、そうだなぁ。ここで放置っていうのもいいかもしれない。

 応接間の真ん中に、死体がポツンと。アハハ、……笑えない。


「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ」


 血が気管に入ってしまったみたいだ。咳が止まらない。

 咳をすれば、息が出る。息が出れば空気を求めて肺は膨らもうとする。でも、入り口には私の唾液と血液が池を作っている。

 勢いよく吸いこもうとすればするほど、私の一部が私の呼吸の邪魔をする。

 死ななきゃいけないっていう気持ちと死にたくないっていう気持ちを私の身体が代弁してくれているみたいだ。

 死ななきゃいけないのに、生きようと必死に息を吸おうとして……滑稽だよね。

 しかもそれを、私の外に出ていったものに邪魔されてるなんて。


 やっぱり、死ぬのは怖いなぁ。死にたくないなぁ。


「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ」


 私の咳で赤い飛沫が飛ぶ。様々な大きさの赤黒い斑点が私の手の届かないところにまで飛んでいく。

 絨毯を外れ、白い床にも斑点を作った。

 真っ白な中に赤い点。とても懐かしい気持ちになった。

 でも、私の知っている赤はこんな汚い赤じゃない。もっと澄んだ綺麗な赤だ。

 似ているけれど、これは違う。


「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ」


 刺すような痛みが薄れ、鈍い、ズーンとした痛みに代わっていく。ボワッとした形のあいまいな痛みだ。

 痛みに麻痺してきたのかもしれない。


 あぁ、きっともうすぐ私は死んでしまうんだろう。


 いつだって、死ぬのは怖い。死ぬのは痛い。死ぬのは苦しい。


 もっと、楽に死ねたらいいのに。


「れぇぇえええぬぅうううう!」


 バーンという轟音と共に叫び声が聞こえた。

 私の大好きな声に似ている。力が強くて、働き者で、ちょっとおちゃめな私の恩人、その人にとてもよく声が似ていた。


「おぉぉぉおおまぁああああえええええらあぁああああ!」


 私は痛む首を挙げて前を見た。


 やっぱりいた。鬼の形相で、剣をピタリと構えて、お父さんがこちらに走ってくる。

 両隣からはカチャカチャと音が聞こえた。

 その音は剣を構えるわけでもなく、逃げるわけでもない。ただ、震えているだけなのだと私にはわかった。

 そんなのは見なくてもわかる。

 だって、私を抑えている手が震えていたから。


 ガシャン、ガシャンと二つ音が聞こえて、私は解放された。

 力が入らない。腰が抜けてしまったみたいだ。アハハ……本当にかっこ悪い。

 

「おい! 無事か?」


 心配そうに私を見つめるお父さん。涙目で、ちょっとかわいいと思ってしまった。

 せっかく助けてくれたのに、そんな風に思っちゃったら怒られるよね?


「がえ、ん、あ、あい」


 舌が回らない。あぁ、そっか。舌切れてるんだもんね。死ぬ前にちゃんと謝りたかったなぁ。


「もう喋るな!」


「あい、あ、ゴホッゴホッ」


 お礼もちゃんと言いたかったなぁ。ちゃんと、最後まで……。

 ダメな娘で、ごめんね。


「頼む……頼むから……」

「お、お、お、おぉ前ら! こいつらをぉ捕らえろ!」


 今まで何処に居たんだろう? 子爵がようやく事態の収拾に動き出した。


「おい、お前ら。動いたらどうなるか。わかるよな?」


 殺気をまき散らしながら、お父さんはそう言い放った。


舌を噛んでも自殺できる可能性は低いです。

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