破壊神の自慢話
「レーヌ、紹介しなくていいの?」
「へ? 何が?」
朝食が終わり、片付けをしているとロワに促された。少し考えてみたけど、何も思い当たる節がない。何を紹介すればいいんだろう。
「ほら、レーヌを愛してくれるって言う――」
「何!?」
お父さんが勢いよく立ちあがった。拍子に椅子が吹き飛んでいる。……壊れてなさそうで、ちょっと安心。
軽くてあまり頑丈じゃないからもうちょっと丁寧扱ってほしいよ。また作り直さないといけなくなっちゃう。
作るのはお父さんだからいいけど、材料はタダじゃない。木だって切りに行かなくちゃいけないし、釘だって買わないといけないんだからね? 無駄な出費は避けないと……。
「レーヌ! 恋人ができたのか!? どいつだ! どいつなんだ!?」
恋人って、お父さん。私はまだ十歳だよ? そんなのまだまだ先だと思うなぁ。
あ、でも、成人が十三歳ならそうでもないのかな?
「お父さん、落ち着いて? 私にはまだ恋人はいないよ?」
「ん? そ、そうか……。ふぅ~」
落ち着いたお父さんは倒れていた椅子を戻して、どっかりとその上に座った。よかった。ちゃんと座れてる。変な音もしてないし大丈夫そうだね。安心安心。
でも、恋人ってどういうことだろう?
ロワを見るとニシシと笑っていた。からかいたかっただけなのかな?
頭を捻っていると視界の隅でシモン兄が動いた。……ちょっとヤバい。
「シモンに――」
「レーヌ、さっき『まだ』って……」
「レーヌ!」
再び転がるお父さんの椅子……。まだ壊れてない、大丈夫……、だよね?
「えっと、それは、ほら! 言葉のあやっていうか、なんていうか……。私は髪も白いし、目だって赤いし……。だからだーれも見向きしないよ?」
「んなわけあるか! こんなに可愛いレーヌを街の野郎どもが放っておくはずがないだろう?! そんな奴は男の風上にも置けん! そうだろう?」
「えっと、あの、その」
「ああ、そうさ! まったくその通りだと思うよ、父さん!」
「そうだろうとも! そうだろうとも! レーヌ、いいか? お前は可愛いんだ。透き通るような白い肌、シュッと整った眉、パッチリとした大きな瞳、ツンと尖った小さな鼻、にっこりと笑う唇。素晴らしいじゃないか! その純白の髪も真紅の瞳もみんなと違うからって、いや、むしろみんなと違うからこそお前の可愛さが際立つんじゃないか!」
「そ、そん――」
「よく言ったよ、父さん!」
「ああそうさ。言ってやったぞ! それにな、レーヌ、お前は容姿ばかりが可愛くて綺麗なわけじゃない。お前は中身もそれはもう素晴らしいんだ。料理に洗濯、家事はだいたいできる。気だって利く。算術だってできるし、みんなの考えないようなことを考える。どんな農民よりも働き者で、どこぞの貴族のボンボンよりも有能だ。何処へ出しても恥ずかしくない。……誰にもやらんがな」
「おと――」
「そうだそうだ!」
「そうだ! レーヌは誰にもやらん! こんな素晴らしい子をどこぞの馬の骨ともわからん奴にやれるかってんだ! そう、レーヌは素晴らしいんだぞ! あれは何年前のことだったか、レーヌが随分と言葉を話すようになってきた頃だったな。ある日どうしても牛が見たいと言うんで、レーヌを連れて牛舎まで行ったんだ」
「……」
「うんうん、それでそれで?」
「その時はちょうど雨続きでな、ずっと牛舎に入れてたのがよくなかったのか、雨で冷えたのかはわからんが、牛共が風邪を引いちまってな、特に仔牛が不味かった。軒並み下痢でな。そんなだからレーヌを牛舎の中に入れず、遠くから眺めるだけってことにしたんだ」
「そうだよね、レーヌにうつっちゃったら大変だもんね」
「ああ。それに、あの時はレーヌもまだ小さかったからな。さて、それでな、レーヌは俺に言ったんだ、『どうして近づかないの?』って。俺は説明してやった、『牛さんが病気でレーヌにうつったら大変だからだよ』ってな。そしたらなんて言ったと思う?」
「もったいぶらないでよ、父さん」
「はっはっは、悪い悪い。レーヌはな『仔牛さんが下痢なの?』って言ったんだ。この時の衝撃って言ったらなあ、もう……」
いつの間にか座りなおしていたお父さんは感慨深そうに遠くを見つめた。正面にいるお母さんのその先、家の壁、さらにその奥の何かをただ、ぼんやりと見つめている。
この話、何度すれば気が済むのかな。最初の頃はこの話を聞く度に恥ずかしい思いをしていたけど、今ではすっかり慣れてちゃって特に何も感じなくなっちゃった。
……嘘です。ちょっと恥ずかしい。
「あんな小さな子供が『風邪』と聞いただけで『仔牛が下痢』だって気が付いたんだ。確かに仔牛は下痢になりやすい。でも、そんなことレーヌが知るはずもないだろう? だってまだ小さかったんだから。俺は悟ったね。レーヌは神童に違いないって」
あの時はたまたまお父さんたちが話しているのが聞こえたから知っていただけ。仔牛の間で下痢が流行していて今期はダメかもしれないって。
もちろん知識もあった。仔牛は免疫力が低いし、お互いによく舐め合うものだから病気もうつりやすいって。
だから雨続きで牛舎にずっと入れられてるはずだからと心配してたのだ。
その矢先にそんな会話が聞こえたものだから、これは何とかしないとって思って三歳児にはあるまじき行為をしちゃったわけだ。
「なあ、レーヌ。どうしてわかったんだ?」
「うーん、覚えてないや。ごめんね?」
「いや、何、レーヌが謝る事じゃないさ」
「それでね、おと――」
「それより父さん、続きが聞きたいな」
「ん? ああ、そうだな。その時俺は悟ったわけだ。レーヌは神童だってな。だが、レーヌはそれだけじゃなかったんだ。俺が一人で驚いているとな、レーヌはこう言ったんだ。『仔牛を離して飼ったら?』ってな」
カーフハッチ。仔牛を一頭一頭分けて飼う方法だ。
小さな小屋と少しの広場を柵で囲ってやり、その中で仔牛を飼うのだ。小屋は基本、外に設置するため、空気が溜まり難いし、もし病気になったとしても一頭一頭離して飼っているから他の仔牛に感染することがない。
これは使えるだろうとその時の私はそう思った。
「最初は何を言ってるんだって思ったさ。分けて飼うことに何の得があるのかってな。子は親が育てる。それが自然の摂理ってもんだ。それに、牛ってーのは群れで過ごす生き物だ。普通と違うことをすりゃあ、不都合が出てくる、そうだろう? しかも、よくよく聞いてみれば仔牛を外で飼うっていうんだから、もう一度言うぞ? こいつは何を言ってる
だって、俺はそう思ったさ」
一般的に、仔牛は寒さに弱いとされている。
身体が小さい仔牛はすぐに体が冷えてしまって体温が維持できないからだと。
でも、実はそうではない。
生まれた直後の仔牛の体温調節機構は非常に発達している。その主たるものが褐色脂肪組織という組織なんだけれど、仔牛は寒さに弱いという概念から生後すぐに仔牛を温めてしまうのだ。近くでストーブを焚いたり、ジャンバーを着せたりなどなど。
これが問題で、そうして温かい環境に置かれた仔牛は自分の体温を調節する必要がなくなって、その組織を失ってしまう。
だって、体温を調節するってことはそれだけ熱にするためのエネルギーが必要なわけで、それだけ成長に回すエネルギーが減るってことになるのだから。
それに、褐色脂肪組織だって使わないからとりあえず放置なんてことはできない。組織の維持にもエネルギーがいるのだ。
だから、寒さに弱くなった仔牛にとってカーフハッチは衛生が保たれる反面、熱がこもり難くてあまりよくないんじゃないかなんて思われることもある。
だけど、この世界にはストーブなんてないし、仔牛のために火を焚くだけの余裕もない。ましてや仔牛に服を着せるなんて……。
つまり、仔牛が褐色脂肪組織をまだ持っている可能性は十分に高かったのだ。
「だが、俺は思い出した。我が子の天才ぶりをさっき確認したばかりじゃないかと。突拍子もないことを言ってはいるが、俺には理解できない何かがそこにはあるんじゃないかと考えた。だから俺はレーヌの話に乗ってみることにした。経営者としては最低かもしれない。なんせ、我が子の戯言に惑わされて仔牛を全部ダメにするかもしれないんだからな。だが、俺を笑う奴にはこういってやる! 『我が子を信じられずに何が父親か!』ってな」
いつもの決め台詞に、いつものドヤ顔。そして沈黙。お父さんの頭の中では拍手喝采が鳴り響いているのだろう。
しばらく余韻に浸った後、お父さんは再び語り始めた。
「それからすぐに街へ行って材料を買いそろえた。出費は少なくなかったが、それでも乗りかかった船だ。とことん付き合おうと思った」
この時の出費は本当に申し訳ないと思ってる。
当時はまだ物価がわからなかったからいろいろ頼んでしまったのだ。
後になって価格を知って愕然としたのを覚えてる。もし失敗していたら一家総出で夜逃げしていたかもしれない。
「それでな、いざ隔離しようって時になってレーヌは言ったんだ。『小屋は雨さえ凌げれば大丈夫だよ』ってな。仔牛が歩き回れるくらいのスペースを柵で囲って、後は半分だけ木の板をかぶせて終わりだぞ? そりゃあ作業が少ないのは楽だけどよ、なんか、こう、違うだろ? 仔牛が一頭で過ごすんだぞ? もっとなんかあるだろうって思ったさ。だがまぁそれでも十頭分の柵を作るのは苦労したけどな」
「ありがとね」
「ああ、いや、いいんだ。父親としてそれは当然のことだからな。うん、うん。……ゴホン! あー、それでな、小屋が出来たんで仔牛を分けたんだ。そしたらどうだ? 軒並み下痢でやられてた仔牛がピンッピンしちまうんだから、俺はもう、驚きに驚いたさ。そしてやっぱりレーヌは神童だなって納得したさ」
うんうんと頷くお父さん。褒めてくれるのは嬉しいけど、それは誇張しすぎ。実際はそんなに上手く行ってない。
まだ感染してなかった子は他の子から風邪をうつされることなく元気に成長していってくれたし、軽度の子はその後回復していって、こっちもまた元気に成長していってくれた。
でも、下痢の酷かった子はそのまま衰弱していってしまった。たぶん、身体を冷やし過ぎたのだと思う。
いくら体温調節が発達しているからって、風邪を引いていたら話は別だった。
風邪を引いたらよく食べて、温まって、寝る。そんな当たり前のことを私の言葉でさせてあげられなかったのだ。
だからその子は私が殺したのだ。
ただ、その子にも救いはあったと思うことにしている。言い方は悪いけれど使い道はあったから。だから、その子の死は無駄にはなっていない。
「他にもあるんだ! そうだなぁ、何がいいか……。そうだ! あれはいつの事だったか、突然『仕事をしたい』って言いだしてな――」
なんだか一人で盛り上がってる。何とかしないと……。
シモン兄は既に相槌を止めて笑いを抑えるのに必死だし、お母さんとベル姉はのほほ~んと事の成り行きを見守っている。ロワに至っては自分が引いた引き金なのに耳を塞いで嫌そうにこっちを睨んでいる。あー、はいはい、私が止めろってね。
しかし、本当にどうにかしないと今度は机が壊れそうだ。
事あるごとにバンバンと叩かれる机。机は椅子よりも頑丈に作られているとはいえその分壊れた時の損害もでかい。
……とりあえず論点をずらしてみよう。ごめん、ベル姉。
「それでな、レーヌが――」
「お父さん! あのね!」
「……うん? どうした、レーヌ?」
「あ、うん! あのね、もうすぐベル姉って成人じゃない?」
「ああ、そうだな。あんな小さかったベルが成人か……」
この世界では十三歳で成人となる。ベル姉もあと数か月もすれば十三歳の誕生日を迎えて成人となるのだ。
「そうなんだよ! だから、その、私の話よりベル姉の話をした方が……」
「ん? どういうことだ?」
「だから、ほら、成人ってことは結婚でき――」
「結婚だとっ!」
お父さんの椅子が吹っ飛んで、壊れた。