戦慄する牢屋番
不器用なアドルフくんとブラックなレーヌちゃんをお楽しみください。
「これが何かわかるかぁ? 吸血鬼ぃ?」
鉄格子の前で一枚の羊皮紙を見せてくるアドルフ。
「えっと……」
私は努めて怯えたように振る舞った。
「お前の鞄に入っていたんだけどなぁ?」
ねちっこい話し方で私の敵愾心を煽ってくるアドルフ。そんなことしなくても私はお前が嫌いだ。
私は怒りと嫌悪感が表に出ないよう、恐怖を前面に出した。
腰が抜けたようにしゃがみこみ、お尻をずる様にして部屋の隅へと移動する。小刻みに震え、涙を浮かべる。……こんなところかな?
「あっ、それは……」
「ようやく気が付いたかぁ?」
アドルフが持っているのは取引許可証。私たち家族がこの街で物を売るために必要なものだ。
「これは大事なものだよなぁ? これがないと大変なことになっちゃうよなぁ?」
「……どう、するの?」
「これをなぁ」
そう言うとアドルフは羊皮紙を一辺を両手で握り、手を前後へと一気に動かそうとした。
「クソッ! この! フン! ハッ!」
ダメだ。笑っちゃだめだ。牢屋番の人だって後ろで耐えているじゃないか。プルプルと体を震わせて、必死にしかめっ面をしている。
羊皮紙は以外と硬い。動物の皮からできているんだから当たり前だ。いうなれば革。
革を手で引き裂くことができる人はそうそういないと思う。
しかもアドルフは子供。小学校高学年か、中学に上がったばかりかその辺の見た目だ。
たぶん、私の目の前で紙を引き裂くことで絶望した顔を見たかったんだろうけど、自らの醜態を晒しただけだったね。
「クソッ!」
アドルフは数分粘った後(すごい根性だ)、腰に差していた剣を抜いた。その剣、飾りじゃなかったんだ。
破れなかった羊皮紙を地面に置いて、剣を突き刺した。
けれど、地面は石畳。上手く刺さらずに弾かれてしまう。
その後何度か挑戦して、何とか羊皮紙が剣の先っちょに刺さった。
「……フゥ」
アドルフは一息つく。まだ羊皮紙は斬れていない。
先っちょだけが突き刺さった剣を後ろへと引く。そして、羊皮紙も一緒に動く。
剣を突き立てては後ろに引くという行為を繰り返すアドルフ。
羊皮紙を引きずり回して遊んでいるようにしか見えないけど、本人は真剣だ。顔がそう言っている。
羊皮紙を抑えないと切れないよと教えてあげたいけれど、そういう訳にもいかないので、黙って見ておく。声を出したら笑っちゃいそうだし。
ようやく足で羊皮紙を踏みつけて固定したアドルフ。両足で羊皮紙の恥と端を踏みつけて、剣を突き立てる。
さて、足で固定したはいいけれど、今度は脚の長さが足りない。踏みつけたままでは剣を引けないのだ。
しばらくうんうん唸っていたアドルフだったけど、ついには諦めて、叫んだ。
「おい! お前!」
「ははははい!」
突然声をかけられてキョドる牢屋番さん。笑いを堪えるのに必死だったし、そりゃビックリするよね。
決して笑ってしまったわけじゃないよ? たぶん。
「お前! これを斬れ」
「は?」
「こ、れ、を、斬、れ」
牢屋番さんはチラリと私を見た。情が移ったんだと思う。私に気を使ってくれているんだね。
でも、斬られても別に問題はないし、私はアドルフに見られないように気を付けながら頷いた。
「わかりました」
そう言って牢屋番さんはスパッと許可証を斬った。アドルフのような醜態を晒すことなく、許可証は綺麗に真っ二つだ。
予想に反してあっさりと斬れたものだからアドルフは即座に反応できないでその場を眺めていた。
少しの間を置いた後、アドルフはニンマリと笑ってこちらを向いた。
「どうだぁ? 大事なぁ、大事なぁ、許可証がぁ、斬れたぞぉ?」
お前の実力じゃないけどな! そんな言葉は口に出さず、キュッと唇を噛んでアドルフを睨んだ。
「――もん」
「ああ? 聞こえないなぁ?」
「大丈夫だもん!」
泣き叫ぶと思っていたのだろう。私の言葉にアドルフは呆気にとられ、また、ポカンとした。
けれど、直ぐに笑いだし、嫌らしい笑みをこちらに向けてくる。……キモい。
「ははははは! 何が大丈夫なんだぁ? 綺麗に真っ二つじゃないかぁ!」
お前の実力じゃないけどな! もう一度言葉を飲み込んで、頭の悪いアドルフのために私は説明をしてやることにした。
「許可証が斬れたって、契約は切れないもん!」
「ああ?」
何を言っているんだこいつといった目を向けてくるアドルフ。その目線は自分に向けられるべきだよ、アドルフ? 何を言っているんだお前は。
自分に向けられるべき目線を自分で使うなんてアドルフのくせに生意気だ。
けれど、優しい優しい私はアドルフに丁寧に教えてやることにした。
「許可証に書いてあるもん! 決まった手順を踏まないと契約は切れないって!」
そう、この世界の契約は絶対なのだ。
呪術によって結ばれた守らなければならない契約。守らされてしまう契約。それがこの世界の契約なのだ。
まぁ、許可証の契約は特に重たい罰則があるわけじゃないんだけどね。だって、対等じゃないし……。
私の言葉に、アドルフはようやく許可証に目を通し始めた。どうせ最初の一、二行しか読んでなかったんだろう。
で、それの本当の価値もわからず、大事なものだと決めつけて、私を甚振る道具にしたと。遊ばれているとも知らずに。
アドルフが許可証を読んでいるあいだ。私は膝を抱えて、顔を伏せて待つことにした。
演技とか面倒だし、あいつの顔いつまでも見ていたくないし。
「――が? ――である、から――の……さい?」
「……」
「えーっと、そのため――、何だ? えーと、確か……」
「……」
「なぁ、おい、これなんて読むんだ?」
「あ、えっと、生産物ですね」
「おお、そうか。せいさんぶつ、せいさんぶつ。えー、それで? せいさんぶつが――」
「……」
早く読み終わってくれないかな。そんな紙切れ一枚読み終わるのに、いったい何時間かかるのだろう。
いったん持ち帰って、ゆっくり読んだらいいよ。お前の声聞きたくないし。
「なぁるほどなぁ」
……いい加減、その話し方やめてくれないかな。キモい。
さて、アドルフは解約の仕方を理解できたのかな?
許可証にはこう書いてある。
『ファビオ・ドーファン及びその親族による放棄により、契約の破棄を完遂する』
つまり、アドルフが許可証の内容を放棄すれば、それまでという訳。
この契約はドーファン家とベルラン家とが結んだ契約なので、その効果は家ごとに影響する。
だから、実際に契約を交わしたお父さん以外のお母さんや私なんかもこの許可証を使って街での取引ができる。
また、もしドーファン子爵が死んでしまっても契約は切れずに効果を保ち続けるのだ。
流石は貴族との契約というか、不公平な点が多いと思う。
それはさておき、重要なのは、アドルフもドーファン家の一員で、契約をどうこうする力を持っているということ。
おバカなアドルフにも理解できたことだろう。こういう奴は自分に力があるってことを察する能力は高いからね。
まぁ、アドルフはそれでも及第点ギリギリだけどね。
「ハハハ。よぉくきけぇ?」
「え?」
「アァドルフゥ・ドォオファンの名においてぇ、こぉの契約をぉお、破棄するうぅ」
「そ、そんな……、ねぇ、嘘でしょ? ねぇ、嘘だって言ってよ! ねぇ……、ねぇ!」
「ハッハッハ。これでぇ、お前もぉ、おわりだぁ!」
ホントだよ、もう。そんな簡単に破棄されたら苦労しない。こいつ、最後まで読んでないな……。
破棄するって言って破棄できるなんて、許可証に耳がついてんのか? って話だよね。
破棄するにはそれ相応の手順がある。腐っても呪術だ。間違った手順を踏めば手痛いしっぺ返しを食らう、なんてことならそれはそれで面白いのに、今回の場合はただ術が解けないだけ。……無反応ともいう。
契約には契約ごとに解除する手順が決められていて、それも契約内容に含まれているのだ。
誰々がこうこうこういう手順でこうしないとだめですよーって具合に割と丁寧に書かれている。
アドルフはそれを読まなかったのか理解できなかったのかわからないけど、すっ飛ばしたので今の何とも言えない状況になってしまっている。
及第点ギリギリだと思ってたけど、及第点にすら届かないなんて……。お前には失望したよ……。
仕方がないので修正してやることにした。
「うぅ……、そんなぁ。きょ、ヒック、許可、証、が……」
嗚咽交じりにベソをかきながら、許可証、許可証と呟きつつ、アドルフが高笑いしながら落とした許可証の片割れに手を伸ばした。
「うっ……ヒック……、あ、あれ? ヒック……、だい、じょう、ぶ?」
「はぁ?」
「よか、ヒック、た。契約、切れて、ヒック、ない」
「そんなはず……」
まぁ、見ただけじゃ契約切れてるか切れてないかなんてわからないんだけどね?
でも、アドルフは馬鹿だから騙されてくれたみたい。残念だけど、その点はアドルフに感謝しようと思う。ありがとう! アドルフ!
感謝ついでに解約の仕方も教えてあげることにした。
「契約は、名前、消さないと、ヒック、切れない、んだ、もん。そう、書いてあるもん!」
「なぁるほどなぁ。馬鹿め! 自分で答えを言いやがった!」
「あ! ダメ! 今の、嘘だよ! 嘘だから!」
「名前をぉ潰せばぁいいんだなぁ?」
はい、そうです。
名前の書いてある方の切れ端は拾わなかったから、それ拾って。
インクと羽ペンは私の鞄の中にあるから。
さっき私の鞄漁ったでしょ? 思い出して? ほら?
そう、それで、名前に横線引くだけでいいから。さぁ、早く!
そろそろ私も飽きてきたんだよね。早くその汚い顔を私の前から消してほしいな。
「ハッハッハ。これでぇ、お前もぉ、おわりだぁ!」
再びのドヤ顔で私に許可証を見せてくる。
よくできました。満足した?
「そんな……。あぁ。許可証が……。うぅ……。ウェ、ウェエエエエン。ああぁああああ」
「ハッハッハッハ」
牢屋の連なる一角で、私の泣き声とアドルフの高笑いが響き渡った。
「ヒック、ヒック」
「なぁ、大丈夫か?」
アドルフの声が聞こえなくなったところで牢屋番さんが声をかけてきてくれた。いつまでも伏せている私を心配してくれたのだろう。
「……アイツもう行った?」
「あ、あぁ」
「そっか。ふぅー、疲れた。あ、心配してくれてありがとう」
「お、おう?」
「それより、さっきの続きしようよ。邪魔者もいなくなったし、しばらく来ないでしょ」
「……」
「どうしたの?」
「……お、女って怖えぇ」
「吸血鬼よりも?」
「吸血鬼なんか目じゃねぇよ……」
「ふふふ、そう?」
それから、牢屋番さんの交代の時間になるまで、貴族ごっこを楽しんだ。




