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レーヌ、帰還

 それから一か月が経ち、背中の傷もようやく塞がった。と言っても、完治したわけではなく、動かすと、背中が引っ張られるような感覚が残っている。

 傷が塞がったことで、軽い運動なら許されるようになり、さらに嬉しいことに、あのものすっごい沁みる薬も塗らなくてよくなったのだ。まぁ、最近はそこまで沁みていたわけじゃないけどね。


「よいっしょっと」


 教会の門は以前より、格段に重くなっていた。単に私が動いていなかったせいもあるだろうけど、それだけじゃない。

 私が入院している間に、扉の厚さが二倍以上になったのだ。


 私が目覚めた次の日にお父さんが教会に来たんだけど……、うん、あれはすごかった。

 建物が壊れるんじゃないかってくらいに勢いよく扉を開けて教会に入ってきたのだ。

 音のせいなのか、衝撃なのかはわからないけど、建物全体も揺れていた気がする。

 幸い、けが人はいなかったんだけど、暴れるお父さんを取り押えるのに、何人もの修道士見習いの子が向かって行っては吹っ飛んでいた。

 最終的に、お母さんの一喝でその場は収まったんだけど、あれはすごい騒ぎだったなぁ……。

 その時、カスパールさんはというと、教会から逃走していた。

 出張だと言って王都へ向けて出発したのが、その日の早朝。その前日、つまり私が目を覚ました日に教会の門を補強するように言っていたらしいし、これは、もう、知ってて逃げたよね?


 カスパールさんが出張するって言ってた時、教会のみんなは涙目だったけど、今思えば寂しさじゃなくてお父さんへの対処を思っての事だったのかな?

 特に、カスパールさんに後を頼まれてた修道士の女の子は涙目どころか、ぽろぽろ涙をこぼしながら、フルフルと一生懸命首を振ってたし。行かないでと、駄々をこねる子供みたいに……。

 あの時は可愛いなぁ、なんて思ったけど、今は、うん……。


「あんまり無理しちゃだめだよ?」

「はーい」


 カスパールさんの代わりに、入院中に私のお世話をしてくれていたこの子はシャンタル。修道士の女の子だ。

 以前から面識があり、数少ない、友達のような関係だ。歳は少し離れているけどね。


 シャンタルはカスパールさんにいろいろ頼まれて、涙目になっていた十五歳くらいの可愛い女の子で、そんな見た目とは裏腹に、容赦ない。

 この一か月間、嫌だ嫌だと言っている私の背中に、問答無用で薬を塗りつけ続けた実績がある。

 傷がある程度治って、動けるようになった頃、それでも薬は沁みる。

 そんな時、シャンタルは時には私の手足を縛って、時には馬乗りになりながら、痛みで暴れる私を抑えつけて薬を塗りたくっていた。

 暴れる私を鬼の形相で押さえるシャンタル。お互い必死だったので、親の敵と闘っているような、そんな感じだったと思う。

 もちろん、そのおかげでこうやって退院できるわけだから、感謝しているんだけどね。



 さてさて、ようやく動けるようになった私は無事退院することとなったのだ。


「気をつけてね! 何かあればすぐに言ってよ!」

「うん。ありがとう」

「シャンタル、いろいろありがとな」

「いえ、こちらこそ、いいんですか? こんなに……」

「何、気にするな。家にはこれくらいしかないしな」

「助かります。何せ食べ盛りの子が多くて……」

「ははは。また、何かあれば言ってくれ」

「はい、ありがとうございます」


 私の入院費や教会の修理代を含めて、荷馬車いっぱいの食料品をお父さんに持ってきてもらった。

 とりあえずは、プリンででた利益で賄える出費なんだけど、それでも大きな額になる。あの実験を何とか成功させて、返していこうと思う。


「レーヌちゃん、あんまり無茶しちゃだめよ?」

「はい。ありがとうございます」


 カティナさんは毎日、私のために薬草を採りに行ってくれていた。あの薬草は鮮度が命らしく、採ったばかりの物が必要だったらしい。

 薬草の事もそうだけど、私が倒れた日に教会まで運んでくれたのもカティナさんだ。カティナさんには助けられてばかりだ。

 お礼をしようとしたけれど、家では食べきれないと断られてしまった。いつか恩返しがしたい。


「そう言えば、アントンはいないんだな?」

「すいません。本当は非番の予定だったんですけど、アドルフ様から呼び出しがあったとかで、昨日からいないんです」

「ったく、あの小僧はこんな時まで……」

「ああ、まったくだ! 納品辞めてやろうか」


 お父さんの横で一緒に息巻いている白髭のおじさん。エルマンさんもたびたびお見舞いに来てくれていて、今日も見送りに来てくれた。

 嬉しいんだけど、これだけ頻繁にお店を休みにしているとちょっと心配になる。


「気持ちだけでうれしいです。でも、そんなことしちゃだめですよ?」

「ふむ? レーヌがそう言うならば仕方あるまい」


 他にも、いろんな人がお見舞いに来てくれた。

 女将さんとジュールさん。ジュールさんはもうこの街にはいないけど、出ていく前に顔を見せてくれた。

 アントンさん。非番の日には毎日来てくれて、面白い話をいっぱい聞かせて貰った。

 パトリツィオさん。鳥人族に伝わるお守りだと言って、三枚の赤い羽根と丸い骨片で出来た髪飾りをくれた。厄災から身を守ってくれるらしい。今も私の頭を飾ってくれている。

 一番驚いたのがダリウスさん。お見舞いどころか、よく効く薬だと言って苦いお茶をくれたのだ。ダリウスさんがタダで物をくれるなんて、何か裏があるんじゃないかと疑っていたけど、今のところは何もない。でも、ちょっと心配だったりする。

 そんなこんなで、私は入院生活で退屈することはなかった。



 一通り挨拶を済ませ、私はアルフレッド号へと乗り込んだ。


「みさなーん、お元気でー!」


 街の門まで来てくれたみんなに大きく手を振った。みんな、みんな、私の恩人だ。街が見えなくなるまで、私は手を振り続けた。




「ねぇ、お父さん」

「どうした?」

「遅くなっちゃったけど、ごめんなさい」

「どうした、急に」

「心配かけちゃって……」

「あぁ、そのことか。まぁ、なんだ。気にするな」

「…………」

「あー、ほら。俺が前の日に言った事、覚えてるか? あの日俺はこう言ったはずだぞ? 『迷惑をかけろ』ってな」


 あの日お父さんは私に迷惑をかけろと言った。家族だから、迷惑をかけろと。それは覚えている。だけど、今回は迷惑と同時に心配もさせてしまった。


「それにな。今回のお前の行為は称賛されるべきものだ。強きを挫き弱きを助ける。まさにヒーローじゃないか? だから、気にするな」

「うん……」

「まぁ、次からはもっとうまくやれるさ。お前なら、な」


 そう言って、お父さんは私の頭をワシワシと撫でた。少し痛かったけれど、心がポカポカした。




「お! 見えてきたな」


 久しぶりに見る我が家。だだっ広い平原にぽつぽつと建物がちりばめられている。無秩序に見えるそれも、近づいてみれば草地は柵と道で区切られ、建物にも意味合いが取れてくる。

 色素の薄い草地は夕日を受けて赤く染まり、炎の絨毯が出来上がていた。けれど、その炎は灼熱の炎ではなく、柔らかな、暖炉のような炎だ。


 ようやく戻ってこれた、そんな思いから涙が出そうになった。でも、それはみんなの顔を見るまでは、元気な姿を見せるまではと、ぐっと堪えた。

 私の身体を想ってかアルフレッドの歩む速度は非常に遅い。ゆっくり、ゆっくり、牛のように歩くアルフレッドに、少しだけもどかしい気持ちになった。

 

 そして、我が家に到着した。


 早くみんなに会いたい。顔が見たい。

 今すぐに荷馬車から飛び降りて駆け出したかったけれど、そんなことをして傷口が開いてしまったら、また入院生活に逆戻りだ。

 私はそっと荷馬車から降りた。


「レーヌ、そこから動くなよ?」


 アルフレッドの側まで来たとき、お父さんはピシャリとそう言った。

 妙にピリピリしている。お父さんも、アルフレッドも……。


「わかった」


 そこで私はようやく異変に気付いた。何もいないのだ。

 日が沈む前だというのに何も放牧されていないのである。いつもであれば、牛も、羊も、馬も、みんな放牧されている時間だ。

 少し時間を早めただけかもしれない。私の退院祝い準備のために、少しだけ。

 だって、もうすぐ日も沈むし。そうだよね、ちょっとだけ時間を早めただけだよね。


 嫌な胸騒ぎを、そう自分に言い聞かせることで落ち着かせようとした。

 しんと静まり返った牧場の中で、私の心臓だけが音を出しているようだった。


 ドク、ドク、ドク、ドク

 

 お父さんは辺りを警戒するように、ゆっくりと扉の前まで行き、正面には立たず、少しずれた場所から手を伸ばし、扉を叩いた。


 コンコン


 しばらくして、中から女性の声が聞こえた。その声に、私はホッと息を吐いた。


「……誰?」

「俺だ。レオナールだ。ローヌか?」

「レオ! よかった! 無事だったのね!」


 扉が開かれ、お母さんがお父さんに飛びついた。お父さんはしっかりとそれを受け止め、落ち着かせるようにゆっくりと背中をさすっている。


「レーヌは?」

「無事だ」

「お母さん!」

「あぁ、よかったぁ! 貴女たちに何かあったんじゃないかって、私、気が気じゃなくて……」

「俺達は無事だ。レーヌの怪我が治って、家に来れた。いったい何があったんだ?」

「えぇ、そうね。まずは入って。話はそれからよ」


 いつもとは違う緊張した口調から、やっぱり何かがあったらしい。これだけ静かな牧場は初めてだ。きっと、動物たちは、もう……。


 嫌な想像をして、たぶんそれが正解だとわかっているけれど、でも、否定したくて、私は頭を振った。


 とにかく話を聞かないと。


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