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少女の治療魔法 前編

申し訳ありません。更新が遅れました。

 見慣れない天井があった。ボンヤリと、焦点の合わない目でそれを見つめる。


 いつもなら、手が届きそうなほど近いはずの天井。今日は何故だかよそよそしい。

 照れているのだろうか。嫌われてしまったのだろうか。私の勘違いだったのだろうか。


 そうやって、悶々としていると、横でガタンと音がした。


 見ると、女性が立っている。両手を口元に当て、涙を流す女性。その後ろには倒れた椅子がある事から、先ほどの音はそれが原因だろうと予想できた。


 茶色い瞳に、茶色い髪。軽くウェーブのかかったその髪は、いつもよりも少し痛んで見えた。

 

「お母さん?」


 私の呼びかけにも反応せず、ただ、涙を流し続けている女性は、本当に私のお母さんなのか疑問に思った。

 ……銅像だろうか? そう言えば、そんなこと前にもあった気がする。


 前にもあった、そう思った途端、今までの事が走馬灯のように蘇ってきた。


 ロワに怒られたこと、お土産を買うと約束したこと、街での売買、そして、あの道で……。


 そうだ、私は魔力切れを起こしたんだった。でも、どうしてお母さんが? 一緒に街に行ったのはお父さんのはず。それにここはどこだっけ? 見たことある気がするんだけど……。


 次々と疑問が浮かんでくる。

 疑問を解決しようと、私はもう一度お母さんに呼びかけた。


「お母さん!」

「レーヌ! ああ、夢じゃないのね! ああ」


 今度は反応があった。けれど、そのまま泣き崩れてしまったため、質問どころじゃない。


 心配させちゃったなぁ。はぁ……。ダメだな、私……。

 そう思いつつも、心の何処かで、こんなに心配してくれることをうれしく思っていた。


「だい、じょうぶ?」


  手を伸ばそうと、身体に力を入れた途端、全身に鈍い痛みが走った。そう言えば殴られたんだっけ? あれだけやられたら、そりゃ痛くなるよね。

 だけど、そうして背中だけ、こんなに痛いんだろう。


 全身の鈍い痛みに加えて、背中だけには鋭い痛みがあった。

 息が止まってしまうほどに、全身の鈍痛を忘れてしまうほどに、その痛みはひどかった。

 でも、これ以上お母さんを心配させるわけにはいかない。心配してくれるのは嬉しいけれど、このままだとお母さんが壊れてしまいそうだったから。


「え、ええ、だい、じょう、ぶ、よ」


 とぎれとぎれに、絞り出すように、お母さんは私に答えてくれた。

 優しく撫でてあげたかったけれど、動けない。そんな自分がもどかしかった。


 しばらく、すすり泣くお母さんの声を聞いていると、ゆっくりと扉が開いた。


「おや? 起きていたのかい?」


 入ってきたのはこの街の神父、カスパールさんだった。

 黒の修道服に身を包み、これまた黒縁の眼鏡をした長身の男性だ。


「レーヌ、調子はどうだい?」

「悪くはないと思います、カスパールさん」

「調子がよさそうで安心したよ。なにせ、一週間君は眠り続けていたんだからね」

「ほえ?」


 思わず変な声が出てしまった。怪我をしていたとはいえ、魔力切れで一週間? それはお母さんも心配するわけだよ。

 こうやって泣き崩れているのも大げさではないのかもしれない。


「お母さんに感謝するんだね。なにせ、君の看病をずっとしていたんだから」


 そうだよね。うん、お母さんだもん。それくらいやってしまいそうだ。今回は本当に迷惑をかけてしまった……。


「ごめんなさい、お母さん」

「レーヌ?」


 私が謝ると、カスパールさんは窘めるような口調で私の名前を呼んだ。


「こういう時は、『ありがとう』と言うんだよ」


 ……確かにそうかもしれない。私はいつも謝るのが先だった気がする。

 そうか、そうだよね。謝られるよりも、感謝される方がうれしいよね。


「ありがとう、お母さん」

「いいのよ、レーヌが無事なら、それで」


 お母さんの眼は真っ赤に腫れていたけれど、その顔は憑き物が取れたような晴れやかな笑顔だった。


「ローヌさん、貴女は休んだ方がいい。奥の部屋が空いているから」


 カスパールさんがお母さんにそう提案した。

 寝ずに看病をしてくれたのだと思う。髪は痛んで、真っ赤な目の下には大きな隈が出来ていた。

 頬はコケ、目は落ち込み、随分と疲れている様子が見て取れる。

 私が起きたことで安心して、緊張の糸が切れたのかもしれない。ふらふらと立ち上がると、お母さんはカスパールさんの提案を受けることにしたようだった。


「すいません」

「やっぱり親子だね。こういう時は――」

「『ありがとう』、だよ。お母さん」

「ふふふ、そうね。ありがとうございます」


 そう言ってお母さんは部屋から出て行った。


 お母さんが出て行ったのを確認した後、私はカスパールさんに尋ねた。


「……カスパールさん、私に何があったんですか?」

「そうだね。僕もそれを話そうと思っていたところだ」


 眼鏡をクィッとあげながら、カスパールさんはそう答えた。


「とは言っても、聞きたいのは僕の方なんだけどね……」


 やれやれという様に首を横に振りながらカスパールさんはそう言った。

 どうやらカスパールさんも事情を知らないみたい。


 倒れていた椅子を起こして、その上にゆったりと座った後、カスパールさんは、『準備が整ったぞ』とでも言う様に私に質問してきた。


「さて、先ずは何から知りたいんだい?」


 何が知りたいって……、そりゃあ、全部知りたいよ。


「あぁ、もちろん僕が知っていることは『全部』話すつもりだよ?」


 まるで、私の心を読んだかのようなセリフにドキッとすると同時に、ダリウスさんの顔が思い浮かんだ。

 どうしてこうも私は心を読まれやすいのだろう……。

 やや微笑みながら、カスパールさんは再び私に質問をした。


「それで、何から知りたいんだい?」


 えーと、何から聞いたらいいんだろう? いろいろありすぎて何を聞いたらいいのかわからないや……。うーん、ここはカスパールさんに任せようかな。


「何から聞いたらいいんでしょう? 神父さん」

「僕は神父ではなく修道士だと、何度言ったらわかるんだ。まったく……」


 私の言葉に、ブツブツと文句を言った後、フゥと一息吐いて、カスパールさんは話し始めた。


「僕も人伝に聞いただけだから明確な答えを持っているわけではないけれど」


 そう前置きして、カスパールさんは話し始めた。


「子爵の馬鹿息子とやり合ったのは覚えているかい? ああ、正確にはその護衛とだったかな」

「子爵?」

「なんだい、知らずに突っかかったのかい? まったく、君は怖いもの知らずだな。……いや、知ってても君なら……」


 アドルフは子爵の息子だったみたいだね。まぁ、確かに、普通に考えればそうだよね。

 この街には貴族はドーファン子爵家しかないし、あんな護衛を連れて歩くのは貴族くらいだし……。

 よく生きてたなぁ、私。打ち首でもおかしくなかったんじゃないかな?


 でも、カスパールさんの言うとおり、私は子爵の息子だって気付いても飛び込んで行ってたと思う。

 だって、あの子を見過ごせなかったし……。私と違って、必死に生きようとしていたから。

 ……あ!


「あの子は! あの子は無事なんですか!?」 


 こんな大事なことに気付かなかったなんて、私は……。


「ああ、無事だよ。君の魔法で一命を取り留めた。今は牧場にいるよ」

「そっか。……安心しました」


 興奮したせいで、また全身が痛くなった。というか、この背中の痛みは何だろう。めちゃくちゃ痛いんだけど!


「なぜ君が治療魔法を使えたのか疑問だけれど、生きていて何よりだよ。……大丈夫かい?」

「うぅ……。だい、じょうぶです。続きをお願いします」

「そうかい? 無理はするんじゃないよ?」

「うん。それで、飛竜の子を助けた君は何故か倒れてしまったわけだ」

「何故か? 魔力切れじゃないんですか?」

「あぁ、確かに、普通なら魔力切れだろうさ。初めての魔法。しかも極めて高度な魔法だ。それを使って倒れたんだからね」

「普通ならってことは、違うんですか?」

「あぁ、違う。いや、それも一つの要因かもしれないけれど、君が倒れたのは他の要因によるところが大きい、はずだ」


 カスパールさんは考え込むように言葉尻が小さくなっていき、しばらくの沈黙が訪れた。

 私が倒れた原因はなんとなくわかる。さっきから激しくその存在を主張してくる背中の痛み。これが私が倒れた原因だと思う。

 だけど、これが何時できたものかわからない。

 魔力切れで倒れた後に兵士にやられたのかな? でも、もしそうなら、カスパールさんは倒れた原因は魔力切れだというと思う。

 だけど、カスパールさんは違うと言った。私が倒れた原因は別にあると……。


「カスパールさん、どうして私は倒れたんですか? 背中の痛みと関係があるんですよね?」

「あ、あぁ、すまない。僕もそれについては確信が持てなくてね。ただ、仮説は立てられる」


 言いよどむように、恐る恐る言葉を絞り出すカスパールさん。自分の考えに自信を持てない時のカスパールさんだ。

 けれど、大抵カスパールさんの考えは当たっている。だから、この仮説もきっと正解だと思う。


「おそらく、君の治療魔法は、未熟だ。だから、治療した傷が、術者に、跳ね返ってしまうんだろう。治療魔法の副作用については僕も聞いたことが無くてね。信じられないよ……」


 治療魔法が跳ね返る。その言葉を聞いて、ようやく治療魔法と背中の傷とが繋がった。


 あの子は私の盾となって切られた。私と兵士との間に入って、その背中で剣を受け止めたのだ。

 そして今、私は背中に傷を負っている。傷の正確な大きさはわからないけれど、その痛みから大体の大きさはわかる。肩から腰にかけて、背中を斜めに走る痛み。きっと、背中を二つに分けるほどの大きさだ。


 あの子の傷もそうだった。背中をぱっくりと割る傷。その傷が今は私にあるのだ。


「治療魔法の難しさは君も知っているよね?」

「あ、はい」

「何年も、何年も修業を積んで、それでもほんの一握りの人しか習得できない魔法だよ」


 カスパールさんはそこで一息置くと、話を続けた。


「それを君はたった一度。そう、たった一度でできてしまったんだ。……だから、君の治療魔法が未熟だというのは仕方がないことだと思う。こんな事例は僕も聞いたことがなくてね。そう結論付けるしかなかったんだ」


 私の魔法は未熟。それはそうだろう。私は魔法が苦手だ。今までだって、たった一種類の魔法しか使えなかったんだから。

 真っ黒な暗黒の球。私の魔法はそれだけだった。

 そんな私がものすごく難しいらしい治療魔法を使ったんだから、副作用が発生したってなにも不思議はない。

 というか、私が使った治療魔法は本当に治療魔法なのかな? 何か違う魔法を、無理やり治療魔法として使ったんじゃないかな? だから、聞いたこともない症状が――


「まぁ、何にせよ、治療魔法を使うのは控えた方がいいだろう。危険すぎる」


 思考を遮るようにして、カスパールさんの声が聞こえた。


「わかったかい?」

「あ、はい。そうですね」


 謎は解けないまま、私の治療魔法についての話は終わった。



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