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ベルニエの噂 前編

「すっかり遅くなっちまったなぁ」


 お父さんはそうぼやいた。


 日は完全に落ち、辺りはすっかり暗くなっている。

 けれど、通りは酒場から漏れ出る光や喧騒に包まれ、街はまだ眠ってはいなかった。


 私たちは今、本日最後の目的地である宿屋に向かっている。

 宿屋の名前は『草原の香り亭』。大通りからは少し外れた場所にあるけれど、大きめの宿屋で料理がとてもおいしいお店だ。

 私たちは荷馬車が三台もあるため、それだけスペースをとってしまう。

 草原の香り亭はそんな私たちの荷馬車を置くだけのスペースがあるほど、大きな宿屋だ。


「ふー、ようやく着いたか」

「そうだねー」


 ようやく本日の業務が終わる。

 別に体を使ったわけではないけれど、遠出をすると疲れるのはなぜだろう。

 精神的なものなのかな?


 大通りからは離れているため、辺りは闇に包まれていて、明かりは月明かりと草原の香り亭から漏れ出る光しかない。

 けれど、店は繁盛しているようで、中はがやがやと騒がしく、夜の静けさはそこにはない。

 一階が食堂になっているため、夜ご飯を食べている人で賑わっているのだろう。


「おーす。やってるか?」

「こんばんはー」

「いらっしゃい。ってレオナールさん達かい。ずいぶん遅かったねぇ。心配してたんだよ」

「悪い悪い。ちょっと話込んじまってな」


 店の中に入ると、前掛けをしたふくよかなおばさんが対応してくれた。

 この人は、この宿の女将さんで、名前をオービーヌという。


 オービーヌさんの指示で荷馬車は奥の小屋へと連れて行かれた。

 それと同時に、馬子がアルフレッドとアン、ドゥをそれぞれ別の小屋へと連れて行った。


 この世界には馬以外にも荷物を運ぶ動物がいて、そういう動物が馬を驚かせないようにと、複数の小屋を持っている宿がある。

 草原の香り亭も複数の小屋を持っている宿で、そう言った面でも、私たちには大助かりの宿なのだ。


「さてと、アントンもお待ちかねだよ。先に食事にするだろう?」

「おう、そうだな。えーと、アントンは……」

「右の奥だよ」


 オービーヌさんが指さした席には確かにアントンさんがいた。

 そして、その隣にいる見知らぬ女性と楽しそうに話していた。

 あの人がアントンさんの言ってた人かな?


「待たせたな」

「遅れてすいません」

「あ、レオナールさんにレーヌちゃん。お疲れ様です」


 アントンさんの顔は少し赤くなっていた。テーブルの上に空いたジョッキがある事から、既に飲んでいるのだろう。


 アントンさんの鎧の中身は、あまり特徴がない。

 強いて挙げるなら右目の側にある泣き黒子だろうか。ただ、それもあまり目立たないので特徴と言えるかどうか……。

 あ! でも、あれだけ重そうな鎧を着ているだけあって、筋肉は結構ついている。

 総合的にはカッコいい部類に入ると思う。


「なんだ、先に始めてたのか」

「いやー、すいません。待ちくたびれちゃって」

「いや、こっちも遅くて悪かったな」


 お互いに謝ったところで、私たちは席に着いた。


「で、注文はどうするんだい?」

「あー、俺はビールで」

「あ、すいません、こっちもビール追加でお願いします」

「ビール三つね。レーヌはどうするんだい?」

「あ、お水をお願いします」

「あいよ。料理はお任せでいいんだね?」

「ああ、それで頼む」

「わかったよ。今飲み物を持ってくるからね」


 そう言って、オービーヌさんは厨房の方へと姿を消した。


「それで、何かあったんですか?」

「ん? あー、いや、いろいろだ」

「いろいろですか?」

「ああ、いろいろだ。そんなことより、その人を紹介してくれないか?」


 その人というのはもちろんアントンさんの隣に座っている女性の事だ。

 見た目は十代後半で、ゆったりとした服装をしているため、体系はよくわからないけれど、手足の細さから察するにスレンダーな体系だと思う。

 深い海のような濃い青い髪の毛を編み、右肩から前と垂らしている。瞳は髪と同じ深い青色で、鼻はあまり高くない。

 小さな顔に、長身でモデルみたいな人だ。


「ああ、すいません。そうですよね。えーと」

「初めまして、カティアと申します。先月、アントンさんと結婚させていただきました」

「それは本当かっ!」

「ええ、そうなんですよ。自分には勿体ない、よくできた妻です」

「貴方ったら」


 目の前に繰り広げられるラブラブ空間にお父さんが愕然としていると、オービーヌさんが飲み物を持ってきてくれた。

 各自、飲み物を受け取って、空いたジョッキをオービーヌさんが回収していった。


 そういえば、カティアさんも空いたジョッキを持っていたのに、顔が全然赤くなっていない。お酒強いのかな?


「よし、乾杯と行くか!」

「何に乾杯するんです?」

「そりゃお前、お前らの結婚と俺達の再開を祝って、だろ」

「お、祝ってくれるんですか? 嬉しいですね」

「ありがとうございます」

「いいってことよ。それじゃあ、乾杯!」

「「「乾杯!」」」


 各々ジョッキをぶつけ合って、グイッと中身を飲んでいく。

 オービーヌさんが運んできてくれたお水は少し柑橘系のいい香りがした。

 気を効かせて果汁を絞ってくれたのだと思う。素直にうれしかった。


 乾いた喉に水分がしみ込んでくる。

 沁みこんだ水が血流に乗って、全身へと運ばれていく。気持ちがいい。

 なんてことはなく、わかるのはせいぜい喉を通って胃に落ちるまでの間くらいだ。

 けれど、冷えたお水が食堂の熱気に当てられて、火照った身体を冷ましてくれる。

 そう言った意味では気持ちがいいのも事実だ。

 それに、鼻腔をくすぐる爽やかな香りも私に癒しを与えてくれた。

 改めて、オービーヌさん。ありがとうございます。


「それで、結婚って、お前……」


 早くも一杯目を空けたお父さんがオービーヌさんに追加のビールを頼みつつ、そう切り出した。

 私も突然の事だったから、ビックリしているし、正直、めちゃくちゃ気になる。


 アントンさんは恥ずかしそうに馴れ初めを教えてくれた。


「あははは、いやぁ~、お付き合いはさせていただいていたんですけどね。先月、ようやく結婚に至りました」

「そうか、とりあえずおめでとう」

「ありがとうございます」

「二人はどうやって知り合ったんですか?」

「えーっと、門の前で、偶然」

「偶然って、そりゃ、門衛やってたらそうだろうよ」

「てことは、カティアさんは外の人なんですか?」

「えぇ、そうよ。レーヌちゃん、でよかったかしら? 私は休息の街ベルニエから来たの」

「あ、ごめんなさい。自己紹介がまだでした。レーヌです。十歳です」

「レオナールだ。牧場を営んでいる。ベルニエって言やぁ、王都の近くにある静かな街だろ? なんでまたこんな――」

「レオナールさん?」


 遮るようにしてお父さんの名前を呼んだアントンさんの顔は、笑っていたけれど怖かった。


「おお、すまん。踏み込み過ぎたか」

「いえ、隠すことでもないですし、お話しします」

「いいのかい?」

「えぇ。それに、アントンさんの友人の方なら信頼できますよ」

「そっか。わかった」


 周りは楽しく、騒がしく飲食をしている人たちでいっぱいだ。

 宴会のような騒がしさの中、私たちのテーブルだけは重苦しい空気が流れていた。

 カティアさんは一人一人に目を合わせ、頷くと、前かがみになって、顔を中央へと近づけた。

 それに合わせ、私たちも顔を近づける。


「数年前、サガモア様が亡くなったのはご存知ですか?」

「なに? あのおっさん死んだのか……」

「えぇ。それで、アリゼ様とリオネル様が街を取り仕切っておられたのですが……」

「リオネル? あの夫婦、養子でもとったのか?」

「いえ、リオネル様はベルニエ家の秘書の方です。確か、猪人族に襲われている所をサガモア様に助けられたとか」


 猪人族というのは人型のイノシシのような種族で、人間種族の一つだ。

 好戦的な性格で、よく、商人を襲っているらしい。

 前に一度だけ見たことがあるけど、その時はアルフレッドにビビってすぐに何処かへ行ってしまったから、その危険性はあんまり実感できていない。

 でも、結構な人が襲われているみたいで、猪人族と他の種族とではあんまり仲が良くないらしい。


 見た目は豚だったり、猪だったりといろいろらしいけれど、下顎から飛び出た二本の牙や三角形の頭、真っ黒な小さな瞳に、特徴的なあの鼻は共通している。


 私が見たのは毛むくじゃらの猪タイプの猪人族で、二メートルほどの身長に私の身体ほどもある太さの腕。

 それが五人、私たちを見ていたかと思うと、アルフレッドの威嚇で一目散に逃げて行った。

 あんな体躯で我先にと逃げ惑う姿はなんだかシュールだったと思ったことを覚えている。


「そうか」

「はい。それで、しばらくは問題なかったのですが……」


 カティアさんはそこで一旦話を切った。緊張しているのか、口を湿らすように、ビールを一口飲み、話を続けた。


「二年前、とある事件が起こったのです」

「とある事件、ですか?」

「えぇ。街に住んでいた一家が失踪したんです」

「引っ越したとかではなくてですか?」

「それはないと思うわ。いなくなる前の日までいつもと変わらず普通に過ごしていましたし、何より奇妙なのが、家の中身が、まるで直前まで生活していたかのような状態だったことです」

「もちろん捜査はされたんだろ?」

「はい。アリゼ様たちは直ぐに街の兵士を使って調査に乗り出しました。けれど、街中には特に何もありませんでした」

「街中には?」

「流石レーヌちゃんね。アントンさんに聞いていた通り察しがいいわ」


 そう言って、カティアさんはにっこりと微笑んだ。こんな美人に微笑まれると、ドキリとしてしまう。


 カティアさんはまた、一呼吸おいてビールを飲むと話を続けた。




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