ドーファンの街 前編
「お前たちもいつかは嫁に――」
「あ! お父さん! 街が見えてきたよ!」
「ん? あぁ、そうだな」
城壁に囲まれた小さな街。周りはやはり草原で、しかし昼間と違い、今は夕方。緑の海は赤く染まり、影は大きく伸びていた。
城壁によって周囲に威圧感を与える情景も、今は幻想的な赤黄色によって艶麗な雰囲気を纏っている。
私たちの住む牧場から一番近い街はここ、ドーファン、別名草原の街とも言う。理由は簡単で、周りは草原があるから。一応、軍馬の名産地にもなっているらしい。
さて、一番近い街と言っても、ここに来るまでに半日かかってしまうほどには遠くだ。
移動するだけでも大変で、特に今日はお父さんのお説教というか、なんというか……。
お昼の休憩の後、お父さんは私をアン号の御者席に呼んだ。話し相手になってほしいとか、何とか。
もちろん私も、移動は退屈していたし、何よりお父さんのお願いだ。喜んで御者席に座った。
あ、ドゥ号は私なんかが居なくても、ちゃんとついて来てくれるからね。手綱だけドゥの脚に引っかかったりしないように気を付けてあげれば大丈夫なのだ。
で、それよりも御者席に座った後の事なんだけど、それが大変だった。
ベル姉の結婚の話から始まって、ベル姉に彼氏がいるかどうか、結婚とは何か、そして、ベル姉がいなくなっちゃうのは寂しいってことで一旦落ち着いたんだけど、今度は私の話になっちゃって……。
私も結婚はおろか彼氏だっていないし、というか、そんなこと考えたこともなかったから、そうお父さんに説明したんだけど、なかなか納得してくれなかった。
そのあとは、結婚はそのうちしないといけないけど、今はまだ早いから、結婚については考えちゃだめだとか、変な男に引っかからないようにだとか、俺みたいな男を探せだとか、そんな話を聞いている内に街に着いちゃったって感じだ。
「おや? レオナールさんじゃないですか」
街の門まで近づくと、くぐもった声で門衛の兵士が話しかけてきた。
鎖帷子の上に鉄の鎧を着こみ、飾りっ気のないシンプルな兜で頭を覆っている。右手には長い槍をもち、穂先が上になるように地面に突き立てていた。
いかにも兵士という格好で、門の傍らで私たちの方を向いている。
兜で顔は見えないけれど、声からして、たぶんアントンさんだろう。お父さんと仲の良い門衛さんだ。
「おう、アントン。お前は相変わらずだな」
「相変わらずってなんなんですか……。しかし、今回は少し早いですね。何かあったんですか?」
「ん? いや、まぁ、いろいろとな」
「いろいろ、ですか?」
「ああ。いろいろ、だ」
どうやらお父さんは椅子を壊しちゃったことを知られたくないみたいだ。恥ずかしいのかな?
「それでは、通行証を拝見しますね」
「ああ、そうだな。レーヌ、頼む」
街に出入りするための通行証。これがないと街に入る度に通行税を払わなくてはならなくなってしまう。
払うものはお金だったり、積み荷だったり、いろいろだけど、私たちはその通行税を免除されているのだ。
私は懐から一束の羊皮紙を取り出して、アントンさんに見せた。
「えーと……、はい。アントンさん、お願いします」
「……はい、確かに。いやー、それにしてもレーヌちゃん、大きくなったねぇ」
「ありがとうございます」
「惚れるなよ、アントン?」
「やだなぁ。……顔が怖いですよ?」
「もう、お父さん!」
お世辞を言ってくれただけなのに、お父さんは何でこうも牽制するのだろう。
しかも、綺麗になったとか、可愛くなったとか、そういうのじゃなくて、大きくなったって言っただけなのに……。
アントンさんも顔が引きつっている。
門衛が農民にビビるっていうのもなんだか変だけど、お父さんは強いらしいし、実際、本当に怖いのかもしれない。
門衛のアントンさんでさえビビるんだから、お客さんに牽制を入れたら、もう、ね。
それだけは、本当に直してほしいよ
「あ、あはは。でも、実際、見ない間に随分と成長しましたねー、レーヌちゃんは」
「そうだろう、そうだろう。でも、お前は何処に行ってたんだ? しばらく見なかったが」
「いえ、街にはいたんですけどね。たまたま休暇と重なってましてね」
「そうだったのか。どうだ? この後久しぶりに」
「うーん、そうですね。もうすぐ交代ですし、いいですよ」
「おう、そうか。それじゃあ、こっちも用事を済ませてくる」
「あ、でもその前に、一人増えても大丈夫ですか?」
「ん? あぁ、別にかまわないが……。レーヌもいいか?」
「うん!」
「よかった。では、いつもの店で待ってますね」
「わかった。仕事がんばれよ」
「はい。ありがとうございます。レオナールさんも頑張ってください」
「おう! じゃあな」
「では、後ほど。レーヌちゃんも頑張ってね」
「はい!」
アントンさんと別れて私達は門をくぐった。
ドーファンは城壁に囲まれた大きな街とはいえ辺境の地にある。
道は舗装されているわけではなく土がむき出しで、立ち並ぶ家もそれほど大きいわけでも、豪華なわけでもない。
素朴な木造の家が道に沿って立ち並んでいた。
軍馬の名産地というだけあって、馬が通りやすいよう道幅は広く造られていて、見晴らしがいい。
といっても、実際に馬がこの道を通ることはあまりない。各牧場で軍馬が飼われているだけで、この街にわざわざ集めたりすることもなければ、その必要もないからだ。
最近は戦争もなく、平和だし、軍馬も貴族のたしなみ程度にしか使われていなんじゃないかな?
それに、この街には貴族はドーファン子爵家の一門しかいない。精々両手で数えられる程度しか御屋敷にはいないと思う。
そのため、この道を利用する馬は行商人がたまに連れている馬くらいなのだ。
飾りっ気のない家々が立ち並ぶ先、ちょうど街の中央辺りに、他の家とは一線を画する絢爛たる御屋敷がある。そこは、私たちの最初の目的地でもあった。
「何の用だ?」
御屋敷の門の前に荷馬車を止めると、門番の人が声をかけてきた。
「見りゃわかんだろ。納品だよ、納品! いい加減顔を覚えてくれよ」
「顔は覚えている。用件は訊く決まりだ」
「まったく、堅い奴だなぁ」
「……待ってろ、人を呼んでくる」
そして、待つこと十数分。
城壁の中へと沈んでいく夕日を眺めていると、御屋敷の中から執事風の男性が出てきた。
やや長身で細身、白髪の合間にちらほらと黒髪が見える初老の男性は、執事服に身を包み、キビキビと歩いてきた。
その後ろには先ほどの門番の人がついて来ていて、その上下関係が窺える構成だった。
ただ、二人の歩く姿には誠意はなく、仕事だからと、仕方なく来てやっているのだという印象を受ける。
キビキビしているのにやる気がない。何とも器用な歩き方をしていると思う。
まぁ、向こうは貴族に使えてるお偉いさんで、一方のこちらは街にすら住んでいない、ただの農民。身分の違いから来る選民意識の様なもののせいであんな態度をとっちゃうんだろう。
それでも、私の家族を馬鹿にする行為にイラッと来てしまう。私はできた人間じゃない。
少しむっとなりながら、私たちは二人と対面した。
「ベルランと、……その忌み子か」
開口一番に、執事風の男性がそう言った。
ベルランは私たち家族の家名。だからベルランはお父さんの事。そして、忌み子は私。
「あぁ? 二度とその言葉を口にするなよ?」
「その言葉? はて、何の事だか? ベルランか? それとも、忌み――」
「てめぇ!」
お父さんが激高している。私のために怒ってくれている。それはとっても嬉しいことだけど……。
執事風の人が言っていることは事実だ。私は忌み子。生まれてくるべきじゃなかった子供だ。
私は既に二回も死んでいて、その度に他の人を犠牲にして、生き返っている。
生き返っても役立たずで、周りの足を引っ張って、大切な人に迷惑をかけて。
私は、どうして生き返ったんだろう。
周りを不幸にするため? 他人を犠牲にするため? わからない、わからないよ……。
それでも、確かなことは、私が世界から忌み嫌われている存在だということ。
「もういいよ、お父さん」
「……レーヌ」
「もう、いいよ。私は、お父さんがそう言ってくれるだけで、もう、十分だから」
「……わかった」
お父さんはそう言って頷いてくれた。
私は忌み嫌われている存在だけど、周りを傷つけてしまう存在だけど……!
それでも、私は抗ってみよう。私を大切に思ってくれる人がいる限りは、その人に、私の不幸が乗り移らないようにしよう。
私は周りを不幸にするけれど、その不幸が大切な人に行く前に、私が引き受ければいいんだ。
「茶番は終わったか?」
「……チッ」
「私も暇ではないのだよ。さっさと商品を見せろ」
「……ついてこい」
それから私たちは嘲罵、皮肉、憎まれ口を叩かれながら納品を終えた。
ドーファン家に売る品物は通常の値段よりも安く取引される。そのため、私たちにとっては損な取引となる。
しかも、毎回のように文句を言われ、精神衛生的にもよくない。
けれど、ドーファン家と取引しないわけにはいかないのだ。
昔、私が生まれる前、お父さんはドーファン家の当主とある取引をした。各許可証の発行のためのものだ。街に入る時に使った通行証もその一つだ。
そして、許可証の発行の条件として提示されたのが、街に着いたら一番にドーファン家に品物を持ってくることと取引価格を融通することだった。
ドーファンの街は名前からもわかる通り、ドーファン家が管理している。
この国の制度では各街が子爵家の位の貴族に管理されており、街のルールは基本的に、その貴族が決めることとなる。
そのため、街で商売をしようと思ったら、その貴族の許可がいるのである。
本当に嫌な取引だと思う。だけど、それがルールなので仕方がない。
私たちは無言で次の目的地へと向かった。




