父の苦悩、父の意味
「そうか」
俺はレーヌの悩みを聞いて、それしか言えなかった。
この娘は難しいことを考える娘だと思ってはいたが、ここまでとは。想像をはるかに超えていた。
とても十歳の子供が考えるようなことじゃない。
たしかに、普通の子供でも失敗すれば反省するし、落ち込んだりもする。
だが、レーヌのそれは理由が普通じゃない。
魔力切れを起こした、つまり魔法を失敗したって、それがこの娘が悩んでいる原因らしい。
普通の子であれば、魔法を失敗した、残念だ、自分には魔法の才能がないのかもしれない。こう思うだろう。
しかし、レーヌは違った。
魔力切れを起こした。自分は気絶して仕事ができなかった。自分は迷惑をかけてばかりで使えない奴だと、そう悩んでいるのだ。
何がこの娘をそうさせているのかはわからない。だが、それでも、この娘の悩みを少しでも晴らしてやることが、俺の義務だ。
なぜなら、レーヌは俺の、俺達の娘で、俺はこの娘の父親なんだからな。
だが、なんて言えばいい? たかが魔力切れで半日眠っていただけで、自分は使えない奴だと、迷惑ばかりかけるどうしようもない奴だと、そんな風に考えてしまう娘に、俺はなんて言えばいいんだ?
迷惑じゃない、そういえばいいのか?
確かに、レーヌがいることで助かっているのは事実だ。感謝こそすれ、迷惑だなんて思ったことはない。そんなのはわかりきっている。
俺達じゃ到底思いつかないような発想で何度も家族の危機を救ってくれた。
頼みごとは何だってしてくれるし、それどころか、期待以上の事をしてくれる。
まだ十歳そこそこなのに、読み書きに算術、複雑な魔法と何でもこなす。
俺には勿体ないくらいの娘だ。
だが、それを伝えて、レーヌは納得するだろうか?
たぶんしないだろう。馬鹿な俺でも、それくらいはわかる。俺だって学ぶんだ。
昨日の夜、俺達はレーヌに言ったはずだ。魔力切れは気にするなと。
これくらいの歳の子なら当たり前に起こる。気絶こそするが、命に関わるようなことでもなければ、治療費だってかかりゃしない。寝てればいいんだからな。
レーヌだって馬鹿じゃない。むしろ天才だ。
だから、俺達が言ったことの意味を理解しているはずなんだが、それでも自分は迷惑をかけてしまったと嘆いている。
意味を理解したうえで、納得はしないんだ。
今ここで俺が迷惑じゃないと言ったら、この娘はわかったと言うだろう。昨日みたいに。
そして、また一人で悩むんだ。俺達に取り繕って、よく見せて。
いったい何になるってんだ? 家族なのに。
あぁ、わかってる。わかってるさ! それがこの娘の思いやりだってことは。俺達に心配をかけさせまいと、負担にならないようにと、そう思ってのことだってのはな!
だけど、俺達は家族だろう? 家族って言うのはそういうもんじゃないはずだ!
頼って、頼られて、困ったときは助けあって、時には喧嘩して、迷惑かけて、それでも笑っていられる、それが家族ってもんだろう!
……はぁ、違う。今はそうじゃない。説教は後だ。
今のこの娘の精神状態で説教なんてしてみろ。ますます自分を追い詰めるぞ?
俺にだってそれくらいはわかってる。
だから、今は何としてでも慰めるんだ。娘のピンチを俺が救ってやらないと……。
あぁ、ローヌならどうするだろうか。あいつは頭がいいからな。俺みたいに悩まずに、パパっと答えを出しちまうんだろうなぁ。
俺はレーヌを慰めたい。お前の考えは違うと、迷惑なんかじゃないと、そう言いたい。
だが、それではまた、レーヌは心を閉ざしてしまう。
そういえば、レーヌがこうやって心の内を話してくれるのは初めてかもしれないな。
それならなおさら、期待に応えてやらないとな。
しかしどうする? そのまま昨日みたいに迷惑じゃないって言うにしても、言い回しを変えなきゃならん。昨日と同じじゃ何も解決しないからな。
だが、そんな能、俺にはないぞ?
迷惑じゃない、以外に言葉なんて……。
お! 意外と俺も冴えてるのかもしれないな!
「あのな、レーヌ」
済んだ赤い瞳が今は陰って見えた。
太陽は空高く昇り、長く伸びた白い髪が、その小さな顔に影を差す。しかし、太陽のせいだけではない影が、色濃く、その存在を主張していた。
なんて顔してるんだよ、レーヌ。ここまで弱っていたんだな。気付けず、悪かったな。
「お前は俺達に迷惑をかけたと言った。確かにそうだ。お前は俺達に迷惑をかけている」
「そう、だよね。私、迷惑だよね」
「あぁ、そうさ。迷惑だ。だがな、どうして迷惑をかけちゃいけないんだ?」
「え?」
「俺達は家族だ。赤の他人じゃない。そうだろう?」
「……」
「だからな、迷惑をかけていいんだ。いや、むしろ迷惑をかけるべきなんだ」
そうだ。家族は迷惑をかけて、かけられて、それでも離れず、助け合って。それが家族なんだ。
「レーヌ、今日は何で街に行くか覚えているか?」
「家で作ったものを売って、野菜とか、塩とか、香辛料とか、必要なものを買いに行くためでしょ?」
「ああ、そうだな。だけどな、ほら、他にもあるだろ? ちょっとだけ、そう、ほんのちょっとだけ街に行くのが早くなった理由が」
「えっと、……お父さんが椅子を壊しちゃったこと?」
「そうだ。俺が椅子を壊しちゃったことだ。それで俺はみんなに迷惑をかけた。そうだろう?」
「でも、それは私にも原因があるし……」
「レーヌに原因? 何を言っているんだ?」
「え? ほら、最後の私の一言で、お父さん椅子壊しちゃって……」
「最後、最後……。ああ! ベルの結婚! そうだった! どういうことだあれは!」
「あ、えっと、その」
「おっと、すまん。今はその話じゃないな。ベル、の、結婚、は、置いといて、だな……」
今はレーヌの話、今はレーヌの話、今はレーヌの話。
そういえば、レーヌは街によく行っているし、彼氏の一人や二人……。
ああ! 違う違う違う! そうじゃない! 落ち着けぇ、落ち着け俺。
「ふぅー。そうじゃなくてだな。俺が椅子を壊した、そうだろう?」
「でも、私のせいで……」
「仮にそうだとしても、俺が椅子を壊したのは変わらないだろう?」
「う、うん」
「そうだろ? だから俺は家族に迷惑をかけた、そうなるな?」
「そ、そうだね?」
「だが、俺達は家族だ。家族は迷惑をかけあうものなんだ。だから俺は家族に迷惑をかけた。それは家族のためなんだ」
「う、ん?」
「だからな、レーヌ。お前は迷惑をかけたかもしれないが、それも家族のためなんだ。家族のために、お前は迷惑をかけたんだ。それは誇ってもいいことなんだぞ?」
「え? ちょっと。え?」
「俺は誇りに思う。昨日の椅子を壊したことを! 俺は家族のために、自分の椅子を壊してまで、家族に迷惑をかけたんだ」
「そ、そうなんだ」
「だからレーヌ。そう悩むな。いつでも迷惑をかけろ。それが家族のためなんだからな」
「うーん?」
自分で言ってて、何を言っているのかよくわからなくなってきた。
だが、レーヌの顔色も幾分かよくなってきたようだ。きっと、これでよかったはずだ。
さて、しかし、どうやって話をつければいいんだ? 終わり方がわからないぞ?
「まぁ、なんだ。お前にも理解できる日がいつかできるさ」
「そう、なのかな?」
「そうだ。絶対そうだ。なんてったって、レーヌは俺達の自慢の娘なんだからな!」
「そっか。うーん、よくわからないけど、ありがとう?」
「おう、どういたしまして。……あーそれでな、レーヌ」
「どうしたの、お父さん?」
大事な話が、まだ残っている。俺としては、まだまだ先だと思っていたが、いつまでも先延ばしにするわけにもいかない大事な話が。
考えないように、考えないようにとしていた話だ。
わかってはいた。わかってはいたさ。
だが、いざ目の前に突き付けられると、目をそらしたくなる話。
しかし、父親としては、絶対に聞かなければならない話だ。
俺は、意を決して、言葉を紡いだ。
「ベルの結婚の件なんだが」
「あー! 鍋! 鍋吹き零れてる!」
「うお! 本当だ!」
レーヌが慌てて鍋に蓋を持ち上げた。
「ふぅー」
「大丈夫か?」
「うん! 大丈夫! ちょっと冷ましてくるね」
「あぁ、頼む」
レーヌは沸かしたお湯を冷ましに行ってしまった。そのまま革袋に詰めてくれるのだろう。
空を見上げれば、太陽がいつの間にか随分と進んでいたことに気付いた。
このままだと、街に着くまでに日が沈んじまうかもしれないな。
「そろそろ出発するか……」
俺は一度伸びをして、馬たちを呼び寄せた。指笛を吹けばすぐに戻ってきてくれる、よく訓練された馬だ。
馬たちを荷馬車につないで、アルフレッドを起こす。
「そろそろ行くぞー」
「クゥウ」
どこからそんな声を出しているんだか。でかい図体で器用なもんだ。
そんなことを思いながら、アルフレッドにも荷馬車をつないだ。
さて、うやむやになってしまったが、俺は諦めないぞ。街まではまだまだ時間があるんだ。道中ただのんびりするのもいいが、今日は会話に花を咲かそうではないか。
「おーい、レーヌ! そろそろ行くぞー!」
「はーい!」
「おっと、待った」
「どうしたの?」
「こっちに座りなさい」
俺はドゥの荷馬車に乗り込もうとするレーヌを呼び止めて、俺の隣をポンポンと叩いた。レーヌから、ベルの結婚話について聞きださなければ。
「何、ドゥならちゃんとついて来てくれるさ。それよりも、俺の話し相手になってくれ。どうにも暇でな」
「わかった!」
素直でいい子だな。本当に、俺には勿体ない娘だ。




