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街へ行く

遅くなりました。

 朝目を覚ますと、ロワが私を見つめていた。じーっと、微動だにせず、ずっと。

 こんなにも動かないのならば、これはロワじゃないのかもしれない。こんなにも落ち着いているロワはロワではないのだ。

 では、これは何だろうか。目の色、癖毛、黒子の位置、細部までそっくりに作られている。……作られている?

 そうだ。作られているのだ。動かず、じっと、同じ姿勢のままで私を覗いているこれは銅像なのだろう。

  

「レーヌ?」

「……銅像が、喋った」

「……大丈夫みたいだね」

「あ、待って、ロワ、ちょ」


 呆れた顔のまま部屋を出ていってしまったロワを追いかけ、そのまま朝の仕事を済ませた。

 今思うと、覗いていたのは心配してくれていたのかもしれない。

 何処となく、不安そうな顔だった気がする。


「ごめんね、ロワ」

「はぁ、いいよ、もう」

「ごめん……」

「いいって。早く行かないと遅くなっちゃうよ?」

「うん……」

「あー、もう! それじゃあ、お土産よろしく! それでチャラ! いい?」

「うん! わかった! 楽しみにしててね!」

「はいはい。じゃあ、行ってらっしゃい」

「行ってきます!」


 朝食の後、そんなやり取りをロワとしつつ、私は厩舎へと向かった。


「アンもドゥもおはよー」

「おー、よしよし。よろしく頼むなー」

「ブルルルル」

「ヒーヒヒヒィン」


 今日はシモン兄ではなく、私がお父さんとやってきたことでおおよその予想はついているのだろう。元気よく返事をしてくれた。アンもドゥもやる気十分だ。


 この子たちには街まで商品を運んでもらわなくちゃいけない。調子がよさそうで安心した。

 でも、この子たちは荷馬車につなぐ前に、ちょっとやらなくちゃいけないことがある。


「よいしょっと」


 アンとドゥを厩舎から出し、近くの木へと繋いでおく。そして私たちは厩舎の床に敷いてある敷き藁を外へと運んでいった。

 糞や尿がしみ込んでいる部分もあり、少し重たい。考えて纏めないと、持ち上げられなくなってしまう。

 フォークを使って私たちは敷き藁を次々と運び出した。


 さて、この敷き藁だけどただ単に掃除をするっていうわけじゃない。もちろん、掃除の意味もあるけど、それだけではないのだ。


「おはよー、アルフレッドー」

「クゥ」


 お父さんの後ろに、ノッシノッシとついてきたアルフレッドに挨拶をした。

 馬を驚かせないように小さく返事をしてくれたアルフレッドはとても可愛かった。

 いっつも可愛くてかっこいいけどね!


 アルフレッドにも街まで商品を運んでもらうのだけれど、さっきも言った通り、アンとドゥはアルフレッドに怯えてしまう。

 みんな家族で、今日は一緒に旅をする仲間だけれど、種の壁を乗り越えるのはそう簡単なことではないからだ。


 なので、今からその準備をするのだ。


「それじゃあ、頼むな」

「よろしくね」

「クゥ」

 

 そう、一声返事をして、アルフレッドは敷き藁へと飛び込んだ。ゴロゴロと、そして、ドッタンバッタンと、アルフレッドは敷き藁の上を転がった。

 そうやってアンとドゥの使った敷き藁を体にこすり付けることで、アルフレッドに臭いを付け、アルフレッドは仲間であると教えるのだ。

 アルフレッドにこんなことをさせるのは申し訳ないけれど、あまりにも汚い部分は除いてあるし、アルフレッドも苦にしていないらしいく、毎回楽しそうに転がっているから、案外、アルフレッドも遊び感覚なのかもしれない。


「忘れ物はない?」

「ないぞ」


 アンとドゥ、アルフレッドを荷馬車につないで、お父さんと私はいよいよ街へと出発。その前の最終確認をしていた。

 忘れ物をしたからと言って、すぐに戻ってこられる距離じゃないからね。何かあったら大変だ。


「お財布は?」

「あるぞ」

「計算表は?」

「えーと、確かここに……。あったぞ」

「外套は?」

「積んである」

「他には……」

「心配性だな? ほら、行くぞ」

「うーん、何か忘れてるような……?」

「レオ~! レーヌ! お弁当~!」

「「あっ」」


 お母さんがお弁当を持ってきてくれた。

 危ない危ない。道中にコンビニとかないからね。お弁当を忘れたらお昼は抜きだ。

 はぁ、また迷惑をかけちゃったなぁ。昨日といい、こんなんじゃダメだ。本当に使えない子だ。


「おー、すまんすまん」

「もう、レオはともかくレーヌまで……。本当に大丈夫?」

「ごめんなさい」

「何なら今回は私が行っても――」

「大丈夫! 私に行かせて!」


 私の仕事がなくなったら、私は……。

 大丈夫。魔力切れなんて一晩寝れば治るんだから。

 これはただの不注意。魔力切れのせいじゃない。ちゃんとしないと! 心配かけちゃいけない。

 もう、迷惑はかけられない。


「……わかったわ。気を付けてね?」

「うん、ありがとう」

「よーし、もう忘れ物はないな。行くぞ?」

「うん」

「いってらっしゃ~い」

「「いってきまーす」」


 お母さんの見送りで私たちは街へと向かった。




 見渡す限りの草原、風が吹けば緑の絨毯が波打ち、海へと変わる。緑の海の香りは青臭く、だけど何処か仄甘い。吹く風は潮風のようなべたつきはなく、さっぱりとしていた。

 春の温かい日差しが心地いい。遮るものは何もなく、何処までも、何処までも風が走っていく。


 私たちは今、車輪で踏み固められた二本の筋の上をゆっくりと進んでいた。

 先頭はお父さんが操縦するアン号。次に私の操縦するドゥ号。そして殿を務めるのがアルフレッド牽くアルフレッド号だ。

 三台の荷馬車が縦列に隊列を組んでゴトゴトと音を立てながら進んでいた。


 暑くもなく、寒くもなく、やんわりと私の身体を包み込む空気。時折吹く風が、停滞に刺激を与えているけれど、それもまた心地よく、ぼんやりとした頭をやさしく撫でた。


 左を見れば、風の流れを目で追うことができるほどに、程よい背丈の草しかない景色があり、右を見れば、これまた一面緑の景色が広がっている。

 あまり雨の降らない気候のせいか、この辺には木が少なく、つまるところ景色に変わり映えがしない。

 そんな中、まっすぐ伸びた道をゆらゆら揺られながら、そして、春の陽気に当てられてぼーっとしながら進んでいる。

 私が何かしなくても、ドゥは前の荷馬車の後をついて行ってくれるし、警戒するにもこんな隠れる場所もないようなだだっ広い場所で、何を警戒すればいいのだろう。

 草むらから何か出てくるのだろうか? 今までそんな経験はないし、大丈夫だろう。

 結局、何をすることも出来ず、ただ揺られるだけ。


 つまり、何が言いたいかというと、兎に角眠いのである。


 確かに、ここで寝てしまっても、別段問題はないと思う。道中、特に昼間なんて、私にできることなんてほとんどない。

 ただ暇を持て余して、荷馬車に揺られるだけなんて、使えないと思う。

 それで、自分に仕事がないのをいいことに睡魔と闘っているのだ。


 私は養ってもらっている身で、今の家族には一生を使っても返せないほどの恩がある。それなのに、こんなことでいいのだろうか。


 よくはない、よくはないけど……。何をしたらいいのかわからない。


 とりあえず、寝ちゃダメだ。そう、寝ちゃ、ダメ、絶対、寝ちゃ……。


 私が睡魔と闘っていると、アン号が脇に逸れた。目の前には小川が流れており、どうやら休憩地点に着いたみたいだ。

 見上げれば、太陽も随分と高く昇っていて、なるほど、道理で心地いいわけだよ。


「よーし、休憩だ」

「ふぁ、はーい」


 少し伸びをしてから、荷馬車に積んであるお弁当と鍋を取り出した。お父さんがアンとドゥに小川の水を飲ませている間に、私はお昼ご飯の準備をする。

 といっても、適当な場所にお弁当を置いて、後は竃を作って火を点けるだけで、たいしたことはしない。

 竃に火を点けたら、鍋に水を汲んで火にかけておく。後で水筒に水を補給するためだ。

 暑くはないと言っても、直射日光を浴びているのだ。当然汗はかいている。水分補給はこまめにしないとね。

 救急車なんてないし、お医者さんだってすぐにはこれない。倒れてからでは遅いのだ。


 鍋を竃にセットしたところで、お父さんが戻ってきた。

 アンとドゥは近くの草を食んでいるし、アルフレッドは気持ちよさそうに身体を丸めて寝ていた。

 みんなすっかり休憩モードだ。

 休憩が終われば、また働いてもらうわけだから、休めるときにちゃんと休んでもらわないとね。


「さぁ、飯だ飯!」

「うん、いただきます」

「いただきます」


 お弁当は堅焼きのパンにソーセージと野菜を挟んだもの。ホットドッグに似ているかな。まぁ、ホットドッグみたいにケチャップやマスタードは入っていないんだけど。


 大きめに切られたパンを二人で頬張った。

 パンに塗られたバターの香りが口に広がって、でも、そのすぐ後に肉汁と香辛料が舌と鼻腔を刺激する。

 野外でこんなにいいものにありつけるなんて、流石牧場一家といった所だね。

 人の顔ほどもある大きさだったけれど、ぺろりと平らげてしまった。

 

 お腹が膨れてくると、また眠くなっちゃうけれど、食事をしないわけにもいかないし……、どうしようかな?


「どうした、レーヌ? 悩み事か?」

「ううん、そういうわけじゃないんだけど……」

「んー、そうか? まぁ、なんだ。あんまり思いつめるなよ? 昨日から、ちょっと様子が変だぞ」

「うん……」

「何があった?」

「あはは、お父さんには敵わないなぁ」

「いったい何年一緒に暮らしてると思ってるんだ。お前が生まれてからずっとだぞ?」

「……そう、だね」


 私はポツ、ポツ、と話し始めた。魔力切れを起こした時の事、その時に感じた感覚。目覚めた時の事、みんなに迷惑をかけてしまった事、一緒にいる資格はないんじゃないかという事、でも一人にはなりたくない事を、私は話した。


 ただ、私は肝心なことを話してはいない。なんで自分がこんなことを思うのか、なんで一人になる事をこんなにも怯えているのか、それだけは言えなかった。

 だってそれを言ったら、本当に、私は家族じゃなくなってしまう気がして。

 だから私は隠した。ある大事なことを、隠した。


「そうか」


 お父さんはそう、一言だけ呟いて、黙ってしまった。返答に悩んでいるのだろう。どうしたら私を元気づけられるのか。

 きっとお父さんは私が隠していることについて薄々気づいているんじゃないかな。

 だけどあえてそれには触れないでいる。

 私のためを思ってなのか、自分も隠したいからなのかはわからないけど、お互いにその領域には踏み込まないでいるのだと思う。

 踏み込んでしまったら、今のこの関係が崩れてしまうのだと、お父さんもわかっているんだと思う。

 お互いに踏み込めない領域。そのせいでお父さんは言葉に悩んでいる。もちろん私も悩んでいる。だから、沈黙が流れた。


「あのな、レーヌ」


 どれ程の時間が経ったのだろう。沈黙は時間の感覚を狂わせる。沈黙とは止まっているように見えて、時間はしっかりと進んでいる、そんな状態のことだ。

 止まっているのは時間ではなく、人の心。そして、止まった心は沈黙でさえも繋ぎ止めることはできない。


 だからお父さんは切り出した。私の名前を呼んだ。



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