第8話 少女との邂逅
「……えーっと、ハニック草の採取……? あ、これ常駐クエストじゃないのか」
めでたくギルドに入ることができたあの日から、早いもので一週間ほど。なんとかかんとか仕事に慣れてきた俺は、本日も旅の資金を稼ぐために、早朝からギルドのクエストを物色していた。
ギルドにはカウンターと酒場のほかにも、基本的にクエストを閲覧するための「クエストボード」が存在している。人が4,5人ほど並んでも窮屈しないほどの大きさを持つ大きなコルクボードの上には、画鋲らしきもので張り付けられている、所狭しと並ぶクエストの内約が書かれた紙。
最初に見たときはその数の多さに仰天したものだが、聞いてみる限りではこのくらい張られているのが一般的らしい。張り出されたクエストは、ほとんどがその日のうち……早いものだと張られてから速攻で消化され、ボードから消えていくため、このくらい張り出す方が冒険者の士気向上にもつながるんだとか。
そんなことを思い出しながらボードの上を指でなぞっていると、ふと俺の指と目線が一枚の紙の上で停止する。
「ん……討伐の常駐依頼か、たまにはいいな」
画鋲から引っ張り抜いたクエスト用紙には、常駐クエストの印であるハンコが押されていた。内容は、前回の試験クエストでも行った、指定の生物の討伐。用紙には、「毒イモムシ」を倒してくれという旨が記されている。
前回から追加で覚えた知識なのだが、ギルドで提供されるクエストというのは、基本的に二つに分類されるらしい。これから俺が受ける「常駐クエスト」と、普段の俺がよく受けている「依頼クエスト」と、それぞれ呼ばれている。
常駐クエストは、ギルドが依頼主となって発注されたクエストのことだ。依頼主からの報酬金なんかは発生しない代わりに、指定の物品を調達するだけ、なんて感じの単純な内容が多く、手早く終わらせることができる。加えて、指定の物をたくさん持って来たり、依頼内容をたくさんこなせばこなすほど、報酬も増えていくのが特徴だ。
対して依頼クエストは、依頼をしたい人間が発注したもののことを指す。こちらは内容的にも面倒なことが多いが、こなすことができれば常駐クエストよりもたくさんの報酬を得ることができるというものだ。依頼主のさじ加減によって報酬額は変動こそするし、どんな依頼が出されているかもわからないが、それでも常駐よりも高額の報酬を得られるのは確かだろう。もっとも、常駐クエストで必要なアイテムを抱えきれないほど持っていけば、その結果も変わるかもしれないが。
基本的に、常駐クエストというのはどんなランクの人間でも受けることが可能で、誰かが受けても同じ依頼を受けることができるという都合上、時折同じ依頼を受けた冒険者とかち合うことがあるらしい。そういう時は譲るか決闘するかなりで場所を譲ったり、同じ場所で協力して依頼を遂行するのが、冒険者の間での暗黙の了解なのだそうだ。
ただ、俺は最近までずっとそういう場面には遭遇したことがない。単純に依頼クエストの方が多いからなのかもしれないが、ともかく俺はクエスト中に他の冒険者とかち合う、という場面にも遭遇したことがなかったりする。
たまにはそういうことがあってもいいんじゃないかなぁ、なんてフラグっぽいことを考えながら、俺は依頼書をぴらぴらさせつつ受付へと向かっていった。
***
グレセーラの周辺、特に北側の開けた場所には、それはそれは広大な耕作地が広がっている。ここさえあれば、いろんな作物を作れるんじゃないだろうか……と考えたことがあったが、実際にここで作っているのは、周辺地を原産とする作物と、一部の食材の原料となる大麦小麦だけなのだそうだ。あまりあれもこれもと作ってしまうと、近隣諸国との付き合いが薄くなってしまうことと、地理的にどうしても作れないものがあるというのが、主な理由らしい。依頼書を吟味していた時に、酒場コーナーで呑んでいた衛兵さんから聞かせていただいた。
で、今回受けた常駐クエストの対象である「毒イモムシ」は、主に穀物を好んで食べる修正を持っているという。最近は魔力溜まりの影響か、比較的体も大きくて凶暴な個体が増えてきたらしいので、そいつらをメインにした討伐クエストが張り出されているらしい。
「……あれだな」
酒場を中心として集めておいた事前情報を頭の中で復唱していると、不意に前方で並んでいた麦の稲を左右にかき分けて、真っ赤な胴体が姿を現した。ギルドで見せてもらった野生生物図鑑のラフスケッチ、その通りで間違いないならば、あれがターゲットの毒イモムシだろう。
さっそく討伐と行きたいところだが、相手はその名前通りに毒性の攻撃が得意らしい。尾から生えた、人の前腕くらいはありそうなくらいに大きな毒針と、そのトゲ――正確には尻から噴射する毒液攻撃が、その最たるものだ。
致死とまではいかないが、食らってしまえば一時的な感覚麻痺、めまい、吐き気などなど、とてもではないが戦闘ができる状態を保てる代物ではないという。そのことを念頭に置いて、俺は数歩下がると稲穂の裏で身をかがめ、静かにひそむことにした。
前述の通りに強力な毒攻撃を持ってはいるが、その代わりというべきか、毒イモムシは非常にのんびりのっそりした挙動をしている。それは戦闘においてもあまり変わりはないらしく、毒液の噴射や突然のトゲ攻撃こそ脅威だが、それを除いてしまえば特段脅威となる相手ではないそうだ。
俺としては、わざわざ攻撃を仕掛け、不意を突いて毒の攻撃を浴びる、なんて無様は満足じゃない。より正確、かつ安全な手段で、毒イモムシを倒したいと考えていた。なので今回は、最初にその「危険な部分」を封じることにする。
数分ほど待っていると、徐行運転か何かかと突っ込みたくなるくらい、のっそりと移動していた毒イモムシが停止して、目の前にある稲穂をもしゃもしゃと食べ始めた。
念のために周囲を警戒してみるが、他の毒イモムシが居るような気配は見当たらない。――仕掛けるなら、今しかないな。
なるべく静かに剣を引き抜いた俺は、ぐっと足に力を込める。電撃戦、あるいは強襲戦というものは、初速が重要――!
「ふっ!」
一息のうちに、俺は身をひそめていた稲穂の陰から飛び出した。稲穂同士が擦れ、盛大にかき鳴らされる音が、俺の後方で響く。
さすがに音にも気づかないほど、毒イモムシは鈍いわけじゃないらしい。が、どうにもそれを確認しようとする動きももっさりしている。
その動きの鈍重さをしっかりと視認して、俺は目線を毒イモムシの後方、尾の部分へと向けた。狙うは、毒針を持つ尾の周辺!
「らぁっ!!」
下から上。ナナメ一直線に切り上げた剣からは、大根を切った時のような手ごたえを感じた。
飛び出した勢いを殺しながら体をひねり、毒イモムシの方を向くと、毒イモムシは胴体の三分の一程を喪失している。原因は言わずもがな、俺の剣。
手ごたえがやけに大きいと思ったら、どうも目測とは違う場所をぶった切ってしまったようだ。失敗したかと思ったが、毒イモムシが痛みに苦しんでいるので、作戦的にはむしろこれでいいのかもしれない。
手早くとどめを刺すべく、俺は小走りに駆け寄って、じたばたともがく毒イモムシの首付近――イモムシの首ってどこだろう――へと刃を振り下ろした。
弛緩して動かなくなった毒イモムシは、そのままの場所に放置しておく。なんでも、基本的に耕作地帯の近くで死んでいる野生生物やそのフンなんかは、そのまま農耕地を有する農家さんが回収して、畑の肥料にするそうだ。なので、基本的に冒険者が持って帰るのは、討伐証明部位となる部分以外を持って帰ることはしないという。
俺もその暗黙の了解にしたがって、討伐証明部位である芋虫の毒針を剥ぎ取りにかかった。むろん、そのまま触ると毒が回るので、ギルドから有償で支給されている対毒手袋を使う。
数分格闘してようやく針だけを抜き取れた俺は、そのままの勢いでもう何匹か討伐してしまおうと、農耕地帯をうろうろしていた。
どうにも今日は、毒イモムシの数が少ないような気がする。常駐クエストとして張り出されているのなら、基本的には10分に一回くらいは遭遇してもいいような気がするんだけどなぁ。
「……おろ?」
そんなことを考えながら、倒れる稲穂が無いかと周囲を確認していると、不意に視界の端で、何かが宙へと飛び上がった。
くるくると放物線を描きながら俺のもとに飛んでくるそれは、目を凝らしてみれば毒イモムシの尾針。いくばくもせずに俺のすぐそばに落っこちた尾針付きの尾は、荒っぽいながらも見事な断面を覗かせていた。
なるほど、毒イモムシが居ない理由はこれだったのか……と一人得心していると、麦の稲穂をかき分けながら、俺の方――正確にはすっとんできた尾針の方へと、人影が走ってくるのが見える。
「ごめんなさーい!怪我とかないですかー?」
人影が発した声は、凛とした印象を抱かせるソプラノ声だった。俺のことを見とめたのだろう、気遣うそぶりを見せるその言葉をかけた人影が、稲穂を倒さない程度にどけながら、俺の前に姿を現す。
まず目に入ったのは、太陽のように明るく艶やかな金で染め抜かれた、長い髪の毛だった。人影――俺と同い年くらいの少女、その引き締まった一挙一動に合わせ、陽光を反射しながら揺れるロングヘアと組み合わさった顔は、勝気な少女というイメージを抱かせる造形をしていた。
華奢な身を包む服装は、布鎧として使っているのであろうブラウスとスカートの上から、これまた布鎧として使用していると思しき上着。どちらも簡単なつくりではあるが、見た感じ結構いい素材を使っているようだ。
そして俺のことを見やるその瞳の色は、まるで宝石がはめ込まれたような、とでも形容したくなるほどに美しい、青。釣り目気味なせいで怒っているのかと誤認したが、瞳から覗く光は憔悴と心配の色だった。抱いたイメージのせいで、ほんの一瞬だが勘違いしてしまったらしい。
「あぁうん、大丈夫。……これは、君が?」
軽く会釈して何事もないことをアピールしてから、俺は少女に向けて問う。
「えぇ、そう。切り飛ばしたら突然すっぽ抜けたもんだからね。……ともかく、怪我がなくてよかったわ」
肩を竦めながら安堵する少女は、先ほど俺に投げかけた言葉とは違う口調で話していた。たぶん、俺の外見とか口調から同い年と判断して、口調を切り替えたのだろう。よく様になっているから、おそらくは今の口調が素なんだろうとあたりをつける。
「この辺の毒イモムシは、君が?」
「そうよ。……あぁ、あなたも常駐クエストを受けた口なのね」
わずかな質問だけで、俺が何をしにここに来たのかを見抜いたようだ。まぁ、こんなところで何かを探している人間と言えば、常駐クエストを受けている人間くらいのものだろうし、ある意味それが普通かもしれない。
「悪いけど、ここを譲る気はないわよ?今日はそこそこの量が発生してるから、いいお金稼ぎになってるのよ」
意地の悪い笑みを浮かべながらそういう少女に、俺は慌てて弁解――というか横取りの意志がないことを伝える。
「や、何もそんなことする性分じゃないよ。君が先に見つけたんだから、占有権は君にあるだろうし」
「ふふ、話が分かるじゃない。……でもま、このまま追い返すのもちょっとねぇ」
おとがいに手を当てて考えごとをする少女は、やがて何かを思いついたらしく、腰に巻いていたウエストポーチの中から、小さな石を取り出した。……石、というよりは、削り出されたまま研磨されていない、宝石の欠片とでも形容するべきかもしれない。深い緑の色を湛えるそれを、少女は俺に差し出してきた。
「ついさっき、落っこちてたのを見つけたのよ。本当に小さな「魔石」の欠片だけど、売ったら尾針一本くらいにはなるんじゃないかしら」
「……いいのか?」
「いいのよ。どうせ私は風魔法なんて使えないし、このくらい毒イモムシを狩れば元は取れるわ。別に苦労して手に入れたものでもないからね」
少女の口をついて出た「魔石」――おそらくは魔法に関連したアイテムの価値を耳にした俺は、少しばかり驚きながらそう聞く。尾針一本分になるんなら、そのまま持って行って換金した方が良いのではないだろうか……という疑問から来る問いかけだったが、苦笑する少女には、俺が魔石を貰うという風に解釈したらしい。微妙にかみ合わない会話を返してきた。
「……ん、そっか。じゃあ、ありがたく貰っておくよ」
まぁ、少女がそう言っているんだから、別に遠慮する必要もないんだろう。そう考えて、俺は礼を言ってその欠片……魔石を受け取った。
ころりと手の上に落ちた魔石を指でつまみ、空にかざしてみる。空から降り注ぐ光を透過して、揺れる水面のように煌めくそれは、どことなく変化した俺の瞳に似ていた。中々綺麗なのに、これが毒イモムシの尾針一本分の価値だというから驚きである。
「片手で抱えるくらい……ううん、ちょっと握れるくらいの大きさだったら、かなり価値はあったんでしょうけどね。大方、どこかの交易商人が荷台から転がして、石で割っちゃったんでしょ」
「だろうなぁ。こんな綺麗なのに、もったいない」
肩をすくめる少女の言葉に、俺は同意する。とはいえ、これでも価値になるものなのだから、持っていて損はないはずだ。軽くはじいてキャッチした魔石の欠片をアイテムポーチにしまい込もうとした時。
わずかに地を揺らす音響が、俺の耳に届いた。