第6話 初めてのクエスト
「ほら、ここだよ。また迷っちゃったら、その辺の衛兵に言ってね」
「ご迷惑をおかけしました……」
ディーンさんと別れて、おおよそ30分ほど後。俺は現在、冒険者に依頼を斡旋するための施設である「ギルド」へとやってきていた。
開口一番頭を下げて謝罪する俺に、目の前の騎士装の男性――グレセーラの治安を守る衛兵さんは、気にするなと俺の肩をたたく。
「まぁ、グレセーラの街は裏路地が多くて迷いやすいので有名だからね。君みたいに地方から出てきた人が迷って困り果てることなんて、珍しいことじゃないからなぁ」
苦笑交じりにそう言う衛兵さんに、俺もまた苦笑を返す。
そう、俺は衛兵さんの言った珍しくない人の例に漏れず、グレセーラの入り組んだ路地に迷い込み、困り果てていたのだ。偶然通りかかった彼が居なければ、多分俺はどことも知れない場所に出て、そこからまた困ることになっていただろう。
もっとも、俺を助けてくれた衛兵さんからすれば、先ほど言った通りに迷い人は日常茶飯事らしいので、そういう人を見つけるためにも裏路地を巡回している衛兵も多いんだとか。そういう意味では、俺が案内してもらえるのは当たり前だったのかもしれない。
「本当、ありがとうございました。何かお礼できたらいいんですけど……」
「いいっていいって、これも仕事のうちだしね。じゃ、また何かあったら頼ってね!」
そう言いながら、さわやかな笑顔と共に衛兵さんは颯爽と駆けて行ってしまった。正直、お礼だけは何としてもしたかったのだが、あの分だと押し付けても受け取ってはくれないだろう。そう自分を納得させて、ともかく目的を達するために、俺はギルドの建物へと踏み入った。
***
事前にディーンさんから聞いた話によれば、ギルドではまず冒険者として登録するにふさわしいかを判断するために、試験用に用意された指定の害獣討伐の依頼をこなす必要があるのだそうだ。といってもその害獣は大人一人でも倒せるようなもので、イビルドールを相手取って戦える腕があるなら心配ごとなんて何もないらしい。
「……というわけで、エイジ様への試験クエストは、グレセーラ郊外にて目撃情報が増えている「雑食イノシシ」の討伐になります。討伐証明部位であるイノシシの牙を持ってきてくださればクエスト完了とみなし、本登録を行っていただきます。ここまではよろしいですか?」
「はい、大丈夫です。……あ、よければそいつの特徴とか、教えて貰ってもいいでしょうか?」
受付の人が伝えてくれた内容を了承した後、俺は改めて気になっていたこと――つまり、雑食イノシシという生物が俺の知っているイノシシと同じなのかを確かめることにした。世界が違う以上、同じ名前でも全く違う生き物のことを指していたとしても、なんらおかしくはないはずである。
結論から言えば、説明を聞いた限り、基本的に俺が知っている創作物に出るイノシシと大差ないものらしい。違うのは、雑食である故かいろんな色が混じったような黒い体毛と、まるでネガ反転したように真っ白い、巨大な二本の牙が特徴だということぐらいか。いただいた情報と、雑食――つまり人肉だろうと食べる、その性質ゆえの凶暴さから推測するに、その巨大な牙でタックルを食らった日には、痛いとか怪我とかのレベルではとても済まないだろう。よくて骨折、最悪ショック死くらいを覚悟しておいた方が良いかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は約2時間ほどかけて――そのうち1時間はまたしても迷ってしまって、別の衛兵さんに案内してもらったものであるが――、目撃情報が多発しているというグレセーラ郊外の平原へとやってきていた。
「……やっぱ、広いなぁ」
郊外の草原にやってきてまず最初に口をついた感想は、やっぱりというかその広大さに関して。少なくとも、今の日本にはおろか、外国だろうとほとんど見当たらないくらいの、青々とした草に覆われただだっ広い平原には、まばらに砦や街道が見えるくらいで、人工物や障害物の類はほとんどと言っていいくらいに見受けられなかった。ほかに見えるものと言えば――。
「……あ、いた」
全面緑の草原ではよく目立つ、黒と白が特徴的な丸い体躯。せわしなく鼻を動かしてエサを探しているその姿は、間違いなくギルドで説明された特徴と合致していた。あれが雑食イノシシなのだろう。
どうやら、いまだ俺のことには気づいてないらしい。逃がさないようにじっとそいつを睨みながら、ゆっくりと距離を詰めていく。さっそく剣を抜いて討伐に踏み切りたいところだが、なにぶん俺が戦闘を行ったのは、縄張りに入らない限りは大人しいオオカミだとか、徒党を組んで襲ってくるがそれでも武装していれば対した脅威ではないゴブリンだとかだけ。加えて、そいつらとの戦闘には常にディーンさんのところの私兵がお供してくれていたので、単独での戦闘は実質初めてとなるのだ。ソロの初陣は勝利を飾りたいと前々から考えていたので、その点も踏まえてここは慎重に行くことを選択する。
それに、この世界のイノシシというのは、見かけによらず中々の敏捷性を持つらしい。その分突進することくらいしか能がないらしいが、やはりその威力は目を見張るものがあるのだろう。慎重に行くのは、その突進を食らいたくないという意味もあった。
そうして数分をかけ、俺は少し走ればイノシシへと切りかかることができる距離まで近づくことに成功する。が、さすがにそこまで近づけば、においや気配、音などの情報を頼りにして、イノシシもこちらを察知したらしい。しきりに鳴らしていた鼻を持ち上げて周囲のにおいをかいだかと思うと、こちらに向けてその顔を向けてきた。白い牙がかすかな軌跡を描いて、俺めがけて向けられる。
それを真正面から見据えながら、俺はずっと握りしめていた剣の柄を引き、手中に収めた俺の力を――ディーンさんが俺にくれた、戦うための武器を抜き放った。鞘払いの動作で風を切りさくように振るわれた鈍く輝く刀身が軌跡を描いて、俺とイノシシの間に存在した空間を音高く薙ぎ払う。
「こいっ」
小さくつぶやいて構えた直後、地面を蹴り飛ばした雑食イノシシが突進を仕掛けてきた。その初速たるや、まさに弾丸のように、という形容がふさわしい。
しっかりと正面から相手を見据えて引きつけつつ、ギリギリでサイドステップをかける。草を散らしながら回避行動をとった俺の真横を、風切り音を鳴らしながらイノシシが駆けていった。どれほど早いのか警戒していたが、どうやら杞憂だったらしい。確かにかなり早いが、ディーンさん仕込みのグレッセル流剣術(回避術)ならば、しっかりと相手の動きを見切れば避けられる。
それを確認した俺は身を翻し、イノシシの尻めがけて踏み出した。狙うは一撃必殺だが、浅い一撃しか入れられなくてもそれはそれで問題ない。今の俺に必要なのは、何よりも戦闘経験だ。
「らあぁっ!」
距離を詰めながら下段へと振りかぶり、斜め上へと剣を振り上げる。袈裟懸けに振るわれた剣はイノシシの尻を捉え、快音を響かせて鈍色の軌跡を生み出した。
衝撃は十分に伝わったらしく、イノシシがぶもっ、と小さく唸って飛び上がり、ずどしゃと地面へ叩き付けられる。ただ致命傷には程遠かったようで、すぐに体勢を立てなおして方向転換したイノシシが、再度俺へと突進をかけてきた。その距離、わずか5m。
「うぉぐっ!?」
カタパルトか何かで打ち出されたかのような速度でタックルをかけてきたイノシシを、当然まだまだ未熟な俺がよけきれるはずもなく、大きな牙の激突をまともに受けて吹っ飛ばされた。そのままの勢いでごろごろと地面を転がりながら、俺は短く舌打ちする。思った以上にダメージがデカい。
忠告はきちんと聞いていたが、いかんせん認識が甘かったようだ。高々試験用のザコとたかを括るのは禁物だと、この試験は教えてくれているのかもしれない。そう考えて、不敵に口角を釣り上げる。ダメージはまだしびれとして残っているが、この程度ならば無視できる!
「まだまだぁっ!!」
腕と足をバネのように使って、俺は一息に跳躍した。まるで獣みたいなとびかかり方だが、このくらい俊敏なほうが相手の意表を突けるものだろう。そう考えながら、俺は空中で体勢を立て直して、逆手に持った剣の切っ先をイノシシめがけて振り下ろした。
ごっ、と言う風切り音を響かせて、俺が振るった剣の刃は、イノシシの体をわずかに外れて地面に深々と突き立ってしまう。ジャンプの方角を若干間違えたらしく、少々気恥ずかしい気持ちになりながらも素早く剣を抜き、飛んできたイノシシのタックルを転がって回避した。
一回転してすぐさま飛び起き、今度はお返しと言わんばかりに俺から突進を仕掛けてやる。対するイノシシはそのまま停止するのではなく、まさかのUターンを決めながら再度突っ込んできた。真っ向から距離を詰めていく俺とイノシシ。決めるのならば――ここだ!
「はっ!!」
いよいよ二つの影が重なり合い、互いへとダメージが及ぼうとしたまさにその時、俺は寸前で踏みとどまり、低く跳躍をかけた。その高度は先ほどのジャンプ突きには遠く及びはしないが――今更だけど、あれはえらい飛距離を跳べたものだ――、イノシシの背中をかすめて反対側へと飛び越えるには十分な高さ。
――そして、そのイノシシの背中へと剣の切っ先を叩き込むには、まさしくベストな場所だった。
逆手に持って、深々とイノシシへと突き刺した剣から、柔な肉を切り裂く感覚が手へと伝わる。そのまま空中でぐるりと体を翻して、背中側に回った剣を眼前へと振り戻し、俺はイノシシの背中を縦一直線に切り裂いた。
草と土を鳴らして着地した後、数泊を置いて俺は振り返る。そうしてそこで見たのは、背中側から鮮血を吹きあげながら、草原へと倒れこむ雑食イノシシの姿があった。
俺が画策したことは、特になんということはない。どれだけ高度な知性を持っていようが、相手の行動を先読みできる戦術眼を持っていようが、その考えを上回ることをしてやれれば、必ずそいつに隙は生じることとなる。その隙を――意表を突いただけだ。
想像だにできなかったのだろう、自分の体を飛び越えるというアクロバット。それを目の前で敢行されて意表を突かれた雑食イノシシは、俺のもくろみ通り背中を切り裂かれて、地面へと倒れ伏していた。剣の手ごたえや間近で見た傷からしても、おそらくは内臓付近まで届く深い傷になっているはずである。
「……ま、このままほっといても死ぬだけだしな」
弱く揺れる命のともしびを前にした俺は、そう割り切ってイノシシの首へと切っ先を突き立てた。このまま痛みに苦しんで死ぬよりは、いっそ楽に逝かせるほうが気分もいいだろう。それに、痛みに苦しむことを想像してしまうと、俺がその結果に満足いかないのだ。
噴き出した血で赤く染まるイノシシの体躯を見ながら、俺はふと眉をひそめる。そういえば、こうして生き物を殺めることに対して、特段嫌悪感や罪悪感を覚えていないのだ。
何故だろうかと考えるが、理由らしい理由はわからない。俺自身が魔力溜まりで死にかけたことは恐らく関係ないし、イビルドールはそもそも助かることもないので、いっそ倒してしまう方が気分的にもいいはずである。それならば何が――と考えて、そういえばと俺は理由に思い当たった。
そもそも、そういった類の感情にはすでに遭遇していたのである。野生動物を相手取ることは、ディーンさんたちと旅をしていたころにやっていた。その時にも覚悟こそしていたが、いざ動物たちが血を噴き出して倒れるところを目の当たりにすると、自分がやったことながら気分が悪くなったものである。一度仕留めた動物の解体を教わるために可愛らしい野ウサギを相手取って切り伏せたときは、本当にこんなことをしていいのだろうかと小一時間悩んだっけか。そんな体験を考えると、作物を食い荒らすイノシシを相手取るのは、それほど苦痛ではないような気がする。イノシシを殺すことに俺が悩むよりも、そのイノシシに食い荒らされた作物を食べられない人が居ることを思うならば、こうした方がより満足できるというものだ。
そんなことを考えていると、イノシシの気配はすでに消えている。足元を見下ろすと、雑食イノシシはすでにぴくりとも動かなくなっていた。あとは、形がわかる程度の大きさに切り取った牙をギルドへと持って帰ることができれば、クエスト完了である。
どうやら、初のクエストは無事成功に終わったらしい。ここでとん挫するひ弱な俺じゃないことに内心で安堵しながら、俺は渡された剥ぎ取りナイフを鞘から引き抜いて、ゲームで言う剥ぎ取りを開始した。