第5話 王都グレセーラ
ふと、考えることがある。
何を、かと聞かれれば、それはすなわち「俺が持っている記憶は、どうしてこういう形に落ち着いたんだろうか」ということだ。
……別に頭がおかしくなったとか、そんなことは断じて無い。ああ、断じて無いとも。確かに異世界に来たあげく人生だけきれいに忘れました、なんて言ってるのは、どこぞのおかしなことになった奴ぐらいしかいないのだろうが、それはそれとして。
そもそも、この記憶はどうして残っているのだろうか。
森の中で思索にふけっていた時には考えたこともなかった――厳密にいえば、どうしてこの記憶だけはしっかり覚えているのだろうかと考えたことはあるが――が、改めて考えてみれば、おかしいところはたくさんある。
どうして俺は、人生の記憶「だけ」をさっぱりと忘れているのか。探りようはないが、まずもって何かしらの力が働いたのは間違いないだろう。でなければ、ずらりと並んだ記憶の本棚のから、人生という名の本だけがごっそり抜け落ちるようなことが、起こるはずもないのだ。
まぁ、元の世界で事故にでもあって、そのあとにこのエルフラムへと飛ばされてきたのならば、記憶喪失にも納得はいく。だがそれならば、俺が覚えている知識の方にも、何らかの障害や欠損が発生するはずだ。事故に遭遇して、人生だけサクッと忘れるような奇跡など、天文学的な確立を引き当てでもしない限り起こりようがない。
考えれば考えるほど、俺の身に降りかかった出来事は不可解に感じてしまう。一体全体、記憶をなくす前の俺は何をして、何が理由で記憶を失ったのだろうか――というところまで考えて、不意にがくんと体が揺れた。
「ぬおっ?」
「ほら、エイジ。眉間にシワ集中させてないで、外を見てみろ。王都グレセーラに到着だぞ」
どうやら、俺の体が揺れたのは、ディーンさんにシバかれたからだったようだ。びっくりさせないでほしいという文句を飲み込みながら、俺はディーンさんの言葉に従って、同乗している馬車の窓から顔を出してみる。
外に広がっているのは、はるか遠くまで続く草原と空に、それを彩る山と森。つい数時間前に見たときはそれだけだった景色の反対側が、一面別の色に染まっていた。
「……おぉ!おぉーっ!」
それは、一見すればなんてこともない、しかし俺にとっては初めての光景となる、切り取られた石を積み上げて作り上げた、人の背丈の何倍にも上る巨大な壁だった。恐らく、このグレセーラという街ができて以来、ずっと使われているのだろう。一目見ただけでわかる年季の入りようは、武骨な実用性と信頼性を感じさせた。
そしてその石造りの城壁、その一角には、中へと踏み入るための巨大な二枚扉が見とめられる。その下を通っている無数の人影は、様々な顔を見せてくれた。商人、貴族、観光客、一般人と、服装から見て取れる役職も様々である。
「やっぱり、人が多いんですね」
「まぁな。それにここは王都なだけあって、武器防具に道具の品ぞろえや、宿の質だって並み以上がそろっている。いろんなものがたくさん入るから物価も安いし、冒険者としての活動の拠点にするんだったら、このグレセーラはもってこいな場所だぜ」
などと雑談を交えながら、俺とディーンさん、それを乗せた馬車は、目前の王都へと走る。
「よぅし、俺たちはここまでだな」
数十分後、グレセーラの街を移動していた馬車は、大きな屋敷の玄関の前で停止した。話を聞く限り、ここがディーンさんの構える本拠で間違いないだろう。ヘルトミアにあった木造りの邸宅とは違う、ほとんど汚れを見せない真っ白な壁は、いかにも貴族が住む豪邸といったたたずまいだ。
元々ヘルトミアに構えていた家は別荘のような扱いらしく、あの一帯を治めているグレッセル家の者が、代々領地経営や武芸に励むための拠点として使われているらしい。今回ディーンさんが居た理由は、しばらく放置していたグレッセル領の管理を行うためと、ヘルトミア付近の森に発生したらしい魔力溜まり――つまり俺が突っ込んだ場所の調査を行うというのが理由だったんだとか。
魔力溜まりに関しては、もう少し時間をかけて森中を歩き回る心づもりだったらしい。が、それを猟犬が俺ともども発見したことで、帰るまでの時間がかなり短縮されたそうでお礼を言われた。もっとも、俺があそこで倒れたのは本当に偶然だったので、そういう意味では感謝するのは俺のほうだろう。いや、もう充分感謝してるけど。
「お疲れ様でした」
「おう、エイジも初めての長旅ご苦労さん」
ヘルトミアからグレセーラまで、馬の足を借りても実に4日間。徒歩で一週間かかることを思えば十分短い方だったが、それでも日をまたいだ旅なんてものを体験するのは初めてである。というより、日本にはそんなことを経験できる機会がそれほどないから、俺もないんだろうという経験から出た考えではあるが。
道中、何度か魔物や野生の生き物に襲われたこともあったが、幸い大した相手ではなかったため、俺でも十分に相手取ることができたのは、ある意味幸運だっただろう。おかげさまで、多少ながら戦闘スキルも向上した。
他にも、俺が学んだものはまだまだある。野生の生き物を食料にするための解体技術とか、火元がない時の火起こし技術とか、野宿の際に使える野営の仕方などなど、ディーンさんとの旅はいろんなことを俺に教えてくれたのだ。そう思うと、彼について行って旅をしたのは正解だったとしみじみ感じる。しょっぱなから一人旅なんてしていた日には、多分俺は即刻のたれ人出たに違いない。
「……しかし、エイジよ。お前さん、冒険者になるんだったか?」
「え?えぇ、はい。そうですけど……」
そんなことを考えていると、不意にディーンさんが妙な質問をしてきた。
「冒険者になるのは割とメジャーなことだが……お前さん、なんか目的とかあるのか?」
次いで飛んできたのは、純粋な疑問からなる質問。俺はそれに、金を稼ぐことと答えかけて、口をつぐんだ。
ディーンさんが聞いてる「目的」のは恐らく、そんな目先のことではない。もっと遠くにあるもの――たとえば、実現したい夢とかのことなのだろう。それを改めて聞かれて、俺は返答に窮した。
そもそも、俺が漠然と抱いていた夢というものが、この異世界に来るというものだったのは、残っている記憶からして間違いない。それが達成された以上、俺の夢はほぼかなったようなものだ。そりゃ確かに無双したいとか女の子にモテたいとかはあるが、その辺は自分で頑張ることなので夢からは除外している。第一、努力と才能があれば現実でもかなうことだし。
なら、自分の夢は何だろうか。かなえられた最大の夢に続く、もう一つの小さな夢。そんなものがあっただろうかとしばらく考えて、俺はようやく答えを見つけることができた。
「……目的、というほど大層なものじゃないですけど、そうですね。俺は、この世界を見てみたいんです」
「見てみたい、か。なんともまぁ、はっきりとしないな」
ディーンさんの言う通り、世界を見たいなんてものは目的とも言えないほどにあいまいなものだ。でも、異世界に来たからには、その異世界のことをもっと知りたい。そう思う気持ちに、一切のうそ偽りはないのだ。
「本音を言えば、目的なんてないんです。……ただ、俺はこの世界を見て回って、いろんなところに行ってみたい。今のところの目的って言ったら、そのくらいなんです」
「なるほど、そうか。だったら、それが達成できるように頑張るんだぞ!」
「はいっ!」
漠然とした内容の答えだったが、ディーンさんはその中身を理解してくれたようだ。にかっと笑いながら、俺に向けてサムズアップを見せてくれた。
「じゃ、俺はいきます。……お世話になりました!」
「おう、頑張って来いよ青二才!」
それに答えて笑いかけたあと、踵を返して歩き始める。
ここから先は、一人で頑張っていかなければならないのだ。けれど、俺には不思議と不安がなかった。
いや、確かに不安という感情は存在しているのだろう。今はただ、それを上回る高揚感と胸の高鳴りが、不安を吹き飛ばしているだけ。
それでも俺は、この世界での旅が良いものになるんだろうと、予感めいた確信を抱いていた。
書き溜めのストックがなくなってしまったので、以降は隔週更新を目標に更新していきます。