第45話 静かな朝に
翌日、夜間の襲撃などは特にないまま、俺たちはいたって平穏な朝を迎えていた。
もっとも、現在の俺の状態は万全、と言うには少々物足りない。昨夜、考え事で眠れなかったというくせに、今日に限ってなぜか随分と早起きしてしまっていたのである。しかも、中途半端に寝不足なおかげで眠気もすっかり引っ込んでしまい、どうしようもなくなってしまっていた。
「はっ、ふっ、らぁっ!」
というわけで、眠気覚ましと身体のの感覚をしゃっきりと覚醒させるため、現在俺は宿屋の庭で一人素振り中である。特段ウォーミングアップ以外の意味はないので、割とでたらめに動いているが、それでも動きの大半はディーンさんに教えて貰った初歩の動作を自然と真似ていた。
一週間と言う短い期間ではあったが、彼には相当みっちりと教え込んでもらっていた。あんなことを言いながら鍛えてもらっていたおかげか、俺の身体には基礎の基礎として教えられた動作が、しっかりと身についている。
剣の振り方、回避や立ち回りの為の足さばき、攻撃の受け流し、盾持ちへの対処などなど、ディーンさんから教えて貰ったことは非常に多岐に渡る。それをあんな短期間で吸収できた俺もどうかと思うが、これを学んでいくのが新鮮で、楽しかったのもまた事実。だからこそこうして覚えられたのかと思うと、ちょっぴり不思議な感覚を覚えた。好きこそものの上手なれ、と言う奴だろうか。
「あら、エイジ。随分早いわね」
「お……ユレナ。おはよ」
そんなことを考えながら素振りを続けていたからか、その娘であるユレナとばったり遭遇する。朝日に煌めく金糸の長髪、その所々がひょこひょこ跳ねていることから、彼女はどうやら寝起きのようだ。心なしかぽやんとした、弛緩した表情を見せながら、ユレナは伸びをしてから俺の方に寄ってくる。
「それ、お父様もよくやってた素振りね。すごく動きが被るから、すぐわかったわ」
「まあ、そのまんま真似してるだけだからな。ユレナは顔を洗いに?」
「そうよー、今起きたばっかりだし。……あ、ごめんなさい、邪魔しちゃったかしら」
「いや、俺も眠気覚ましにやってただけだし……あぁ、俺も顔洗ってないわ」
どうりで眠気が抜けきらないわけだ、と妙に納得したことに苦笑しつつ、俺も振るっていた剣を鞘に納めて、井戸に向かうユレナの後を追った。
「にしても、あなたがここまで早起きなのって珍しいわね? いつもなら私と同じか、もうちょっと遅いくらいなのに」
ユレナの言う通り、俺が起きる時間と言うのは、基本的に彼女と同じか少し遅いくらいである。ユレナ、俺が先んじて起きて、その少し後にチルが起きる、と言うのが、だいたいいつもの朝の時間だ。だからこそ、彼女はそこに驚いているのだろう。
「考え事しながら寝てたら、眠りが浅くなっちゃったみたいでな。今から二度寝もなんだから、朝練して眠気覚まししてたんだ」
「なるほど、だから剣を振ってたのね」
得心したような表情を見せつつ、ユレナは組み上げた井戸水で顔を洗う。ぷはー、と爽快そうな声を上げるユレナの横で俺も顔を洗おうとすると、突然意地の悪い表情になったユレナが耳元でささやいてきた。
「で、何の事で悩んでたのよ? ひょっとして、チルに告白でもするつもり?」
「ごぶっふぁ!?」
手で作った桶の水を顔に着けると同時に投下された爆弾発言に、思わず顔を覆う水の中で盛大に吹き出してしまう。どうしたらそんな回答に行きつくんだ?!
「げほっ、がはっ……ん、んなわけないだろ!」
「あら、ごめんなさい。それともひょっとして、私に告白だったの?」
「告白から離れてくれ!」
半分本気な怒鳴り声の非難を浴びせてからユレナの顔を見ると、その表情はしてやったりと言わんばかりの非常に悪どい笑顔だった。
「冗談よ、冗談。……それで、何の悩みだったのよ?」
さっぱりしすぎてるこの切り替えの早さは一体どうやればできるのだろうか、と複雑な気持ちになりつつも、俺は話すかどうかを躊躇する。
思い切って無属性魔法らしき感覚のことをチルに相談したのは、彼女が魔王の娘であり、彼女もまた魔術に関してのエキスパートだったから、と言うのが大きな理由でもあった。反面、こんなことを言うと酷いが、ユレナはエキスパート、と言うわけでもない。
とはいえ、彼女もまたディーンさんを親に持つ冒険者の卵であり、彼の知識を深く受け継ぐ人間だ。それに俺の抱いたこの感覚が、本当に無属性魔法だとは限らない。
なるようになるだろう。そう考えつつ、俺はユレナに昨夜のことのあらましを説明した。
「なるほどねぇー……まさかエイジが無属性魔法なんて」
一連の事情を聴いて、ユレナは深く納得しつつの苦笑を見せる。彼女の言わんとすることにも一理あるため、俺はあいまいな笑みだけを返しておいた。
「あくまでも、もしかしたら、ってことだけどな。無いものねだりしてお陀仏とか、それこそしたくないし」
「ごもっともね。……ねぇ、エイジとしてはどう思ってるの?」
同意から返ってきた質問の意味を図りかねて、思わず俺は首をかしげて聞き返す。
「どう、って?」
「エイジ自身、その感覚が本当に無属性魔法なのかどうか、どう思ってるのよ?」
「って言われてもなぁ」
頭を掻きながら、俺はしばし考え込むそぶりを見せたが、すぐに結論を出して口を開いた。
「……正直な話、本当に当たってることは無いと思う。元々魔力飽和で魔法も使えないんだし、今更無属性魔法を使えるようになる、なんて虫が良すぎると思うからな」
笑いつつ、しかし俺はそれでもという疑念を捨てきれずにいる。どれほど諦めが悪いのだろうか、と自分でも思ってしまうが、俺自身でも考えられないくらいに、魔法と言う概念に執着しているらしい。
「なるほどね。ま、固執はしないでいいと思うわよ」
そんな俺の内心を察してくれたかの如く、ユレナは静かに笑みを見せる。
「正直エイジって、魔法なしでも結構強いと思うのよねー」
「そうか? 俺としちゃ、まだまだ下の上くらいな感覚しかないんだけど……」
唐突に飛び出た褒め言葉に、わずかな気恥ずかしさを覚えた俺が照れ隠しにそう答えると、「お世辞じゃないわよ」と苦笑気味にユレナが返してきた。
「お父様や他の冒険者には及ばないけど、私だってグレセーラでは長いこと冒険者をやってたわ。数はそれほど多くは無いけれど、一緒に依頼をこなした冒険者だって何人もいる。……その中で見たら、エイジは十分上のレベルよ」
「そりゃ有り難いことで」
ユレナが依頼を共にしたのは、おそらく……というか確実に、俺と同等のランクにいる人間たちのことだろう。
ランクは低くとも、冒険者として登録する年齢、時期は人によってさまざまだ。その中にはもちろん、ユレナは出会っていないにしろ、俺たちよりも数倍の経験を積んだ凄腕なんかも紛れているはず。
そんな十把一絡げな冒険者たちを見たユレナが評価してくれているのは、素直に嬉しい事実だ。だからこそ、俺は謙遜も混ぜながら、明確な感謝を述べる。
「まぁ、まだまだ伸びしろはあるからね。私も、貴方も」
「そうだな。――ああ、そうだ」
たとえ魔法が使えなくとも、それでいい。限界にぶち当たるその時まで、俺はこの身一つ、この剣一本で、仲間たちと頑張っていくだけだ。
「悩み、聞いてくれてありがと。なんか、すっきりしたよ」
「だったらなによりね。うだうだ悩むより、行き当たりばったりなほうが貴方らしいと思うわ」
「……褒め言葉か? それ」
彼女なりの励ましを受けつつ、俺は宿に戻るユレナの後を追う形で、朝練を切り上げることにしたのだった。
***
それからチルも起き、メンバーも揃った俺たちは、特に魔物たちが襲撃してくる兆候もなかったので、暇つぶしと消耗品の補充がてら、商人たちが開いている露店が軒を連ねる大通りにやってきていた。
俺たちが護衛してきたセーラさんをはじめとする、商売繁盛のにおいを嗅ぎつけた商人たちによって、このバレリオは現在、魔物大襲撃によってかなりの賑わいを見せている。
各地から商人がやってくるため、露店に出されている品物は非常に多種多様だ。一般的なものでは傷薬や解毒薬などの日用品から、武器を失った人間が買い求めるであろう、簡素ながらも堅実な作りをした武器の数々。変わったところでは、俺が押し付けられたような書物をはじめとして、いったいどこの冒険者が得をするんだろうか、と首をかしげざるを得ないような商品も陳列されている店がある。と言うか、そればっかりしかない店もあった。
「……で、エイジは何を買うの?」
物珍しげに大通りのあちらこちらをきょろきょろ見回していたチルが、ふと俺の隣に駆け寄ってそう聞いてくる。昨日のやり取りを思い出しているのか、少々表情は怪訝なものだ。
「ちょっとな。――魔弾銃を買いたいなって思ってさ」
「魔弾銃ぅ?」
チルの様子に苦笑をもらしながら答えると、続いて怪訝な表情を見せたのは横で話を聞いていたユレナである。
「何のためによ? チルが2丁持ってるんだから、貸してもらうなりすればいいじゃないの」
「まぁな。でも、いざって言う時に魔弾銃を借りられる状況にあるとは限らないからな。ギルドでもらったような旧式の安物でいいから、俺たちも携帯しておいた方が良いんじゃないかな、って思って」
「その心は?」
「やっぱり俺も魔法使いたいです」
口を尖らせながら、俺はちょっぴりおちゃらけた感じに振る舞って見せた。
「……正直、諦めてないって言ったら嘘になるんだけどなー。けどまぁ、それなら使える形で使っちまえって思ったんだよ」
「魔弾銃も、原理的には魔法の杖で魔法を使うのと同じだから?」
「そういうこと。つまり、俺の魔法の杖は魔弾銃なのさ」
「とってつけたような理由ねぇ」
「否定はしない」
そりゃあ、つい今朝方考えた理由ですから。
けれど、チルやユレナと話した結果導き出した、俺なりの答えであることに変わりはない。使えないなら工夫して模倣すればいい――記憶の中にある、オンラインゲームだかの二次創作小説の主人公が使っていた手段を思い返し、再び息巻くような顔を見せると、不意に背中からこつん、という衝撃が伝わってきた。
「――チル?」
いたずらの主は、グリップの底を俺の方に向けた魔弾銃――を持っていたチルである。
「じゃあ、こっちはエイジに返す。旧式だけど、しっかり使えばちゃんと答えてくれるから」
口調こそぶっきらぼうなものだったが、当の本人は憑き物が落ちたかのような、穏やかな笑みを浮かべていた。……あー、心配させてたのか。そりゃまあ、あんな突き放すような物言いで立ち去っちゃ、心配もさせるしお怒りも買うだろう。
「でも、良いのか? チルの戦闘スタイルって、魔法と魔弾銃の二丁持ちを組み合わせたものなんだろ?」
セーラさんの護衛任務を行っていた時に、そんなことをチル本人から聞き、実際に披露してもらったこともあった。
彼女の戦闘スタイルは、居合わせたユレナとセーラさんいわく「こんなの見たことない」タイプらしい。それもそのはず、彼女は二丁の魔弾銃を踊るように連射しながら、その合間を縫って強力な魔法をぶっぱなすという、なんというか、生まれる世界を間違えたんじゃないか、と思えてしまうぐらいのガンスリンガーっぷりを発揮していたのだ。
本人曰く「お父様とは違う戦い方をしたい」という理由でこの戦い方になったそうなのだが、この分だと将来は誰も真似できない超絶技巧の冒険者になるんじゃなかろうか……と、俺は一人余計な心配をしてたり、してなかったり。
「大丈夫。お父様に習った魔法と、この魔弾銃もあるから。――それに、私もまだ戦いに慣れてない。自分のスタイルを確立するなら、基本からみっちり。そう教わった」
「あ、それ私のお父様の言葉よね」
ちょっぴり嬉しそうなユレナに頷いてから、チルは改めて俺の方に向き直った。
「エイジは、強くなる。私が、そう感じてる。……だから、魔法が使えなくてもいい。自分の実力で、強くなる」
以外にも意外な言葉が、チルの口から飛び出てくる。その宣言を聞いて――思わず俺は、狐につままれたような顔をしてしまった。
「……なんか、先輩みたいだな」
「ん、この世界で生きた年数なら、私の方が先輩」
「そりゃそうか」
ともあれ、少女なりの励ましの言葉を聞かされて、少しだけ元気をもらいつつ、俺は二人と共に、目的もなくなった露店巡りを再開するのであった。




