第3話 現状把握
自己紹介ののち、俺は拾ってもらったことに感謝を述べるとともに、どうしてあんなところにいたのかという自分の身の上を話した。もともと俺はこの世界と異なる世界に住んでいて、俺はそこからやって来たこと。この世界にどうやって来たのかわからないこと。原因はわからないが、俺の頭から人生に関する記憶の一切合財が抜け落ちていることなど、森の中で目を覚ます以前のことも、とりあえず仔細もらさず話しておいた。俺が異世界から来て、なおかつ人生を覚えてないなんて話を信じてもらえるとは思わなかったが、以外にもこの「エルフラム」と呼ばれる世界には、異世界から転移してくる人間もちらほらいるらしく、すんなり理解してもらえた。記憶を失ったことに対する同情まで飛んでくるのは、若干予想外だったが。
その後、俺はディーンさんから、俺がここに厄介となることとなった経緯を聞いた。
なんでも、俺を見つけたのはディーンさん本人ではなく、彼の飼っている猟犬だったらしい。いつものように日課の狩りをおこなっていたところ、急に走り始めた猟犬を追いかけていった結果、魔力溜まりと呼ばれる場所で俺が倒れていた、とのことだ。
聞くところによると、魔力溜まりというのは、空気中に存在している魔法を使うためのエネルギーである「魔力」が、人体に毒となるほどに密集した場所のことらしい。通常、そこの魔力を過剰に浴びた生き物は「魔物」と呼ばれる異形の怪物となり、人をはじめとした生き物を襲うようになるんだそうだ。
で、そんな魔力溜まりの中で倒れていた俺は、まさしくその魔物になりかけの状態だったらしい。いつ魔物になってしまうかわからないという状況下で、それでもディーンさんは魔力溜まりから俺を救い出し、治療を施してくれたのだという。魔物になってしまうという一言に戦慄を覚えると同時に、つくづく人情にあふれた人だと尊敬したのは、また別の話。
「……魔物になりかけて元に戻った奴っていうのは、かなり稀なんだ。仮に戻れた奴でも、外見とか肉体的にとか、何らかの後遺症がある場合が多いらしい。お前さんは、なんともないか?」
そう問われて、俺は自分の体を見下ろす。ディーンさんから貸してもらった服に包まれた体には、一見するとどこにも異常は見受けられなかった。両足こそ這う這うの体ではあるが、それでも怪我の範疇で済むものである以上、これを後遺症と呼ぶのは違う気がする。
「確認できる限りでは、なんともないです。……あ、顔とかはなんともないですか?自分だと見えないんですけど」
「うん?あぁ、見た限りじゃ問題ないぞ。……シリウス、手鏡あるか?」
「こちらに。どうぞ、エイジ様」
「ありがとうござい――――」
シリウスさんが差し出してくれた鏡を受け取り、その中を覗き込みながら礼を言おうとして、俺は言葉を詰まらせた。
鏡の中に居るのは、俺が忘れなかった記憶にある鏡の中の俺と、「ほぼ」すべてが一致している。少々不健康そうな顔色と、墨をしみこませたように真っ黒な髪の毛は、俺の数少ないトレードマークだと言っていい。
だが、俺が鏡の中の俺を覗くために持つ瞳の色だけは、記憶に残る俺とは違う様相を呈していた。
「……あの、ありました。影響あるとこ」
「どこだ?」
「目です。……俺の目の色、変わってます。感情的な意味じゃなくて、物理的、虹彩的に」
そう。もともと真っ黒だったはずで、今もずっと黒いままだとばかり思っていた俺の瞳は、見る影もないくらいに鮮やかな「緑色」に変色していた。それも普通の緑色ではなく、光を受けて宝石のように輝く、翡翠のような緑。
狐につままれたような顔をする二人をしり目に、俺は目の錯覚ではないのかと疑問に思いながら、色々なことを試してみる。が、まばたきをしても、手で隠しても、強く目を瞑ってみても、瞳の色は変わろうとしない。ずっと、輝く緑色のままだった。
「……目の色、だけか?」
「あ、はい。……目だけが変わってます。黒から、緑に」
はっきりしている事実だけを告げると、ディーンさんは顎に手を添えてうーむと唸り始める。
「……影響が出るとこは結構広範囲だ、って言ってたよな、シリウス?」
「えぇ、そう聞いております。……しかし、エイジ様の瞳はとても綺麗ですね。魔力溜まりの影響を受けたものとは思えないくらいです」
考えに没頭するディーンさんとは対照的に、シリウスさんは俺の瞳を見て賛辞を贈ってくれた。照れくさくなって鏡に視線を落とすと、鏡の中から俺を覗く俺と目が合う。
シリウスさんに言われた通り、俺の緑色の瞳はある種すさまじいくらいに綺麗な光を放っていた。宝石をはめ込んだような、という形容がよく似合う、どことなく人ならざる光を持ったその瞳に、しばし俺は見惚れていた。……断じてナルシストというわけじゃない。あぁ違うとも。
「瞳だけが影響を受けていた、ってことは、魔物化の進行度は小さかったのか?……いやないか、あそこまで暴れてたんだし……だがなぁ……」
それきり聞こえない声でぼそぼそと何事かを呟いていたディーンさんだったが、やがて一つため息をつくと、がしがしと頭を掻いて俺の方に向き直る。
「ま、いいか。わからんものはわからんで。そんなことより、お前さんが魔物にならずに生きているのが重要だしな」
最終的に、気にしないことにしたようだ。まぁ、色々話をされたところで俺にもわからないのだから、その方が助かるような気もする。
「いいですかそれで……まぁ、その節は本当、ありがとうございました」
「おう、良いってことよ。……んでだ、エイジ。ちと気になってたんだが、お前さんは異世界から来たんだよな?だったら、住むところもないんだろう?」
すっぱりと切り替えたディーンさんの質問に、俺は面食らいつつも、はっきりこっくり頷いた。
ディーンさんとの会話や、山積みになっていた問題のせいで忘れていたが、現在俺が抱える目下の問題は、俺の身柄が保障されていないことである。ここがファンタジーな世界だということは、先ほどディーンさんが話してくれていた、俺を助けたいきさつや、それ以前に見てきた出来事あたりから類推はできる。が、だからと言って別にこのまま放浪人でもいい、なんてことはない。
世界としてまわっている以上、ここにも秩序は存在するはずだ。その秩序から外れて生きるのは、すなわち身の安全が保障されないということ。それだけはあまり好ましくないのは確かだ。
とはいえ、現状俺が頼れる人間は、目の前にいるディーンさん以外に居ない。そのことをディーンさんもわかってくれているようで、にかっと笑って俺に質問してきた。
「お前さえよければ、俺の国の王都に行かないか?まぁ、すぐに行けるわけじゃないから、一週間ほど待ってもらうことになるし、その間はここに居てもらうことになるが……どうだ」
持ち掛けられた提案は、俺の要望を満たして余りあるもの。ただ、それだけでは俺が納得いかなかった。
「……提案はうれしいんですけど、本当にそれだけでいいんですか?できることがあるなら、俺も手伝いますけど」
ディーンさんが持ち掛けてくれたそれは、あまりにも俺に得が傾きすぎているとしか思えない。いくら足を怪我しているとはいえ、それでも俺に手伝えることはあるはずだ。なのにそれをしないのは、どこか裏があるんじゃないかと勘繰らずを得ない……と、脳内の俺が警鐘を鳴らしている。もしかすると、忘れた人生でもこういうことがあったのだろうか?
そんなことを考えて唸っていると、不意に背中に一発の衝撃が走った。ばしこーん!とでも形容できそうなその豪快な一撃は、間違いなくディーンさんの太い腕から放たれたもの。
「気にすんな若造め!お前みたいに森を裸足で走る大馬鹿野郎は、ちょっとくらいここで反省しておく方が良いんだよ!」
そう言って、がっはっはとディーンさんは笑う。それにつられて、俺もつい口元がほころんでしまった。たぶん、俺みたいな貴重な検体を保護できるだとかそういう打算なんかはなくて、本当に純粋に俺のことを思ってくれているのだろう。
「……ありがとうございます。じゃ、お世話にならせて頂きます!」
「おう、歓迎するぜエイジ!」
本当に、この人は温かい人だ。そう考えながら、俺は差し出された大きな手を、ぐっと握り返した。
 




