第37話 一つの決着
2016/04/11…誤字修正を行いました。
鋼色の軌跡が、ガイウスの身体を頭頂から二分する形で駆け抜けて、光の残滓となって消滅する。
思い思いに爆ぜた魔力の残滓である三色の光の欠片を残し、短い静寂に包まれたその空間の最中、最初にその沈黙を破ったのは――
「――ぐ、ふっ……」
びくりと身を震わせ、俺の放った渾身の峰打ちで盛大に仰け反る、ガイウスだった。そのままぐらりとバランスを崩したかと思うと、ガイウスは仰向けに倒れ込む。
その頭上に深く刻まれた、強烈な打撃痕は、まぎれもなく俺の剣――正確に言うならば、俺の叩き込んだ剣の峰によって付けられたものだ。確かに感じた手ごたえで痺れる手から軽く力を抜いた直後、不意にがくんと空間が揺れる。
「……そうか、ガイウスが気絶してこの空間を維持できなくなったから、崩れるんだな」
空間中に響く現象の原因に思い当たり、ぽつりと呟く間にも、俺たちの立っている空間にすさまじい勢いで亀裂が走っていった。
「エイジ、こっち来なさい! なんか変なところに巻き込まれたら、それこそたまったもんじゃないわ」
「分かってるわかってる……ちょい待って」
急いたようなユレナの声に応対しつつ、俺はどうにかしてガイウスを引っ張っていけないかと考える。別にそのままにしておいても、結局は元のあの強化された大部屋へと戻れるのだろうが、万一自分が倒されることを想定して、この中に逃亡用の魔法でも組み込んでいたりするかもしれないという、考えすぎな懸念が俺の頭をよぎったのだ。
「悪い、コイツ引っ掴んでいきたいから、こっちに来てくれないか」
「ん、わかった」
えー、と渋面のユレナに代わって応答したチルの声で、三人がそそくさと俺とガイウスの方へと寄ってくる。ユレナはなんだかんだ文句は言ってきたが、彼女なりに思うところはあったらしく、特に拒否するようなことは無かった。
「念のために、ここに来た時と同じく、なるべく固まった方が良いかと」
「だな」
とりあえずガイウスの片足を引っ張る形で握っておき、女性陣たちとなるべく近づくように固まった直後、亀裂で埋め尽くされた空間が、天頂から微塵の欠片となって崩れていく。
バラバラと空間を映した欠片が降り注いで幾ばくか経過した後、周囲を見回してみれば、そこは間違いなく俺たちが異空間へと引きずり込まれる前に居た、補強済みの大広間だった。どうやら、あの異空間は完全に消滅したらしい。
見知った場所に戻ってこれた、と言うことに、小さく安堵の息を吐く。そうして改めて周囲を見回してみると、俺たちが侵入してきた大穴から、わずかに顔を出し始めた日の光が覗いていた。異空間は時間の流れが違うのか、はたまたそれだけ長い時間俺たちが戦っていたのかはわからないが、ともあれ世界はすでに夜を明かしたあとだったらしい。
「……とにかく、これで決着かな?」
ずっと握っていた剣を鞘へと納めて、俺は改めて細いため息を漏らした。言わずもがな、戦闘の緊張から解放された安堵感で漏れた言葉に、ヴィエが小さく同意の意を示す。
「恐らく。あとはこやつを完全に黙り込ませることができれば、全て収まりまする」
「そっか。……ってことは、ヴィエももう逃げ回らなくて済むんだな」
彼女がこれまでたどってきた道を知りえないため、明確な実感は湧いてこない。だがそれでも、常に付きまとっていた命を狙われる恐怖から解放されるその安心感は、察さずともよく理解できた。
ヴィエの体験とは少々趣が異なるが、俺もまた命を狙われていた恐怖を知っている人間の一人である。だから、その感情には感じるものがあった。
「はい。……エイジ殿、ユレナ殿、チル殿。此度は本当に、拙者の様な風来坊に手を差し伸べていただき、感謝の極みにあった。いかような方法で、何度お礼を申し上げていいかわかりませぬが、それでもまずは、しかとお礼を申し上げたい」
感慨深げに倒れているガイウスを見やっていたヴィエが、俺たちの方へと向き直ったかと思えば、深々と腰を折って礼を述べてきた。その態度は、ちょくちょくと見てきた彼女の礼儀正しい一面が、最大限感謝として伝わるように配慮された、おそらくは精いっぱいの謝礼なんだろう。
「あ……はは、そんなにかしこまらないで欲しい、かな。そもそも、俺たちが……っていうか俺が、ヴィエを助けるためにできることは無いかなって思って、協力しただけなんだしさ」
「そうねー。私としても貴重な技術を教えて貰ったんだし、やっぱり協力の一つくらいしないと、寝覚めが悪いって言うか、後味が悪いって言うか?」
「私も同じ。お礼として相応のことをするのは、大切なこと」
俺、ユレナ、チル。三者三様の答えを返すと、ずっと折っていた腰を上げて、ヴィエがふわりと微笑む。
「本当に、なんとお礼を申し上げればよいのやら。拙者には先祖の代から受け継いできた魔纏刃以外には、特段持ち合わせも技術も、本当に何もありませぬ。出来る謝礼は限られまするが……」
「いや、いいんだって。そもそも、魔纏刃を教えて貰ったお礼としてやったことなんだし」
直後、難しい表情で真剣に悩み始めるヴィエを、苦笑しつつたしなめた
。俺の返答に再び申し訳なさそうな表情を見せるが、どうにか納得してくれたらしく、数度頷きを繰り返す。
「エイジ殿は将来、善き御方になられるかと。……では、拙者の気持ちとして、これを差し上げましょう」
そう言うと、ヴィエは懐からひも付きの何かを取り出してきた。受け取ってみると、その形状には強くおぼえがあった。
「……これ、お守りか?」
「いかにも。拙者の故郷で古くから伝えられている、持つ者に多幸を招く幸寄せのお守りにありまする」
俺の手に収まっていたそれは、日本の伝統的な小物として有名なお守りそのものだった。藤色の本体と、その中央には金色の下地に見事な達筆を象った字体で何ごとかが綴ってある。話の内容からして、幸せだとか幸福だとかが描いてあるのかもしれない。
「拙者はすでに、この身に余る幸福を受けてきたと自負しておりまする。拙者はお三方の旅路に加わることはありませぬが、せめてエイジ殿に、数ある幸福が訪れることを、祈っておりまする」
「……そっか、俺たちと一緒にってわけにはいかないのか」
「面目次第もございませぬ。拙者には武者修行のほかにもう一つ、立ち寄らねばならないところがあります故」
ヴィエほどの戦力が仲間になってくれれば、これほど心強いことは無いのだが、流石にそこまで無理強いするのは、いくら恩人としても気が退けてしまう。元々彼女には彼女の目的があるのだ、それを蔑ろにしろ、とは、流石に言えない。
それに、旅は一期一会とも言う。あまり一人にこだわっても、旅は楽しくないという物だ。
「まぁとりあえず、今後を話すのはコイツを警備兵さんに突き出してから、だ。……ヴィエ、手伝ってくれ」
「御意に」
今までのやり取りとは少し違う、険のとれた穏やかな声音で、ヴィエは静かに応答を返してくる。その、心から安心しているらしき言葉を聞いて、少しばかり良いことをした気分になりつつ、俺は気合を入れて絶賛昏倒中のガイウスを引っ張り上げた。
***
結局、ヴィエ自身の供述と、至極あっさりした様子のガイウスの自供によって、自在なる人形遣いはファリアムでお縄に着くこととなった。
ガイウスの言っていた「ハデス」なる組織のことは、ヴィエ自身もファリアムの警備兵たちも知らなかったらしく、その全容に関して分かることは無かったが、わかったことは一つだけある。
それは、もうヴィエがハデスなる組織に追われることは無いだろう、と言うこと。これに関しては、驚くことにガイウス本人がそう供述していた。
本人曰く、ヴィエの確保に関しては自分に一任されており、他のメンバーは各々の任務に忙しい。仮に自分がいなくなれば、任務を引き継ぐ人間は居ないため、この計画は自然消滅することになるだろう、と言うのが、本人の口からヴィエに告げられた仔細だった。
無論のこと、ヴィエはもちろん俺たちも半信半疑の情報ではあったが、今のところ信憑性のある情報はそれ以外に存在しない。
とにもかくにも、一応のひと段落はつけたので、後の対処は自分が何とかする、というヴィエの進言によって、これ以上の追及はあえてしない方針で決定となった。
「……でも、よかったのか? もしかすると、またヴィエに被害が及ぶかもしれないんだぞ?」
「それについては、心配には及びませぬ」
やけに自身ありげなヴィエの言葉に、思わず頭上で疑問符を出していると、俺のことを見やったヴィエがふと微笑む。
「拙者は……彼奴と長く対峙してきた拙者には、あの言葉は真実とわかる。事実、拙者に襲い掛かってきたのは、彼奴を含めてすべて木偶人形ばかり。それ以外のものは、全くと言っていいほど襲ってこなかった故」
全く持って初耳である。いや、俺たちが聞かなかったから言及しなかっただけなのだろうが、それにしても一言くらい言ってくれてもよかったんじゃないか……心配し損じゃなかろうか。
「ま、まあそう言うことならよかった。……んで、ヴィエはこれからどうするんだ?」
俺の問いかけに、ヴィエはその真紅の瞳を浅く伏せて考え込む。やがて数拍ほどの間を置いた後、振り上げられた顔は再び、笑みで彩られていた。
「急く旅ではありませぬが、拙者にも目的がありまする。加えて、この街にも十分滞在した身。つきましては、そろそろこの街を離れようかと」
「いつあたりだ?」
「早ければ、数日後にでも。ガイウスの手管を知りえて、そのうえでハデスの動向を知っているとはいえ、拙者とてすべてを知っている身ではありませぬ。いつまた、彼奴等と出くわすかもわからない以上、居場所を長くばらすわけにもいきませぬ故」
「……そっか」
ヴィエと知り合って、魔纏刃を教わって、ガイウスと戦って。色々な出来事の数々ではあったが、実のところ彼女と関わっていたのは数日の間のみである。だというのに、こうも寂しさを感じてしまうのは、ひとえに経験の濃密さゆえか、それとも共に戦った仲間だからゆえか。
「ヴィエ、魔纏刃のこと、ありがとう」
不思議な郷愁にとらわれていると、俺の前に先んじて歩み出たチルが、小さくヴィエに向けて一礼と、お礼の言葉を告げた。
魔王の娘たるチルも知りえなかった魔纏刃は、ほかならぬヴィエが教えてくれたものである。自分の知識を広げられた、と言う意味で、チルはヴィエに感謝しているのだろうか。
「私からも、ありがとって言っておくわ。魔纏刃もそうだけど、それ以上に色々と、刺激的な体験になったから、ね」
正直この密度はもう勘弁願いたいけど、と続けるユレナの言葉に、俺も胸中で同意する。
ヴィエと過ごしたこの数日間、本当にいろんなことが起きたものだ。遺跡でのもろもろ、彼女のいきさつ、そしてガイウスとの戦い。すべて、俺たちには未経験で、とても刺激的に感じられた。
「……俺からも。短い間だったけど、一緒に居てくれてありがとう。本当、いい経験になったよ」
二人の言葉を受けて、俺もまた本心からの感謝を告げる。それぞれの言葉を受け取ったヴィエは、本当に満足そうな、幸せを象った笑みを浮かべた。
「それは、重畳に。……もう数日ここに居る予定故、少々格好のつかない形での返答、お許しを」
「そこは気にしないでくれ。俺たちの気持ちみたいなもんだから、さ」
茶化すようなヴィエの言葉に、俺もまた微苦笑で応対して。
「改めてもう一度。……ほんとに、ありがとな」
「こちらこそ。お三方に拙者から送れる限りの、千の感謝を」
再び。今度は互いに交わされた感謝の言葉を受け取りあい、俺たちは固い握手を一つ、しっかりと交わした。




