第10話 決着
2015/08/24…魔法の詠唱を変更しました。内容に変更はないので、ご了承をお願いします。
毒イモムシが今際の時に見せた、最後のあがき。それを認識するよりも早く、そいつの口からは、振りまくった炭酸のボトルを開封した時のような破裂音を引き連れて、紫色の溶解液が飛び出してきた。そのまま棒立ちでいれば直撃を食らう程度に、溶解液は広範囲へとまき散らされている。
ふと、俺は目線を正面に戻した。そこにいたのは、溶解液が放たれた音に気が付いて、そちらに顔を向ける少女の姿。
このままだと、俺はともかく目の前の少女まで巻き込まれてしまう。そんなのは――満足できる結果じゃあない!
「ッ!!」
何かを口にするよりも先に俺は踵を返し、足に力を込めて、一息に横――毒イモムシとは反対方向へと、飛び出した。同時にその腕を伸ばして、少女のか細い腰を持ち上げる。
放たれた溶解液は、反対方向へはそれほど伸びてはいなかった。おそらくは、わずかながら下を向いて発射されたのが、その原因だろう。これがもう少し上の方へと向けられていたら、おそらく逃げ場はなかったはずだ。
(――けど、足りないっ)
それでも、溶解液は宙を滑る水流となりながら、俺たちへと殺到する。その飛距離は、残念なことに俺が予想した有効範囲よりも長かったらしい。
このままでは、俺も少女も纏めて溶解液にさらされる。だったら、せめて彼女だけでも守る!
「ごめんッ!」
「へっ?!」
謝るよりも早く、俺は少女を抱える腕を前に突き出して、投げ飛ばす形で少女を溶解液から遠ざけた。同時に、遠心力に振られて半回転した俺は、そのまま仰向けに倒れこむ。
落下を始め、日の光を遮る溶解液が作り出した影は、なんとか少女まで届くことはなかったらしい。代わりに俺が全身でシャワー、というか波をひっかぶってしまうことにはなるが、別段治らない傷になる、ということはないだろう。俺一人の怪我で済むならば、それ以上に良いことはないはずだ。
そう考えた時、不意に投げ出した手に、こつんと小石のようなものがぶつかる。何の気なしにそれをグッと握りしめた俺は、襲ってくるだろう痛みに身構え、目を瞑りながら――
(でもやっぱ、痛いのは勘弁ッ!)
なんて、この期に及んで情けないことを考えていた。
「ぅぐ……ッ!……?」
数泊を置いて、俺の足部分が熱を帯び、ついで鋭い痛みを訴えた。痛みに思わず悶えそうになったが、それと同時にどうして足だけが痛いのだろうかという疑問が噴出する。目を瞑る前の俺の視界には、確かに一面を埋め尽くす紫の溶解液が映っていたはずだ。確認のために薄目を開けてみるも、映り込んだのは何の変哲もない、青い空。
いったい何が起こったのかと、俺は痛みをこらえながら体を起こす。視界を持ち上げて最初に目に入ったのは、今度こそ消えていく毒イモムシと、音を立てて転がり落ちる毒イモムシに刺さりっぱなしだった剣――俺の剣だった。
そして周囲を見ると、焼けこげるような音を立てて萎れていく稲穂と、地面を焼き溶かす溶解液。奇妙なところと言えば、影が届かなかった場所と同様に、俺の周辺だけに溶解液がまき散らされていないことか。
……いったい何が起こったのかさっぱりわからない。頭上に疑問符をいくつも並べる俺の耳に、ぱたぱたと駆ける音が届く。
「大丈夫?!何があったの……って、あなた足が!?」
近づいてきたのは、先ほど俺が投げ飛ばした少女だった。目立った外傷の見られない少女は、溶解液が降りかかった俺の足を見てぎょっとしている。
「あぁ、大したことないよ。……それより、投げ飛ばしてごめん」
「そんなのいいわよ!ちょっと、足貸して」
謝罪を述べる俺をよそに、少女は素早く俺の足の方へと回り込むと、溶解液でわずかに爛れている場所を
静かに見つめる。つられて俺も見つめると、先ほど感じた刺すような痛みとは裏腹に、ブーツがボロボロになっただけで皮膚への影響は大したものでもなかった。
「……やっぱり、人の体には影響が薄い。まだ間に合うわ。――濡らすわよ」
傷の状態を見ていたと思しき少女が、溶解液が当たった場所に近づけていた顔を引き離すと同時に、突き出した手を傷口へとかざして、何事かを呟く。
「求むは群青、其の名は清きを生む光。〈マジックウォッシュ〉!」
少女が紡いだ言葉に反応するかのように、彼女の手へと青い燐光が集まり始めた。そのまま集中した燐光が少女の手を離れ、滑るように俺の患部へと近づく。ひときわ強く光ったかと思うと、そこから光を反射しながら、きらきらと輝く水が流れ落ちてきた。
その一連の現象を、俺は息を呑んで見つめる。噂にはかねがね聞いていたが、生で「魔法」を見るのは、実のところこれが初めてだった。
そもそも、俺だって魔法は使えるはず。ならばなぜ使っていない――使えなかったのかというと、単純に「まだ使わなくてもいい」という考えがあったせいだ。
いまだに俺は、通常の戦闘に慣れているとは言えない。いや、一般の人間からすればこれでもまだこなれてはいる方なのだろうが、それでも一人前の人間から言わせれば、俺の戦闘術なんてまだまだお粗末なものなはずである。
だからこそ俺はまず、魔法という攻撃手段に頼らず、武器を用いた戦闘を十分に習熟しようと考えたのだ。中途半端な状態で魔法による攻撃を交えてしまえば、いざ魔法を使えなくなった時――あるいは通常戦闘を封じられたときに、どうしてもリズムの狂いが生じてしまうはずだと、俺はそう考えている。ゆえに、通常戦闘をちゃんと習得してからでも、魔法を習うのは遅くないだろうという風に算段を立てていた。
加えて、俺はクエスト中に他の人間と遭遇することが、今までほとんどなかった。会ったのと言えば、依頼クエストを受けて確認の顔出しをするときに、依頼者の顔を見るくらい。それゆえ、魔法を使う現場というものを今まで見たことがなかったのである。
「はい、これで大丈夫よ。あとは包帯を巻けばいいんだけど……ごめんなさい、切らしてるわ」
そんなことを思い返しているうちに、少女が使う魔法による簡単な治療は完了したようだ。
これも酒場やニコルさん情報なのだが、あいにくとこの世界に「回復魔法」などという便利なものは存在しないという。あるのは、付着した毒を洗い流したりすることができる浄化魔法――いましがた少女が使ってくれた魔法ぐらいらしい。なので、怪我を負った場合は治療が必要だし、内臓が欠損するほどの大怪我を被った場合は、内臓移植なりで対応するのが、この世界の常識なのだそうだ。
「あぁ、包帯なら持ってるから、自分でやれるよ。浄化ありがと」
それゆえ、冒険者は包帯や治療薬など、基本的な応急治療キットを携帯するのが義務、というか基本中の基本だという。俺もその基本に乗っ取って、道具屋に置いてあったので買っておいた治療キット、その中から包帯と治療薬を取り出した。
「……しかし、どうして俺は助かったんだ?君が何かしてくれた、ってわけでもないんだろ?」
ずっと握っていた石ころを手放し、包帯を治療薬で濡らす俺の横で、少女が何かを拾い上げる。白くて細い指でつままれたそれは――緑色をした、宝石の欠片に似た何かだった。
「これのおかげで、間違いないわね。今、あなたがこれを落としたのよ」
「……え、それを?」
予想外な答えを返されて、俺は包帯を巻こうとした体勢のままで面食らい、停止してしまう。
だが、そう言われて少女が拾ったかけらを見てみると、すぐに納得できた。大きさといい形と言い、あれは間違いなく俺が少女から譲り受けた「魔石の欠片」だろう。
「あなた、溶解液がかかる寸前でこれを握り締めたのね。私も振り返ったから見たわよ、風の魔力が一瞬だけ放たれて、あなたにかかるはずだった溶解液を吹っ飛ばしたのよ」
魔石の色は、それぞれの魔法属性が司る色に対応していると見ていいだろう。少女がくれた魔石は緑色で、緑の魔法属性と言えば風。ということはつまり、俺が無意識のうちに発していた風の魔力に反応した魔石の欠片が、溶解液を吹き飛ばす突風を生み出してくれた、ということで間違いないはずだ。
「……守ってくれたんだな、そいつが」
「そうね。はい、返すわ」
ありがと、と短く礼を言って、包帯を巻く手を止めて魔石の欠片を受け取る。俺を危機から守ってくれた魔石の欠片に心の中で礼を言いながら、俺は包帯を足に巻いていた。
「こんなもんか……さてと」
包帯を巻いて、前側が溶けて見るも無残な姿になってしまったブーツをはき直し、俺は立ち上がる。グレセーラに帰って早急にブーツを調達したいところだが、俺はその前にやることがあった。すなわち、愛剣の回収。
「最後まで油断ならない奴だったわねぇ」
傍らには、少女が付き添ってくれている。軽傷とはいえ足を怪我している俺を放って帰るほど、自分は薄情者ではない――と、少女が主張してくれたからだ。
正直言って、俺は緊張が何度か続いたせいか、すっかりと戦闘する気力も失せてしまっている。なので、もし戦闘があっても引き受けてくれるだろう少女の存在は、とてもありがたかった。
そんなことを考えながら愛剣のもとに着くと、俺の目は剣に起こっていた異常に気が付く。
「……あぁ、だから抜けなかったんだな」
同時に、思わず苦笑が漏れた。俺が毒イモムシの顔面めがけ、深々と突き立てた愛剣の切っ先には、これまた深く刺し貫かれたらしき、紫がかった黒で染め上げられた石が刺さっていたのである。
「これ、魔晶石ね。確か、魔物になった生き物の体内に溜まった魔力が固形化したもの……だったかしら」
少女の言う通り、愛剣に刺さっている石は「魔晶石」と呼ばれる代物だ。これまた少女の言う通り、魔晶石は魔物の体内で蓄積された魔力が固形化し、通常存在する魔力を溜める無形領域とは別に、独自の魔力保存器官となり、魔物の行動力を上昇させる効果があるらしい。こちらはギルドではなく、ディーンさんからの情報だ。
「確か、魔石の代用品になるから高値で売れるんだったかしら?なら、持って帰った方が良いわね」
「だな……っと、割れるなこりゃ」
剣を持ち上げてみると、突き刺さっていた魔晶石が不安定そうに揺れ、上下にわずかなヒビが生じる。魔晶石を握って力いっぱい左右に引っ張ってみると、実にあっけなく魔晶石は真っ二つになった。
実質二つ分。ここにいるのも、討伐を行ったのも二人。なら、やることは決まっている。
「ほら。君も戦ってくれたんだし、半分ずつな」
「ええ、それが妥当ね。……さぁて、用も済んだことだから、さっさとグレセーラに帰りましょ。溶解液で服がやられちゃったし、修繕してもらわないと」
「だな。俺も帰ったらブーツ見繕わないと……」
魔晶石をポーチへとしまい込んだ俺たちは、示し合せたように踵を返し、雑談を交えながらグレセーラへと歩き始めた。その直後、少女が口にしたキーワードが脳裏に引っかかる。
「って、服?」
思わず声に出しながら、俺は少女の身を包む服に目をやった――その直後、思わず見なきゃよかったと考え、なんで声を出したんだと自分を責め、効果範囲ギリギリグッジョブ!と叫びたくなる光景が目に映った。
治療をしてくれた時には全く気にも留めていなかったが、少女が穿いていたスカートの一部に、上着とブラウス――特に腹から胸元付近にかけて、飛び跳ねた溶解液が微妙にカスったらしい。肌に被害を加えないままで生地を無残に溶かして、服の裏に隠れていた肌を……具体的には真っ白いお腹とか、少し下から覗いたら見えちゃいそうな危険な膨らみとか、スカートに深々とできたスリットから見える艶やかな足とか、そういろんなものを覗かせて――
「はっ」
い、いかん、ぜっけ……もとい見てはいけないものをを見てしまった!?ぐおぉ、視線が痛いです!絶対零度の視線がとっても痛いです!!
「…………ねぇ」
「ふぁっい?!」
絶対零度のまなざしからの、2トーンくらい低くなった声。まるで背中に刃物でも当てられてるかのようなそんな雰囲気にのまれて、思わず声が裏返ってしまいましたです、ハイ。
「不運な、事故。忘れなさい?……なんかローブみたいなもの、ないかしら?」
「……今すぐ出します申し訳ありません果てしなく申し訳ありません」
最初の五文字を強調する少女に促されるまま、俺はコンパクトに折りたためると評判らしい防塵用のマントを引っ張り出し、少女に手渡した。……首は最大限別方向に向けてますよ?
「……別に、見えたりするのは構わないわよ。冒険者やってたら、服まで気を遣えないからね。それに、変なこと言った私も悪いし」
ひったくるようにマントを取った少女が、はぁーとため息をつきながら口を開く。単純に呆れているだけなのかもしれないが、本気で怒っているような声音には聞こえなかったのは、はたして気のせいだろうか。
「かといって、あんまり人の……それも女の肌を見るもんじゃないと思うわよ。動揺するんなら、もっと早く隠すものを貸してほしいわ」
「……スンマセン」
それでも悪いことしたのは事実なので、首をすくめながら素直に小さく謝罪を述べる。墓穴を掘るのは目に見えているのに、不可抗力だとか言い訳をするつもりは毛頭ない。したところで、多分少女を余計に怒らせるだけだろう。
「……ま、悪気はないんだろうし、今回は見逃してあげるわ。…………次見たら、その時は分かってるわね?」
解放されたと思ったのもつかの間、少女から告げられた半死刑宣告に、俺は黙って首を上下させることしかできなかった。
***
「じゃ、ここまでね。このマント、また会った時にでも返すわ」
「あぁ、いいよ。どうせ安物だし、使うときにはまた買いなおせばいいからな」
カウンターで魔晶石と討伐証明部位のの換金を行い、ギルドの建物から出た俺に、少女がそう言った。
申し出は嬉しいのだが、そもそも防塵用マントなんてものは大した生地を使っているわけじゃない。なので、俺としては別にそのまま捨ててくれちゃっても構わないのだが――という意味を込めて、俺は苦笑しながら答えを返す。
「そう?なら、ありがたく使わせてもらうわ。……じゃ、また会いましょう、エイジ」
マントの隙間から出した手を小さく振ったかと思うと、少女は踵を返して小走りに去っていってしまった。たちまち人ごみに紛れてしまう少女の金髪を見送っていると、俺は重大なことを思い出す。
「……名前、結局教えて貰ってないな。まぁ、いいか」
次会った時にでも聞けばいいか、と考えながら、俺は西日がきつくなる前にブーツを買いにいくべく、商業エリアへと歩を進めるのだった。




