第9話 共同戦線
「……?」
気のせいだろうか、とあたりを見回すと、同じように周囲を見ていた少女と視線がかち合う。……気のせいじゃないみたいだな。
どちらが示し合せるでもなく、俺と少女は背中合わせに周囲を警戒し始める。冒険者家業というものは、何が起こっても不思議ではないとはディーンさんの弁だ。おそらく冒険者にとっては、その言葉は半ば暗黙の了解とでもいうべきものなのだろう。少女の方も、同じ考えらしい。
だが、俺たちが高める警戒心とは裏腹に、わずかな地鳴りは散発的に発生するだけで、何かが襲い掛かってくるようなこともなかった。怪訝に思った俺は、少女に問いかける。
「……何が起こってるか、わかるか?」
「一応、想像はつくわね。……悪い方に、だけど」
返答に小さく舌打ち――したのもつかの間。俺たちが踏みしめている道を作っている地面が、突如としてひび割れ、盛り上がってきた。
『下――っ!』
二つの声が重なり合って響き、俺と少女はそれぞれ別の方向へと跳躍するのと、ほぼ同時。下から突き上げられた地面の土がはじけ飛んだかと思うと、そこから虫の外殻と思しきものが突き出てきた。
少々つんのめりながら着地した俺は、その外殻の色を――毒々しい赤に染まったそれを視認して、気が付く。あの色は、毒イモムシのそれだ。
だが、それにしては随分と身の丈が大きすぎる。不正確な目測だが、なにせ圧倒されてしまうほどの大きさだ。この分だと、巨大毒イモムシが出てきた穴の大きさも合わせて、俺と先ほどの少女をまとめて腹の中に納めてしまえそうに思える。
「コレ……毒イモムシよね? ちょっと、大きすぎないかしら」
回り込んできた少女がそう言うのも、よく理解できた。毒イモムシというのは、俺が遭遇した膝丈くらいの全高と、寝そべった成人男性くらいの全長のものが一般的だという。そんな常識を軽く打ち破ってくれる目の前の毒イモムシは、まさしく規格外という言葉がぴったりだった。
「……あぁ、そういうことか!」
どう対処すべきかと毒イモムシの動向を伺っていた俺は、不意に視界に納めたものを確認して、すぐさまこの規格外が発生した原因を突き止めた。
俺が見やった場所――毒イモムシの口から、どろどろと鬼火のように黒い瘴気が漏れ出している。あの特徴は、かつて俺が初陣の際に相手取った魔物――イビルドールと同じもの。つまりこの毒イモムシは、どこかで発生した魔力溜まりの影響を受け、異常成長した個体なのだろう。そう考えると、この異様な大きさも納得だ。
「あぁ、そういうことね。……となると、まともにやりあうのはちょっとマズいかもしれないわね」
俺の視線を追って、彼女もこの事態の原因に気付いたのだろう。警戒は解かないままで腕を組み、うーんと唸り始めた。
少女がマズい、と言ったのは、おそらく魔力溜まりの影響がどういった形で出ているのかがわからないことに起因している。
魔力溜まりの影響を受けた生き物には、なにかしらの異常が発生する――たとえば、俺が以前戦ったイビルドールは、腕力などをはじめとしたパワーの強化が「異常」として挙げられる――こととなるのが通例だ。その通例に乗っ取るならば、俺たちの目の前に現れたこの毒イモムシも、何かしら異常という名の強化を施されていると考えてもいいだろう。
影響を受けた生き物に現れる異常は、ピンからキリまであるらしい。そのことを踏まえても、警戒するに越したことはないはずだ。
「……とりあえず、どうする?」
そこまで考えてから、俺は隣で構える少女に問いかける。が、少女の答えはわかりきったものだろうと簡単に予想できた。この子、めっちゃ戦いたそうな顔してる。
「どうするか、ですって? ……そりゃあ」
好戦的な妖しい笑みを浮かべる少女の両手が、腰に吊られた二つの柄へと触れた。それと同時に、金属同士のこすれあう甲高い、しかし美しい音色が、二重奏となって俺の耳を叩く。
「戦うしか、ないでしょ?」
白くて小さな手で構えられたその武器は、両の手で一つずつ握られた短剣だった。逆手に構えられた二つの剣が見せる意匠は、西洋剣のそれによく似ている。
主の意志を受けて不敵に輝く切っ先を見て、俺は小さく肩をすくめた。
「ま、そりゃそうだな。……わかってるだろうけど、油断するなよ? 魔力溜まりの影響がどこかしらに出ているかもしれない以上、何をしてくるかわからないからな」
「ええ、わかってるわ。でもとりあえず、攻撃してみないと」
片刃の剣を抜き放ちながらそう忠告する俺に、少女は小さくうなずくと先んじて駆け出した。少女が向かう先には、巨大毒イモムシの尾針。
「せやぁっ!」
気合を込めた声と共に、二つの刃が風を切って毒イモムシの外殻へと突き刺さった。何かが割れるような音が聞こえたことから、おそらくは有効打の一つでも入ったのだろう。そう予想した俺だったが、バックステップで下がってくる少女の苦い顔を見て、その認識を改めた。
「くぅっ……駄目ね、外殻が硬すぎるわ」
短剣二本を一纏めに持ち、空いた手をぷらぷらさせつつ、少女が言う。意外なものを見たという驚きと、攻撃が通用しなかった悔しさが混じったような、そんな顔だった。
決めつけるわけにはいかないが、巨大毒イモムシに施された強化は「外殻の硬化」で間違いないだろう。ほかにも変化したことはあるかもしれないが、情報も何もない以上、この目で確認するほかない。
「なら、外殻の接合部を狙うしかないな」
うかつに仕掛けるのはよろしくないのだろうが、毒イモムシに攻撃して見ないことには始まらないだろう。そう考えて、俺は剣を一振りすると、力を込めた足で地を蹴った。
俺が走り始めると同時に、毒イモムシが原種と変わらない鈍重さでこちらを向いた。それと同時に、毒イモムシの口に当たると思しき部分が、がぱっと開かれる。何かしらの攻撃が来ると踏んで、わずかに横へとそれた直後。凝縮された水がはじけ飛ぶかのような音を立てて、毒イモムシの口から紫色の液体が飛び散った。
「やべっ」
俺の体、ぎりぎり効果範囲圏内。つんのめりながらもサイドステップで離脱すると、俺を捉えることができなかった紫の液体は、嫌な音を立てて地面へと墜落した。
が、それを認識したのもつかの間、何かが焼けるような音が俺の耳に届く。スライディングで停止した俺が振り向くと――。
「なっ……!?」
まるで酸でも浴びせられたかのように、紫色の液体がかかった場所が泡立ち、煙を立てて溶かされていた。油が熱せられたような音を立てるそれは、俺の持つ知識にも似たようなものがあった。
「溶解液よ!威力は大したことないけど、気を付けて!」
「ああ、わかった!」
いまだに液体から浮かぶ泡がはじけ続ける地面、その向こう側から、注意を促す少女の声が聞こえる。答えを返しながら、俺は毒イモムシの視界から外れるために、ぐるりと迂回する形をとった。
しかし、土を焼くほどの威力にもかかわらず、少女は大したことないと言っている。俺の想像では、あれを食らったらひとたまりもないと思っていたので、その点は意外だった。
とはいえ、食らえばダメージになることに変わりはない。最大限攻撃を回避することを念頭に置きながら、俺は少女が攻撃した場所にほど近い外殻へと、片刃の剣を振り下ろす。狙うは、先ほど示した外殻の接合部!
「おらっ!」
気合一発、剣を振るう。正確な攻撃とは言い難かったが、それでも狙いすました一撃は、接合部へと縦一文字に叩き込まれた。根菜を切るような手ごたえは変わらなかったが、俺には確実なダメージが入ったと確信できた。一撃が入ると同時に、毒イモムシが不自然に体を揺らがせたのである。
離脱のために下がる俺の耳をつんざくように、毒イモムシが甲高い鳴き声を上げた。その音色が孕んでいるのは痛みか、それとも怒りか。
ぐるりと頭部を旋回させて、毒イモムシは俺を睨む。それと同時に大口を開いたことから、おそらくは先ほどの溶解液を発射する体勢に入っているのだろう。自然と身構えた俺だったが、溶解液が放たれる寸前で、毒イモムシの体が再び揺らいだ。
その原因は、先ほどから機会をうかがっていた少女。俺とは反対側に回り込んだ彼女が、毒イモムシへとダメージを与えているのだろう。おかげさまで、毒イモムシの溶解液攻撃がせき止められた。
「サンキュ!」
「どういたしまして!」
少女からの返事を聞きながら、俺はのけぞるような体勢で揺らぐ毒イモムシ、その頭部付近へと疾駆する。狙うのは、溶解液を吹き出すための器官であり、動かすために外殻も薄い、もしくはないと考えられる、口とその周辺だ。
毒イモムシは、反対側で加えられているのであろう少女の攻撃によって、いまだ不自然にうごめいている。狙うならば、今しかない!
「らあぁっ!」
握りしめた片刃の剣を、俺はランダムに振るいまくる。少々乱雑な振り方ではあるが、標的の大きさが大きさなので当たらないはずもなく、放った斬撃の全ては綺麗に毒イモムシへと叩き込まれた。
刃の乱舞を終えたのと同時に、毒イモムシが黒板を引っ掻いたような、耳障りな悲鳴を天に放つ。一瞬世界にノイズが走ったかと錯覚する、その音響と不協和音に、俺は思わず言い知れぬ怖気を身に走らせた。
耳をふさぎたくなったのをこらえ、そのせいでじりっと後退してしまった己を叱咤する。剣を握る右手に力を込めて、剣の峰に左手を添えて。
「――んなろおぉぉぉッ!!」
俺は、咆哮を終えて高くから降りてくる毒イモムシの顔面めがけて、渾身の刺突を叩き込んだ。
ど真ん中に深々と突き刺さった刃から、硬質な何かをかち割ったような、そんな感触が届く。それと同時に、毒イモムシが不規則、不自然に、まるで痛みにのたうち回るかのように、その場で暴れ始めた。
「うぉっ!?」
毒イモムシ特有の鈍重さを感じさせない、必死にもがくような、ある種痛々しい姿。それを確認したのもつかの間、俺はその大暴れに合わせて思いっきり引っ張られた。滑った手から毒イモムシに刺さったままの剣がすっぽ抜け、放り投げられる。
「でっ――!」
「ちょっ、大丈夫?!」
放り投げられた先は、運がいいのか悪いのか少女のすぐ近くだった。幸いにも尻もちをついただけで済んだので、それを伝えながら身を起こす。
「いちち……ああ、大丈夫。まさか、剣が抜けないなんてな」
俺が振り回され、放り投げられた最たる理由は、毒イモムシの顔面に深々と突き刺さった剣が、引っ張っても抜けなかったことだ。
暴れ始めたのを確認した俺は、すぐに退散しようと剣の柄を思いっきり引っ張ってみたのだが、ずいぶん深々と刺さってしまったせいかびくともしなかったのである。それをどうにかしないと、と焦ってしまったせいで、毒イモムシが頭を振るったのを見逃してしまったのも、一つの要因ではあるが。
「……まぁ、なんにせよ、これで倒せたな」
そう言いながら振り向いた俺の眼前には、暴れる体力も使い果たしたのか、轟音を立てて倒れこむ毒イモムシ。身体のところどころで、口から吐き出していたものと同じものらしきどす黒い煙、というか瘴気が噴出しているので、おそらくこいつもイビルドール同様、少しすれば消えるはずだ。
「そうね。……にしても、こんなに大きな毒イモムシが出てくるなんて、まったく思わなかったわ」
「だなぁ。魔力溜まりの影響はピンからキリらしいけど、こりゃ間違いなく影響デカすぎってとこだな。……ともかく、君が居ないとたぶん倒せなかったよ。ありがとな」
毒イモムシが静かになったのを横目で確認しながら、一安心して力が抜けたらしい少女と息抜きの雑談に興じるついでに、一緒に戦ってくれたお礼を述べておいた。
今回の巨大毒イモムシは、通常の個体と比べても中々に素早かったのも事実。誰かが気をそらしてくれなければ、おそらくは溶解液の直接攻撃にさらされることもあったかもしれないのだ。いくら低威力とはいえ、そんなものを食らうことを考えたらぞっとしない。
俺の前に立つ少女は、率先して毒イモムシの気をそらしてくれていた。もし下手をすれば――たとえば俺が倒されたりしたら、彼女自身にも危険が及んでいたはず。それをふまえて、少女には感謝するほかないと俺は考えたのだ。
「ん?あぁ、大したことないわよ。まぁ、魔物との戦闘は始めてだったから、ちょっと……ううん、かなり緊張してたから、前に出てくれたのはありがたかったわ。こっちこそ、ありがと」
礼を言われた少女は、肩をすくめてそう返してくれるとともに、ふわりとはにかみながらお礼を言ってくれた。
……出会ってからじっくり見る機会がなかったが、正面で向かい合ってみると彼女、かなりの美少女である。しかもその顔は可愛らしく微笑んでいるので、思わず照れくさくなって目をそらしてしまった。失礼かもと思ったが、少女は特段気にしているそぶりは見せていない。
「……えっと。俺、エイジ・クサカベって言うんだ。もしよかったら、君の名前、教えてくれないか?」
若干しどろもどろになりながら、俺はお茶を濁すがてら、そんなことを聞いてみる。よくよく考えたら、出会ってから巨大毒イモムシとの戦闘を終えるまで、俺は少女の名前を知らなかった。今更な話だが、名前を知らないと人を呼ぶのに苦労してしまう。
少女もそれを察したのか、あぁと気づいたそぶりを見せた。が、直後にくるりと振り返って、手を組みながら伸びをする。
「どーしようかしらねぇ……お父様が、不用意に名前を教えるなって言ってたからなぁー……」
不用意に、か。少女の言動から見るに、もしかしたら彼女は結構いいところの出身なのかもしれない。戦闘中は見えなかったが、終わってから確認して見ればなるほど確かに、どことなくしぐさや立ち振る舞いは上品に見える。
それに冒険者というものも人である以上、良い奴も悪い奴もたくさんいる。あまり不用意に名前を教えると、トラブルに巻き込まれるようなこともあるのかもしれない。そう考えれば、少女が名乗りを渋るのも納得できた。
言いにくいなら言わなくてもいい、と言いかけたが、その前に少女が、どことなくいたずらっぽい笑みを浮かべて、様子を伺う俺の方に振り向いた。
「教えてもいいわよ。ただし、条件があるわ」
「条件?」
少女から帰ってきた答えは、俺が想定していた返事とは、また違うもの。予想外の答えをおうむ返しに呟くと、少女は小悪魔的に頷いた。
「そ、条件。……私の家はね、この国でもそこそこの力を持ってるの。だから、私の家名をむやみにひけらかしたりしないって約束してくれるなら、名前を教えてあげるわ」
答えこそ予想とは違ったが、少女の素性に関しての予想は外れていなかったらしい。そのくらいなら、と言いかけて、しかし俺は口をつぐんだ。代わりに少し考えて、俺は付け加えて答えを口にする。
「……口約束だからな。わかったって簡単に言いたくはないけど、約束はする。もし俺がそんなことしたら、遠慮なく牢なりなんなりにぶち込んでくれていい。それでいいか?」
そこそこの力を持っていると公言する以上、少女としては家名をひけらかされるのは満足しないはず。だったら、条件をプラスして、家名を出すデメリットを作ってしまえばいいのだ。
いくら口約束とはいえ、条件は俺が望んで付け足したもの。実際に牢に叩き込まれたとして、反省こそすれ文句を言うことはないだろう。そう考えて、俺は条件を足したのだ。
これなら少女も信じてくれるだろうと踏んで、心の中でドヤ顔をしていたら、不意に少女が小さく、クスッと笑いをもらす。
「……いいわ。今度機会があったら、ウチの家名を使ってみなさい。速攻で牢屋に入れてあげるわ」
「お手柔らかにな」
どうやら、俺の意図は少女にも伝わったらしい。冗談めかしてそう言った少女は、俺の返答にもう一度、今度は明確に笑みを浮かべた。
「ふふ。あなたの性格、結構好きよ。……一度しか名乗らないからね、ちゃんと聞くのよ?」
ウインクを交えながらそう告げる少女に、俺は苦笑しながら頷く。
これでディーンさんの親族だったりしたらずいぶんな偶然だなぁ、なんてことを考えつつ、なんだかニコニコしている少女の様を見ていたその時、不意に視界の端で、何かが動いた。
「?」
目線だけをそちらに向けて、俺は何が動いたのか――もしくは幻覚か否かを確認する。だが、俺の視界に入ったのは、まさしく予想外と形容するに足る光景だった。
倒れていた、倒れていたはずの、毒イモムシ。そいつが、空に溶けていく瘴気を全身から噴き上げる毒イモムシが、俺の剣が刺さったままの顔を、まるで亡霊のように揺らめかせながら、こちらに向けていた。俺たちを食らわんと――もしくは道連れにしようと、発射される寸前の溶解液で満たされた、その大口を開けて。
下手の横好き、かつ線画のみではありますが、矢代自らエイジ君のイラストを描いてみました!
動きを想像したりする助けとなったりすれば幸いですー。
https://twitter.com/daisuke_yashiro/status/632584082724139008




