05. ワゴンRでクールに去るのですわ!
……………
--真っ暗な舞台中央にスポットライト。平良が現れる。
平良「ごきげんよう皆様。
わたくしは平良と申します。
ある学校の教師として、子供達
の世話をして生計をたてております。
わたくしのような者が教師という
聖職につけている事、
それは奇跡のような事ですのよ。
…過去に、あのような恐ろしい事を
してしまったのですから。
ええ、あの時の事を悔い改めない
日はございません。わたくしは
一生かかってでも、あの時の罪滅ぼし
を続けていく所存でございます。
ああ、そんなわたくしの事を神は
決してお見捨てにならなかったと
言うことでございましょうか?
ええ、そうに違いありません!
この手紙こそ、まさにその証明、
神からの啓示というもので
ございます!」
--平良、懐から取り出した手紙をありがたそうに天にかざす。
--再び暗転。今度は舞台下手にスポットライト。琢己が現れる。
琢己「俺は琢己。刑事だ。正確には、
刑事だったと言うべきか…。
あんなへまさえしなければ今だって、
社会のくずどもを痛めつけて、
甘い汁を吸ってられた
はずなんだがな。まあそんなこと
はどうだっていい。
結局重要なのは、俺には金が
必要だった。そしてそんな時に
この手紙が届いたってことだ。
ここに書いてあること、まるまる
鵜呑みにしたわけじゃないぜ?
だいいち、俺の旧友と名乗る
この差出人の事だって、
俺は全然思い出せないんだしな」
--琢己、ひらひらとあおぐように手紙を振る。
--再び暗転。今度は舞台上手にスポットライト。美浦が現れる。
美浦「やあ、僕は美浦。医者をしています。
はは、さっきの人には
申し訳ないけれど、仕事の方は
いたって順風満帆、これでも地元
じゃあ名医で通ってるんですよ。
ああ、それにもうすぐ妻が2人目を
出産する予定でしてね。
全く絵に描いたような幸せという
やつですよ。…まあ、そんなわけで、
僕には輝かしい未来が広がって
いるんですよ。
だからもうとっくに終わったと
思っているあんな過去は、
さっさと断ち切りたいと思ってたんだ。
この手紙をくれた、えっと
誰だったかな、…まあともかく、
彼が手伝ってくれるっていうんですよ。
まったく、ありがたい話じゃあ
ないですか」
--美浦、手に持った手紙を胸のポケットにしまう。紳士的に一礼。
--再び暗転。舞台中央にスポットライト。鳳が現れる。
鳳 「………………………………………………………………………」
「鳳さん…鳳さんの番!」
沙夜は慌てて、隣の席の蘭子に耳打ちする。
鳳 「えっ!?あ!わ、わ、私はおおお鳳。
は犯人…判事をしています、た。
…ああ、あの島にニクのは、ど、
どれくらい振りになるます
でしょうか?
こ、この手紙が言うように!
た楽しぃ!南の島のばかんすに!
なればよいのですが!」
--鳳、不安そうにつぶやく。
--再び暗転。
--打ち寄せる波の音。
--ぎぃー、ばたん。木製のボートが島の浜辺に着岸する音。
……………
「ちょっときゅーけーにしよー」
きいなは両手をパンと叩いて、さっきまでの男役が嘘のように可愛らしい口調で言った。
放課後の演劇部部室。テーブルを囲んでパイプ椅子に腰掛けた5人は、それぞれが台本をコピーしたA4用紙の束を手にしている。部員たちは、劇の雰囲気をつかむことを目的に例の台本の読み合わせをしているところだった。
部員達の演技を追いながら劇のイメージをつかみ、裏方の作業として必要な作業をリストアップする事が現在の沙夜の主な仕事だったのだが、途中から演技に見入ってしまってそれどころではなかった。
「す、すごいっすね…琢己先輩。完全に男になってましたよ」
「……」
「はずいよー。まー転校生君にとっては最初の部活だもんね、ちょっと本気だして先輩の威厳?だしてみたー」
そういって炭酸ジュースのペットボトルを両手で持ってごくごく飲む姿は完全に子供にしか見えない。さっきまでの演技とは別人だ。
「きいなちゃんの演技力は相変わらずプロレベルだよね。もう天才子役だよね」
苦笑するしとねに「なんだとー」ときいなは頬を膨らませる。
「でもそういう美浦さんも男役上手だったね。てか、いつも通りと言えばいつも通りなんだけど…」
「……」
「そう?僕もまだまだだな。いつも通りの僕が出ちゃってるってことは、台本の中のこの気障でうさんくさい男をちゃんと演じきれていないってことだよね?」
「まー王子は普段どーりやればいーよー。ファンもそっちのほーが喜ぶだろーしー」
きいなは沙夜の方を向いて説明する。
「この娘ってー、学内、学外、老若男女関係なくファンがいっぱいいるんだよねー。王子様ー、とか言われちゃってー。本性は全然王子様じゃなくってエロスの塊なのにさー」
自分にはどこがいいんだかわからない、という表情できいなは首をかしげる。
「ふふ、きいなちゃんも正直に言ってくれていいんだよ。僕はいつでも大歓迎さ。…ところで衿花ちゃん、本番の衣装は、また服飾部のみんなに任せちゃっていいのかな?服飾部の部長さんが僕の服をデザインしたくてしょうがないらしいんだよ」
自慢げに衿花に笑うしとね。衿花は無表情に事務的に答えた。
「ええ、宜しく御願い致しますと御伝え下さい。美浦様が服飾部様のモデル様をなさってらっしゃるおかげで、服飾部様と御コネクションがあります事、わたくし共演劇部にとって大変助けになっております。演劇部部長として、美浦様と服飾部皆様方には感謝させて頂いておりますわ」
「……」
「美浦さん、モデルって?」
しとねは、ふふんと、前髪をたくし上げて言う。
「まあ演劇部と掛け持ちみたいな感じでね、服飾部の発表会、ファッションショーがあるときにモデルとして参加してるんだ。文化祭でもランウェイ歩くから、沙夜ちゃんにも是非見て欲しいな」
「えぇー!すごぉーい!でも美浦さん長身でスタイルいいもんねぇ!演技も上手なのに、そんなのもできるなんてすごいなー。これは同じ2年生としてわたし達も負けてらんないねぇー、鳳さん?」
沙夜は無駄にテンションを上げて、さっきから黙っている蘭子に声をかける。
「ええ、そうですわね…」
「あれ…」
震えるような蘭子の声に、沙夜はうろたえてしまう。昨日みたいに馬鹿な事をいって場を盛り上げてくれるかと思っていたので、予想と全然違う蘭子の反応に対応できなかったのだ。見渡すと、沙夜以外の部員が、厳しく、あるいは苦笑いしながら蘭子の方を見ている。
「お嬢様はあれだねー…はは、練習前に…ちょーっとは…ホン読んで来てよねー」
「そんなにたいした台詞はなかったよね。あの台詞の中であれだけトチれるって、逆に感心するよ」
「…ちょっと別の事を…考えていました…もので…」
蘭子は誰とも目を合わせずにつぶやくように言う。
「そっかー……うーんと、あれだよねー?その…、ふざけてるわけじゃー…ないよね?はは…」
苦笑いを浮かべるきいな。
「ちょっ、琢己先輩!そんな言い方しなくても…」
「だーって…」
きいなは何かを言いかけるが、隣の衿花が片手でそれを制止する。
「御無礼を承知で御聞き致しますが、わたくし共が鳳様に台本を御渡ししてから本日までの間に、どれだけの御時間が経過致しましたでしょうか?」
蘭子は黙っている。
「十三日間と三時間で御座います。其れだけの御期間、鳳様は一度も御自分で御練習されなかったのでしょうか?あの程度の御台詞、一度でも台本を御読みになれば、簡単に御暗記頂けると思うのですが?御巫山戯になっているとキイが思わせて頂いたのも、御無理の無い事では御座いませんでしょうか?其れとも鳳様は、数少ない鳳様の御台詞も御読み頂けない程、御忙しいので御座いましょうか?わたくしが拝見させて頂く限りでは、其のような事は無いと思わせて頂いておりますが…?」
衿花は淡々と蘭子を責める。感情がこもっていない口調が、沙夜にはとても冷たく聞こえた。
「ぶ、部長さん!鳳さんそんなつもりじゃないですよ!台本だって読んできたけど、さっきはちょっと度忘れしちゃったんだよね?ね?ね?」
「ワタクシ…」
蘭子は口ごもり、先が続かない。衿花が蘭子を責め、蘭子が落ち込む。それはまるで昨日の歓迎会の再現のようだった。
「鳳さん…」
衿花は整った顔を少しだけ曇らせ、続けた。
「……恐れ多くも申し上げますが、鳳様は御自分が演じられる犯人様役と言う物を、正しく御理解頂けておりますでしょうか?犯人様とは、此の台本のメイン、核となられる御役で御座います。他の演者様がどれだけ素晴らしい御演技をされても、犯人様の御演技が不十分で御座いましたら…其れこそ先ほどの鳳様の様に、舞台様の最初に御自分から『犯人』と名乗って仕舞われる様な犯人様では、一瞬で此の御劇の全てが台無しに成って仕舞います。其の位重要な御役を御願いさせて頂いているという事を、鳳様は御理解いただけておりますでしょうか?正直申し上げまして、わたくしにはその様には拝見致しかねます」
「そんな…部長さん…」
「エリ、もーそのくらいに…」
止まらない衿花に、きいなまでがうろたえ始めていた。
「鳳様?もしかしましたら鳳様は誤解されていらっしゃるのでは御座いませんか?御台詞も、御出番も少ない犯人様役の事を、『適当に演じても許される』ような御楽な御役であると、誤解されてはおりませんか?」
「そ、そんなことは、ありませんわ…」
「恐れ多くも今の鳳様は、此の中のどなたよりも御努力頂かなければならない存在。其の事につきまして、御理解が御足りにならないのでは御座いませんか?今の鳳様は、真に遺憾ながら、此の御劇の核となるだけの資質に欠けていらっしゃる様に拝見致します。其の様な御状態では、御客様方に御見せ出来る様な御劇など、何時までたっても出来上がりは致しません。そういった事が御分かり頂けておりますでしょうか?」
衿花は無表情に蘭子を見つめている。誰も言葉を挟む事が出来ず、演劇部の部室に、凍りついたかの様な静寂が流れる。
「…ほっほ…」
うつむいていた蘭子が急に立ち上がる。
「…おーほほほほ!やっぱりそうですわね!そうですわよね!ワタクシも、ちょうどそう思っておりましたの!ワタクシがこのまま犯人役を続ける訳にはいかないと、そう思ってましたの。だってワタクシには演じる事が出来ないんですもの!この犯人役、いえ、どんな役だってワタクシには演じる事が無理なんですわよ!おーほほほー!」
ガラにもなく謙虚過ぎる気がしたが、昨日のように高飛車に笑う蘭子に、沙夜は少し安心した。
「だってそうでしょう?どんな役を演じたところで、どうしたってワタクシという唯一無二の存在を隠し通す事なんてできないんですのよ?ワタクシは、いついかなる時だってワタクシでしかないのですわ!おーほほほほほー!」
そうきたかー、と沙夜は感心した。
「そもそもワタクシが、このワタクシが、他の誰かを演じるだなんて全くもってナンセンスも甚だしい。まるでバラの花を雑草扱いするかの如き愚行、ワタクシという超一流の素材を無駄遣いしているというものでしたわ!それに気付かずに、演劇部に入部なんてしてしまったことこそがそもそもの間違いでしたわ!みなさんには長い間ご迷惑をおかけしましたわね。でもご安心なさってね、明日からはワタクシちょっと忙しくなりますの。もうこの倶楽部のみなさんとはご一緒することはできませんわ。そうですわね、ワタクシの役は黒星さんにお任せしたらどうかしら?ワタクシのような華は有りませんけれど、だからこそ、きっとワタクシよりもお上手にこの庶民じみた犯人役を演じられるでしょうから。ああよかったわ、これで文化祭は心配ありませんわね!おーほほほー!」
「鳳さん、それって…って、えっ、ちょっどこいくの!?」
唖然としている一同を尻目に、蘭子は自分のバックを拾い上げ、颯爽と歩き出す。
「このような役、やはりワタクシには役不足だったようですわ!ワゴンRでクールに去るのですわ!おーほほほー。ごきげんよう!」
引き止める暇も無く、部室から出て行く蘭子。そのとき沙夜はほんの一瞬、彼女の顔に涙が流れているように見えた。あんたワゴンRなんか乗らないでしょ…、沙夜はそうつっこむ事さえできなかった。
「ちょっとっ、部長さんいいんですか?!鳳さん行っちゃいましたよ!」
「……わたくし共演劇部と致しましては、来て頂ける方は拒まず、御去りになる方は追わずという姿勢でやらせて頂いております…」
衿花は難しそうな顔で部室のドアを睨んでいる。
「まー、今まで何度も注意されてたし、あのお嬢様にしちゃー今日まで良くもったと思うけどねー」
「…というか、何回言われても悪いところ全然直さないしね…。向いてなかったんじゃないかな」
部員たちはやれやれといった感じで、特に蘭子を心配する様子は無い。
「ひどい…」
沙夜は衿花をにらみつけている。
「部長さん、本当に鳳さんが本心からこの部を辞めるつもりだって思ってるんですか…?あれが、彼女の意思だって、そう思ってるんですか…?」
「…御本人様はそうおっしゃられておりました……」
「そんなの…嘘に決まってるじゃないですか…。鳳さんは自分が演技上手くないのわかってて、でも先輩たちの邪魔したくなかったからああ言ったんですよ…昨日だって、自分が主役やってもいいのかって一番気にしてたのは彼女じゃないですか…強がってはいたけど、ずっと申し訳なく思ってたんですよ…!」
沙夜はどんどん高ぶっていく自分の感情を抑える事が出来なかった。一度あふれ出してしまった気持ちは止まらない。
「なに熱くなってんのさー。こんなのあのお嬢様にとっちゃいつもの事だよー。ほら、昨日だってエリにきつく言われたのに、すぐにケロっとしてたじゃーん?」
違う…。部室を出て行ったときの顔は、昨日の蘭子とは全然違っていた。沙夜には分かっていた。彼女が本当に落ち込んでいるのだという事が。…どうして誰も分からないの…。…どうして鳳さんの悲しみを分かってあげようとしないの…。
「……わたくしとしましては…鳳様に御辞めになりたい御気持ちが御有りになるのでしたら…其れを御止めする事はできないと…」
冷酷な衿花の表情が揺らぐ。透き通るような瞳は、沙夜ではなく自分の足元を向いている。
「卑怯ですよ!…そんなの、卑怯ですよ…。そうやって勝手に鳳さんの気持ちを決め付けて…。…結局、自分たちが彼女を傷つける勇気がないから、本人から辞めるって言わせてるだけじゃないですか…」
「そ、そんなつもりは……」
衿花はうろたえる。
沙夜は衿花が許せない。無意識に糾弾するような口調になってしまう。なぜ彼女が悲しんでいることが、わからないのか…。わたしには、彼女の悲しみが、わかる…。
「……鳳さん、今日の休み時間に台本読んでましたよ。ちゃんと練習してるんですよ。彼女やる気はあるんですよ……そりゃ、正直今はあんまり上手くないのかもしれませんけど…。だったらそれを手伝ってあげるのが先輩の役目なんじゃないんですか?彼女の気持ち全然考えてないから、彼女の事全然わかってないから……だからあんなひどいこと平気で言えるんですよ……こんな部だと思わなかった……わたしも演劇部やめます!お世話になりました!」
最後は吐き捨てるように叫んで、沙夜は部室を出て行った。残された3人には、沙夜が激しく閉めたドアの音が耳に響いていた。
「はは、沙夜ちゃんは意外と切れやすいんだね…」
「……………」
「……エリ、いーにくい事言ってくれてありがとーね。あんなの気にしなくていーよ。だって練習してたーって言ったってー、結局あれじゃーしょーがないじゃんね?一気に2人も辞めちゃうのはイタイけど、また部員探しからがんばろー!」
落ち着いているきいなとしとねに対して、衿花は眉間に皺を寄せて下唇を噛んでいた。それは、衿花が涙を我慢している時に無意識にやってしまう幼いころからの癖だった。そんな衿花に1人だけ気付いたきいなは、誰にも聞こえないようにもう一度つぶやいた。
「…エリ、気にしなくていーよ………」