03
空港へ続く高速道路を、1台の高級国産車が駆け抜けていく。前にも後ろにも他の車の姿は見えず、ときどき思い出したかのように対向車線をヘッドライトが通り過ぎていく位だった。周囲にはどこまでも畑や田んぼが続く、見晴らしのいい牧歌的な風景が広がっていたが、その車が学園を出発してからはもうだいぶ時間がたっていたので、車内から校舎や学園の敷地を見ることはできなかった。
車の後部座席には、仮面のような無表情の琢己きいなが座っていた。彼女はいつものお団子頭ではなく、まとめていた髪を全て下ろして長いストレートのロングヘアーになっている。その様子はきいなというより、まるでサイズの縮んだ衿花のようだった。彼女の隣の座席には、50cmくらいの長さの丈夫そうな黒い細長いケースが置いてある。楽器ケースのようにも見えたが、ケースの横幅は10cm程度。楽器ならばせいぜいアルトリコーダーくらいしか入らなそうだった。
「お嬢様。本当によろしかったのですか?せめて平良様にくらい、お別れのご挨拶をされてもよかったのではありませんか?」
運転手、風間学が言う。爽やかなショートカットの金髪で、見た目は二十歳前後。高級そうなスーツを着ていなければ、どこにでもいる普通の大学生のようにも見えた。風間の声はそれほど大きくはなかったが、エンジン音も外の雑音も聞こえない快適な車内ならば、確実にきいなまで届いたはずだった。だが、きいなは返事をしない。
「今からならば、後夜祭のパーティが終わる前に学園に戻ることができます。転校先の学校も、急ぐ必要は無い、転校日はお嬢様のご都合のいいときで構わないと言ってくれていますし。なにも今日の便で発たれる必要はないのではありませんか?」
真っ暗な窓の外を眺めたままのきいなは、やはり何も答えない。
別れの挨拶なんて出来るわけないじゃない。そんなことしたらあの子はきっと……。
風間は小さく笑い、バックミラーできいなの無表情な顔を覗き見た。そして、呆れるように言った。
「2人は良く似ている……でも、キイちゃんの方がエリちゃんなんかより、ずっと損してるよね……」
風間の家は、代々琢己家に仕える執事の家系だった。先代がまだ健在だった、風間が小学生の頃から彼は琢己家に連れてこられ、まだ幼稚園生のきいなや、親同士の仕事上の繋がりでよく琢己家に来ていた衿花の遊び相手になっていた。その頃はまだ主従の関係はなく、3人はどこにでもいるような親戚の子供同士のような関係だった。
きいなよりは付き合いが短かった衿花は今となっては風間の事をほとんど忘れてしまったようで、執事として琢己家に仕えている風間に気づいたことはない。だがきいなにとっての風間は、幼い頃からずっと身近にいて、自分と同じように成長してきた家族のような存在だった。だから2人きりになると子供の頃のようにお兄ちゃん面する風間にも、きいなはうっとおしくも親しみを感じてしまうのだった。
「下手に器用になんでも出来ちゃうから、嘘だって完璧につけてしまう。隙だらけのエリちゃんとは違って、嘘に気づいた誰かがキイちゃんの努力を評価してくれる事が無い……キイちゃんが『青鬼』を演じると、赤鬼はそこに青鬼がいた事すら気付けないんだ…」
きいなは何も答えない。それでも自分の言葉が彼女に届いていることを確信している風間は、気にせずに続けた。
「…キイちゃんが演劇部の台本を書くようになってからこれで何回目かな?結局1度も、キイちゃんが台本にこめたメッセージがあの鈍感エリちゃんに届く事は無かったね…」
「風間、立場をわきまえなさい」
きいなは冷たく言い放つ。それは、いつもの可愛らしい子供っぽい話し方ではなかった。
「失礼致しました」
風間は業務用の態度に戻る。だが、車のバックミラーに写っているのはまだ呆れ顔だった。
しばしの沈黙。だが風間はまったく懲りていない。そしてきいなも、2人きりのときの風間を完全に黙らせることなど出来ないのだった。
「私はお嬢様のことでしたらなんでも理解しているつもりです。いつでもお嬢様の味方でございます。…私の前でしたら、ご遠慮せずに泣いて頂いて構わないのですよ?」
きいなは風間を無視し、無表情を決め込んでいる。どれだけ待っても彼女が本心をさらけ出す事は無いらしい。風間は小さくため息をつく。バックミラー越しの視線は、きいなの隣の黒いケースへと移った。
「そちらのケース、お嬢様はとても大事にしていらっしゃいますね。私共は触れることさえ許されず、勿論ケースの中をお見せいただいたこともございません。それに今回のようにお住まいをお引越しなされるときは、いつでもお嬢様ご自身がお持ちになります。きっと中身を知る者は、お嬢様以外にはいらっしゃらないのでしょうね」きいなはうつむく。風間は「ふふ」と笑いをこぼした。「…でも、僕はわかってるよ」
「放っておいてよ…」
きいなは絞り出すようにつぶやく。
「使用済み、って気づいたって事は、もしかして1度は自分でも遊んでみたのかな?小6の頃のキイちゃんはかわいいね」
「放っておいて…」
きいなはもう一度つぶやいた。
エリからもらった魔法のバトン……呪文を唱えれば何にだって変身できる…。
でも……そのころにはとっくに変身していた。
『本当の自分』から、『ただの親友』に。
ちょっと変身してるのが長すぎて、もとに戻れなくなっちゃったけど…。
車内にまた沈黙が続いた。
それを破ったのはやはり風間だ。
「…それにしても、平良様も困った方です。あれだけあからさまなお嬢様からのメッセージにお気づきになられないなんて。だって、ご自分の台詞ですよ?舞台にあがる以上、どうしたって暗記するでしょうし、そうしたら気付いて良さそうなものじゃありませんか?あの単純そうな黒星様でさえご自分宛のメッセージにはお気付きになられたのでしょう?…まあ、黒星様へのメッセージは台本通りの順番、平良様へのメッセージは逆順という違いはございますが…」
きいなはまた何も答えない。ただ心の中では、「エリのこと、何も知らないのね」と風間を非難していた。
あのメッセージに気付くには、台本の中から自分の台詞だけを抜き出して見なくてはいけない…。あの子がそんな事するわけないじゃない……。
あの子はいつだって『自分の台詞だけじゃなく、全員の台詞を覚えてしまう』。『自分の事は後回しで、みんなの事を第一に考えている』のだから……。わたしは彼女の、そういう所が好きなんだから…。
本当の運命の出会いは、タイミングや境遇なんて簡単に飛び越えてしまう。幼馴染や同級生なんて、そんな出会いの前では何の役にもたたないのね…。
もし私が、『本当の自分』であなたに気持ちを伝えていたら、あなたはなんて言ったんだろう……。
ううん、すべてはもう終わったこと…おめでとうエリ……さようなら………。
きいなの家の庭。草原のような、一面に拡がる緑の絨毯の上で花摘みをしている、幼い日のきいなと衿花。
衿花は花で作った冠をかぶり、立ち上がってダンスを踊るようにくるりと体を翻す。
「お姫さまになあーれ、ですのー」
「くく、また例の魔女っこ?エリちゃんはそれ好きだねー」
「好きですの!キイちゃんも、見るといいですのにー!」
「あたしはああいうのちょっとね…。だって魔法ってなんか反則くさくない?何でもありってことじゃん」
「そ、そんなこと無いですの!え、えっと、だってえっと………だ、だって、いつでもどこでも魔法が使える訳じゃ無いんですのー!魔法のことはみんなにないしょにしなくちゃいけないんですの!」衿花は自分の気持ちがうまく伝えられないのをもどかしそうに、きいなの手を取ってぶんぶん振りまわす。「魔法を使ってるのを他の人に知られちゃったら、神様からおしおきされちゃうんですのー!」
「ふーん。ペナルティってやつだよね。魔法の国に帰されちゃうー、みたいなー?」
衿花は腰に手を当て、エッヘンと胸をはる。
「違いますのー!魔法が使えるのを知られたときのペナルティはー、『好きな人が女の子になっちゃう』んですのー」
そっか。
……それは、気を付けなきゃね。
きいなはうっすらと笑みを浮かべた。それと共に、風間にも気づかれないような静かさで、きらきらと輝く1滴の涙がこぼれた。
つたない文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。




