01
がらんとした劇場。客席は真っ暗で、ステージにだけ煌々とライトがついている。後夜祭の最後は、劇場から会場を移動しての立食パーティとなっていた。学園の生徒たちは全員ドレスに着替えて会場に向かう手はずになっており、本来ならばもう劇場には誰も残っていないはずだった。
ステージの上では、沙夜と衿花の2人が向かい合っている。その様子は、まるで劇の続きを演じているようでもあった。
「もう、大丈夫ですか…?」
沙夜は恐る恐る衿花を伺う。衿花はいつも通り無表情で、仮面のような笑顔をつくる。
「ええ、取り乱してしまって申し訳御座いません。御迷惑御掛けしましたわね」
「よかった!じゃあ、早速ですけどさっきの返事とか聞いちゃってもいいです?!」
そう言って、衿花の目の前に来て手を握る沙夜。
「あわわわわわぁぁぁぁぁ…」
顔を真っ赤にした衿花は、ステージの床を這いつくばって沙夜から逃げる。沙夜は見ていられなくて、思わずうつむいてしまう。沙夜が告白してから、衿花はずっとこんな感じだった。こんな状態ではパーティになど行けない。気持ちが落ち着くまで、沙夜は衿花と劇場に残ることにしたのだった。
「じゃあ、しばらく関係ない話しますね」
ちょっと予想外の事が起きただけでこんな風になっちゃう…、もう…かわいいな。沙夜が見ていられなかったのは、いつもの冷静さを失った無様な衿花を見るのがイヤだったのではなく、そんな衿花をずっと見ていたら自分の気持ちが抑えられなくなってしまいそうだったからだった。感情の回路が滅茶苦茶になってしまった衿花が元に戻るには少し時間が掛かりそうだったので、沙夜はその間にずっと衿花に伝えられなかったことを言っておくことにした。
「ちょっと言い訳みたくなっちゃうんですけど……部長さんはずっと、わたしが…その、蘭子のこと好きって、友達としてじゃなく、恋愛対象として好きって、そう思ってたみたいですけど…、それって全然違うんです。そんなのありえないんです」
沙夜は喋りながら、ふらふらとステージ上を歩く。
「こ、これは夢、きっと夢だわ……」
依然様子がおかしい衿花。沙夜は気にせず続ける。
「だってわたし知ってたんですよ。蘭子に恋人がいる事。蘭子が不破先生と付き合ってるってこと」沙夜はちょっと悲しそうに笑う。「あの子、普段さんざ、わたしのこと『愛人』とか『体が火照る』なんていっておいて、ホントは全然そんな気無いんですよ。ただ単に日本語が下手なだけ、普通に男が好きな、普通の女の子だったんですよ。いや違うな、冴えない中年好きの趣味わる子ですよ!…ほんと、紛らわしくて困っちゃいますよね!」
衿花が驚いてつぶやく。
「ど、どうして…御存知でしたの……それが学園中に知れ渡ったのは四月…黒星様が転校してこられる前の御話で御座いましたのに……。それ以降皆様には、なるべくそのことは放って置いてあげるようにとお願いして……」
「はは、琢己先輩です」
沙夜は息をもらすような笑いとともに言った。「キイが…?」衿花は怪訝な顔をする。
「すっごい遠回しな方法で教えてくれました。なんかあれなんですよね、この学校のお嬢様たちってあんまり陰口とか言いたがらないですもんね。口で『あいつら付き合ってるんだよー』っていうのイヤなんですかね?……まったく、お嬢様ってのはどうしてこう素直じゃないんですかね!」
「遠回し…?」
ステージ上を歩きまわっていた沙夜は、急に衿花の方を振り向き、人差し指をピンと上に立てた。
「わたしの役、メイドが、みんなに犯人かと疑われて、責められるシーンて覚えてます?『白状しろ!』とか言われてたシーンです」
「ええ」衿花は考えるまでも無い、と言う風に即答した。
「もし良かったら、そのシーンのわたしの台詞を言ってもらうことって出来ますか?最初の単語だけでいいんで」
衿花は首をかしげていぶかしむ。だが、まだ本調子でないからか、結局何も考えずに沙夜の言うとおりにした。
「あそこは、メイドの本性が垣間見え、登場人物たちの擬人暗鬼がつのっていくのを表現する重要なシーンですわ。黒星様が美浦様とキイに白状しろと言われて、『お冗談を、私がお客様に毒を…』、それに対して美浦様が『いや、ただのメイドでは…』、そしてキイが『貴様、本当か…』…」衿花は沙夜の台詞だけでなく、そのシーンの全員の台詞を、台本も無いのに完璧に言ってみせた。「……そしてメイドが、『分かりました…』、『好きにすればいいわ…』と言って笑う。そして、わたくしが…」
「あ、そこまでで大丈夫です。……ってか、本当に自分以外のところも全部覚えてるんですね…」
思い出すような仕草を一切見せず、すらすらと台詞を言う衿花。沙夜はなんだか驚くより笑ってしまう。
「…ぶ、部長ですから、当然のことですわっ」
沙夜に言われて初めて、まるで恥ずかしいところを見られてしまった、という風な顔をする衿花。沙夜は衿花のこういうところも大好きだった。
「いやいやいや、部長がみんな部員全員の台詞覚えなきゃいけないんだとしたら、世界から演劇部部長という役職が絶滅しますよ。えっ、どうやって覚えてるんですかそれ?なんかコツとかあるんですかぁ?」
「いえコツなんてそんな大層なものは何も…。ただ、それぞれの役を演じる皆さんの立場になって、何度も何度も台本様を見るだけですわ。皆様ならどう演じるか、どんな所が課題になるか、という事を考えながら何百回、何千回と台本様を読んでいれば、おのずと頭の中に入ってきますわ」
やっぱり…。沙夜は思った。部長は何も超人的な記憶力の持ち主だとか、1度見ただけで何でも暗記できちゃう超能力者とかじゃない。ただ、部員の誰かが台詞忘れたときに助けられるようになりたいとか、みんなの苦労をわかってあげたいとかそんな気持ち、責任感と優しさだけで、努力に努力を重ねて暗記してたんだ。そんなそぶりは一切見せないのに、誰よりも部員達の事考えてくれてて、そのために誰よりも努力してる人なんだ。……あーやばい、話してるだけでどんどん好きになってく…。
沙夜は自分の胸の高まりを、話しに集中して無理矢理ごまかした。
「わたしは全然ダメなんですぅ。自分の台詞もろくに覚えらんなくってぇ、…そんな時に琢己先輩に教わった覚え方を思い出したんですよぉ。『自分の台詞だけノートに書き出して暗記帳を作ってみろ』って。それで言われたとおり自分の台詞を書き出したんです。台詞1つを1行で、先頭そろえて、横書きで書き出したんです。そしたら…縦書きでも読める事に気づいて…………あれ、えっとぉ……」
沙夜も自分の台詞を思い出そうとするが、なかなか出てこない。さっき衿花に言われたばかりなのに、芝居の流れもなにもなく、いきなり自分の台詞だけ思い出すのは至難のわざだった。
「えーっと、えっとですね……台詞の先頭なんですよ。それをつなげるんです。えっとですね……『お冗談…』、…『さあ?』…『まさか』…『私は』…『ふふ』…『分かりました』、『好きにすれば』!」
沙夜はだいぶ途切れ途切れで時間をかけて言った。かなりの達成感を感じた沙夜だったが、さっきの衿花に比べたらまったく頼りない。
「よく考えたら、『お冗談』ってなんかおかしいですよね?普通なら、『ご冗談』ですもんね」いつも部長さんの敬語聞いてたせいで、こんな小さな間違い見逃しちゃってましたけど…。沙夜は苦笑しながら独り言を言った。「え、えっと、それでですね。そのわたしの台詞の先頭をつなげるんです。つなげるとですね…、お冗、さ、ま、わ、ふ、わ、好き。お嬢様は不破好き、になります。お嬢様、っていうのは抽象的ですけどぉ、もしこれが誰か特定の人の事を言っているんだとしたら、それってもう決まっちゃうと思うんです。…つまり、この学校で、誰が、誰のことを、『お嬢様』って呼んでいたかって考えればいいんですよ。つまりつまり、これを書いたのは琢己先輩で、お嬢様って言われているのは蘭子。蘭子は不破先生が好き、よぉするに蘭子と不破先生は付き合ってる、って事を教えてくれてたんですよぉ!」
「…そ、そうでしょうか?ちょっと無理がある気がしますけど…」
だいぶ調子を取り戻してきた衿花は、自信満々で言う沙夜に水を差すように首をかしげる。同じルールできいなが沙夜にあてたメッセージはもう1つある。1つだけなら強引なこじつけのようにも思えるが、同じようなメッセージが2つもあれば、衿花だって今の推理を信じざるを得ないだろう。だが、沙夜はもう1つの方を衿花の前で言うつもりはなかった。
「で、でも…琢己先輩に聞いたら、そうだよー、わたしがやったよーって言ってたんですもーん!」
「えっ、じゃあ本当にあの台本…をキイが…?」
むきになって言った沙夜は、うろたえている衿花をみて得意げになった。
「そうなんです!台本が変わったときみんなは、『わたしが演劇部に入部したから役が追加された』って思いましたけど、本当は違ったんです!『台本を改変したかった』から、その理由付けとしてわたしの役を追加したんですよ!」
やっばい…これ気持ちいいぃー…。まるでミステリーの名探偵が犯人を暴露するシーンを演じているような気分になってくる沙夜。高揚してくる気分をなんとか抑えて、調子に乗ってしまいそうなのを我慢する。
「あの台本にメイドを追加して、ストーリーを少し改変して、メイドとの絡みができたからみんなの台詞も自然と変わって……と思ったら、実は本当の狙いはこのメッセージを入れる事だったんですよ…ほんと、よくやりますよ。わたしが気づかなかったら、全部無駄になっちゃってたのに…」
いや、そのときはきっと伝わるまでヒントをくれたんだろうな。学園のお嬢様の礼節として噂話はしない。部長さんとの約束もあるから、蘭子の事を直接わたしに告げ口はできない。この台本のメッセージは、そんな立場の琢己先輩が考えた苦肉の策だったんだから。
「まぁ、そんなわけでぇ、わたし、蘭子の事は結構前から恋愛対象から外してました。やっぱりどんなに仲良くなってもぉ、そっち系の人じゃないと好きになっても意味ないですもんねぇ…」
嘘だ。恋愛対象から外すなんてそんなこと、意識してできるもんじゃない。そうじゃなくて、そうじゃなくって…。
「…気づきませんでしたわ。キイがそんな事をしていただなんて……本当かしら……でも、キイは昔から確かにそうゆうところがあるのよ……黒星様は知らないと思いますけれど、あの子は時々すごく子供じみた事をするの…いたずらっていうのかしら?子ども扱いされるのは嫌いなはずなのに、自分の方からそういうことをするのだから、おかしいわ。ふふ…」
沙夜は衿花を愛おしそうに見ていた。
「部長さん、自分で気づいてますか?喋り方、普通になってますよ…」
「えっ?…え、あ!あ、ああ!申し訳御座いません!わたくしとした事がとんだ御無礼を!」
うろたえる衿花はやっぱりかわいい。沙夜はもっとそんな衿花を見ていたかったが、言葉を続けた。
「部長さんって、いつもあの…へんな…敬語使ってますけど、あれってちょっとルールありますよね?」へんな、のところだけ小さな声で早口で言う。「自分と、自分の身近なもの、例えば友達の琢己先輩とかの事を言う時だけは敬語じゃなかったり、謙譲語になったり、なんかへりくだった感じになる。それってなんかいいなぁって思ってたんです。ファミリー感っていうか、一体感っていうか…親しさ…特別扱いって感じで…。で、さっきまでの部長さん見てて思ったんですけど…、もしかして部長さんってそういう親しい人しかいない場所だと、敬語も謙譲語もなしで、普通の女の子の喋り方だったりして…?」
「…はい…」
衿花はまた恥ずかしがる。沙夜はなんだか申し訳なく思えてきた、いくら自分が話の主導権を握っているからといって、なんだか衿花に対してやりたい放題だ。『私の尊敬する先輩を侮辱するようなら…』、こんなことではまた蘭子に怒られてしまう…。ごめんね、わたしは直ぐ調子に乗っちゃうんだよ…。
だから、これで最後にするよ。
「じゃあ今日からはわたしとも普通に喋ってもらえません?そのほうが部長さんと近づける気がしますし。そんでわたしの事も名前で呼んでもらったりして……あ、だめならいんですけど…」
顔を真っ赤にした衿花は「その方がよろしいのであれば…」とつぶやく。沙夜が「やった!」と両手で小さくガッツポーズを作ると、衿花は小さく笑った。
沙夜はいよいよ本題に行こうと思った。
「でも、実を言うとその敬語のおかげで…わたしは部長さんの事が好きになったんです」
「ひゃ、ひゃい!?い、いきにゃり、なななな、何を言ってらっしゃるの!?」
体に触れたわけでもないのに、言葉だけでも衿花はおかしくなる。怪我をした足を引きずりながらズサーっと大げさに後ずさって、顔を引きつらせている。
どんどん高ぶってきてしまう気持ちを抑えながら、沙夜は無意識に衿花に出会ったときを思い出した。初めて衿花を見たとき、衝撃が走ったような感覚になった事を。あれはきっと、運命の出会いだったんだ……。
「…ってか単に、顔がもろにタイプだったんだよなぁ…」
「は、は、はいー!?あ、あな、あなたという方は!な、何を…」
しまった…はは。うっかり考えていた事を口に出していた沙夜。おもしろいくらいに取り乱した衿花は、まだしばらくは帰って来れそうに無い。もう沙夜は強硬手段にでることにした。
「ごめんなさい、ちょっとだけわたしの話を聞いてください」
沙夜は混乱してくらくらしている衿花を抱きしめると、自分の肩に衿花の頭をうずめた。衿花はさらに興奮して、ばたばたと体を動かす。肩にうずめた頭からはもごもごと何かを言っている声が聞こえた。
しばらくすると少しおとなしくなったが、それでもまだ抱きしめる沙夜には、衿花の赤ん坊のような高い体温と、激しい脈動が伝わってきていた。
「さっき言いましたよね、部長さんの敬語にはルールがあるって……それでわかったんですよ…」沙夜は抱きしめる衿花に微笑む。「今回の劇の台本、1番最初の『オリジナル』を作ったのは、部長さんだったんですね……」
肩にうずくまったまま、衿花は首を横に動かす。沙夜は気にせず続ける。
「部長さんは…自分に関係する物事には敬語をつけない。最初はただ『台本』って呼んでたのに、台本が書き換えられた事件があった途端に『台本様』って呼び始めましたね。『此の台本様はどなたが?』って…」
一段、衿花の体温が上がった気がした。
「それって、『オリジナル』の台本を書いたのは部長さん、それを書き換えたのは部長さん以外の誰かって事です。それがわかったときに全部が変わりました…。部長さんの印象が全部…」
沙夜はかすかに自分の頭を衿花の方に傾ける。2人が頭を重ねるその体勢のまま、沙夜はささやくように語った。
「あの台本に指定されていたから、蘭子みたいな下手っぴが主役になれました……主役っていう責任感からか、どんなに厳しくされても、わたしとケンカした後だって、蘭子はいつだって一生懸命練習がんばっててて……そんな蘭子って、すごい生き生きしてて……」
今日の蘭子、劇を本当に楽しんでた。始まる前だって、考えただけでわくわくする、なんて。出会った最初の頃は役をおりたいって言ってたのに…、わたしが代わりにやればいいって言ってたくらいなのに…。
「蘭子は今日で学校を辞めるんですよね。それはみんな知っていたって言ってたから、当然部長さんだって知ってましたよね?……だから劇の主役を蘭子にやらせたのは、部長さんから蘭子への、餞別だったんですね」
衿花は首を振る。
「厳しく言ってたのも、全部蘭子の為だったんですね。蘭子が後悔しないように…、学園生活の最後にいい思い出が残せるように……」
衿花は首を振る。
「自分がわざと悪者になるようなことやったり、他人に興味がない振りなんか装ったりして…。ふふ『去るものは追わず』なんて、本当はそんな気は全然無かった………本当は誰よりもちゃんと蘭子のこと考えてくれてたんですね…」
衿花は激しく首を振る。それでも沙夜は気にしない。
「わたし、台本にメイドが追加されて直ぐ位に、部長さんの台本の呼び方が変わった事に気づきました。…でも正直最初は部長さんが台本を書いたなんて思えなかった。…だって、あの台本を書いたって事は、蘭子を主役に抜擢するってことは、蘭子に対して特別な感情を持ってるってこと…。蘭子に期待していて、蘭子を応援してくれている人ってことだから…。わたし最初は部長さんのこと…、その、ただ厳しいだけの人だって思ってたから…」
ごめんなさい、と小さくつぶやく沙夜。衿花は小さく首を振る。
「でも、それから意識して部長さんの事を見るようになったら、やる事なす事がいちいち蘭子の為、みんなの為になってるって思えてきて……。部長さんがどれだけみんなのことを思いやっているかってわかってきて…」
衿花は首を振る。
「結局、体育祭の前くらいからかな…、その頃にはもうほとんど確信してましたね。部長さんがどんなにひどい人に思えても、裏では絶対みんなの幸せを第一に考えてくれてるってこと。……誕生日パーティーのセッティング、ありがとうございました。みんなにメール送ったのは琢己先輩って事になってましたけど、あれって部長さんですよね?だって不自然ですもん。クラスのみんなはともかく、演劇部のみんなにまで一緒にメールで連絡するだなんて。まして琢己先輩が毎日一緒に帰ってる部長さんにまでメールを送るなんて、どう考えたってメールより口で言ったほうが早いです。あれじゃ誰か別の人がメール送りました、って言ってるようなもんですよ」
沙夜は、あの可愛らしいメールの文面を一生懸命考えている衿花の姿を想像して、また胸が高まるのを感じる。衿花は一際激しく首を振る。
「あ!あの変な部則!もしかしてあれ!わたしが蘭子を好きにならないようにって、やってくれてたんですか?蘭子に恋人がいる事知らずにわたしが蘭子の事好きになっちゃったりしても意味無いからって。…わたしが傷つかないようにって」
衿花は首を振る。
「部長さんはいつだって、『他人に興味の無い振り』をしながら、誰よりも他人のことを気遣っていて、『全然感情をこめず』にしゃべりながら、その裏では私たちへの思いやりでいっぱいだった…」
沙夜は何度か深呼吸をしたあと、はっきりと言った。
「部長さんは…、ものすごい頑張り屋で、ものすごい強い人で、ものすごい優しい人で、そして……最高に可愛い人です。だからわたしは、そんな部長さんが、大好きです」
琢己先輩ありがとうございました。先輩の『もう1つ』のメッセージが無かったら、わたしは多分部長さんに告白できませんでした。わたしが部長さんの優しさに気づいて、どんなに部長さんのことが大好きになっても、やっぱり、部長さんを傷つけるのが怖くて、最後の一歩が踏み出せなかったと思います。
琢己先輩のもう1つのメッセージ…。
―えっ、今の『声』は―
―理不尽だわ。あんなことくらいで―
―私、何もやってません―
―さっきの声の主ですね―
―よ、よして下さい―
―すみません…何も伺ってなくて―
―キャッ―
信じる根拠なんて何もなかった。でも……信じたい、と思った。信じてみよう、と思えた。奇跡を。
それに…。蘭子も、しとねちゃんもそう、みんなのおかげだ。みんなが勇気をくれたから、わたしは部長さんに告白できたんだ。
沙夜は両手で、寄りかかっている衿花の肩を支えて、優しく自分の体から引き離す。衿花はとっくに正常を取り戻しており、今はただ顔を真っ赤にして、倒れそうなくらいの高熱をだして、全身全霊、満身創痍で恥ずかしがっていた。
「…いやだわ……」
沙夜とは目を合わせず、たどたどしくぶっきらぼうに衿花は言った。
「…わたしが、そ、そんな事するわけ無いじゃない…。さ、沙夜さんは……買い被りすぎよ…」
それは沙夜のハートをフルスイングで打ち抜く、完璧すぎる照れ隠しだった。沙夜の抑えていた感情は一気にMAXまで到達し、そのまま許容量を余裕で振り切った。
「えーっと…部長さん、あ、もう今度から衿花先輩って呼んでいいです?本当はわたし、今日は告白の返事を聞くまでいつまでだって待ってる、って思ってたんですけど…、さっきまでそのつもりだったんですけど……」
沙夜は一度離した衿花の肩を、もう一度しっかりとつかむ。
「なんかそれ、もう、待ってられそうにないです。てか、我慢できないです。これからわたし、衿花先輩にキスしますから。もしイヤだったら全力で抵抗してくださいね、お願いしますね」
衿花は一瞬、びくっと震えてひるんだが、沙夜が体を近づけるのに従って、そっと目を閉じた。
2人は体を寄せ合い、ステージの中央で長い長いキスをした。
劇場に、2人の鼓動の音だけが力強く響いていた。




