03. 実はあれで結構いいやつなんだぜ…
その日は演劇部の練習は中止して、急遽沙夜の歓迎会をしてくれることになった。上流階級の人達が催す歓迎会なんて、どれだけパーティパーティしてるのかと構えてしまったが、会場は学園の敷地内にあるどこにでもあるチェーン店のファミレスと聞いて、安心半分がっかり半分の沙夜だった。
他の部員には先に会場に行ってもらって、沙夜は早速さっき書いた入部届けを演劇部顧問に届ける事にした。その途中、無理矢理蘭子に連れてこられたために置いて来てしまった自分のバッグを取りに、一旦教室に戻ることにした。教室内にはまだ何人か生徒が残っていて、その中の1人が沙夜に話しかけてきた。
「さっきは大丈夫でした?驚いたでしょう?鳳さんて…なんて言うか…とてもユニークなのよ。あまり気になさらないことですわ」
沙代は適当に返事を返して、さっさと教室を立ち去った。
演劇部顧問であり、偶然にも沙夜のクラス担任でもあった不破は、沙夜の演劇部入部を聞いて驚きを隠せないようだった。
「演劇部入っちゃったかー…。あ、いや、だめじゃないんだけど、だめじゃないんだけどね。鳳もさ……実はあれで結構いいやつなんだぜ…。まあ、がんばれ」
先生の間でもやっぱり要注意人物なんだ…。
無精ひげをさすりながら苦笑いする不破の表情は、まるで道端に捨てられている仔猫を見つけて、「可哀想だけど、うちアパートだから…」と言って通り過ぎる時のようだった。
みんなしてそんな事言って…、鳳さんって、そんなに変かなぁ…。
何故かそのとき、蘭子に完全になじんでしまった自分が髪型を縦ロールにして、蘭子と並んでおほほほ言ってる姿が脳裏をよぎり、沙夜は思わず吹き出してしまった。
「詰まり全ては、此の台本から始まっているのですわ」
歓迎会の会場となるファミレスには偶然にも演劇部以外の客がいなかった。一見してどこにでもある普通のファミレスだったが、そこはさすがお嬢様方、ドリンクバーはセルフサービスではなく店員に持ってこさせている。一通り注文が来て落ち着いたころ、衿花が仰々しく取り出したのは、何の変哲もない、右上をホチキスでとめられた十数枚のA4用紙の束だった。ざっと読んでみただけでは小説のようにも見えたそれは、衿花が言うには演劇の台本らしかった。
「舞台は断崖絶壁の孤島、集められた男女が1人、また1人と、正体のわからない犯人に殺されていく。いわゆる本格ミステリーだね。しかもド直球の王道だよ」
沙夜の前の席で、台詞とは全く関係なくセクシーに微笑みながら、しとねが言う。
「そーそー、内容自体はほーんとによくある普通のミステリーなんだよねー。でも王道すぎて今まで演劇部じゃやってこなかった類でもある。まー、あるんだったら使っちゃおーってことでー」
きいなはそう言いながらメロンソーダをちびちびとすすっている。旗の立っているケチャップライスとミニカーのセットを頼んであげたくてしょうがない欲求を、沙夜はなんとか抑えていた。
部員達の説明では、衿花が見せた台本は今から2週間前、夏休み中は完全に休業していた演劇部が2学期の初日に部室に集まったときに発見したものらしい。演劇部が所有するノートPCのデスクトップ画面にいつの間にか保存されていたというそのテキストファイルには、日付も作成者も、それがわかるような説明文も一切なく、いつ誰が何のために作成したのかもわからなかったが、読んでみると1つの完成した演劇台本だった。
「其の台本の尺、即ち御劇として演じさせて頂いた場合の御上演時間、並びに其の御劇自体の御難易度、其の劇の御舞台が一つの洋館様の中という限られた空間様である点…」
無表情な衿花の説明に、「クローズドサークルってゆーんだよー」ときいなが補足を入れる。
「どちらを取らせて頂いても、文化祭様まで御時間の無いわたくし共が演じさせて頂くには、丁度良い台本で御座いました」
誰が作ったかわからない台本なんて、気持ち悪がって削除しても良さそうなものだったが、演劇部の部員たちの反応はそうではなかった。面白い、話題づくりに丁度いい、興味を持ってもらうきっかけになる…。そんな風に好意的に受け入れられ、結局、是非今度の文化祭で演じよう、という事になったのだった。
「だって面白そーじゃない?誰が作ったのかわからない謎の台本、しかも内容はミステリー。どんな劇なんだろーって気になって、みんな観に来てくれそーだよー?」
確かに…。
文化祭に来てそんな謳い文句の演劇があったら、自分だって観るだけ観てみようと考えてしまうだろうと沙夜は思った。それだけでも、演劇部としてこの台本を採用する理由としては充分だったのだろう。
「其れに、御恥ずかしい事にわたくしはミステリー様という御ジャンルを読みませんので分かりかねるのですが、キイや美浦様に読んで頂いた限りでは、其の内容も其れ程悪くない、という御話で御座いました」
おしとやかに口を緩ませる衿花だが、目つきは相変わらずきつい。沙夜にはそれが彼女の笑顔なのか、口の筋肉の運動なのか良く分からない。
「てゆっても、使えないほどじゃない、って感じかなー。いつもはあたしがホン書いてるんだー。結構評判いーんだよー、あたしが書いたのー!」
えっへんと胸をはるきいな。えらいねー、すごいねー、と沙夜は脳内できいなの頭をなでてあげる。
「其れで…、真に心苦しいのですが…」それまで無表情で淡々と語っていた衿花が、少しうつむいて表情に陰を作る。「実を申しますと、黒星様に御入部頂ける前の四名様で、既に此の台本についての御配役は決まっておりまして…」
沙夜は良く分からずに、ん?と頭に疑問符を浮かべる。
「つまりー、今回の劇の演者はもう足りてんだよねー。せっかく入ってもらって悪いんだけどー、今回の文化祭は転校生君は裏方ってことー」
きいなが要約してくれた内容は、沙夜にとっては救い以外の何物でもなかった。内心はめちゃくちゃ安心しながら、何とかそれを感づかれないように悔しそうに答えた。
「そうですよねぇ。文化祭までもう1ヶ月くらい?でしたっけぇ?しかないのに、完全な演技未経験のわたしがいきなり舞台上がれるわけないっすよねぇ。えぇ!大丈夫です!今回はわたし裏方がんばります!」
「もし宜しければ、わたくしが演じさせて頂く予定の御役を、黒星様に御譲りしても良いかと思うのですが…」
縁起でもない事をいう衿花。ついさっき悔しい振りをしたばかりなので無碍に断る事もできず、沙夜は「い、いやぁ、それは…」とどもってしまった。
「あーだめだめー。そしたらエリが裏方になっちゃうじゃん。エリは3年生で、今回が最後の舞台なんだからー。裏方なんかじゃなくてちゃんと舞台上がんなきゃだめだよー」
きいなのフォローに、沙夜は心の中でガッツポーズをとった。いいぞ、その調子!
「それにー、せっかくやるなら配役もそのままやんなきゃ意味無いって言ったのはエリの方じゃん…」
「…そうでしたわね。黒星様、申し訳御座いません。矢張り今回は裏方様を御願いさせて下さいませ」
沙夜に頭を下げる衿花。なんだか納得いっていないような顔のきいなは、さっきからずっと台本を見ていた蘭子を一瞬にらんで、直ぐに目をそらした。その場になんだか不穏な空気が流れる。
「平良部長!確認させて頂いてもよろしくて!?」
どんっ、とテーブルを叩いて立ち上がった蘭子の、良く通る声がファミレス中に響く。彼女は声の音量調節という事が出来ないらしい。沙夜は店内に客が自分たちしかいないことを神に感謝せずにはいられなかった。
「例えば、例えばですわよ?せっかく黒星さんがこの倶楽部に入部してくれたわけですし、この機会に改めて配役を考え直す、というようなことは…」
「在りません」衿花は静かに断言した。「在り得ません。先程のわたくしの妄言は御忘れ下さい。此の台本に予め配役が指定されていたという事、其れこそが、此の台本の最も不可思議な所、最も御客様の御注目を集めさせて頂ける所なのです。其処を変えてしまっては、結局わたくし共が好き勝手に台本を作らせて頂いたのと同じ事。全ての御意味が無くなって仕舞いますわ。ですからどうか、御気になさらずに御自分の御役を御演じ下さいませ」
「平良部長!このワタクシが平良部長たちにまさか遠慮なんてしているとでもおっしゃって平良部長?そもそもワタクシの出演する作品でワタクシが主演を演じるというのは自然の摂理、至極当然のことですのよ平良部長!」
部長部長うるさい。
沙夜は、衿花と蘭子が何のことを話しているのかわからず、きいなに目で助けを求めた。
「このホンのメイン、つまりミステリーの犯人役が自分になっちゃったのを気にしてんだよねー。それはもういーってエリが言ってるじゃん」
興味なさそうにきいなはそう言って、沙夜に説明してくれた。
PCから発見された台本には、沙夜が入部する前の演劇部部員の数と同じ『4人』の人物が登場する。台本の冒頭には、その4人の登場人物の一覧が記載されていたのだが、そこには何故か演劇部部員たちの名前も併記されていた。部員たちはそれを、役を演じるべき役者を台本が指定しているのだと考え、『突如現れた謎の台本』という触れ込みで上演する以上、その役の指定にも従うことにした。だが、そうするには1つだけ問題となる部分があった。その劇のメイン、最も重要な役、ある意味主演女優とも言える『犯人役』として指定されていたのは、部長でも、3年生でもない、蘭子の名前だった。
「まー結局ー?このホンが指定してきたとーりに演じないとあんま意味無いって事ー」
「おーほっほっほ!ですけど、ミステリーで犯人といえば最も目立つ役回り、最も『オイシイ』ポジション。ただでさえ演劇部で一際輝くワタクシがこんなにオイシく料理されてしまっては、もうお客様の記憶にはワタクシしか残らないのではないかしら!ワタクシがMVPに選ばれてしまってから後悔しても遅いですわよ!おーほっほっほ!」
「いやー、そりゃー無理だと思うけどー。んー……」
きいなは言いにくいことをどうやってオブラートに包もうか考えているようで、両頬に手を当てて難しい顔をしながら、メロンソーダのストローに口をつけた。そんなきいなの気持ちを汲んだのか、衿花が小さくため息をついて言った。
「…其れでは失礼ながらも申し上げさせて頂きます。此の台本では、確かに犯人様は最も目立つ御役となっております。劇の最後、犯人様の独白シーンなどは、此の劇の最大のクライマックスと申し上げて良いでしょう。只…」衿花は、蘭子を睨む。「只、逆に申し上げるならば、本当に其れだけの御役。実の所、其れ以外には殆ど御演技らしい御演技を必要とされない、他の方との御絡みも少ない、とても簡単な御役なので御座います。にもかかわらず、もし鳳様が他の御役を御やりになりたいと仰るのでしたら、現在の犯人様役よりもずっと高度な御演技技術が必要とされる、という事を御理解頂けておりますでしょうか?」
「…ほほ…」
蘭子は口元に手を当てた高笑いの姿勢のまま、完全に黙ってしまう。
「例えさせて頂けるならば、鳳様は、男性様の御役を演じて頂く事が出来ますでしょうか?御涙を流して御泣き頂く事が出来ますでしょうか?わざとらしくなく自然に、恐怖の御悲鳴と言う物をあげて頂く事が、出来ますでしょうか?」
「ぎゅう…」
蘭子からは完全に笑顔が消えて、だんだんとうつむいていく。代わりというわけではないだろうが、しとねときいなは苦笑いを浮かべている。衿花は止まらない。
「わたくし、恐れ多くも今までに鳳様がそういった御演技をして頂いた所を拝見した事は無いと記憶させて頂いております。けれども其れらは、鳳様以外の皆様が演じられる御役では必須となる技術様で御座います。そして幸運な事に、其れらの技術様を持った方が、其れらの技術様を必要とする御役を演じて頂けるのが、現在の御配役で御座います。其れでもまだ、鳳様はもう一度御配役をやり直されたいと仰るのでしょうか?」
蘭子は悪い事をして怒られている子供のようだ。立ちつくしたまま、両手を下ろしてグーの形に握る。自分の不甲斐なさにいらだつかのように体は小さく震えている。そんな蘭子を見ていられずに、沙夜は話題の軌道修正を試みた。
「って、ってかMVPってぇ、Most、Valualble、何とかですか?そんなのあるんですかぁ?」
「そう、そんなのがあるんだよ」
沙夜の前の席にいたはずのしとねが、3人ずつ向かい合う形のボックス席の向かい側、沙夜が座る席に無理矢理腰掛けようとする。沙夜が必死につめるが、衿花ときいなと沙夜が座っている3人掛けの席にもう1人分の充分なスペースは作れず、結局沙夜としとねは密着する形になった。じっと自分を見つめているしとねに、沙夜は引きつった笑顔でこたえる
「へ、へー、スポーツ大会みたいだよねぇ!どうやって決めるのかなぁ?!」
「…僕がMVPになったら、どうする?」
だめだ、イケメンすぎて話が通じない…。沙夜はしとねを無視することにした。
「部長ぉー、どうやってぇ…てか誰が決めるんですかMVPってぇ?」
言いたい事を言いきった衿花はもう蘭子には興味をなくしたようで、沙夜に質問されたとき、2重にした紙ナプキンでフライドポテトを1本掴み、上品に口に入れたところだった。ゆっくりとそれを咀嚼し、静かに飲み込んでから答えた。
「…文化祭様に来て頂いた御客様方による御投票で決定致します。文化祭様が終了した後に、最後のイベント様として開催頂く後夜祭様で発表して頂ける事になっております。最も文化的で、最も皆様の御心に残らせて頂いた方を、毎年、御一方だけ決めて頂ける訳でございます。そうやって皆様で御競争頂く事で、文化祭様全体の技術様の御向上を狙っていらっしゃるのですわね」
相変わらず機械の様な淡白な口調だったが、表情はほんの少しだけ寂しそうに見えた。
「全部の部活とー、全部のクラスの中からー、個人名で1人だけ選ばれるんだー。すごーい昔の先輩がもらったやつなら部室にトロフィーあるよー」
「最近は…、演劇部の部員様も御減りになりまして、御客様方に御楽しみ頂けるような規模の御舞台を演じさせて頂く事が、出来ませんものね…」
衿花は少しうつむく。
「尊敬するわたくしの御先輩様方の代も、御恥ずかしながらわたくしの代でも、わたくしが存じ上げる限りでは、近年の演劇部はどなた様も、MVPには選んで頂けておりませんので御座います…」
それがまるで全て自分の責任であるかのように申し訳なさそうな衿花。放っておくとそのまま土下座でもしそうな雰囲気だ。
「…学外のファンの子達が組織票入れてくれたから、去年は僕がもう少しでMVPとれそうなとこまでいったんだけどね。…今年は無理かな。4月にちょっとしたスキャンダルがばれちゃって、ファンの子が結構減っちゃたんだよね…」
スキャンダルぅ?ファンん?けっ、芸能人かよ……。沙夜は耳元でささやくしとねに呆れる。
ど、どん!
急に蘭子がファミレスの椅子の上に立ち、テーブルの上に右足を乗せた。途中テーブルの淵ですねを強打したのは特に気にしていないようだ。
「そんな平良部長に朗報ですわ。ついについに!驚愕すべき後輩の代、すなわちワタクシが演劇部にMVPを…」
「っじゃあ今年が最後のチャンスですね!今年こそ絶対先輩達でMVP取っちゃいましょうよ!裏方位しかできませんけど…わたしも陰ながら応援しちゃいます!」
また余計な事を言って蘭子が怒られるのが容易に予想できたので、蘭子の発言を押しのけるように、それよりも大きな声で沙夜は衿花に応援の言葉を送った。衿花はそんなことを急に言われて少し驚いたようだったが、すぐに「宜しく御願い致しますわ」と小さく愛想笑いをした。
そういった沙夜の働きの甲斐も有ったのか、それからは場の空気が崩れることもなくなんとか無事に歓迎会は幕をとじ、最後に明日以降の軽い打ち合わせをして解散となった。
「…ええ、ワタクシがMVPに選ばれるのはもちろんワタクシの実力、魅力の賜物には違いありませんわ。けれどワタクシだって礼儀はわきまえていますのよ。演劇部の皆様のご指導のおかげ、という体裁にしていただくことに関しては、なんらやぶさかではなくってよ!おーほっほっほっほー!」
まだ続いてたのか…。
衿花に怒られた事などすっかり忘れ、完全に調子を取り戻している蘭子のポジティブさに、ただただ驚愕する沙夜だった。