03. 本当に…ばかだわ
ホテルのエントランスから出発する沙夜の乗ったリムジンを、道路を挟んだ反対側の喫茶店から覗いている少女がいた。昔の歌謡曲が流れている薄暗い店内には、その少女と1人の女性店員しかいない。長い黒髪を三つ編みにしたその少女は、地味なデザインの黒いドレスを隠すようにコートをはおり、牛乳瓶の底のような野暮ったいメガネをかけていた。
リムジンが視界から消えたのを確認し、少女が席を立ち去ろうとしたとき、少女が座っていた2人がけの丸テーブルの席に、タキシードを着た青年が腰掛けた。少女は驚きのあまり声もでない。
「こんにちは、蘭子ちゃん」
しとねは、まるで待ち合わせでもしていたかのように自然に、なんでもない風に、「アイスコーヒー下さい」と店員に言った。近くにお嬢様学園があるから慣れているのだろうか、店員は2人の着飾った服装を特に気にする風でもなく、無言でうなづいてからカウンターへと去っていった。
「ど、どうして…」
「自慢じゃないけど僕はね、学園の女の子なら知らない子はいないんだ。パーティー会場に見慣れないかわいい子が入ってきたら、直ぐに気づくさ」
蘭子は、状況が飲み込めずにうろたえながら、レンズの厚いメガネがずり落ちたのを直した。
「……まあ本当のところ、蘭子ちゃんがパーティーに来てるって気づいたのは……これのせいなんだけどね」
テーブルの上に大きな紙袋が置かれる。その袋からは、ふわふわとした黒い塊がはみ出していた。
「さっき沙夜ちゃんに僕からのプレゼントを渡そうと思ったら、プレゼントの中に見覚えが無いものが紛れ込んでいてね。…すぐにピンときたよ」
ちらっと袋からはみ出すそれを見た蘭子は更にうろたえる。
「な、なんの事かしら?あなたのプレゼントの中に入っていたのなら、あなたのプレゼントなのでしょう?ご自分で買ったのを忘れたのではなくって?!」
しとねは優しく、だが、どこか悲しそうに笑っていた。
「そんな変装までしてパーティーに忍び込んだくせに、自分のプレゼントを人のプレゼントに中に忍び込ませて、直ぐに立ち去った。メッセージカードも何も付いてなかったし…、沙夜ちゃんには知られたくなかったんだね…」
蘭子は、しとねを無視してまくし立てる。
「で、でもそうですわね。誰のものでも無いようでしたら、誰かに差し上げてしまったらどうかしら。そうね、お知り合いにお誕生日が近い方でもいらっしゃったら、いっそプレゼントして下さいな!」
「やーだよー」
2人の会話を邪魔しないように小声で「お待たせしました」と言って店員がもってきたコーヒーを受け取りながら、しとねは微笑む。
「プレゼントは自分で直接渡さなきゃ」
紙袋を蘭子に差し出しながら笑うしとね。しばらくの間、蘭子は苦々しく顔をしかめてしとねをにらんでいたが、最後には観念してその紙袋を受け取った。
「……余計なお世話ですわ!」
思い出したかのように冷たい態度になり、ちらりと喫茶店の外をうかがう。もう他のお嬢様達も各自自分の車で帰ったらしい。ホテルの前には誰もいなくなっていた。
「だ、だいたい、美浦さんはワタクシの事を、…お、お嫌いなのでしょう?」
蘭子はしとねと目をあわす事ができず、横を向きながら言いづらそうに言った。本人は毅然とした突き放すような態度のつもりだったが、その試みが成功しているとは思えなかった。
「嫌いだよ」しとねは特に意味もなくファミリーレストランの天井を見上げる。「本当に、大嫌いだったよ」
蘭子は特にショックを受けた風もない。
「……でも、目が覚めたんだ。だって蘭子ちゃんは何にも悪くない。…ただ、僕の力が足りなかっただけなのにそれを認めたくなくて、蘭子ちゃんの悪いところばっかり探して、蘭子ちゃんのことを嫌いだって思いこもうとしてたんだ」覚悟を決めたようにまっすぐに蘭子をみるしとね。「やっと、それに気づけたんだ。蘭子ちゃんはとてもいい子だ。調子がいいのかもしれないけれど、今じゃあ蘭子ちゃんと友達になりたいな、って思ってる」
「…信じられないわ」
「ごめん。そうだよね。今までさんざん無視して、避けて、冷たく当たってきたくせに、急にこんな事言い出しても、そりゃ信じられないよね…。今更『蘭子ちゃん』なんて…、白々しいだけだよね…」
「ワタクシは今でもあなたに憎まれるだけのことをしていると思います…。それを許してもらう筋合いは無いわ」
まして友達なんて、と蘭子はつぶやくように言う。
「…まあしょうがないのかな。僕達は今の関係を長く続けすぎたから…。僕がもっと大人になっていれば、きっと笑い飛ばせるような小さな事だったのに…」しとねは少しばつの悪そうな顔になる。「だからさ…、蘭子ちゃんには僕と同じ過ちをしてほしくないんだ。…本当は嫌いじゃあない人を、無理矢理嫌いだと思い込むのはつらいことだよね?」
「…」
蘭子は、いらだたしいような、悲しいような、複雑な表情になる。
「蘭子ちゃんは、本当は分かっているはずだよ?……そうでなきゃ、どうして今日パーティーに忍び込んだりしたの?…それに借り物競争の時も」
はっ、とした表情になる蘭子。
「『恋人』、『友人』、『嫌いな人』…。カードは全種類が1枚ずつしかなかったんだよ…。そして、蘭子ちゃんと沙夜ちゃんはお互いを、僕は沙夜ちゃんを選ぶ振りをして、その後ろにいた蘭子ちゃんを借り物に選んだ……。ってことは、あのときの蘭子ちゃんが沙夜ちゃんの事をどう思っていたのか……」
「あ、あなたは何か思い違いをしています!だって、『なる』ときはお互いの合意の上でしたから、『やめる』ときもお互いの意見が揃わないとでしょう?!あのときはまだ絶交は成立していなかったから…!もう、これ以上話しても時間の無駄ですわ!失礼しますわ!」
蘭子は勢いよく立ち上がると、ファミレスの出口へと逃げるように走り去る。だが、その手にはしっかりとしとねの持ってきた紙袋を持っていた。しとねは去っていく蘭子の背中に呼びかける。
「蘭子ちゃんにはもう時間がないんだろう!このままだったらきっとすごく後悔することになる。僕の事は信じなくてもいいから、自分の気持ちをもっと信じてみてよ!」
やがて蘭子が見えなくなると、しとねはコーヒーの残りを一気に飲み干した。
「まったく、かわいいな蘭子ちゃんは………敵わない訳だ…」
ファミリーレストランをでた蘭子は、独り言を言いながら、早足で歩道を歩いていた。
「……自分の気持ちを信じる……ばかばかしい!……本当に…ばかだわ……」




