05. これって片思いって言うんですよね
競技場では、借り物競争に出場する3人の生徒がスタート位置についていた。Aチーム代表はしとね、Bチーム代表は沙夜、Cチーム代表は蘭子。結局当初の予定通り、沙夜と蘭子は一緒に借り物競争に出場することになり、奇しくもこのグループの走者は全員が演劇部の部員で構成されることになった。
「美浦ちゃん……どうしてそこにいるの?」
体育祭は、学年に関係なくA、B、Cのクラスが1つのチームとなって総合ポイントを競い合うシステムだ。沙夜は、自分と同じ2―BのしとねがAクラス代表として参加しているのを見て呆れている。
「どうしても、って頼まれちゃってね。2―Aの助っ人になったんだよ。これで僕は障害物走以外全種目出場さ!当然、出場するからには1位を狙ってる。沙夜ちゃんとはいえ手加減はしないよ!」
たかが借り物競争に、なんでこんなやる気満々なの…。沙夜の隣でぶすっとした態度のCクラス代表の蘭子ほどではないが、沙夜も正直全然やる気はなかった。
だって、蘭子とこんな状態なのに…、こんなの楽しめるわけ無いじゃん…。
「沙夜ちゃんはこの借り物競争……あのカードに何が書かれているか知ってる?」
「えっ!美浦ちゃん知ってるの?!ずるい!反則だぁ!」
スタート地点から、50mくらい離れた位置にある折りたたみ式の細長いテーブル。その上にある3枚の白いカードを指さしてしとねは言う。借り物競争という競技は、あのカードを引いて書いてあるものを観客から借りるなり、どこかから調達するなりしてきて、なるべく早くゴールすればいい。沙夜の知っている普通の借り物競争ならば、そのカードに書いてある内容は裏返してみるまで走者には知らされないはずだった。
「ふふ、この学園の借り物競争は、何が書いてあるのか知ってたからって有利にはならないんだよ。この競技の主題はそんなところには無いんだから。…というか、書いてある内容はみんな周知の事実なのさ」
沙夜はそんな事全然知らなかったので「えっ、そうなの?何て書いてあるの?」と驚く。蘭子はとっくに知っているのか、それとも2人の会話が聞こえていないのか、全く興味を示した様子がなかった。「やっぱりね…」とつぶやき、しとねは続ける。
「さては沙夜ちゃんはこの種目…この学園の借り物競争のルールを全然把握してないね。ふふ、いいよ、説明してあげる。あのカードに書かれている借り物は3パターンしかないんだ。それはね………『恋人』、『友人』、そして『大嫌いな人』」
「は、はあ!?」
沙夜はあせって声を荒げる。
「な、なにそれ?!だって『友人』…はいいとして、こ、『恋人』なんて出たら、ゴールに恋人連れていかないといけないの?!こんな公衆の面前で好きな人発表しないといけないってことぉ?絶対無理!そそんなの許されるわけ無いじゃない!それに『大嫌い』とか、そんなの借り物に選んだ人と後で気まずすぎるでしょうがぁ!」
「あははは、それでもいいんだけどね。沙夜ちゃんに『恋人』のカードがでたら、みんなの前で公表してくれていいよ、僕達は恋人です、ってね…。以前はカードに書いてあった内容をみんなに公表してたらしいんだけど、以前にそれでクレームがきたらしくて、ルールが変更されたんだ。選んだカードに何が出たかは公表しなくてもいい、借り物、として連れて行く本人にもね。その代わりゴール地点にいる判定員にカードを見せて判定してもらわないといけないんだ」そう言って、しとねはカードがおいてあるテーブルの先、更に50mくらい先に立っている、判定員役の生徒を指さす。「判定員がOKを出すまでその子はずっとゴールができない、それってある意味1番恥ずかしいかもしれないね。だから沙夜ちゃんも選んだカードに何が書いてあっても、正直に借り物を選ばないといけないよ」
「って、っていうか『恋人』って!いない人はどうするわけ?!わ、わたし今恋人なんていないんだけど!そのカード引いたら一生ゴールできないじゃん!」
恥ずかしそうに顔を赤くして沙夜は言う。しとねはふふん、と得意げに笑う。
「作るのさ。いない人は、その場で誰かに告白して、恋人を作ればいいんだよ」
ええぇ…。沙夜はとんでもない種目に参加してしまったという事を、今更ながらに後悔した。
あ、でもでも、『恋人』のカード引いても誰か適当な知り合いと口裏合わせて、わたしたち恋人でーす、って言えばいい話じゃん!ちょっと恥ずかしいけど、どうせみんなに公表するわけじゃないし…。
「ちなみに、『恋人』のカード引いてただの友達とか知り合い連れてっても駄目だからね。みんなが知ってるようなカップルでも無い限り、判定員がジャッジするための証拠が必要になるんだ。最低でも連れて行った人とキスくらいはさせられると思ったほうがいいよ」
自分の考えを先回りで封じられる沙夜。
…っていうか蘭子と絶交状態の今、この学園にそんな口裏合わせられるような知り合いなんていねえや!じゃあ、どっちにしろだめじゃん!てへ!
自分で自分に追い討ちを掛けて、勝手に沙夜は落ち込んだ。
「僕にもしも『友人』がでたら困るな…。『恋人』なら山ほどいるけど、僕には『友人』なんて、そんな関係性の知り合いは1人もいないんだよね…」
いつもなら聞き流すしとねの独り言も、今の沙夜には自慢にさえ聞こえた。
「う、うぞぉ…」
借り物競争がスタートし、しぶしぶテーブルまでやってきた沙夜が選んだのは、一番右のカード。そのカードの裏側にはPOP体の太字で『恋人』と印刷されていた。
沙夜は立ち尽くす。
…っだから恋人いないっていってるのにぃぃ…。作る?……むりむりむり!告白とかできないし!っていうか、それって結局みんなに好きな人公表しなきゃいけなくなってるし!あーもう、この競技考えたやつ誰だよ!絶対頭おかしい!
そこで沙夜は、衿花が言っていた事を思い出した。
…わたくしが存じ上げないとでも御思いですか?黒星様と鳳様がどれだけ御親密な間柄でいらっしゃるか…
…黒星様は、完全に『御恋をされている乙女様』の御顔で鳳様を見ておいでした…
も、もしかしてわたしと蘭子って、周囲からは女の子同士の恋人に見える…?だ、だったら蘭子をつれていけば、証拠とか、証明とかしなくても、そのまま何もしないでゴールできるかも…。
「らららら蘭子さん?い、い、い、一緒にきてもらえますかしら?」
沙夜の隣でカードを引いてから、沙夜と同じように立ち尽くしている蘭子に声を掛けた。
「ああ…、あなたから来てくれてちょうど良かったわ。その顔を見ているだけで吐き気がしますので、できれば話しかけたくなかったのですけれど、このカードに指定されているのですもの。あそこのゴールまで連れて行かなくては仕様がありませんものね」
そう言って蘭子は自分の引いたカードを見る。
「ち、ちなみになんて書いてあったのかなー…なんて」
沙夜が蘭子のカードを覗き込もうとするが、その内容を確認する前に蘭子は直ぐにカードを自分のジャージのポケットにしまいこんだ。
「…言わなければ分かりませんかしら?ワタクシ達が今どういう関係なのかということ。だとしたらずいぶんお粗末な記憶力をしてらっしゃるのね」
冷たく沙夜をにらみつけると、蘭子は勝手に審判員が待っているゴール地点へと歩いていってしまう。沙夜は、悲しい気持ちが湧き出してくるのを必死に抑えながら、その後を追った。
「沙夜ちゃん。僕も一緒に行っていいかな?」
その2人の後を、しとねまでが一緒についてくる。
「え、えぇっと…?美浦ちゃんも、カードに書いてあった内容が、わたしに当てはまる、ってこと?ど、ど、どれが書いてあったの?」
「僕は、みんなに公表したっていいんだよ。でも沙夜ちゃんが困るんじゃないかな…」
いやらしく笑うしとね。
「あ、いいです…。お願いだから黙ってて下さい」
はいはい、どうせあんたも『恋人』でしょ。わたしゴールであんたとキスなんかしないよーだ。
沙夜はしとねの流し目を無視した。結局借り物競争の走者は3人とも、お互いを借り物として選んでゴールに向かう事になった。カードを引いた3人が並んでゴールに向かう姿に客席はどよめく。
ゴールまで来たところで、なんとなくカードを見せるのをためらっていた沙夜を追い越し、しとねが1番に審判員にカードを提示する。
「先に行ってもいいかな?僕が引いたカードはこれだよ」
距離が離れているのでそのカードがなんだったのか見えるはずもないのだが、観客席から急にお嬢様たちの悲鳴が上がった。沙夜が驚いて周囲を見渡すと、観客席にはまるでアイドルのコンサートのように、うちわを振る人や、しとねを応援する大きな垂れ幕を掲げている人がたくさんいる。毎日部活で沙夜にセクハラを仕掛けてくるしとねを見ているせいか沙夜はときどき忘れてしまうのだが、あんなでも一応彼女は学園一のアイドルなのだった。
「証明が必要かな?」
判定員はしとねと沙夜を見比べると、にっこり笑っていった。
「いえ、証明は結構です。…みんな知ってますしね。どうぞお進み下さい」
「ありがとう」
はぁぁぁ!?何でうちらが『恋人』なのが『みんな知ってること』になってんのぉ!ばっかじゃないの!さ、さてはあいつ自分のファンとかにわたしのこと、ある事無い事言いふらして……。
…あ、そーか、なーんだ。そういうことかぁ!
判定員なんて言って、OK出るまでゴールできないなんて言って、実はチェックなんてしてないんですね。あ、そうなんですね。そうでしょう、そうでしょう。だってなんてったって、お嬢様学園ですものねぇ。
頭の中で1人忙しく寸劇を演じていた沙夜だったが、急に気が大きくなって、身を乗り出して判定員にカードを渡し、蘭子と自分を交互に指さした。
「わたしたちぃ、実はこういう関係なんすよぉ。えへへー」
「はい、じゃあ証明をお願いします。キスとかでいいですよ」
へ…?
判定員は事務的に言う。沙夜はあてが大きく外れて、頭の回転が完全にストップして動けなくなった。
「馬鹿らしい…」
硬直している沙夜を無視して、沙夜の後ろに立っていた蘭子が判定員に自分のカードを乱暴に渡す。判定員の生徒はそのカードを見て、それからちらりと沙夜をみて、急に噴出した。
「ぷぷ、ご、ごめんなさい。あ、鳳さんはどうぞ行ってください。最近のお2人の事も私知ってますから。く、黒星さんは…か、かわいそう……これって片思いって言うんですよね」
ちょっと考えればわかる事なのだが、この学園の借り物競争では、カードを持った2人がお互いを借り物として選んだ場合に『恋人』が成立するのは、両方が恋人のカードを持っているときのみだ。
あ、そっかー…。蘭子が『嫌いな人』のカードでわたしを借り物に選んだ時点で…、わたしの『恋人』が嘘だってばれますよねぇ…。
てか判定員の人の中でわたしが蘭子の事好きで、振られた感じになっちゃってるしぃ…。これ公表しなくていいからまだマシだけど、みんなにばれたら恥ずかしすぎて死にたくなるよぉ……。
沙夜の顔は真っ赤だったが、恥ずかしさが振りきってしまったのか、気持ちは完全な凪状態で落ち着いたものだった。穏やかな笑顔で立ち尽くす沙夜の耳に、競技場中に響き渡る実況解説の声が聞こえてきた。
「あーっと、黒星さん。判定員からのNGで借り物の選びなおしです!…さて、ここでこの競技について少し冷静に考えてみるとおもしろい事がわかります。実はこの競技、『友人』も、『大嫌いな人』も、判定がNGとなることはほとんどありません。なぜなら『友人』は借り物を選ぶことそれ自体に全くリスクがないので単純に友達をつれていけば済む話ですし、『嫌いな人』にいたっては完全に気持ちの問題。本人がそう言ったら判定員にそれを否定する事なんて出来ないからです。つまり、NGをもらった黒星さんの引いたカードは『恋人』である可能性が極めて高い!そしてその黒星さんがカードを引くなり迷うことなく鳳さんを選んだという事実!……私、これ以上の言及は、淑女の礼節として控えさせて頂きます!」
しとねの時など比較にならないほどの悲鳴が競技場全体を包む。観客席の全てのお嬢様が頬を赤らめて沙夜を見ている。友達同士で何かを話し合いながら、沙夜を指さしている。
「…死にたい…」
恥ずかしさも、その先も通り越して、ただただ真っ白になって放心する沙夜。強い風が吹いたら飛んでいってしまいそうだった。
本来であればこの借り物競争は、1つのグループの走者全員がゴールするまで次のグループがスタートしない、という厳しいルールだったのだが、鳴り止まない悲鳴をしずめないと今後の進行に影響がでると判断され、沙夜がゴールすることなく競技はいつのまにか打ち切られていた。




