02. はは…変なの
「あら…鳳様が御友人を御連れになられるとは、意外で御座いますわ…」
「エリそれは失礼だって、くくっ…」
扉を開くと、そこは8畳程度の小さな部屋。部屋の反対側にはベランダに続く大きなガラス戸、左側には別の部屋に繋がっているらしい扉が見える。中央に部屋の面積の半分を占めるような大きなテーブルが置かれ、その周囲をパイプ椅子が囲んでいる。沙夜と蘭子が入ったとき、室内にはすでに2人の人間がいた。
真っ先に沙夜の目に入ったのは、ロングの黒髪が美しい可憐な少女だった。踏み汚されていない純白の雪のような肌に、つややかな長いまつ毛、上品な口元。まるでこの世のものとは思えないような美しさに、沙夜は童話の中のお姫様が現実に出てきてしまったのかと思った。ただ、彼女の瞳はこの世の全てを見下すように冷め切っていて、入ってきた沙夜たちをチラッと横目で見たかと思うと、もう興味は無い、という風にすぐに目線をそらすのだった。彼女のそんな一瞬の仕草だけで、沙夜は真剣の一太刀でも浴びせられたような、全身がバラバラになるような間隔に襲われ、思わず、ひっ、と声をあげてしまった。
もう1人はその『お姫様』の隣に座っている小柄な女の子だ。左右にお団子状にまとめた髪に、いたずらっこのようにくくっと笑うしぐさが可愛らしく、余計に幼い印象を受ける。見るからに無邪気で人懐っこそうな印象で、となりの冷徹な『お姫様』と並んでいると余計にそれが際立っていた。学年ごとに違う制服のリボンの色のおかげで『お姫様』と同じ3年生だとわかったが、それがなければ沙夜は彼女のことを1年だと誤解しただろうし、制服を着ていなければ、どこかの小学生が迷い込んできたのだと確信しただろう。小動物やヌイグルミが大好きな沙夜は、どストライクな容姿の彼女を抱きしめていい子いい子して、頬と頬を擦り合わせてぐりぐりして、………とにかくなんだか退廃的で倒錯的な欲求を抑えるのに必死だった。
「とうっぜんですわ!ワタクシにかかれば新入部員の1人や2人、連れてくることなど造作もないことですのよ!おーほっほっほ!」
沙夜の隣で、蘭子があの『とんでも笑い』を高らかに発する。思わずひるんでしまうのは沙夜だけで、室内の2人はもう慣れたもののようだ。蘭子の事をまるで意に介した様子も無い。
「し、新入部員?ちょっと待って鳳さん?!わたし演劇部に入るなんてまだ言ってな…」
危うく聞き流すところだった要注意ワードになんとか食いついたところで、沙夜は急に寒気を感じて言葉をとめる。その寒気の原因はすぐにわかった。
無表情にパイプ椅子に腰掛けている『お姫様』から、まるで百戦錬磨のヒットマンがスコープから沙夜を覗いているような、ものすごい殺気のようなものを感じたのだ。しかし、あらためて目を擦って見直してみても、やっぱりそこにいるのはため息が出るほど美しい『お姫様』だけだった。そんな沙夜の視線を別の意味に捉えたようで、『お姫様』は優雅に立ち上がって一礼した。
「新入部員様に恐れ多くも自己紹介をさせて頂きます。わたくしは此の演劇部で部長をさせて頂いております…」
「あ、あの部長さん、だからわたしまだ…」
話が早すぎる部長さんに押し切られる前に断っておかなければ…。沙夜が口を挟もうとすると、またさっきの殺気が襲う。というかもう金縛りになっている。
「わたくしは部長の平良衿花と申します。わたくし共、丁度新入部員様の募集をさせて頂いておりましたので、御入部頂ける御方は絶賛大歓迎で御座います。本当に、有難う御座います。此れから宜しく御願い致しますね」
衿花は、機械のように心のこもっていない、丁寧すぎて逆に怪しい敬語で自己紹介を終え、もう一度軽くお辞儀をする。ただ、頭を下げながらも、釣りあがった目はずっと沙夜から離れることはなく、目が合った沙夜はぶるっと身震いした。まるで、「ここまできといて今更入部しないとか言うんじゃねえぞ」というどす黒いオーラが衿花の背後からにじみ出ていているようだった。その逆らいがたい圧力に沙夜が圧倒されている間に、気付いたら目の前のテーブルの上には入部届けが置いてあり、右手にはペンを握らされていた。完全にヤクザの手口だった。
衿花が自己紹介を終え席に座ると、入れ替わりでとなりの女子小学生がぴょこんと立ち上がる。
「琢己きいなでーす。副部長ー。よろしくねー」
「あ、はい。どうも…」
かわええ…。飛びついて、顔中をぺろぺろとなめ回したい感情をなんとか抑える沙夜。
「わたくしとキイは三年生をさせて頂いております」
あっ、そうか飛び級?天才小学生なんだ!
勝手に失礼な妄想をして納得する。
「違うよー?いっとくけど17歳。年上だよ転校生くーん。あとー、黒い組織に小さくされたとかでもないからー」
想像していたことを先回りされたようで沙夜はたじろいだ。しかもまだ言っていないのに沙夜が転校生だということはわかっているらしい。そんな沙夜を見て、きいなは無邪気にきゃっきゃと笑う。
「特技は心を読む事でーす」
どこまで冗談だかわからなかったが、沙夜は頭の中で般若心経を唱えて煩悩を何とかかき消そうとした。
「僕の番だね」
急に沙夜の右耳にふうっという生暖かい息がかかる。きゃっ、と悲鳴をあげた沙夜がその息の方を見ると、いつの間に部室に入ってきたのか、沙夜の背後で長身のイケメンが微笑んでいた。イケメンは沙夜のあごにそっと手を添える。身長は沙夜より10cm以上高そうだったが、やさしくあごを持ち上げられたおかげで、沙夜とイケメンの目線が合う。
「美浦だよ…自己紹介はもう済んでるよね?…沙夜ちゃんが演劇部に入ってくれてうれしいな…」
くっつきそうなほど間近でささやく声が異様なまでにセクシーだ。美浦…、たしか同じクラスの…。ショートカットの無造作ヘアから爽やかな柑橘系のにおいが香る。目をつむったら完全にキスされそうな流れに、沙夜は思わず彼の手を払いのけて顔を背けた。
「かわいいね…」
小さくウインクして、イケメンは空いているパイプ椅子のひとつに腰掛けた。脚を組んだおかげで、スカートから彼の健康的なふとももがあらわになる。どきどきがとまらない…もしかして、これが…恋……ん?スカート?
「三浦しとね、君のクラスメイトだねー。当たり前だけど女の子だよー」
そうだ、女だった…。無意識に彼女の生脚を凝視していた沙夜は、急いで目をそらす。ただ、不覚にも一度上がってしまった沙夜の心拍数はなかなか下がらないのだった。
「そして…」
おもむろに、蘭子が部室のテーブルの上に土足で上る。
「ワタクシが、演劇部のうら若きスーパールーキー!遅れてきたアカデミー賞!ステージの上の小宇宙!鳳蘭子でございますわ!ようこそ黒星さん!歓迎いたしますわ!おーほっほっほっほ!」
この人は日本語が下手だなあ…。
蘭子は他の部員に無視されているのを気にせず笑い続ける。沙夜はそんな蘭子を呆れつつも、おざなりな拍手を送る。そして、早くも彼女に慣れてきた自分に自分で驚いていた。
「あ、あの、今日ここの2年に転校してきました、黒星沙夜です。演技とかやったことないんですけど、もう、せっかくだから演劇部がんばってみようと思います!よろしくお願いします!」
沙夜は覚悟を決めて自己紹介を返した。後戻りできない雰囲気に押し流されてしまったわけではないが、結局演劇部に入部することにきめてしまったのだ。
「部員様は、只今貴女様を加えさせて頂いて、此処にいる五名様で全てで御座います」
衿花は小さくうなづくと、相変わらず無表情にそういった。
随分奇抜な部活に入っちゃったな…。部員達を見渡してちょっとだけ後悔した沙夜だったが、同時にこの部室にくるまで感じていた不安、学園に感じていた「自分の場違い感」がなくなっていることに気付いて、それがうれしかった。
はは…変なの。こんな変わり者しかいないような部活に、こんな強引に入部させられて、それがうれしいなんて…。
今ならまだ逃げる事だって出来そうだったが、沙夜には何故かそんな気は全くおきなかったのだった。
「だが、このときの彼女の決断が、あの凄惨な事件の引き金になろーとは、まだ誰も気づいていなかった…」
きいながにんまりと笑いながらつぶやいた。
まじか、この人…。沙夜はまた脳内で般若心経の詠唱を再開した。