07. エリエリ レマ サバクタニ
…鳳の部屋…
--ベッドで眠っている鳳。
--ベッドの側の椅子には、鳳の看病に疲れて眠っている平良がいる。
--平良は苦しそうな表情で寝言を言っている。
平良「…すいません、すいません、すいません…」
鳳 「う、うう…」
平良「まさかあんな事になるなんて…」
--意識を取り戻す鳳。けだるそうに頭を抑えながら起き上がろうとする。
--気づいた平良がいそいで鳳の体をささえる。
鳳 「…わ、私は…?」
平良「天に召します父よ!慈悲を感謝致します!」
--胸の前で大げさに十字を切る平良。
鳳 「…私、どうしてこんなところに?」
平良「食事中、急に倒れたのよ…」
鳳 「…そう、確かワインを飲んでいたら気分が…
ああ頭痛がするわ……
まさか…あの中に毒が……」
平良「いいえ悪魔よ…きっとあの娘に悪魔が取り付いて…」
…談話室…
--メイドが他の2人に囲まれて壁際に追いやられている。
--琢己は食堂にあった燭台を武器代わりに、メイドを牽制している。
琢己「いい加減に白状したらどうだ!お前がやったんだろう!」
--美浦、手に持った飲みかけのグラスを揺らしてにおいをかぎ、
--すぐに顔を背ける。
美浦「青酸カリか…。
ただのメイドが、こんな猛毒を一体どうやって
手に入れたんだい?まったく…、
医者の僕がいなかったらどうなっていた事か…」
メイド「お冗談を!私がお客様に毒を盛るなんて!」
--必死になって弁明するメイド。
--美浦はメイドに背を向けて、部屋の中央のテーブルまで
--ゆっくりと歩いていく。顔は笑っている。
美浦「いや、ただのメイドではないのか…。
ただのメイドには懐の拳銃は不釣合いだ…」
--いいながら、テーブルにグラスを置く。
--琢己は一瞬たじろぎ、怯えるように燭台をメイドの首筋に突きつける。
琢己「き、貴様っ!本当か?!」
--メイド、さっきまでの必死さがなくなる。
--開き直ったように、うっすらと笑みを浮かべながら答える。
メイド「さあ?いったい何の事ですか?」
--美浦がメイドに歩み寄る。
--右手でメイドの首を乱暴につかみ、メイドを壁に押し付ける。
しとねが沙夜に歩み寄る。
沙夜のあごに右手を優しく添えて、沙夜の唇に、自分の唇を押し付けようとする。
「ちょ、ちょっと…美浦ちゃん…」
沙夜は慌てて顔をそむける。しとねは何事もなかったかのように演技に戻る。
美浦「今度は誰を殺そうとしているんだい?」
--美浦は左手でメイドの懐から拳銃を抜き取り、そのままメイドのこめかみに押し付ける。
美浦「そろそろ正体をあらわしたらどうだ?
君は、ただのメイドなんかじゃない。
君が僕達をこの屋敷に集めたんだろう?」
メイド「まさか。ふっ、私何も知りませんわ」
--メイドは小馬鹿にするように鼻をならす。激昂した琢己がつかみかかる。
琢己「嘘をつけ!誰がそんなこと信じるものか!
どうせ、あの『声』だってお前が…!」
--メイド、美浦の拳銃と琢己を、流れるような動作で払いのける。
--エプロンを両手で軽く叩きながら舞台中央までゆっくりと歩く。
メイド「私はただのメイドです。信じる信じないはどうぞご勝手に」
琢己「き、貴様!馬鹿にしやがって!
俺は絶対にお前に殺されたりしない!」
メイド「ふふ、それではその前に私を殺しますか?」
--メイド、2人に見えないように、背中に隠してあったナイフを取り出す。
--琢己がまた燭台を構える。
美浦「いや、そんな野蛮な事はできない。
…どこかの部屋に監禁させてもらう。君が犯人なら、
これでもう事件は何も起きない。君が犯人じゃないなら、
君の身の安全は守られるわけだ。鍵は…僕が持とう。
琢己さん、それでいいですね!」
--琢己、しぶしぶながら頷く。
メイド「分かりました。それで疑いが晴れるのなら」
--メイド、そっとナイフを服の中に隠し、独り言を言う。
メイド「…好きにすればいいわ。そんなの何の意味も無いもの」
--平良が息をきらして、部屋に入ってくる。
平良「ああ!鳳さんが!一度は意識を取り戻したのに…」
美浦「まさか…!くそっ!」
琢己「おい、あいつがどうしたって言うんだ!」
平良「……」
……………
「エリ……ど、どーしたの…?」
学園内にある演劇部専用練習スタジオ。15m程度の壁一面が鏡になっている大部屋を、今はたった5人の演劇部員が贅沢に占有している。学年ごとに異なる色のラインが入ったジャージに身を包んだ部員たちは、台本を片手に、身振り手振りをまじえた演技練習をしていた。現時点では各自がそれぞれの役の『らしさ』をつかみ、役になりきることを練習の主な目的としているので、台詞は台本を見ながら喋ってもよいことになっていた。
そんな中、もう台詞を完璧に覚えてしまったのか、1人だけ台本を持たずに演技を行っていた衿花が、急に無表情になって直立不動の姿勢のまま動かなくなってしまった。心配したきいなが駆け寄る。
「宜しく御座いませんね…」
「えっ?」
意味が分からずにただ衿花を見つめている他の4人。衿花は無言で何かを考えているかのように虚空を見つめている。静寂が支配するスタジオ内に、部室棟のどこかで練習しているらしい、吹奏楽部の奏でる勇ましい行進曲がうっすらと聞こえてくる。
「せ、台詞の事?え、えっと次は、エリの役がヘブライ語で嘆きの言葉をゆーんだよねー!いきなりヘブライ語とかやっぱちょい唐突かなー?!じゃーもー日本語にしちゃうー?!『神様ー!どーして私たちをお見捨てにー』…」
「…皆様は、御自身がどの様な御役を演じていらっしゃるか、此の台本様の此のシーン様がどの様な事を表現なさっているか、本当に御理解頂けておりますのでしょうか?」
焦ってまくしたてるきいなを無視して、衿花は質問した。そして小さくため息をつき、戸惑っている一同を無表情に見渡す。誰も何も言わないので、痺れを切らした沙夜がびくびくしながらも答えた。
「えーっと…一応そのつもりですけ…」
「いえ、御理解頂けておりません」
沙夜を遮って即答する衿花。その勢いにただ事でなさを感じ、一気に萎縮する一同。きいなだけは、最初から衿花の様子の異常っぷりを理解していて、ずっと青ざめていた。
「恐れ多くも申し上げさせて頂きますが、わたくし共の御役は、得体の知れない御方に命を狙って頂く事に恐怖し、怯え、やがて其れが御互いを疑い、憎み合う事へと繋がる。即ち御敵同士と申し上げても過言では御座いません」衿花はまた一同を見渡す。「今のシーン様には、其の様な御敵意、御殺意、一触即発の雰囲気様というものが、全く!感じさせて頂けないので御座います!」
はっきりと言い切る衿花。スタジオ内の空気がしーんという緊張感に包まれる中、きいながだめもとで言ってみる。
「…そーかなー!みんながんばってるしー、あたしはそんな風に感じなかったけどな…」
「全く、感じさせて、頂けないので、御座いますが?」
今度はきいなの方を見て、はっきりと言葉を区切りながら言う。その顔は、自分が手本を見せてあげる、とでも言うように敵意と殺意に満ちた表情だった。完全に聞く耳を持たない衿花に、きいなはもう黙るしかなかった。
ぱん。
衿花が急に両手を打った。
「嗚呼。わたくしたった今、其の原因が分かりましたわー」
その様子はあまりにもわざとらしく、いつにもまして棒読みだった。別の人間がやれば滑稽過ぎて笑ってしまいそうな仕草だったが、彼女がやるとあまりに狂気的で恐怖すら感じる。能面のような笑顔をつくり、衿花は続けた。「皆様方の中に、御互い様が御馴れ合い過ぎて仕舞われている御方がいらっしゃるのでは御座いませんでしょうか?」
一同は衿花の台詞がよく理解できず、きょとんとしている。
「つまり、皆様方の中に、御親交を深め過ぎてしまい、其れを御演技の中にまで御持ち込み頂いている方がいらっしゃるのです。其の様な御状態の御方がどれだけ必死に敵同士を演じさせて頂いた所で、そんな物は所詮御友人同士の御戯れ。本当の御敵意、御殺意等とは程遠い物で御座います。其れでは、何時までたっても御役になりきらせて頂く事など、到底出来かねるという物で御座います」
衿花の言う意味がなんとなく理解できてきて、真剣な表情になる沙夜。
「そうですよね、それってわたしなんか特に、ですよね。ただでさえ演技力ないってのに…、みんな知り合いだからって言って、どっかなあなあになっちゃってるとこ、あったかもです。もう本番まで時間がないってのに、そんなじゃだめですよね…わたし!もっと真剣に練習…」
「そこで皆様に、わたくしから御提案が御座います」
衿花は威圧するように沙夜を遮る。宣誓でもするように手をあげて、勿体つけて数秒の間を置く。
提案…、きっとこれからもっと練習が厳しくなるんだ…。でも、がんばんなきゃ…、みんなの足引っ張らないように…。沙夜はごくっと唾を飲む。衿花が重々しく口を開いた。
「部員様同士の『不純同性交遊の禁止』を御提案させて頂きます」
え…?
何言ってんだこの人…。
「これにつきましては、文化祭様が終わるまでの演劇部のルール、部則として、演劇部部長の権限において皆様には御遵守願います。全ては御劇の完成度様を上げさせて頂くため。皆様、何卒御理解下さい」
「えー…っと、でも部長さん?…そんなことわざわざルールにしなくても…わたしたち、別に誰も不純な交遊なんてぇ…」
沙夜は、衿花が冗談を言っているのかと思ってちょっと笑いながら質問した。しかし、衿花はまったく笑っていない。
「…黒星様。わたくしが存じ上げないとでも御思いですか?黒星様と鳳様がどれだけ御親密な間柄でいらっしゃるか。黒星様と鳳様が、御普段どれだけ破廉恥な事をされているか、という事を」
衿花は無表情のまま、沙夜ににじり寄る。沙夜はたじたじになって後ずさる。
「え、えぇ…な、なに言ってるんですか…わたしと蘭子が…って!ハレンチとかそんなのあるわけ…」
衿花はポケットから一枚の写真を取り出して沙夜の目の前に突きつけた。その写真に写っていたのは昨日の『デート』の光景。沙夜と蘭子が愛おしそうにお互いに微笑み、クレープを食べさせあっているところだった。
「な……!」
沙夜は恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして、声にならない叫び声をあげた。
「…御二方が、どの様な性的御嗜好を持たれていらっしゃっても、本来わたくしには無関係で御座います。例え黒星様が、その…、御同性の御方を御好きで在ったとしても、です。ただ、それがわたくし共演劇部の御劇に御影響が在る様ならば、其れは見過ごさせて頂く事は出来かねます」衿花はギロッと蘭子の方を一瞬見て、すぐに目線を沙夜に戻した。「先ほどの御練習中の黒星様は『犯人様として疑われている御屋敷のメイド様』などでは御座いませんでした。先程の黒星様は完全に『恋をされている乙女様』の御顔で御座いました。そう、此の御写真の様に!御演技の最中に、鳳様の事など御考え遊ばしておいででしたか?あの様な御演技では、御劇として成立しているとは言いかねますし、とてもでは御座いませんが、文化祭様に来て頂いた御客様方に満足頂ける様な物など出来得ません!」
きいなは小声で、「なんでエリがあの写真もってんのっ」と隣にいるしとねを小突く。「いや、さっき1枚欲しいって言われたからさ…」と、しとねは呆れていた。
「ちっ、ち、ちがいますって!わ、わたしたちそんな関係じゃないしっ!て、て、てか、な何すかこの写真!部長さんあそこにいたんですか!?」
恥ずかしさで顔を真っ赤にして震えながら沙夜は叫んだ。「ちょっ!ら、蘭子も部長さんに説明してよぉ!」と、腕を組んで考え事をしている風の友人に助けを求める。蘭子は何度も頷きながらつぶやいた。
「…平良部長の言うことももっともですわね。1つの役を演じると言うことは、身も心もその役に成りきるという事。でしたら、自分のプライベートな関係性を見ている方に感じさせてしまうなんてもってのほかですわ。普段どれだけ親しい中であったとしても、演技にそれを持ち込まないように細心の注意を払わなければいけませんわ。もしも、それができないのだったら、プライベートの方を役に合わせるしかない。倶楽部活動が無くとも片時も自分の役の事を忘れずに、役になりきって生活していれば、演技がプライベートに引きずられる心配はありませんものね」喋っているうちに自信がついた様で、つぶやきははっきりとした演説に変わる。「ワタクシ、普段の生活から犯人役を心がけるように致します!犯人役のワタクシが、沙夜を殺したいと思っているワタクシが、この写真のように沙夜と楽しく遊ぶ事なんて出来るわけがありませんわ!ワタクシ、もう文化祭までは沙夜と『不純』な『交遊』を致しませんわ!」
そこで、ぽっ、と顔を赤らめ、恥ずかしそうに沙夜を見る。
「それに、沙夜ときたら…練習中までワタクシのことを考えていたのね…。ワタクシはともかく、沙夜は少し無理矢理にでもワタクシ離れをしないといけないようですわね!」何言ってんのぉ!と沙夜は蘭子を睨む。「あら沙夜?心配しなくてもよくってよ。確固たる絆で結ばれた沙夜とワタクシの関係は、文化祭までの短い期間禁止されたぐらいではまったく揺るぎませんもの。そうでしょう?おーほっほっほ!」
なんか付き合ってるって認めちゃってない?!え、わたしたちって本当にそういう関係だったの…?沙夜はもうわけが分からなくなってきた。
「鳳様、わたくしの御提案を御理解頂けて感謝致します。黒星様も宜しくお願い致しますわね」
衿花は作り笑顔で沙夜に微笑む。やけくそになった沙夜は叫んだ。
「もうぅ!いいですっ!別にわたしたち『不純』な関係なんかじゃないし!ただの友達だし!そんな部則でも何でも作って下さいよ!」
「そうですわ!ワタクシたち、障害があればあるほど燃えるんですの!おーほっほっほ!」
お願いだから、お前はもう黙ってろぉ…。
その後の練習は散々だった。蘭子は沙夜と目が合いそうになると不自然に目をそらすし、まじめに部活をやるつもりの沙夜まで、衿花に言われてからなんだか蘭子のことを意識してしまって挙動不審になってしまった。しかもそんなときには衿花がじろっと睨んで「また、破廉恥な事を御考えに?」とか、「部則の事、何卒御忘れなく…」などとつぶやくので、その度に沙夜と蘭子はビクッと震えて、とても練習どころではなかったのだ。きいなはそんな3人の様子を、あちゃー…、と頭を抱えて見ていることしかできなかった。




