06. 全力で応援するよ!
「あー、あの2人『あーん』てしてるー!」
「ファーストバイト…、結婚式で新郎新婦がお互いの愛情の深さをアピールする行為だね…。これはもう疑いようがないんじゃないかな」
「はは…は」
双眼鏡をのぞくきいなのとなりで、「スクープだよ、これは」と言いながら、しとねはいつの間にかショルダーバックから取り出した本格的な一眼レフカメラのシャッターを切っている。衿花はショック過ぎて感情がおかしくなってしまったのか、乾いた笑いを浮かべていた。
「さっきなんか、2人で抱き合ってたしー!うー、もー絶対できてるでしょー!一線越えちゃってるでしょー!」
「うん、2人のあの恥じらいの表情。ただの友達じゃ説明付かないよね」
「だよねだよねー!ん、てゆーか…、さっきから撮ってるその写真は何に使うの?」
カメラのファインダーを覗き込んでいるしとねに、不審な目で尋ねるきいな。しとねは爽やかな笑顔を向けて答えた。
「心配しなくても、学園でばらまいたりとか、そんな下衆な真似はしない。ただ後で1人でじっくり楽しむだけだよ。だって、恋する女の子の美しい表情をずっと見ていたい、というのは生物として当然の本能だろう?」
そう言ってまたファインダーをのぞく。きいなは、「どーだかねー…」と呆れながら、とりあえずしとねは放っておくことして、今度はとなりにいる衿花に小さな声で話しかけた。
「…だいじょーぶ?」
「え…何が…だ、だいじょーぶ、です…わよ…」
衿花は、生気のない抜け殻のような顔をして答える。誰がどう見たって大丈夫では無い。
好きな人が、別の女と抱き合ったり、クレープ食べさせあっていちゃつく姿を見せられたんだもん、無理ないかー…。きいなは、しとねにばれないようにこっそりと、うつむく衿花に手を伸ばしてよしよしと頭をなでる。
「もー帰ろーか…?」
きいなに慰められてやっと感情が戻ってきたのか、魂の抜けていた衿花の表情がみるみるうちに深い悲しみを表し始めた。眉間に皺、どころではなく、顔全体をくしゃくしゃにして今にも泣き出しそうだ。やばい…。
「ちょっとエリがお腹痛いみたーい!あたしら先帰るねー!」
しとねにそう言って、きいなは衿花をつれてそそくさと下りのエスカレーターに駆け込んだ。
「了解ー」
しとねはカメラ越しに沙夜と蘭子を覗いたまま、振り向かずに返事をした。
結局、エスカレーターで1つ下の4階まで降りないうちに衿花の涙は決壊した。4階の本屋フロアーまで降りてから、きいなは衿花をその階の女子トイレに押し込み、自分はトイレの入り口で誰も来ないように見張っていた。もうすぐ予定の映画が始まるので心配はないと思ったが、万が一しとねや蘭子たちが来て鉢合わせでもしたら、いろいろと面倒な事になりそうだったからだ。
「ごめんなさい…」
しばらくして冷静さを取り戻した衿花が、少しだけ目をはらしてはいたが、いつも通りの美しく冷めた無表情で現れた。
「もー大丈夫だねー」
2回目ともなれば慣れたもので、きいなは笑って衿花を出迎える。1回目はもちろん、沙夜が蘭子を追って部室を飛び出した日だ。
「ごめんなさいね」
衿花はもう一度謝り、すたすたと歩き出す。「だから帰ればいーって言ったのにー」ときいなもそれを追いかける。きいなは一瞬、また5階に戻るのかもと思ったが、衿花は無言で下りエスカレーターに乗った。
エスカレーターで前後に並んでいる2人。1つ上の段に立って、きいなはやっと衿花と同じくらいだ。
「もー…諦めちゃうの?」きいなは衿花の後頭部に向けて話しかける。衿花は何も答えない。「……わかってるでしょ?どんだけ仲良くても、普通はただの親友どまりだよ。エリがその気になれば、チャンスはまだいくらでも…」
衿花は振り向かずに、小さく首を振った。
「…あの方には、わたくしよりも鳳様の様な御方の方が、御似合いなので御座いますわ…」
はあーっと、きいなはため息をつく。
「…そーゆーとこ、エリは昔っから変わんないよね。自分で勝手に納得して、勝手に諦めちゃって…そんなの、やってみなきゃわかんないよ」急に声が小さくなる。「…手伝ってるあたしが、ばかみたいじゃん…」
2人は3階に着く。折り返して、2階へ下りるエスカレーターに乗る。少しの無言のあと、衿花がつぶやいた。
「キイ…ごめん…」
やれやれといった様子で、きいなは微笑む。震えたような声で、衿花はまた謝る。
「ごめん…」
「いーよ。あたし別に怒ってるわけじゃない。…もー謝んなくていーから。いつものエリは、そんなんじゃないでしょ?いつも平然と構えてて、どんなことでも動じない子。最近はちょっとそれ忘れちゃってたね。でもこれで、やっといつものエリにもとどーり…」
「ごめん……やっぱり諦められない…」
きいなは一瞬、自分が聞き間違えをしたのかと思った。すぐに衿花の言葉に反応できずに、戸惑っている間に、2人は2階に着く。折り返す時、振り向いてきいなの方を見た衿花は、いたずらっ子のように笑っていた。
「…あっはは!もー!」きいなは崩れ落ちそうなくらいオーバーに笑ってしまった。「やっとエリの本心が聞けたー!」
「ごめんなさいね…………気持ち良いものではないでしょうね……その、同性愛者の友人なんて…」
また背中を向けて、深刻な様子で話す衿花。エスカレーターは2人を乗せてゆっくりと下っていく。きいなは、なーにを今更…、と呆れた表情で、そんな衿花を無視した。
「そーゆーことならまずはあいつらなんとかしなきゃだよねー!今はまだ友達かも知んないけど、正直ありゃ時間の問題だよー。あんなにべったりくっついてたら、いつかは間違い起きちゃうよー!…こうなったら、うまいことケンカでもするよーにあたしが…」
「やめて」衿花は振り返る。「キイが悪者になる必要はありません。これはわたくしの問題。わたくしががんばらなくてはいけないこと」
「…はーい」
きいなは元気良く答えた。
2人は地上階に到着し、ビルの出口へと向かう。さっきまでと違い、颯爽と自信に満ち溢れた様子で歩く衿花。きいなはその後ろ姿を追いかける。
あの転校生が来てから、エリはどんどん変わっていくね…。
きいなは優しく微笑む。
自分を否定されて、どこまでも落ち込むエリ。転校生君好きすぎて、めちゃくちゃになっちゃうエリ。…諦めきれずに目を輝かせて張り切るエリ…。今まで自分が見た事も無い姿を次々と見せる衿花に、きいなは子供の成長を喜ぶ親のような心境になった。
エリがなんて言ったってあたしは全力で応援するよ!
改めて決意を固めるきいな。…でも。同時に、一縷の不安がきいなの脳裏をよぎる。でも、こーゆー張り切った時のエリって、ときどきとんでもない事をするんだよなー…。
そして次の日、その不安が気のせいではなかった事を、きいなは知る事になるのだった。




