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 榊神太はその日、期待に胸が高鳴っていた。

 永遠に終わらないのではないかと思えるほど、延々と続いた質疑応答そして申請。もちろん、特権階級にある神太の安全を確保するために、仕方のないことだとわかってはいた。行政機関も、交渉する側も、彼のためにどうするのが一番いいことなのかを考えてくれていることは間違いないのだ。

 そして今日やっと、当局から《トラベル》の許可を得ることができたと連絡がきた。

 神太は自宅でガイドの帰りを待っていた。床から天井近くまで、大きく開口された窓の側にカウチを持ち出し、暗い空の代わりに星を蒔いたような街の夜景を見下ろす。

 彼の部屋は、地上から見上げると、空を貫いてしまいそうに見える高層ビルの一室にある。この区域は、彼らの居住区の他には、官庁施設が集まっている場所だった。神太は、日本の中心に居を得ているのだ。

 神太達A級オリジナルは、政府から衣食住において手厚い保護を受けている。その優遇は、彼らが生殖機能を保持し、そして、ヒト資源と呼ばれるクローンの元となる細胞を提供するがゆえだ。日々の暮らしに不安はないが、反面、国にとって重要な存在であるからこそ、いつも見張られているような窮屈さを感じ、強いストレスが生じてしまうのが問題だった。

 実際彼らの守られた暮らしは、あまりに単調で退屈だった。何ものにも脅かされることのない高みにいると、人間は逆に気力を無くしてしまうものらしい。このシステムが成立したばかりの頃は、そのせいで多くのオリジナル達が自死を選ぶ結果になったという。

 その反省を踏まえ、現在オリジナルは多胎児として生まれ、他方はB級C級市民として待機することとなっている。

 そして、独立する年齢になった時、希望があれば、自己のクローンの中から、《ガイド》と呼ばれる世話係りを定められるのも、彼らのストレスを和らげるための措置であった。

 ガイドは人間としての権利は持たないが、重要な役目を果たさなければならないということで、クローンの中では一番高い社会的地位を得ている。

 そしてもう一つ、オリジナルの退屈を紛らわせるために許されていることがあった。

 それは《トラベル》――旅だった。

 オリジナルの単調な生活に刺激を与えるため、本人の希望に沿ってデザインされた旅に出ることが認められているのだ。もちろん、彼らの安全は最大限に考慮されなければならなかった。故に、すべてが自由というわけにはならないが、その期間、オリジナルは日々積もっていく鬱憤を晴らすことができた。

 楽しい旅を想像し、期待にわくわくしながら待っていると、やがて部屋の中に、ガイドの帰宅を知らせる音楽が流れた。

 窓とは逆側の壁、その真ん中の上から下までに細い亀裂が入ったと思うと、ゆっくり左右に開く。隙間から、神太と寸分と違わぬ顔と体を持った若い男が入ってきた。彼が神太のガイドだった。

 ここで一人で暮らすようになってからずっと、鏡の中のもう一人の自分のように思い、寄り添って生きてきた。実際には、神太の血液から生まれた彼の方が、幾分か若いはずなのだが。

「ただいま帰りました」

 ガイドはまだうら若い顔立ちにそぐわない、丁寧な言葉と動作で恭しく頭を下げた。

「おかえり。どうだった?」

 神太はカウチから立ち上がり、ガイドに走り寄る。

「すべて、神太様のご希望通りに決まりました」

 ガイドは感情の読めない顔で答えた。

「やったぁ!」

 神太は喜びのあまりその場で飛び上がり、文字通り小躍りした。

「しかしまだこれから、神太様には準備のために勉強していただかなくてはなりません」

 しばらく神太の不器用なダンスを無言で眺めていたガイドが、淡々とした口調で告げる。

「もちろん!」

 神太は快く了承した。義務付けられている立派な社会人になるための勉強はうんざりするが、目的のためなら、どれだけ机に張り付いても構わなかった。

 ガイドが不審な顔をする。勉強嫌いの主人にしては珍しい態度だったからだろうか。あまり真面目とは言えない神太と、遺伝子的にはまったく変わらない存在であるはずのガイドは、しかしそうとは思えないほど生真面目な男だった。

 もっとも、そうでなければガイドなど勤まらない。クローンとして高い地位にあるとはいえ、不良品の烙印を押されてしまえば、その行く末は他と大差はない。

 厳しい宿命と己の幸運を知っているからこそ、ほとんどのガイド達は粉骨砕身、与えられた任務を全うしようとする。ただそれでも、脱落者が出ないわけではなかった。

「一つ聞いてもいいですか?」

 ガイドが口を開く。

「何?」

「何故、今回のような旅を希望したのです?」

 神太は、問いかけるガイドの無表情な顔の奥に、ちらりと嫌悪の感情がのぞいたような気がした。

「何故って……」

 神太は口ごもる。だが、すぐに思い直し、理由を話した。ガイドは、オリジナルの一番の理解者でいなければならない。例えどんなに不条理なことであったとしても。何故なら、それが彼らの存在意義だから。

「本物の感情を味わってみたいんだ。本当の恐怖、本当の悲しみ、怒り……。僕の生活は毎日平和だけど、それがまったく欠けているから」

「それでなぜ、《グラビアボーイズ》の一員にならないといけないのですか?」

《グラビアボーイズ》とは、淡々と日常生活を送っている身ぎれいな男達が、突然襲ってくる暴力によって、無惨に命を奪われる様を楽しむテレビ番組だ。ほとんど環境番組であるかのような退屈な画面が、突然血にまみれる落差が面白がられて、何百とあるプログラムの中で、かなり上位の人気を得ているのだ。

 登場するのは、不良品と見なされ廃棄が決定したクローン。その中で、スポンサーの提供する服を身に着け、それが宣伝になると判断された、整った容姿を持つ青少年達だった。

「俺思ったんだ。あいつらって、殺される時に本当にいい顔をするなあって」

 神太は恍惚とした。

「いい顔?」

「うん。彼らは不良品のはずなのに、追い詰められた時に感情を露わにして、本当に素晴らしい表情を浮かべるんだ、恐怖、怒り、悲しみ、それらすべてが混ざり合った……。それは、俺が全然知らない感情だ」

「それを知りたいと?」

 神太は頷く。

「それに、今回俺が参加を希望したグループは、仲間内で連帯している。人間関係が成立している彼らの中で得られる感情は、どんなに素晴らしいものか、考えただけでうっとりする。彼らに絶望が降り懸かった時、その中にいれば、きっと俺も生きていることを実感できると思うんだ」

 神太は自分の気持ちを語ることに熱中するあまり、ガイドの目色に気付くことはなかった。そこには確かに、軽蔑と、そしてわずかに憐れみが浮かんでいた。

「よくわかりました。私もガイドとして、オリジナルの方々がいつもどれほど退屈しているか理解しているつもりです。ですから、神太様に心からご満足いただける、ご希望と寸分違わぬ《トラベル》になるよう、全力を尽くします」

 ガイドは取り繕うように言った。

「よろしく」

 神太は幸福感に包まれていた。きっとこれで、自分が本当にこの世界に存在していることを信じることができると、そう思って。

「はい」

 ガイドは深々と頭を下げた。


 神太に朗報を伝えた二時間後、ガイドは、イルミネーションで飾られたタワービルの足下にいた。整備された碁盤の目のような歩道を、一人歩いていた。夜の街区には、ほとんど人影がなかった。地下の高速オートウォークを使えば、神太が居を構えている、選ばれし者の宮殿とも言えるハイグレードマンションまで、ものの十分もかからなかった。だが、一人で歩きたい気分だったのだ。これまで情など差し挟まず、淡々と仕事をこなしてきたガイドにとって、こんなことは滅多にあることではなかった。

 さっきまで、処遇が決まっていない不良品達を一時収容している施設にいた。そこで会った男の顔を思い出す。何もかもを諦めた、暗く醒めた顔をしていた。長い間、兵士として海外に派遣され、夥しい数の人間を殺してきた男だという。

 交渉ができるだけうまくいくようにと考え、ガイドはシリアルナンバーではなく、男を呼び名で呼んだ。

――リュウさん。

 ずっと表情を感じられなかった男の顔が、その時わずかに動いたような気がした。

――こちらの希望は理解していただけましたでしょうか?

 汚れたスチールのテーブルを挟んで向かい合う、男に尋ねた。青い手術着のような制服の上から、床のフックにつながった鎖を巻かれ、椅子に固定されている。その姿は、売られていく無力な奴隷のように惨めだったが、その実、この男が本気になれば、こんな拘束などいとも簡単に脱することが可能なのだと聞いた。けれど、その目を見ればすぐに理解した。今の彼に、そんな気力など、かけらも残っていないということを。だからこそ、この男はこうして、今この場所にいることになったのだ。

 ガイドは、男の返事を静かに待った。この男が首を縦に振ってくれないことには、神太のトラベルは一から計画の練り直しになる。だが、彼を目の前にして、その杞憂は消えた。彼は必ず、ガイドの望みを受け入れるだろう。だから、急ぐつもりはなかった。

――その計画に乗れば、俺は確実に死ぬことができるということか?

 長い長い沈黙の後に、ようやく男が口を開いた。おそらく、長い間声を発していなかったのであろう、とても掠れた声だった。その洞のような瞳が自分に向いているのを確認して、ガイドは頷いた。

――必ず。その望みは、何があろうと私が叶えて差し上げます。

 そう伝えると、ほのかに微笑んだように見えた。

――わかった。

 ようやくベッドに入ることが許されたような、深い安堵を感じさせる承諾に、ガイドも胸を撫で下ろした。

――それでは明日にでも、あなたは境界に向かっていただきます。神太様が参加するのは、おそらく半年ほど先。万全を期するため、いろいろと下準備に時間がかかりますのでね。それまでにあなたは、できるだけ彼らと親しい関係を作っていてください。

 東京では、地下の交通網が発達して、地上を行き交う車も人も、ほとんど見当たらない。街灯で照らし出されているとはいえ、そんな寂しい道を、ガイドはささやかな安らぎを感じながら歩き続けた。こうして、滞りなく己の仕事が進んでいく、その合間にだけ、穏やかな気持ちになることができるのだ。実際、仕事をこなす能力が無くなれば、さっきの男と同じような道を、自分も辿ることになる。それを思い出すと、身震いせずにはいられなかった。

 美しくライトアップされた高層タワービルが並ぶ官庁街。その足下の薄暗い地上で、ガイドは立ち止まり、夜空を見上げた。きらびやかな電飾のせいで、星は一つも見えなかった。

 独自の政策を貫く日本。鎖国と言ってもいいほど他国から孤立することで、世界的紛争から免れている国。領土から一歩外に出れば、多くの人々が血を流す激しい戦闘が、そこら中で行われている。

 入国を許可され、時折訪れるエトランゼ達は、そうして繁栄している日本――イルミネーションに彩られた夜の東京を見て、この場所を地球上にある、唯一のパラダイスだと呼ぶ。

 その感嘆に、ガイドは問い返したくなる。本当に? と。これほどまでに著しい犠牲の上に成り立つこの国が、楽園だと――?

 ガイドは、醒めた微笑みを唇に乗せる。そして、再び歩き出した。彼には、立ち止まる時間などなかった。誰よりも働き、役に立たなければ、その命はいつ消えるか知れないのだ。



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