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挿話 六


   【六十日目】


 その後、特に変わったこともないまま、一ヶ月が過ぎた。

 彼とセカンドとの関係は、表向き何の問題も無いようだった。だが、ここでこうして眺めていると、二人の間の確執が浮かび上がって見える。けれど、共に暮らす者の中で、それに気付く者はいなかった。

 セカンドはブース内で、大抵本を読んで過ごしている。話をしたり、ふざけ合ったりしている仲間達から、それほど離れていない場所で、一人で文面を追っているのがいつもの姿だった。

 元々、他愛ない雑談を止め処なく続けているのは、大概居眠りをしているファーストも抜かし、フォース、セブンス、エイツの三人だけだった。今はこれに彼が加わっているだけで、状況はさほど変わっていない。だから、彼とセカンドの不和に、他の者が気付く理由は無いのだ。

 それでも、代わり映えのしない日常の中で、セカンドという存在は、静かに、そして確実に、彼の精神を侵していった。

 ――その事件は、何の変哲もなく過ぎようとしていた、朝の食事の時間に起こった。

 彼を含めた六人は、食堂の机の一つに集い、用意された食物を口に運んでいた。

 彼を真ん中にして右にファースト、左にフォース、正面にはセブンス、向かって左側にエイツ、右側にセカンドが座っていた。この形が、ほとんどいつもの並び順だった。

 大抵かなりお喋りな彼を中心に、フォース、セブンスが活発に会話を交わし、時々エイツが口を挟む。そして、極まれにファーストが話に加わり、セカンドはほとんど喋らない、といった具合になっていた。

 その日の話題は、彼らの住処の環境のことだった。彼は興奮気味に、もっとより良い生活に改善しなければなければならないと、熱弁を揮っていた。

「いい生活って、具体的に言ってどんなの?」

 セブンスが、その大きな瞳をくりくりとさせて尋ねた。

「もっと人間的で、意義のある生活だよ。ここじゃあ起きて飯食ってぼうっとして、また飯食ってぼうっとして、また飯食って寝るだけだろ。そんなの人間の暮らしとして、真っ当じゃない」

「シャワーも浴びてるぞ」

 フォースが茶々を入れる。

「うるさい。そんな細かいことを言ってるわけじゃないんだよ。ともかく、まともな暮らしじゃないってことを言いたいだけなんだから」

「そうかなあ。飢えないし、体もきれいに保てるし、凍えるわけじゃないし、その上読もうと思ったら本だって読めるし、結構いい生活だと思うんだけど」

 セブンスが無邪気に述べる。

「ずっとここにいなきゃならないんだぞ。朝日も夕日も拝めないし、まるで本当に繭の中の幼虫みたいだ」

「それ、そんなに嫌なことかなあ」

「嫌だとか、俺考えたことない」

 セブンスに続いて、エイツがぼそりと言った。

「で、お前は、具体的にどうなるべきだとか思ってんの?」

 フォースの口調には、どこかからかっているような響きがある。

「だからさ、外の様子を伝えるニュース番組を見られるようにするとかさ。時々は外出を許してもらうとかさ」

「お前は一体、誰と交渉するつもりだ」

 すると、ずっと無言だったファーストが、鋭い口調で割り込んできた。ぎょっとした様子で、彼はさっきから一度も目をやらなかった右方向に顔を向けた。

「誰って?」

「ここの生活を改善するには、今のこの状況を作り出している相手と交渉しないとならないだろう。お前はそれが誰なのか知っているのか?」

 ファーストが苦笑を浮かべる。彼は一瞬、ぽかんと空虚な顔をした。

「交渉……」

「俺達は、この世界に設置された備品だ。住人なんて、そんな上等なものじゃない。備品がどうやって、誰と交渉するんだ?」

「誰って、ここを作った奴とだよ」

「それは神だな」

「神?」

「俺達は、この世界を作った奴の意志がなければ、ここに存在することはできない。この世界は神のものだ。お前はそんな雲の上の存在と、どうやってコンタクトするつもりなんだ?」

 彼は呆気に取られている様子だった。

 ――そう、一体あれらに、どんな選択が可能だというのだろう。あれは、与えられた状態を享受するしかない。そういう存在だ。

 しかし、負けず嫌いの彼は、そこで話を終えようとはしなかった。気を取り直し、議論に食い下がる。

「ここは現実の世界なんだ。その神様だって別に、生きている人間だろう。だったら会えるはずだ。そいつに俺、聞いてみたい。何でこの場所を造ったのか、その目的を」

 その時だった。ずっと無表情を崩さなかったセカンドが、突然乾いた声で笑い出した。

 皆の視線が集まる。

 いつも静かな態度を保っている男とは思えないほど、セカンドはおかしくてたまらないといった様子で、げらげらと笑い転げていた。

「な、何なんだよ!?」

 呆気に取られ、暫しの間その姿を凝視していた彼が、声を荒げる。

 机に突っ伏し、体を震わせ笑い続けていたセカンドは、顔だけを横に向けて、

「別に。あんまりおかしいからさ」

 と、くぐもった声で答えた。その響きの中には、明らかに嘲りが混じっていた。

「こいつっ」

 短気な彼はすぐに頭に血が昇る。ましてや、相手は折り合いの良くないセカンドだ。

 彼はベンチから立ち上がり、隣のファーストを押し退けて、机を挟んだ右斜め前の席まで両手を伸ばす。うつ伏せる男のシャツの襟首を掴み、引っ張り上げる。相手は特に抗う様子も無く、されるがまま、ベンチから腰を浮かした。

「何がおかしい!?」

 シャツで首を絞められながらも、セカンドは嘲笑を止めようとはしなかった。

「おかしいさ。だって、一体君は、誰に会って何を聞くつもりなんだ? 僕達が何なのか、知らないのか?」

「よせっ」

 珍しく多弁になるセカンドを、ファーストが遮った。

「止めなよ、ねえ」

 セカンドの隣に座っていたセブンスが立ち上がり、二人を宥めるかのように手を伸ばす。

 いつものトラブルだったら、こうして誰かに諫められたところで事態は収拾する。狭い場所で顔を突き合わせなくてはならない者同士、小競り合いをそれ以上大きくはしない、暗黙のルールのようなものがあった。

 しかし、今回はそうはならなかった――。

 いきなり彼は机上に片膝で乗り上げた。そのせいで横に押しやられたトレーの上の食器が騒がしい音を立てる。

 そして彼はそこからセカンドの頬に、固めた拳で右フックを叩き込んだ。

 左に飛んだセカンドの体は、隣のセブンスにぶつかって、ベンチから床に落ちた。

「おいっ」

 至極慌てた様子でファーストが立ち上がる。まさか、彼がそんな行動に出るとは予想しなかったのだろう。それは、その時の私もまったく同じだった。

 これは迂闊なミスだったと認めざるを得まい。ここしばらく穏やかそうに見えていたのは表向きのことでしかなく、彼は多分ずっと心の内で、セカンドという存在からプレッシャーを感じていたのだろう。彼のストレスがこのような形で発散されてしまったことは、大変遺憾なことだと言う他はない。

 彼は、土足のまま机を乗り越えた。そして床に倒れているセカンドの上にのしかかり、尚も攻撃を加えようとした。

「やめてよぉっ」

 セブンスが哀願する。

「やめろっ」

 エイツも立ち上がり、彼を押さえようとする。

 しかし、振り下ろされようとしていた彼の腕を止めたのは、ファーストだった。

 素早く机を飛び越え、通路に立ち、彼の手首を掴んだのだ。

 ファーストは背後から彼を羽交い締めにし、セカンドから引き剥がすよう立ち上がらせた。彼は身を捩らせたが、拘束する腕はびくともしなかった。

 すんでのところで二発目を見舞うのを免れたセカンドは、上体を起こし、憤りに顔を染めている彼を見上げた。その頬には、未だ嘲弄の笑みが残っていた。

その顔になおも焚き付けられ、彼はファーストの腕の中で、捕らわれた獣のように激しく暴れている。

「おまえ、飯は食ったんだろ? 先に戻れ」

 ファーストがセカンドに苛立った声で命じた。それでも、セカンドの顔から嘲笑は消えない。

「他の奴らもだ。先に行け」

 セブンスとエイツは、ファーストの見慣れない高圧的な態度に慌てたらしく、焦った様子で何も言わずにその場を離れていった。事態を呆然と見ていたフォースも、すぐに彼らの後を追った。

 しかしセカンドは、殊更ゆっくりと立ち上がり、唇の片側だけを引き上げた挑発的な笑みを浮かべた。そして、柔らかい上等な絨毯の上でも歩くような優雅な足取りで、ゆっくりと離れて行った。

 彼はその間、喚いたり体を揺す振ったりして、拘束を解こうと必死にもがいていたが、セカンドの姿が消えてしまうと、憑き物が落ちたように大人しくなった。

 食堂が再び静かになった。他のテーブルの者達も、騒ぎが収まると、何事もなかったように食事に戻った。

「離せよ」

 興奮していたことを恥じるように、彼が言った。一人で知らない場所に置いてきぼりにされてしまった幼い子供のような、心細げな顔をしていた。

 そのすっかり打ち拉がれた様子に、もう大丈夫と判断したのか、ファーストはようやく彼を解放した。

 彼は、拗ねた上目遣いで睨んでいる。

「俺、あいつ嫌いだ」

「何故? 笑われたからか?」

「そうじゃない。あいつは最初から俺を嫌ってたんだ」

「何でそう思う?」

「感じるんだ」

「お前がそう思っているだけだろう? 何か具体的なことがあった訳じゃない」

「そうだよ。でもわかるんだ、あいつが俺を嫌っているって。最初から俺を嫌悪しているのが、肌がひりひりするくらい感じられるんだ」

 言い訳する子供のように、早口で彼は言う。

「なあ」

 いつもクールな態度を保っているファーストが、珍しく不安げな表情をしていた。

「頼むからそれだけのことで、あいつを非難したりするのはやめてくれ。俺達は、お互いしか頼れるものが無いんだ。信頼関係が崩れたら、こんな場所では、息をするのだって難しくなる」

 彼は、唇を真一文字に結び、押し黙った。何を考えているのか、その表情だけでは判断することはできなかった。



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