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 進入禁止になっていた場所に足を踏み入れたコータが、そこで最初に見たのは、薄暗く細長い通路だった。床も壁も天井も、灰色のコンクリートで固められて、まるで四角いトンネルのようだ。先に行くほど暗くなっていくので、長さの予測ができなかった。空調が効いていないらしく、湿気で空気が重い。

 それは、コータが想像していたのとはまったく違う光景だった。ずっと様々な想像を膨らましていた彼にとって、ここはあまりにも期待外れな、おもしろみのない場所だった。それでも、文句を言うような余裕は無く、切子の後に付いていくしかなかった。

 暗闇はどんどん濃くなっていく。通路は途中で右に折れる。するとまた、より深い闇が続いていた。前にいる切子の背中さえ見失ってしまいそうな暗さに、コータは躊躇する。

 リュウが耳元で囁いた。

「歩け。怖いのか?」

「違う」

 馬鹿にされたくないコータは、恐怖を隠し、暗がりの中へと踏み出して行く。

 十数歩程度歩いたところで、

「そこでストップ」

 前方から聞こえてきた声に、その場で固まる。目を凝らすと、切子が数メートル先で立ち止まっているのがわかった。

「ここのシールドを破るからちょっと待って」

 そう言ってヒップバッグを探っている。反電磁銃を出そうとしているのだろう。

 処理はすぐに済み、コータ達を顧みて告げた。

「この先は昔、駐車場として使われていたところ。ビルの一階だから出口は近い。付いて来て」

 そう言って、また闇へと消える。取り残されたコータは迷う暇もなく、すぐに後を追わねばならなかった。

「ストップ」

 切子の声でコータは立ち止まった。暗がりに、吐息ほど小さな灯りが浮かんだ。目線を上げると、切子がペンライトを持って立っていた。

「行くよ」

 切子と光の後を追って進む。すぐ後ろにリュウの気配を感じられることが、コータには心強かった。それは、決して口に出したりしないことだが。

 この闇の先には出口があるのだという。生きてここを出ることができるかもしれないという希望が、よりはっきりとしてきた。そのせいで少し気が緩んだからだろうか、コータは先の見えない路に迷い込んでしまったような不安に、唐突に胸を塞がれた。

 切子は一体、自分をどこに連れて行こうとしているのか――?

 そして、これまで目をふさいでいた疑問が頭をよぎった。

 何で自分は、こんなところにいたのだろうか――?

 それはずっと忘れようとしていた謎だった。ここに初めて来た時のことも、今は曖昧にしか思い出せない。随分おかしな話だった。コータがここに来たのは、そう昔のことではないはずだ。なのにどうして、その時のことがこうもあやふやになっているのか? 何故、ここに来る前の自分のことを、何一つ思い出せないのか?

「なあ、リュウ」

「何だ」

「俺って……俺達って、何者だ?」

 溜息のような沈黙。

「狭い空間に押し込められて、撮影されていた被写体」

 しばらくして返ってきた、平板な答え。

「それは聞いた。じゃあ何で、俺達はそんなものになることになったんだ? 俺、その辺のいきさつが全然わからない。俺には、ここに来る前の生活があったはずだよな? だって、ファッションの流行りとか遊ぶこととか、そういうことなら、色々ちゃんと覚えているんだ。それは、俺がここに来る前は、どこかで普通に暮らしてたってことだよな? なあお前、この場所のこと、色々教えてくれただろ。だったら、何で俺達がここにいるのか、その理由も知っているんじゃないのか?」

「わからない」低声が暗闇に響く。

 尚も問い掛けを続けようと口を開きかけた時、切子の動きが止まったことに気づき、コータは慌てて足を止めた。

 切子は前方を凝視しているようだった。

「どうした?」

 怪訝に思い尋ねた時――

 何の前触れもなく、いきなり周囲が明るくなった。照明が点いたのだ。

 突然乾いた光に直撃され、コータは両目を忙しなく瞬かせた。

「このままで済むわけないと思ってたけど、やっぱり来たか」

 切子がうんざりといった調子で呟く。

「何だ? 何が起こった?」

 突然明るくなったことに怯え、コータはまだ光を受け入れられず痛む目で、きょろきょろと周りを見回した。

 そこは確かに駐車場として使われていたフロアらしく、太いコンクリートの柱が何本も規則正しく並んでいるだけの、だだっ広い空間だった。過去の名残なのだろう、灰色の堅い床には、薄汚れた白い直線が幾重にも引かれ、直角に交わったりしている。

 しかし、その空ろな光景の中に人影を見つけ、コータはびくりとした。

 目を凝らすと、十数メートル程先に、三人の男女が立っているのがわかった。真ん中に白衣を着た男がいて、両脇に、かなり背の高い女と、とても背の低い女が、それぞれ男に寄り添うように立っていた。彼女達が着ているのは、さっき出会ったナツが着ていたのと似た、露出度の高いボンテージコスチュームだった。

「こんなところで、また君に会うとは思わなかったよ、切子」

 男が声を発した。神経質そうな甲高い声だ。眼鏡を掛けていて、体は針金のように細い。薄い髪を無理矢理七三に分けている。

「私は二度と会いたくなかったんだけどね、犬丸パパ。又の名を、ラブ・ファクトリーのマッドサイエンティスト」

 切子の口調は、露骨な嫌悪感が丸出しになっていた。

「君は本当に厄介な子だね。今回私達は、猫娘達のお披露目目的でこの番組への参加を請け負ったというのに、こうも易々とやられてしまっては、今後の活動に支障を来たしてしまう」

「知るか」切子が言い捨てる。

「まったく君は可愛げのない子だよ。もう少し愛想というものがあった方がいい。年頃の娘というものは、そういう愛らしい存在であるべきじゃないかね? 一体君は、私の事業のどこが気に入らないのか。遺伝子工学の発展に貢献する、素晴らしい研究だというのに」

「まともなもんなら、境界にまで追いやられたりしない」

「先進的なアイディアは、なかなか受け入れられないものだよ。だからこそ、私は映像というものを重要視している。目で見て、それがこの上なく優れたものなら、人は受け入れざるを得なくなるからね」

「優れたものって、あんたの娘達が? 遺伝子操作で、他の生物との合いの子を作り出すことが?」

「キメラと呼びたまえ。そうだよ、最高じゃないか。私の娘達は、私の手によって、人間の能力を超えた力を持ってこの世に生まれる。今の時代必要とされているのは、何よりも高い能力だからね」

「吐き気がする」

「世界は常に変化していくものなのだよ。人間も同じだ。その流れの中で、新しいものが生まれ、古いものは淘汰されていく。君だって、その流れの中で生み出された存在だろう?」

「切子、あいつらは何なんだ?」

 目の前で繰り広げられる訳の分からない話に焦れて、コータは後ろから口を挟んだ。

「おや、君は今回のイベントの生き残りだね。黙っていなさい。君のような半端なものが、差し出がましい口をきくのではないよ」

 犬丸はゴミでも見るような、軽蔑し切った視線を彼に向けた。その屈辱的なあしらいに、コータの頭は沸騰する。

「何だと!?」

 すると、さっきまでひっそりと背後に控えていたリュウが、庇うようにコータの前に進み、犬丸に向けて言い放った。

「あんたこそ、口のきき方に気をつけるんだな」

 凄味のあるその脅しに驚いたのは、むしろコータの方だった。リュウはこれまで、コータに対してはいつも突き放したような態度で、庇ってくれたことなど無かったのだ。

「ここのものが、こんな生意気な口をきくとは……君の影響かね、切子?」

 犬丸は苦々しげに言葉を吐き捨て、右手を顔の位置まで上げて、掌を翳すような仕草をした。その中に小さな黒い箱が握られていた。おそらくカメラだとコータは思った。

「まあいい。こんな不愉快な思いをするのは今日を最後にしよう。君が拒否しようが、君には協力してもらう。私の愛しい最強の娘達が、君を倒すのを映像に残すのだ。ここにはカメラが設置されていないので、私が直々に撮ってあげよう。光栄に思って欲しい、君は我が名を上げる礎になるのだ」

「ふざけるな」

 切子が唸る。コータには、彼女の背中から怒りのオーラがゆらゆらと立ち昇っているように見えた。ゆっくりと、腰の刀に手を伸ばす。

 犬丸の両脇にしなだれかかっていた女達が前に進み出た。

 背の高い女は、背中から大きな二節棍を引き抜いて構え、小さい方は針のような短い剣を指の間に仕込んでいる。

 切子と女達は睨み合った。どちらかが少しでも動けば、それが戦闘開始の合図になるだろう。一触即発の事態に、コータもその場で体を強張らせた。

「パパ!」

 そこに突然制止が入った。ナツだった。二組の間に割り込む。

「パパやめて! お願い、これ以上の犠牲を出さないで……。やめるのよ、ハル! アキ!」

 両手を広げ、切子の前に立ち塞がり、必死な声で訴えた。

「一体どうしたのだね、ナツ? この頃のお前は変だよ」

 不快そうに鼻に皺を寄せ、犬丸が言った。

「パパ、もうやめて! 切子には、私と同等の強さだって言われていたフユだって敵わなかったのよ! 猫娘達があんなに束になっても駄目だった! ハルやアキだって、どうなるかわからないわ!」

「お前はどうも、この生意気な女にすっかり骨抜きにされてしまったようだね。以前は誰よりも勇敢で、私のお気に入りの娘だった。残念だよ、お前には素晴らしい能力を授けてあげたのに……。その恩を忘れるような子は、一番下っ端からやり直しだ。今のお前は、私に話し掛けることが許される身分じゃない」

「パパ!」

 ナツが悲痛な声を上げる。

「ねえパパ。フユが切子に負けた時、私思ったの。私達はどうして、毎日血を流して戦っているんだろうって。パパはいつも、愛するパパのために戦って欲しいと言うけれど、それがどうしてパパのためなのか、私、わからなくなって……」

「何でお前は、私の言葉に疑問を持つような娘になってしまったのだろうね」

「だって……パパはいつも娘達を愛しているって言ってた。でも、愛している存在が死んでしまっても平気なの?」

「平気なわけはないさ」

「だったら……。やっぱり私はパパのために、この戦いを止めなくちゃならないわ」

「お前は本当に可愛げの無い娘になってしまった。私は、私のために進んでその身を捧げてくれる娘こそが愛しいのだよ。おまえ達がいなくなるのは身を切られるように辛いが、その献身は私の研究の礎になる。私の研究は、この国の未来にとって、どうしても必要なものなのだ。私は心を鬼にして、己に課せられた使命を全うしなければならないのだよ」

「パパ、もうこの女だめよ。臆病風に吹かれた負け犬だわ。これ以上、言葉を掛けてやる必要なんて無い。パパの高潔な魂が汚れちゃう」

 小鳥の囀りを思わせる声で、背の低い女が言った。そしてナツに、汚物を見るような視線を向ける。

「ハルッ」

 ナツが口を開いた女の方に顔を向けて怒声を発した。そっちがハルなら、背の高い方がアキだと、コータは見当をつけた。

「裏切り者は口を出すな」

 アキもきつく言い捨てる。

「裏切り者だって!?」

 ナツの声が怒りに震える。

「裏切ってないとでも思ってたの? フユを殺った女を庇ってるあんたは、最悪の裏切り者よ」

「私達の仲で、そんな風に言われるとは思わなかったわ。だって、私達にはパパに愛されることが全てで、互いのことなんかどうでもよかったじゃない。些細な裏切りなんか、日常茶飯事でしょ?」

「私達への裏切りならね。そんなことは大したことじゃない。でもあんたは、パパの期待を裏切った。それは、絶対に許されないこと」

 断言するアキに、ナツは言い返すことができなかった。 

「いい加減にしろ!」

 切子が叫んだ。

「胸糞悪い会話をいつまでも聞かせるな。私とやりたいなら希望を叶えてやる。どきなよ、ナツ」

 立ち塞がるナツの背中に、ナイフのような怒声を突き立てる。

 だがナツは、その場から動こうとしなかった。

「どかないならあんたごと斬るよ」

 切子の声には、それが本心であることを裏付ける冷酷さがあった。もう止められないと悟ったのか、ナツはゆっくりと横にずれた。

 刹那、切子はハルとアキの目前まで間合いを詰めた。まるで、テレポーテーションでもしたのかと思えるほど、素早い動きだった。

大気を裂くように刀が閃く。だが、敵の肉を捕らえることはできなかった。

 ハルとアキは切子の動きに対応し、それぞれ刀を避けた。この二人も、人間離れをした身体能力の持ち主のようだ。

「パパ、隠れて」

 ハルが、背後でカメラを構えて立っていた犬丸を、数メートル離れたコンクリートの柱の陰まで連れて行く。

 それを追おうとした切子の前にアキが立ち塞がった。見上げるほどに大柄な体に見合う、極太の二節棍を頭上で振り回し続けている。向かい合った二人の身長差は、大人と子供くらいもあった。

 鼻先で始まった戦闘に、ただ眺めているだけでは気が引け、コータは叫んだ。

「切子、何か俺達にできることはないか!?」

「無い!」

 すぐに、至極もっともな答えが返って来た。

 コータは、リュウと共に、背後で見守る観客になるしかなかった。同じように沈んだ顔のナツが、近くの柱の側で戦いの行く末を見つめていた。

 白く照らし出されたコンクリートの殺風景な空間が、闘技場と化した。

 目にも止まらぬ速さで回っているアキの二節棍の先が、時折切子の顔を目掛けて飛ぶ。

 顎を引き、ぎりぎりのところで避けながら、切子は刀を中段に構え、間合いを計って敵を切り裂く瞬間を狙っている。切子が積極的に斬り込んでいかないところが、このアキという女と猫女達との違いを物語っているようだった。

 二節棍の唸るような音が、睨み合う二人の間で響いている。コータは唾を飲み込んだ。もし、あの棍棒があの速さで頭を直撃したら、いくら切子でも無事では済まないだろう。

 二人は立ち位置からほとんど動かず、互いの隙を窺っていた。コータは、まだ一分も過ぎていないはずなのに、長時間そのままでいるようなじりじりした焦りを感じた。

 先にそれを破ったのはアキだった。

 彼女は突然、再び真上へと高くジャンプした。

 すると後方から何か小さな光るものが、羽虫のような音を立てて飛んで来た。

 自分に向かってくるそれを、切子は刀を使って防いだ。耳が痛くなりそうな金切り音が三度響く。

 中の一つが床に落ちて滑り、コータの足下近くで止まった。確認すると、それは十五センチほどの長さの、細い針剣だった。

 思わず腰を屈め手を伸ばして拾おうとしたコータに、ナツが忠告した。

「それ、触らない方がいいわよ。先端に毒を塗っているはず。少量でも体内に入ったら、死ぬわ」

 それを聞いたコータは慌てて手を引っ込めた。

「何するのよ、ハル!?」

 怒鳴り声に、再び前に注目する。それはアキの上げた声だった。彼女は、切子と針剣が飛んできた方向、両方に目が届く位置に移動していた。

「別に。その女を倒したいだけよ」

 幼児ほどの体格しかないハルが答えた。

「ふざけるなっ。私の背中を狙って剣を投げたじゃない!」

「これくらい避けられるでしょ。」

 ハルは悪びれない。

 こいつらは仲間同士じゃないのかと、こんな時に諍いを起こしている二人に、コータはあきれてしまった。それに、安全圏に隠れてカメラを回している犬丸は、本当に彼女達の父親なのだろうか。だとしたら、切子がこの集団を嫌う気持ちは理解できる。

 よくは知らないが、話に聞く父親というものなら、自分より娘達の身を案じたりするのではないだろうか。娘達は犬丸のために命を投げ出すことを厭わないのに、犬丸の方は、彼女達を道具としか思っていないように見える。確かに胸糞の悪くなる集団だった。

 仲違いをする二人の隙を突き、切子が仕掛けた。アキの横を抜け、猛然とハルに向かって走る。

 その勢いに、コータが息を呑んだ時――

 まるでボールのような身軽さで、切子が跳んだ。

 自分に向かってくると判断し、身構えたハルの頭上を跳び越えた切子は、間髪入れず、再び前方へ駆けた。

「しまった!」

 抜かれたことに気付き、ハルが慌てた時は遅かった。切子はすでに、柱の陰に隠れている犬丸に向かっていた。

「くそったれ!」

 呪詛の言葉を吐き捨て、アキが後を追う。ハルはすでに走り出している。

 だが、例えこの二人がどんなに身体能力が高くても、すでに前を走る切子を止めることはできなかった。彼女はもう、犬丸の目前に迫っていた。

 あまりの驚きと恐怖で竦み上がっているのか、カメラを構えたまま、蝉のように柱に張り付いている男の喉元に、切子は刀の切っ先を突きつけた。

「今日の私は、悠長にあんた達の相手をしてやれるほど暇じゃないんだ。さっさと終わらせるよ」

 氷のような声で告げた。そして、背後の敵を牽制する。

「こいつの首が飛んでもいいのか!」

 襲いかかろうとしていたハルとアキの動きが止まった。

「そう。パパが大切なら、そこで大人しくしてな」

 どうやら切子は背中にも目があるようだと、コータは思った。



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