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浪漫旅行記

Nostalgiaを綴って

作者: かえで

書く予定はありませんでしたが、なんとなく後日談を補完しておこうかと思い執筆に至りました。


「お母さん、行ってきます」

 床の間で裁縫をしている母にそう告げて、私は家を出た。昔は結構母娘仲も悪かったけど、今となってはいい思い出のようなものだ。時折あの頃の事を懐かしみながら会話を弾ませていると、自分が若すぎた事をちょっと恥ずかしく思う。この歳になるとあの頃の母の気持ちもわかってくるようになった。

「チャリン」

 サンダルを履き直そうとしゃがんだ時、カバンの金具とネックレスがぶつかり軽い金属音をたてる。それは少しくすんで鈍い輝きを放つシルバーのリングに鎖を通しただけの簡単なもの。大分汚れてしまったけど私の宝物だ。近所に住む幼い女の子からは可愛いからちょうだい、とよく言われるが、それは無理な相談だ。

 それに去年の春から結婚を前提に交際している彼にはいつも、そんなに古いアクセサリーを何故ずっとつけているのか、新しいのを買ってあげようか、と言われる。彼の気持ちは嬉しいけど、これを外すわけにはいかない。

 きっとこれは傍から見ればただの汚れた安物のリング。でも私には何よりも大切で価値のあるものだ。もう二度と巡り会えないだろうあの人からの、贈り物。

 前まではちゃんと左手の薬指にはめていたけれど、彼と付き合うようになってからネックレスにした。さすがにずっと指にはめているわけにはいかないし、私もそろそろ前に進まなきゃいけない。だからずっと貸切だった左手の薬指を、あの人から彼へと明け渡したのだ。

 でも結局、こうしてネックレスにしているのだから、まだまだふっきれてないのかもしれない。前へ進むけどあの時の思い出は忘れたくない、なんて理由を付けてみたけど、結局はあの人を何処かで想っているのだろう。いつかまた、あの人が私を迎えに来てくれるって、そう信じている自分が居た。

「千春さん。何処に居ますか。大分時間が経ってしまったけど、今更呼んでも来てくれますか?」

あの日以来ずっと口にしなかったあの人の名前を、ふと呼んでしまった。今までこんなことは無かったが、十年目という特別な年の夏だから、なんて気持ちがそうさせたのだろうか。なんにせよ馬鹿らしい。この歳になっても私は白馬に乗った王子様が迎えに来てくれるとでも心の何処かで考えてでもいるのかしら。

 よくわからない寂しさを紛らわすため、口笛を吹きながら彼の待つ盛岡駅を目指した。


 予定時間の十五分前だというのに、彼はきちんと待っていた。たかが買い物に行くだけなのにびしっとおしゃれな服を着こなしている。普段着に近い私が少し恥ずかしい。もう少し気を使うべきなのかしら。

「やあ、こんにちは。早かったね。僕もさっき着いたところなんだ」

いつもどおりの定型文みたいな台詞を言う彼は、私の腕をとり歩き始めた。いつもどおりの風景であるはずなのに、先ほどのような事があったせいか、なぜか安堵してしまった。それはまるで私には彼がいるのだと、再確認したかのように。

 縋るように彼の腕にしがみつき、歩調をあわせる。次第に寂しい気持ちはだんだんと薄れ、彼と買い物にいく楽しみが戻ってきた。今日はお揃いのマグカップを買おう。ピンクがいいけれど彼は嫌がるかしら。そんな事を考えながら駅前の通りを散策し始めた。


 何気ない夏の駅を、彼と通り過ぎる。浮かれ気分は頂点に達し、心ここにあらず、といった感じだった。

「ちょっと待ってて。駅のお手洗い行ってくるね。ここにいて」

 有頂天な私の気持ちは、彼の一言によって現実に戻された。スルリと腕を解かれ、駅に向かって走りだす彼。残念だ。今行ったばかりだけど、早く帰ってこないかな。

 少しふてくされつつ、待ってろと言われたのでちゃんとここで待っている事にする。動かずに辺りをキョロキョロと見回すだけでは退屈だが、しょうがない。どうせならこんな暑いところではなく涼しいところで待ち合わせにして欲しかった。そう言う細かいところが気がきかない人だ。

 駅のほうを見た時、何かが見えた気がした。デジャヴというのかしら、昔見たことのあるような、でも何だかはわからない。気のせいかと思い視線を逸らしたが、やはりどうしても気になるのでまた駅のほうを眺めた。

 休日の混雑の中を楽しげに歩く人々。家族連れだったり、カップルだったり、友達同士だったり。その中にはちらほらと熱心に歩くサラリーマンの姿も見えた。でも私が感じたものはこんなのではないはずだ。一体何に反応したのだろう。

 注意深く観察していると、人々の列の切れ目に、立ち止まる人を見つけた。スタンド灰皿で煙草を吸っている男性。

「ああ、とうとう変なものまで見えるようになっちゃったかな」

中折れ帽子に左肩の破けたボロボロのジャケット。あの時から少しだけ老けた横顔。だが、十年の月日を感じさせないその様相をしたあの人は、ぼぅっとしながら煙草をふかしている。そして左手には銀色のリングが煌めいていた。

 まさか、ね。いるはずがない。白昼夢でも見ているのだろうと瞬きを何度もしたり、目をこすってみたがあの人は消えなかった。アスファルトの熱気が作る陽炎が、馬鹿にするように私とあの人の間を遮っている。歪んで映るあの人の姿が、まるで幻のように揺らめいていた。

 確かめたい。私の夢じゃないのか、本当に迎えに来てくれたのか、確かめたい。私がさっき呼んだから、あなたは来てくれたんだろうか。本当に風に向かって呼んだから、来てくれたんだろうか。それとも私がそう願っているだけなのだろうか。

 本当はずっと待ち続けていたこの瞬間。ずっと会いたくて仕方がなかった。でも、かなわぬ夢だと諦めていたし、私にはもうあの人と一緒には居られない。でも、またあの腕に抱かれたくて、もう諦めたはずの気持ちがぶり返して、彼との待ち合わせを忘れ駆け出そうと足を動かした時、腕を掴まれた。

「ただいま。何処に行くの?」

彼だった。今戻ったのだろう、私に微笑みかけている。

「えっと、なんでもないよ。暑かったから風の当たる場所がないかなって思っただけ」

 嘘をついた。辺りを見回すふりをしてあの人が居た方を向くと、ちらりと見える姿はすぐさま人ごみの列の中に紛れ、見えなくなった。

「ごめんね、気がきかなくて。暑いし、早く涼しいところいこうか。アイスでも食べようか?」

申し訳なさそうな顔をする彼を見て、感じた。十年前あの人が言っていた事を思い出す。私がこれから歩んでいく道は、明るくて幸せな道だと言っていた。きっとその道を共に歩んでいく人は、いつも私を優しく包み込んでくれる彼なのだと、確信した。

「うん、いこうか」

 彼の手をとって歩き出す。駅とは反対方向、目的地はアイスクリーム店もあるスーパーマーケットだ。

 途中で気になって振り返ってみると、人ごみの列は少なくなっており、スタンド灰皿が見えた。でもそこにあの人はもういない。ポツリとひとつ佇む灰皿から薄く上がる煙が、先ほどまであの人がいた事を証明しているようだった。

 きっとあの人は幻じゃない。私が呼んだから来てくれたのだろう。悩んでいる私に、決心をつけさせるために。

「また、お世話になっちゃったな…」

 彼に聞こえないように小さくつぶやき、首のネックレスを外した。これはあの子にあげよう。きっと大事にしてくれるだろう。綺麗な包装紙にでも包んで、プレゼントしてあげようかな。

 ゆっくりと流れる雲をみつめ、私の心は少し寂しく感じつつも、でもとても爽やかだった。

去りゆく旅人は口笛を吹く、の短編です。優佳と千春のラストをお楽しみいただけたでしょうか?

 もしかしたら短編シリーズは続くかもしれません。続かないかもしれません。もし続いたら、また彼らのエピソードに少しだけ付き合ってくださると幸いです。

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