第1部 第4話
俺を散々脅しておいて、コータのやろーは何食わぬ顔して帰っていきやがった。
組長は、「心配すんな」と言うが、
組長とコータ、どっちを信じればいいか?という疑問は、
フィギュアスケートのトリプルアクセルとトリプルトウループを見分けるくらいに難しい。
(あれ、どうやって見分けてるんだ??)
とにかく、組長と俺は、直通エレベーターで最上階のペントハウスへと上がった。
「いらっしゃいませ」
「夜分に悪いな」
家の玄関から顔を出したのは、
20代半ばくらいの若い女だった。
おそらくコータの兄貴の奥さんだろう。
美人には違いないが、「組長の親友の奥さん」にしては地味な気がする。
「いえ。あ、今、幸太君が帰ったところなんですけど」
「ああ。下で会った」
「そうですか。まだ散らかってますけど、どうぞ」
奥さんが組長と俺を家に招き入れる。
組長はさすがに通い慣れているのか、
我が家のような足取りで廊下の奥のリビングらしき部屋へ向かった。
そして、その中の人物に声をかける。
ああ、ついにこの時が来た。
組長の親友だ。
しかも、俺、4月から一緒に働くんだ。
絶対嫌われたくない。
その前に、殺されたくない。
が。
「統矢!!!」
「なんだ、いきなり」
「お前、幸太にどーゆー酒の飲ませ方してるんだ!!
あいつ、1人でワイン3本も飲んで行ったぞ!?」
「あー。ま、いつもそんなもんだ」
「ふざけんな!」
なんだ、なんだ。
なんなんだ。
「しかも、ケロッとした顔して帰りやがった。たく、どんだけ酒が強いんだ」
「お前も強いだろ」
「強い方だけど!幸太のあれは尋常じゃない」
「あんくらいじゃないと、ヤクザは務まんねーぞ」
リビングの中で組長を待ち構えていたのは、背の高い男だった。
その声から、コータの兄貴だと分かる。
ただ、顔は・・・よく見れば、確かにコータと似ている所もあるが・・・
コータも、顔のいい男だとは思う。
だけど、このコータの兄貴ときたらどうだ。
「・・・あ、統矢。その人が新しい理事長か?」
コータの兄貴がようやく俺に気付いた。
「ああ。おい、健次郎。こいつがコータの兄の本城真弥。4月から綾瀬学園に来てくれる。
真弥、こっちが村山健次郎だ」
「よろしくお願いします」
コータと一緒に相当飲んでたんだろうが、やっぱりコータと同じでそんな様子は感じさせず、
(部屋中、酒臭いけど)
コータの兄貴は丁寧に俺にお辞儀した。
俺も慌ててお辞儀する。
「こ、こちらこそ!よろしくお願いします!」
「統矢に理事長の椅子を押し付けられて大変でしょうけど、頑張ってくださいね。
俺も教師としてできる限り、お手伝いしますので」
「は、はい・・・」
コ、コータのヤロウ!!!
全然恐くねーじゃねーか!!!
いや、恐くないどころじゃない。
いくら俺が理事長とは言え、所詮雇われの身だし、
「本城先生」は俺より10個も年上だ。
それなのに、こうやって俺なんかに敬意を払ってくれる。
「健次郎。困ったことがあったら何でも真弥に相談しろよ」
「おい、統矢。俺はあくまで一教師だぞ。俺の仕事は、生徒の教育や指導だ。
学園の経営や、ましてやお前の組のことなんて、知らねーぞ。ってゆーか、知りたくない」
「わかってる。ま、それでも健次郎が困ってたら、お前はほっとけないだろ」
「・・・」
図星なのか、本城先生は少しムッとしたが、すぐに笑顔に戻り俺に言った。
「俺も綾瀬学園じゃ新人も同然です。新人同士、頑張りましょうね」
「は、はい」
俺は、本城先生に挨拶だけ済ませると、早々に帰ることにした。
酒と食事を勧められたが、それは断った。
緊張のせいじゃない。
正直、緊張しなくていいことがわかり、ホッとしている。
俺が帰ることにしたのは、組長と本城先生の邪魔をしたくないからだ。
本城先生に会ってみて、組長が仲良くしている理由が分かった。
本城先生は、組長がヤクザだからと言って、避けたり媚びたりしない。
あくまで「廣野統矢」という人間と友人関係を築いている。
だからこそ、組長も本城先生といて気が休まるのだろう。
廣野家は3階建ての滅茶苦茶デカイ屋敷だが、そこに住んでいる廣野の人間は組長しかいない。
組長に家族はいないのだ。
その代わりと言ってはなんだが、廣野組の幹部や住む家のない若い組員や女中が住んでいる。
組長にとってはそれが家族みたいなもんだろうけど、部下は部下だ。
気心の知れた本城先生の家にいるほうが、寛げるのかもしれない。
そう言えば、この本城先生の家は組長からの結婚祝いらしい。
廣野家から車で5分ほどの距離だ。
組長・・・さては、入り浸ること前提で、ここを本城先生にあげたな?
「理事長さん!」
「あ。奥さん」
エレベーターに乗ろうとすると、本城先生の奥さんが俺を追いかけてきた。
「電車でお帰りですか?」
行きは車で送ってもらったが、それは組長が一緒だったからだ。
俺1人なら、送迎なんてしてもらえるはずがない。
「はい」
「駅までお送りします」
「え。でも」
「駅の場所、お分かりにならないでしょ?すぐそこですけど。それに私このまま、出掛けるんです」
「出掛ける?こんな夜遅くに?」
「はい。駅を挟んで反対側の、幸太君のお家に」
そう言って奥さんは微笑んだ。
コータの家に行くなら、さっきコータと一緒に行けばよかったのに。
って、そっか。
俺を待っててくれたんだな?
奥さんから見れば、俺は「旦那の新しい上司」な訳だし、挨拶しておこうと思ったのだろう。
それに、こうやって駅まで送ることも考えてくれてたのかもしれない。
「ありがとうございます。コータの所に、何か用事なんですか?」
「用事、って程でも・・・統矢さんがいらしてる時は、私も家にいない方がいいと思って」
なるほど。
奥さんがいれば、話しにくいようなこともあるだろう。
「それに私、幸太君の奥さんと娘さんと仲良くさせてもらってるんです」
「ああ、なるほど」
そんな他愛もない会話をしながら、俺達は駅へ向かった。
その途中、突然奥さんが足を止める。
「ここ。幸太君の新しいお家なんです」
「え?」
そこには、もう間もなく完成するであろう一軒家が建っていた。
大きいには大きいが、驚くようなデカさでもない。
だけど、窓にしても門灯にしても、一つ一つが高価なものだと一目でわかる。
「あいつ、今の家も分譲のマンションじゃなかったでしたっけ?」
「はい。でも幸太君の奥さんが、どうしてもお庭付きのお家がいいと言って」
「・・・」
俺は、その家の表札を見た。
「間宮」とある。
コータは二十歳の時、間宮財閥の一人娘と結婚し、養子になった。
でもそれは、俺の親父のように、
お袋の実家の権力に負けて養子になった訳ではない。
コータにとって大切なのは、自分の愛する人と一緒にいることだった。
どちらの籍に入るかなんてのは、重要じゃない。
もっと言うと、結婚自体も重要じゃなかった。
ただ、子供のために結婚しておこうと言うことになり、
コータが間宮家の養子になる方が、誰にとっても都合がよかったのでそうしただけだ。
だからコータは、養子だからと言って肩身の狭い思いはしていないし、
養子であることなんて、忘れてるみたいだ。
この一軒家にしたって、奥さんに押されて仕方なく買った訳じゃないだろう。
俺は、コータの愛情表現であるかのようなその家を、いつまでも見上げていた。