第4部 第10話
柔らかい髪が、俺の顔に触れる。
その心地よい香りに誘われるかのように、
俺は女の身体を抱きしめた。
女も俺の胸に顔を埋める。
だけど、俺が腕に更に力を込めると、
女は顔を上げ、俺にキスをした。
「おはよう」
ああ、おはよう。
もう朝か。
一昨日は仕事で徹夜して、
昨日もそのままずっと夕方まで起きていて・・・いつの間にか眠っちまったのか、俺は。
それにしても、幸せな夢だな。
夢ってのは、いつも一番いいところで覚めるから、
覚めないうちにやることやっちゃおうかな・・・
「ねえ、朝だよ?」
うん、わかってる。
でも、いいだろ?
「ねえってば。起きないの?」
起きない、起きない。
「ねえ!」
バシッと頭をはたかれ、俺はようやく覚醒した。
「あ~あ、いいトコだったのに・・・ん?あれ?」
「もう!おじちゃん、寝ぼけすぎ!」
この声、この顔、この身体・・・
「・・・美優?」
「当たり前じゃん」
!!??
俺はベッドから飛び降りた。
「み、美優!いつの間に俺のベッドに潜り込んだんだ!てゆーか、どうやって家に入った!?」
「え?家にはおばちゃんが入れてくれた。ベッドには自分で潜り込んだの」
・・・。
俺は寝ぼけた頭をなんとか叩き起こし、
記憶を辿った。
ええっと、昨日の夕方、やっと仕事が終わってベッドに寝転がって・・・
それから?
ダメだ、思い出せない。
思い出せないが、予想はつく。
美優はコータに怒られると、むくれて家出をする癖がある。
どこに?俺んちに、だ。
コータもそれを分かっているから、大して心配しない。
家出っつーか、もはやただの外泊。
美優の言ってる「おばちゃん」ってのは、俺のお袋のことだ。
つまり、昨日また家出してうちにやってきた美優をお袋がうちに上げ、
おそらくいつも通り、客間の一つに泊めてやったのだろう。
で、美優が夜中勝手に客間を抜け出し、俺のベッドに潜り込んだ訳だ。
「はあ。まあ、いいけど。でも小学校のうちだけだぞ」
「どうして?」
「どうして、って・・・」
俺は、持参したのであろういかにもパジャマらしいパジャマ姿の美優を見た。
美優は背が高いしガキのくせして妙な色気がある。
あと数年もすれば、少女というより女になる気がする。
こうも無邪気に男のベッドに潜り込むのはどうかと思うのだが。
しかも、気軽にキスなんてするんじゃねーよ。
さては、パパとしょっちゅうしてるな?
「あ、そういえば」
「ん?」
「さっき、おトイレ行った時にリビング覗いたら、テーブルの上におばちゃんからの置手紙があった」
「置手紙?」
美優は抜け目無く、それを俺に差し出した。
「持ってきてあげたんだからね!」
「そーか」
「お礼は!?」
「アリガトウ」
「よろしい」
満足げに頷く美優。
こういう表情はほんと、ガキだ。
「えーと、なんだって?『お父さんとドバイに行ってきます』?はあ?」
さては、またお袋の気まぐれだな!?
人が汗水たらして稼いだ金を、湯水の如く使うんじゃねー!!!
俺はがっくりと肩を落とした。
俺が岡部村を去り、取り合えず東京に戻ってきて早6年・・・ではなく、6ヶ月。
今、俺は実家に住んでいる。
というのも、6ヶ月前。
なんと俺は東京駅を出たところでバッタリお袋に出くわしたのだ。
家を飛び出したっきり戻らなかった俺との数年ぶりの再会に、お袋は半狂乱だったが、
だからと言って、実家に帰るほど俺も優しくない。
でも久々に会ったお袋は、俺の想像よりずっと歳をとっていて、ずっと小さくなっていた。
そんなお袋に泣きながら「一度帰ってきて欲しい」と言われると、
さすがの俺も、嫌だとは言えなかった。
そして実家に帰ったら帰ったで、いい歳して「ニートです」なんて言ってられない。
渋々親父の仕事を手伝うことにした。
俺は「健次郎」なんて名前のくせして、一人っ子だ。
「太郎」はどうしたのかって?
親父が「健太郎」ってゆーんだよ。文句あっか?
とにかく、俺は一応跡取り息子だ。
継ぐつもりは毛頭無かったが、親父はとにかく喜んで、
俺に仕事を色々叩き込んだ。
そして、この「家の仕事」ってのが意外なことに面白かった。
だけどそれもそのはず。
親父がやっているのは、頼りない性分に似合わず「ラブホテル王」なのだ。
ホテル経営の傍ら、ちょっとヤクザな奴らとも渡り合わなきゃいけない。
学校経営とヤクザをやっていた俺に、なんてピッタリな職業だろう。
そういう訳で、なんだかんだ俺は実家に落ち着いてしまった。
ま、悪くない。
取り合えず、18年はやってみようと思ってる。
組長は、4年間俺を無償で育ててくれた。
だから俺はそれに報いるために、その後の4年間必死で働いた。
でも、よく考えれば親だって同じだ。
俺を無償で18年も育ててくれた。
だったら、最低でも18年は親のために働いてもいいかな、と思ったのだ。
その後のことは、またその時考えよう。
「たく。ほら、美優。着替えてさっさと帰れ」
「えー」
「えー、じゃない!」
「すけべ!」なんて言われながら、無理矢理美優の服を脱がせようとしていると、
インターホンが鳴った。
朝っぱらから客らしい。
「ほら!お客さんよ!」
「わかってる。美優は待ってろ」
「いや!」
美優は俺の首にしがみつくように抱きつき、
お陰で俺は危うく窒息するかと思った。
でも、おそらくこの「客」は、コータだ。
美優を迎えに来たのだろう。
だったら、このまま返品してやる。
俺は美優を抱っこしたまま、玄関に向かった。
抱っこと言っても、美優は150センチ近くもあるから、
普通に抱っこはできない。
仕方なくお姫様抱っこをしてやると、美優はもう大はしゃぎだ。
「って、重いぞ!暴れんな!」
「やー!レディに対して失礼なんだからー」
「レディは男のベッドに潜り込んだりしないぞ」
「しないの?」
「・・・いや、するかな」
うんざりしたまま、俺はぶっきらぼうに玄関の扉を勢いよく開いた。
「はい、どちら様?・・・あ」
「あ」
俺と客は「あ」の形に口を開いたまま、固まった。
ようやく次の言葉が出てきたのは、数十秒後だ。
「・・・有?」
「はい・・・」
そう。有だ。
有が立っている。
なんで?
「ど、どうして、ここが・・・」
「・・・理事長先生、急にいなくなっちゃったから、私ずっと探してたんです」
有が涙ぐむ。
「でも、見つけられなくて・・・そしたらお兄さんが、間宮さんに連絡を取ってくれて、
ようやくここがわかったんです」
「そ、そっか」
とにかくビックリしすぎて、
驚き以外の感情が出てこない。
え、っと・・・
有は何しに来たんだ?
ところが。
有はしばらく涙を堪えながら俺を見ていたが、
急に俺に背を向け、走り出した。
ええ!?
なんだよ、急に!
「有!」
俺は慌てて追いかけようとした、
が。
「美優!!!下りろ!!!」
「いや!!」
あーーー、もう!!!!
俺は美優を抱えたまま、有を追って走り出した。