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第4部 第9話

「理事長先生・・・?」

「んぐ」


せめてこの一口を飲み込んでから聞きたい声だった。


俺は、無理矢理口の中の物を喉の奥に流し込み、

振り向きながら立ち上がった。



そこには・・・

この3年半、一度も忘れたことのない姿があった。


「こんなところで、何してるんですか?」

「え?ああ、漬物食ってた」

「・・・そうじゃなくて・・・」


だよな。

わかってる。

わかってるけど、言葉がうまく出てこない。


有だ。

目の前に有がいる。


本物だよな?

幻じゃないよな?


俺は、有の顔を見つめた・・・かったが、

どうしても視線が有の首から下に行ってしまう。


「有、お前・・・なんて格好してるんだ」

「!」


有が真っ赤になり、両手で身体を隠そうとしたけど、

そんなんで全身が隠れるはずもなく。


有は黒いミニのワンピースに黒いストッキング、

白いエプロンに白いフリルのカチューシャ、といういでたち。


これはどっからどう見ても・・・


「いつからメイド喫茶のメイドさんになったんだ?」

「ち、違います!これは、野波家の小間使いの制服だったんです!

役場で働くようになってからも小間使い達はみんな、

これが着慣れてて動きやすいからって、この格好で働いてるんです。

そしたら、いつの間にか岡部村の名物みたいになっちゃって・・・」


確かに、有と同じ格好をした女達が何人もいる。


じゃあ、何か?

岡部村の役場では、こんなメイドさん達が働いてるのをタダで見られるのか?

どういうサービスだ。


それにしても、

俺的には感動の再会なのだが、これじゃ台無しだ。

だけど、まあいい。

とにかく有に会えたんだ。

それに、有のこんな面白い格好が見れて、ちょっと得した気もする。


「あはは、似合ってるな」

「・・・」


有は尚も自分の服を隠そうと、もじもじしている。


そうだ、この格好。

思い出した。

昔、コータと大成と一緒にここへ旅行に来た時、村長の野波雅人から見せてもらった女の写真、

つまり有の写真なのだが、その中の有はこのメイド服を着ていた。

あの時俺は、酒が入った頭で「なんでメイド服なんか着てるんだ」と思ったんだった。

綾瀬学園の制服姿の有を初めて見た時に何か引っかかったのは、

メイドの制服姿の写真のせいだったんだ。


「あんまり見ないでください」

「見せるために、そういう格好してるんだろ」

「だから、違います!」


諦めたのか有は服を隠すのをやめて、ため息混じりに言った。


「どうしてここにいるんですか?」

「・・・うん」


会いに来たんだ、


本当にそれだけなのに、それが言えない。


向かい合って黙ったまま2人で俯いていると、

有の後ろから有と同じ格好をした女の子が有に向かって叫んだ。


「花さん!すみません、大根ってどうやって新聞紙で包んだらいいんですか?」

「え?ああ、ちょっと待ってね」


有はその女の子にそう返事すると、

俺に向かって微笑んだ。


「理事長先生、少し待っててもらえますか?」

「・・・ああ」


有は俺にペコリとお辞儀をすると、女の子の方へ元気に駆けて行った。


俺は息をつき、その後姿を眺めた。


有、変わったな。

明るくなった。

以前は、どこか冷めたようなところがあったけど、

今は純粋に「今」を楽しんでいる感じだ。


それに、ちょっと太ったかな?

元々が細すぎるから、太ったと言ってもおよそ平均以下だけど、

全体的に女らしい身体つきになった気がする。


そして何より・・・


さっきの女の子に大根の包み方を教えている有のあの笑顔。

いい顔だ。


有はここで、幸せな生活を送っているに違いない。


そう、有は幸せなんだ。

よかった・・・



その時、俺はふと愛さんの言っていたことを思い出した。


愛さんは昔、ユウさんに組長との浮気のことを謝ろうと、

ユウさんを訪ねた。

だけど、ユウさんが幸せに暮らしていると知り、

今更過去の人間である自分がそこに現れる必要はない、と会わずに帰った。


なんか、今の俺と似てないか?


俺も、どうしても一目有に会いたくてここまでやって来た。

そしてその目的は果たし、

有が今ここで幸せに暮らしていることも知ることができた。


これ以上ないくらい、ホッとしている。


じゃあ、これから俺はどうしたらいい?

有が・・・いや、花が「有」だった頃そばにいた俺という人間は、

今の「花」には過去の人間でしかない。

それも、思い出したくない過去の、だ。


俺が近くにいれば、「花」は過去を思い出さずにはいられないだろう。

「花」はもう「有」には戻りたくないに違いない。

だったら、俺がここにいる意味ってあるのか?

ただ有を苦しめることになるだけじゃないのか?


・・・愛さんの気持ちが、よく分かる。


俺は、「花」には必要ない人間なんだ。



「にいちゃん、お花と知り合いかい?」


複雑な気持ちで立ち尽くしていると、

後ろからばあさんが訊ねてきた。


「はい」

「『もとかれ』ってやつかい」


わざと気取ったその言い方に、

俺は思わず笑った。


「いや、どうかな・・・うん、そうですね、『もとかれ』です」

「ほー、やっぱり」


そう。俺は「もとかれ」だ。

「もと」なんだ。

今はもう違う。


「ばあさん。お願いがあるんですけど」

「なんだい?こっちの漬物も食いたいか?」

「あはは、じゃあそれは買わせてもらいます。でもお願いってのはそうじゃないんです」


俺は鞄から封筒を取り出した。

有の戸籍謄本だ。


「これを、花さんに渡しといてもらえませんか?」

「構わんけど・・・自分で渡さんでいいのかい?」

「もう行かないといけないんで」

「そうかい。残念だねえ」


ばあさんは名残惜しそうに、かなり多目に漬物を包んでくれた。


「ありがとうございます。・・・それと、『誕生日おめでとう』って言っといてもらえますか?」

「誕生日?お花のかい?」


俺は頷いた。


今日、3月31日は、有の22歳の誕生日だ。


本当の有の誕生日はコータはもちろん、野波雅人も分からなかった。

おそらく有自身も知らないのだろう。

だから、戸籍謄本を作る時に、コータが勝手に3月31日を有の誕生日にした。

理由は、この日がユウさんの誕生日だから。

「勝手に『ゆう』と名乗った責任を取ってもらって、同じ誕生日にしといた」らしい。


昨日、電車の中でコータからもらったメールは、それを伝える内容だったのだ。



本当は直接有に「おめでとう」と言いたいけど・・・


もし笑顔で「ありがとうございます」とか言われたら、

ここを去る勇気がなくなりそうだから、やめておこう。



俺はばあさんに礼を言うと、

有に背を向けて歩き出した。





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