第4部 第7話
春休み真っ只中の3月最後の日曜日、
の、話題の温泉街。
当然、大勢の観光客で賑わっているはずだ。
「はず」と言ったのは、岡部村がそうじゃなかったからじゃない。
6年前に俺が来た時は、温泉マニア(コータみたいな)の間では岡部村はすでに話題になっていたけど、
まだ一般的に広く知られていた訳ではなかった。
だから、村全体に活気はあったけど、観光客はさほど多くなかった。
そのイメージがあったから、俺はなんとなく、
「この時期でもそんなに人は多くないだろう。泊まる宿もついてから探せばいいや」と思っていた、
のが、間違いだった。
なんだ、この人の多さは。
村自体が小さいし、旅館よりも民宿が多いため、
元々大勢の観光客を受け入れるような温泉街じゃない。
だから、箱根とかみたいに道に人が溢れ返ってる、ってことはないんだけど・・・
どの土産物屋も数人の客で賑わっているし、
どの旅館も民宿も「満室」。
見込みが甘かった。
だけど、まあ、俺の目的は温泉じゃない。
有に会うことだ。
それさえできれば、野宿でもいいし、
別の街へ行ってホテルにでも泊まればいい。
そう、有に会えれば・・・
俺は、改めて村を見回した。
人気の温泉街であるにも関わらず、観光客の金目当てって感じがしない。
初めて来る者にも、故郷に帰ってきたような懐かしさを感じさせてくれる村だ。
温泉街として開ける前は、時代から取り残されたようなさびれた村だったらしいが、
とても信じられない。
ここが、有が体を張って守ろうとした村なのか。
4年前、廣野組と松尾組の因縁がついに終わった。
どちらが勝ったのかは、
廣野組が昨日呑気に俺の送別会なんかしてたのを見ればわかるだろう。
力仕事担当外の俺には、何をどうやったのかはわからないが、
少なくとも全面対決、ということはなかった。
「目には目を、歯には歯を」とコータが言っていたから、
有のような刺客を送り込んだのかもしれない。
とにかく、松尾組は解散することになった。
そしてその過程で、有について更に知ることができた。
有は子供の頃から、岡部村の長である野波家で小間使いとして働いていた。
野波家ってのは、つまり、有の・・・野波花の父親の家だ。
有は、野波家の主人の娘でありながら、愛人が産んだ子ということで、
「お嬢様」ではなく「小間使い」として野波家にいた。
当然、周囲からはいい目では見られず、不遇の少女時代を過ごしていたようだ。
そして父親の死を機に、有は岡部村を離れた。
その時、松尾組の組長に拾われたらしい。
しかし、「拾われた」と言っても、有は俺とは随分違う扱いを受けていた。
松尾は、有の兄である野波雅人が頑張って岡部村の村おこしをしていることを利用し、
「廣野統矢暗殺に協力しなければ、岡部村を潰す」と言って有を脅した。
当時岡部村は、ゴルフ場開発予定地域に入っており、
野波雅人の村おこしは正に村の運命を懸けてのプロジェクトだった。
だから有は松尾の要求を飲み、
銃を扱えるように訓練を受けたり、俺みたいな見ず知らずの男と寝たりしたのだ。
有が岡部村を出たのが、15歳の時。
そして俺の前から姿を消したのが、18歳の時。
普通の女なら、女子高生として人生で一番楽しい時間を過ごす時期だろう。
有はそれを、ヤクザ同士のただのいざこざの為に犠牲にしたのだ。
どんな形でもいい。
どうか今、有が幸せでありますように。
「・・・ここ?」
俺は思わず1人で呟いた。
コータにもらった有の戸籍謄本に書かれてある住所を頼りにやってきたのだが・・・
そこには、目も見張るような大きな屋敷が建っていた。
こんなデカイ家、廣野家以外見たことない。
もちろん有がここに住んでいるとしても、変じゃないが・・・
いや、やっぱ変だろ。
だって、門のところに「村役場」って書いてある。
さては野波雅人が、有の現住所をどこにするか困って、適当に村役場にしといたんだな?
くそう。
これじゃあ、有の居場所が分からない。
日曜だから村役場の門は固く閉じられてるし、誰にも聞けないじゃないか。
それに、「野波花って、どこに住んでますか?」って誰かに聞いて分かるのかどうかも疑問だ。
そもそも有がこの村にいる保証はないし、「野波花」と名乗っているとも限らない。
となると、唯一の手がかりは・・・
「あの、すみません」
ちょうど村役場の前を通りかかった、「いかにも地元のおばあさん」に俺は声をかけた。
背中に野菜を背負い、両手も袋で塞がっている。
「なんだい?」
「お忙しいところ、すみません、」
「あ。観光客かい?」
「え?ええ、まあ」
「卵好きかね?」
「は?」
俺が戸惑っていると、そのばあさんは、袋の中から卵と器を取り出し、
カンっと器の端で卵を割った。
そしてそれを器の中に入れ、これまた袋から取り出した醤油らしきものを卵にかける。
「ほれ、食ってみ。今朝取れた卵で作った温泉卵さ。
醤油も地のもんで、うまいぞ」
「は、はあ・・・」
こうなると、食わない訳にいかない。
俺はいい感じに半熟の温泉卵を一口で飲み込んだ。
「・・・うまい!!」
「だろ?」
「うわ、これ、本当にうまい!」
「うんうん」
おお。すげえ。
こんなうまい卵、初めて食った!
白身と黄身の混ざり具合が絶妙だし、卵自体の味が凄く濃い。
それに醤油も卵を邪魔しない程度に味がしっかりしてる。
ばあさんは満足そうに頷いた。
「この温泉卵使って、温泉饅頭も作ってるんだ」
「へえ」
そういや、温泉饅頭もうまかったな。
秘密はこの温泉卵か。
・・・って、温泉饅頭の謎解きしてる場合じゃない。
温泉卵をもう一つ食べたい誘惑を堪え、俺はばあさんに訊ねた。
「ここの村長の野波雅人さんってどこにいますか?」
ところが、俺の言葉にばあさんは困ったような顔をした。
なんだ?
俺、なんか変なこと言ったか?
「村長さんがどこかって?」
「は、はい」
「『村長』さんなんだから、そこに決まってるだろ」
ばあさんはそう言って俺の後ろを指差した。
そこにあるのは、もちろん村役場だ。
「いや、そうなんですけどね。今日は日曜で閉まってるんです。
だから、村長さんのご自宅を・・・」
「だから。そこが村長さんの家だがね?」
「・・・は?」
俺は村役場を振り返った。
「ここ、ですか?」
「そうだ。そこが、村役場兼、村長さんの家だ」
「・・・」
俺は何度もばあさんにお礼を言い、再び村役場の門の前に立った。
なるほど。
「村役場」という看板の横に、かまぼこ板より小さな表札が出ていて「野波」とある。
村長なんだろ、もっとデカデカと表札掲げとけよ。
俺は拍子抜けしつつ、門の横のインターホンを押した。