第3部 第7話
見舞いに来たのか、俺をおちょくりに来たのかよく分からない組長が帰った後、
俺とコータはまた病室に2人になった。
「なあ、コータ。有はどうしたんだ?」
「え?」
「どこにいるんだ?」
「・・・ああ、そーゆーことか」
銃で撃たれて死んだんだ。
まさか病院に運んだりはできないだろう。
なら、岡部村の村長に・・・有の兄貴に返すか?
でも、何て言って返す?
あんたの妹は、ヤクザの組長を殺そうとして返り討ちにあいました、って?
人の良さそうな岡部村の村長の顔を思い出す。
今思えば、色白でほっそりしてて、確かに有と似ている。
あの人に、妹が死んだと伝えなきゃいけないのかと思うと胸が痛んだ。
ところが、意外なことに、コータは「歩けるか?こっちだ」と言って、
病室を出ようとした。
「え?おい、この病院に運んだのか?」
「ああ」
「ああ、って・・・」
そりゃここは、廣野組の息がかかった病院だ。
多少の融通は利く。
でも、撃ち殺された死体を隠すなんてことまで、してくれるんだろうか?
しかも、有は廣野組の人間じゃない。
わざわざ、危険を冒してまでこの病院に置いておく必要はないんじゃないのか?
肩の痛みを堪えて、コータの後ろになんとかついていく。
途中、各階の案内板が目に入った。
思わず、「霊安室」を探す。
でも、有の身体はそんな目立つところには置いていないかもしれない。
案の定、コータが入っていったのは霊安室ではなく、ごく普通の個室の病室だった。
なるほど、返ってわかりにくい。
「ここだ」
部屋の中で立ち止まったコータの肩越しにベッドが見えた。
掛け布団が少し盛り上がっていて、誰かが横たえられているのが分かる。
「・・・有」
俺はベッドの中の有を見て、思わず名前を呼んだ。
もちろん、返事はない。
もう、忘れよう、
そう思ってたけど、こうやって有の死体を見ると、
なんとも言えない気持ちが俺の中に広がった。
有は俺を騙してたんだ。
俺を利用してたんだ。
だけど・・・有はもう死んだんだ。
ベッドの上で掛け布団を掛けられている有は、まるで眠っているみたいだ。
つい、2,3日前までベッドの中で見ていた有と何も変わらない。
白くて綺麗な肌、
自然にカールした長いまつげ、
サラサラした短い黒髪、
ピンク色の唇、
そこから漏れる吐息、
・・・ん。
吐息?
トイキ??
といき???
「ゆ、ゆう!!!!」
「バカ!静かにしろ!病院だぞ!」
俺は口をパクパクしながら有とコータを交互に指さした。
「どーした?酸欠か?」
「違う!!!有、生きてるのか!?」
「誰が死んでるって言った?」
「お、俺が言った!」
「は?お前、頭大丈夫か?もしかして、頭もどっか撃たれてんじゃねーの?」
撃たれてない!
でも、撃たれててもいい!
「じゃ、じゃあ、生きてるんだな!?本当に、生きてるんだな!?」
「死んでるように見えるか?」
「見えない!!」
「じゃー、生きてるんだろ」
・・・生きてる。
有が生きてる。
俺は有が寝ているベッドの脇にしゃがみこんだ。
有の顔を触ってみる。
あったかい。
今まで何度となく有の身体に触れてきたけど、
これほど温かく感じたのは初めてだ。
生きてるんだ。
本当に、生きてるんだ。
・・・よかった・・・
「お前、ほんっとーに、バカだな。この女はお前を騙してたんだぞ?」
「うん」
「お前も殺されてたかもしれねーんだぞ?」
「うん」
「それでも生きてて嬉しいのかよ?」
「うん」
コータが、やってらんねー、とばかりにため息をついた。
でも、それも全然気にならない。
とにかく有が生きてるんだ。
それだけで、いい。
「って、あれ?でも、なんで生きてるんだ?組長に撃たれたのに」
「統矢さんの銃の腕は知ってるって、自分で言ってただろ」
「言ったけど!」
でも、有は死ななかった。
組長がやりそこなったのか?
「まさか。統矢さんは、やりそこなったりしない」
「でも・・・」
「統矢さんは、ちゃんと狙い通りに本田有を撃った。
狙い通り、死なないように撃ったんだ」
「!」
死なないように!?
コータが有のベッドに近づき、掛け布団をめくった。
有は病院着を着ていたが、その胸には痛々しく血の滲んだ包帯が巻かれている。
でも、その胸が小さく上下しているのを見ると、包帯すら愛おしく感じる。
「本田有は統矢さんを殺そうとした。本田有が生きていれば、廣野組全員黙っちゃいないだろう。
殺されるか、死ぬより酷い目にあうか・・・もしかしたら、松尾組にも追われることになるかもしれない」
「・・・」
「だから、本田有は死んだ方がいいんだ。死んだことにしておいた方が」
「死んだことにしておいた方が?」
コータが頷く。
「あの場にいた全員が、本田有は死んだと思ってる。そのうち松尾の耳にも、その噂が届くだろう。
死んだ人間は殺せねーからな。これでもう本田有は安全だ。
ま、廣野組と松尾組の溝は、これで決定的なものになったから、これからが大変だけどな」
「じゃあ、有は・・・」
「どこにでも行けばいいさ。ただし、本田有って名前は捨てて、
廣野組とも松尾組とも関係のない人生を歩むべきだな」
廣野組とも松尾組とも関係のない人生・・・
それはつまり、俺とも関係のない人生、ってことだ。
「・・・名前を捨てるって言っても、『本田有』ってのは偽名なんだろ?」
「ああ」
「本名はなんて言うんだ?」
俺が訊ねると、コータは小さく首を振った。
「本名はない」
「え?ない?」
「ああ」
名前がないってどーゆーことだ?
少なくとも兄である野波雅人と同じ「野波」って苗字はあるはずだろ?
「本田有は、存在しない人間なんだ」
「は?」
「生まれた時に、出生届けが出されていない。だから、戸籍もない」
「・・・」
「当然、名前もないし誕生日や年も定かじゃない」
なんだ、それ。
そんなこと、あるのか?
「あるさ。今の日本でも珍しいことじゃない。
訳あって、その存在を公にできない赤ん坊ってのは結構たくさんいるもんなんだ。
本田有も、野波雅人の父親が愛人に産ませた子らしく、
野波家の中じゃ『招かれざる客』だったらしい」
「・・・」
「でも、兄の野波雅人だけは本田有のことを随分可愛がってたみたいだな。
『花』って呼んでたらしい」
花・・・
有の本当の名前、って言っていいのかわからないけど、
有はずっと、花と呼ばれていたのか。
ベッドで眠る有の顔を眺める。
花、か。
うん、似合う。
俺は飽きることなく、有の寝顔を見つめ続けた。
そしてコータもそんな俺に付き合ってくれた。