第7話
シルヴィス陛下に救われ、悪夢の夜を乗り越えてから数日が経った。
陛下の献身的なケアと、帝国専属シェフによる栄養満点の食事のおかげで、私の体調は劇的に回復していた。
鏡に映る自分を見るたびに、まだ不思議な気持ちになる。
白磁のように透き通る肌。月光を宿したような銀髪。そして、深い森の湖のような碧眼。
かつて「化け物」と呼ばれていた私が、今や城の侍女たちから「女神様」と拝まれているのだから、人生とは分からないものだ。
そんなある日の午後。
執務を終えたシルヴィス陛下が、私の部屋を訪れた。
「エリアナ。……突然ですまないが、今夜、君のために晩餐会を開こうと思う」
「晩餐会……ですか?」
「ああ。私の側近や、帝国の重鎮たちを集めた内々のものだ。……そこで君を、私の『婚約者』として正式に紹介したい」
陛下の言葉に、私は持っていたティーカップを取り落としそうになった。
「こ、婚約者!? で、ですが陛下、私は隣国の追放者です。しかも家名も捨てた身……。そのような私が陛下の隣に立てば、貴族たちの反感を買うだけでは……」
ガルア帝国は実力主義の国だと聞く。
けれど、それと同時に血統や家柄を重んじる保守的な貴族も多いはずだ。
どこの馬の骨とも知れない女が、いきなり皇后候補として紹介されれば、批判が集中するのは火を見るよりも明らかだった。
「エリアナ。君は自分の価値を過小評価しすぎている」
陛下は私の手を取り、真剣な眼差しで告げた。
「君の魔力は、この国の歴史上でも五本の指に入るほど強大だ。そして何より、その美しさと気高さは誰にも負けない。……私は君以外を娶るつもりはないし、誰にも文句は言わせないつもりだ」
彼の瞳には、一点の曇りもなかった。
私を守り、共に歩もうとしてくれている覚悟が見えた。
私がここで尻込みしてしまえば、彼の想いを踏みにじることになる。
「……分かりました。私が陛下の隣に相応しいかどうか……精一杯、務めさせていただきます」
「ああ。ありがとう、エリアナ」
陛下は安堵したように微笑み、パチンと指を鳴らした。
すると、侍女長のマリアさんが、数名の部下を引き連れて入ってきた。
彼女たちが押すワゴンには、布に覆われた何かが乗っている。
「今夜のために、特別なドレスを用意させた。……君に似合うと思ってな」
陛下が布を取り払うと、そこにあったのは、息を呑むほど美しいドレスだった。
素材は、帝国北部の極寒の地にしか生息しない魔獣「氷蚕」が吐き出す糸で織られた、最高級のシルク。
その布地は、見る角度によって夜明け前の空のような深いブルーから、雪原のような銀色へと色彩を変える。
さらに、全体に散りばめられたダイヤモンドダストが、動くたびに星屑のように煌めき、まるでオーロラを纏っているかのような幻想的な美しさを放っていた。
「……すごい。こんな綺麗なドレス、見たことがありません」
「『氷華のドレス』だ。私の魔力を少し織り込んであるから、着心地は見た目以上に軽いはずだ。……さあ、着てみてくれ」
マリアさんたちに手伝ってもらい、私はそのドレスに袖を通した。
肌に吸い付くような滑らかな感触。ひんやりとしているのに、なぜか温かい。
鏡の前に立つと、そこには今までの自分とは別人のような、凛とした女性が立っていた。
髪はハーフアップに結い上げ、陛下が街で買ってくれた碧色のヘアピンを飾る。
薄化粧を施せば、準備は完璧だった。
「……美しい」
着替えを終えた私を見て、陛下が感嘆の息を漏らした。
その熱っぽい視線に、私は頬が熱くなるのを感じた。
「行こうか、我が愛しき女神よ。……今夜、君は帝国の伝説になる」
* * *
晩餐会の会場となる大広間には、すでに帝国の有力貴族たちが集まっていた。
彼らが醸し出す空気は、決して友好的なものではなかった。
むしろ、ピリピリとした緊張感と、露骨な敵意が渦巻いている。
「聞いたか? 陛下が隣国ルーンの女を拾ってきたらしいぞ」
「なんでも、向こうの国を追放された罪人だとか」
「そんな身元の怪しい女を城に入れるなど……陛下は魔術の研究のしすぎで、ご乱心召されたのではないか?」
ひそひそ話が漏れ聞こえてくる。
特に、最前列に陣取る初老の男――宰相のガラス侯爵の視線は厳しかった。
彼は「帝国の頭脳」と呼ばれる切れ者であり、同時にガチガチの保守派筆頭だ。
陛下に由緒正しい公爵家の令嬢を娶らせようと画策していた彼にとって、私は邪魔者でしかないだろう。
「……皇帝陛下のお出ましだ!」
衛兵の声と共に、重厚な扉が開かれた。
一同は静まり返り、一斉に頭を下げる。
シルヴィス陛下は、正装である純白の軍服に、皇帝の証である紫のマントを羽織り、堂々と歩を進める。
そしてその左腕に手を添えて、私が会場へと足を踏み入れた。
その瞬間。
会場の空気が、凍りついたように静止した。
「…………っ」
誰もが言葉を失い、目を見開いて私を凝視している。
それは、非難の沈黙ではなかった。
圧倒的な「美」に殴られたような、呆然とした沈黙だった。
「……なんと」
「あれが、噂の女性か……? まるで月の女神ではないか……」
「あのドレス……国宝級の『氷蚕』を惜しげもなく使っているのか……?」
ざわめきが波紋のように広がる。
私の予想に反して、多くの貴族たちはその美貌に魅了されていた。
けれど、ガラス侯爵だけは違った。
彼は厳しい表情を崩さず、私を値踏みするようにジロリと睨みつけた。
陛下は私を玉座の隣に立たせると、よく通る声で宣言した。
「皆、紹介しよう。……彼女がエリアナだ。私の命の恩人であり、この国の未来の皇后となる女性だ」
皇后。
その言葉が決定的だった。
会場が大きくどよめく中、ガラス侯爵が鋭い声を上げて前に進み出た。
「陛下!! お言葉ですが、異議がございます!」
「……ガラスか。何だ」
「その方の美貌は、確かに素晴らしい。ですが! 皇后となるには美しさだけでは不十分です! 家柄、教養、そして何より……魔術大国ガルアを守るに足る『強大な魔力』が必要です!」
侯爵の言葉に、他の貴族たちもハッとして頷く。
そう、ここは実力主義の国。
ただ綺麗なだけのお飾り人形で務まるほど、皇妃の座は甘くない。
「隣国のルーン王国は、近年魔術のレベルが低下していると聞きます。そんな国の、しかも家名も捨てた娘に、帝国の母が務まるとはお思いですか? もしや、彼女はルーンが送り込んだハニートラップの類ではありませんか!?」
容赦ない言葉が突き刺さる。
ハニートラップ。色仕掛けのスパイ。
私が何も言い返せずにいると、陛下が一歩前に出て、私を背に庇った。
その瞳には、氷点下の怒りが宿っていた。
「……ガラス。私の選んだ女性を、スパイ呼ばわりするとは良い度胸だ」
陛下の体から、強烈な魔力が溢れ出す。
会場の温度が一気に下がり、シャンデリアがガタガタと震え始めた。
貴族たちが「ひぃっ」と悲鳴を上げて縮こまる。
だが、私は陛下の袖をそっと引いた。
「……陛下。待ってください」
「エリアナ? だが、こいつらは君を侮辱した」
「いいえ。侯爵様の仰ることはもっともです。……どこの誰とも知れない私が、ただ守られているだけでは、誰も納得しないでしょう」
私はガラス侯爵を真っ直ぐに見据えた。
かつては下を向いてばかりだった私。でも、今は違う。
陛下が認めてくれたこの力がある。
「侯爵様。私が魔力を持たない無能だと、そうお思いなのですね?」
「いかにも! 言葉ではなく、力で証明していただきたいものですな!」
「分かりました。……では、証明してみせましょう」
私は陛下を見上げた。
彼は私の瞳にある決意を読み取り、ニヤリと不敵に笑った。
「いいだろう。……エリアナ、あの『呪われた泉』を見せてやってくれないか」
陛下が指差したのは、窓の外に見える城の中庭。
そこには、かつて美しい噴水だった場所が、今は黒いヘドロのような水で満たされ、悪臭を放っている「死の泉」があった。
帝国の宮廷魔術師たちが総出で浄化を試みたが、強固な呪いに阻まれ、誰も綺麗にできなかったという因縁の場所だ。
「……承知いたしました」
私はバルコニーへと歩み出た。
夜風がドレスの裾を揺らす。
全ての視線が私に集まる中、私は静かに目を閉じた。
――見ていてください、シルヴィス様。
貴方がくれたこの自信を、今、形にします。




