第5話
「……よし。これなら誰にも気づかれまい」
数日後。
私たちは帝都の城下町へとお忍びで出かけていた。
シルヴィス陛下は、いつもの煌びやかな軍服ではなく、地味な(それでも仕立ての良さは隠せないが)茶色のコートを羽織り、深くフードを被っている。
私もまた、目立たないようにクリーム色のワンピースに、大きな帽子を目深に被っていた。
「初めての城下町はどうだ、エリアナ?」
「……凄いです。人がいっぱいいて、活気があって……キラキラしています!」
私は子供のようにはしゃぎながら、辺りを見回した。
石畳のメインストリートには、色とりどりの屋台が並び、香ばしい串焼きや、甘いお菓子の匂いが漂っている。
行き交う人々は皆笑顔で、この国が豊かで平和であることを物語っていた。
祖国では、「化け物」と罵られるのが怖くて、屋敷から一歩も出られなかった。
こんなふうに、誰にも怯えず、太陽の下を歩けるなんて。
「……足元に気をつけろ。はぐれるなよ」
陛下が、自然な動作で私の手を取った。
大きな手が、私の小さな手をすっぽりと包み込む。
手袋越しの温もりに、胸が高鳴る。
これって、まるで……。
(……デート、みたい)
その単語が頭に浮かんだ瞬間、顔が火に油を注いだように熱くなった。
落ち着け、私。これはあくまで「視察」だ。陛下がそう言っていた。
私が城に引きこもっているのを心配して、気分転換に連れ出してくれただけなのだ。
「あ、見てください陛下! 綺麗な髪飾り!」
私は照れ隠しに、露店の一つを指差した。
そこには、ガラス細工で作られた繊細なアクセサリーが並んでいた。
特に目を引いたのは、私の瞳と同じ色をした、碧色の石がついたヘアピンだった。
「ほう。……気に入ったか?」
「はい。とても綺麗……あ」
値札を見て、私は言葉を飲み込んだ。
銀貨三枚。平民にとっては決して安くない金額だ。
今の私は無一文。陛下に買ってもらうわけにはいかない。
「……いえ、なんでもありません。行きましょう」
私が諦めて歩き出そうとすると、陛下が店主に銀貨を放り投げた。
しかも、三枚どころか、金貨を一枚。
「釣りはいらん。……それと、こっちの赤いのも貰おう」
「へ、陛下!?」
陛下は驚く私をよそに、二つのヘアピンを受け取ると、人通りの少ない路地裏へと私を連れ込んだ。
「……じっとしてろ」
彼は帽子を少しずらし、私の銀髪に、先ほどの碧色のヘアピンを挿した。
「……うん。やはり君にはこの色が似合う」
満足そうに微笑む彼との距離が近すぎて、息が止まりそうだ。
「あ、ありがとうございます……。でも、もう一つの方は?」
「これか? これは……」
彼は真っ赤な石がついたもう一つのヘアピンを、自分の胸ポケットにしまった。
「私用だ」
「えっ? へ、陛下がつけられるのですか?」
「まさか。……君とお揃いのものを持っていたかっただけだ」
彼は少し顔を背け、ぼそりと呟いた。
その耳が、ほんのりと赤くなっている。
(……可愛い)
不敬だと分かっていても、そう思わずにはいられなかった。
氷の皇帝と呼ばれる彼が、こんなにお茶目な一面を持っていたなんて。
その時だった。
「おやぁ? そこのお嬢ちゃん、随分と上玉じゃないか」
路地裏の奥から、柄の悪そうな男たちが三人、現れた。
酔っ払っているのか、足元がおぼつかない。彼らは私を見て、下卑た笑みを浮かべた。
「へへっ、あんたみたいな美女が、そんな地味な男連れじゃもったいないぜ? 俺たちと遊ぼうや」
男の一人が、私の腕を掴もうと手を伸ばしてきた。
私は恐怖で身を強張らせた。
その瞬間。
――ピキィッ!!
空気が凍りついた。
男の手が、私の腕に触れる寸前で止まった。
いや、止まったのではない。
男の足元から、急速に氷が這い上がり、膝までを一瞬で凍結させていたのだ。
「う、わぁぁぁ!? な、なんだこれ!?」
「足が! 動かねぇ!?」
男たちが悲鳴を上げる。
私の隣にいた陛下が、フードをゆっくりと外した。
露わになったのは、氷点下の殺気を放つ紫紺の瞳。
「……私の妻(予定)に、その汚い手で触れるなと言っている」
低い、地を這うような声。
それはまさに、「氷の皇帝」の威圧感そのものだった。
男たちはその顔を見て、絶望に顔を歪めた。
「そ、その銀髪に紫の瞳……ま、まさか、皇帝へい……!?」
「失せろ。……慈悲だ。氷が溶けるまでそこで反省していろ」
陛下が指を振ると、男たちは氷漬けのまま「ひぃぃぃ!」と震え上がった。
「……行くぞ、エリアナ」
陛下は再びフードを被ると、私の肩を抱き寄せ、足早にその場を離れた。
その横顔は、まだ少し怒っているようだった。
「……陛下、あの……」
「すまない。怖がらせたか?」
「いえ、助けていただいて嬉しかったです。……でも、そんなに怒らなくても」
「怒るさ。……君が美しすぎるのが悪い」
彼はぎゅっと私の肩を抱く手に力を込めた。
「他の男が君を見るだけで腹が立つ。……君を城の奥に閉じ込めておきたいと思ってしまう私は、我ながら狭量だな」
それは、紛れもない嫉妬だった。
私のような元・醜い女に、皇帝陛下が嫉妬してくれる。
その事実が、何よりも甘い蜜のように私の心を満たした。
「……閉じ込めないでくださいね?」
「努力する。……だが、私の目が届く範囲にいてくれ」
私たちは手を繋ぎ、夕暮れの街を歩いた。
繋いだ手の温かさが、これから来るどんな寒さからも私を守ってくれると、そう確信していた。




