第4話
シルヴィス陛下のエスコートで、私は皇城の裏手にある広大な庭園へと足を踏み入れた。
ガルア帝国は、北に位置する寒冷な国だ。
そのため、庭園と言っても色とりどりの花が咲き乱れているわけではない。
針葉樹の深い緑と、雪の白さが支配する、静寂に満ちた場所だった。
「……少し寂しい景色ですみませんね。この国は冬が長いのです」
私の様子を気遣ってか、陛下が申し訳なさそうに言った。
「いいえ、とても綺麗です。……静かで、澄んだ空気が心地よくて」
私は正直な感想を伝えた。
祖国の王宮庭園は、派手好きな妹のために、季節外れの花を無理やり魔法で咲かせた、けばけばしい場所だった。
それに比べれば、この厳かな美しさの方が、今の私にはずっと心安らぐ。
「そう言ってもらえると嬉しい。……だが、ここは少し問題があってな」
陛下が足を止めたのは、庭園の一角にある温室の前だった。
ガラス張りの温室の中には、一本の大きな古木が植えられていた。
しかし、その枝には葉が一枚もなく、幹は灰色に乾ききっている。
まるで、命が尽きてしまったかのように。
「これは『精霊樹』だ。この国の水源を守る要なのだが……数年前から急に元気をなくし、枯れかけている」
「精霊樹……」
「私の氷魔法では、現状を維持する『保存』はできても、失われた生命力を『再生』することはできない。……なんとかしてやりたいのだが」
最強の魔術師である彼にも、できないことがある。
その横顔には、国を憂う皇帝としての苦悩が滲んでいた。
(……可哀想に)
私は、ガラス越しにその木を見つめた。
枯れ果て、寒さに震えているように見えるその姿が、追放される前の自分と重なった。
誰にも顧みられず、ただ静かに朽ちていくのを待つだけの命。
「……触れてみても、いいですか?」
「ああ、構わないが……気をつけてくれ。弱っているとはいえ、聖なる木だ」
私は温室の中に入り、カサカサに乾いた樹皮に、そっと手を添えた。
(……寒かったでしょう。辛かったでしょう)
私は心の中で語りかけた。
誰かに認めてほしかった。誰かに優しくしてほしかった。
私の願いと、木の悲鳴がリンクする。
その時だった。
体の奥底、へその下あたりにある「熱い泉」のような場所から、何かがこみ上げてきた。
それは、今朝の測定器を壊した時と同じ、制御できない力の奔流。
「っ……!?」
ドクン!!
心臓が大きく跳ねると同時に、私の手から黄金色の光が溢れ出した。
温かくて、優しい光。
それは瞬く間に精霊樹を包み込み、温室全体へと広がっていく。
「エリアナ!?」
背後で陛下の驚く声が聞こえる。
けれど、私は手を離せなかった。
私の中から溢れる力が、木へと流れ込み、空っぽだった器を満たしていく感覚。
バサッ……バササッ……!
乾いた音が響く。
見ると、灰色の枝から、瑞々しい緑色の若葉が一斉に芽吹いていた。
それだけではない。
蕾が膨らみ、弾け、純白の花が次々と咲き誇っていく。
ほんの数秒の出来事だった。
枯れ木同然だった精霊樹は、今や満開の花を湛え、生命の輝きに満ちていた。
さらに、その余波は温室の外へも広がっていた。
雪に覆われていた地面から、クロッカスやスノードロップが顔を出し、春の訪れを告げるように咲き乱れている。
「……はぁ、はぁ……」
魔力を使い果たしたのか、急に足の力が抜けた。
その場に崩れ落ちそうになった私を、強靭な腕が支えた。
「大丈夫か! エリアナ!」
「へ、陛下……。ごめんなさい、私また、勝手なことを……」
「謝る必要などない! ……見ろ、これを」
彼に促され、私は顔を上げた。
満開の精霊樹から、光の粒子が雪のように降り注いでいる。
それは幻想的で、涙が出るほど美しかった。
「……奇跡だ。死にかけていた精霊樹を、一瞬で蘇らせるとは」
シルヴィス陛下は、信じられないものを見る目で私を見つめた。
そして、震える手で私の頬に触れた。
「君は、本当に女神なのかもしれないな」
「私は……ただ、この木が寒そうに見えて……元気づけたかっただけで……」
「その慈悲の心が、奇跡を呼んだのだ。……ありがとう、エリアナ。君は我が国の救世主だ」
彼は私を強く抱きしめた。
氷のように冷たいと言われる皇帝陛下。
けれど、その腕の中は、日向のように温かかった。
「……この力があれば、君を狙う者も現れるだろう。だが、安心してくれ」
彼の声色が、優しさから、絶対強者のそれへと変わる。
「私が必ず君を守る。……この国の全戦力にかけて、君に指一本触れさせはしない」
その誓いの言葉は、私の胸に深く刻まれた。
私は彼の胸に顔を埋め、小さく頷いた。
(……この人のためなら。私のこの力、使ってもいいかもしれない)
初めて、自分の「力」を肯定できた瞬間だった。
* * *
――その頃、ルーン王国。
「……おい、どうなっている! なぜ作物が育たない!」
王太子ギルバートは、報告書を叩きつけて怒鳴っていた。
エリアナを追放してから数日。
国中の農作物が、一斉に枯れ始めていたのだ。
「わ、分かりません! 水も土も問題ないはずなのですが、なぜか植物の『元気』がないのです!」
「ええい、役立たずどもめ! 聖女ティナに祈らせろ! 彼女の祈りがあれば、豊作など造作もないはずだ!」
ギルバートは知らなかった。
彼らが頼りにしている聖女ティナ自身が今、謎の奇病(顔のシミ)に侵され、祈るどころか鏡を見て発狂していることを。
エリアナという「守護」を失った国は、音を立てて崩壊へと向かっていた。




