第15話
深夜の襲撃騒ぎから一夜が明けた。
私は、小鳥のさえずりと、頬を撫でる温かい感触で目を覚ました。
「……ん……」
重い瞼を持ち上げると、そこには至近距離でこちらを見つめる、紫紺の瞳があった。
シルヴィス陛下だ。
彼はベッドの端に腰掛け、私の頬を愛おしげに撫でていたのだ。
「おはよう、エリアナ。……よく眠れたか?」
「へ、陛下!? おはようございます……! あの、いつからそこに……?」
「ついさっきだ。……君の寝顔があまりに可愛らしくて、起こすのが惜しかった」
彼は悪びれもせず、甘い声で囁いた。
朝から心臓に悪い。
私は布団を頭まで被りたくなったが、彼の手がそれを許さなかった。
「昨夜は怖かっただろう。……私の警備が甘かったせいで、君を危険な目に遭わせてしまった。すまない」
彼の表情が曇る。
ギルバート殿下の侵入を許してしまったことを、彼はまだ悔やんでいるようだ。
私は首を横に振り、彼の手を両手で包み込んだ。
「いいえ、陛下。……貴方が来てくれたから、私は無事でした。それに、自分の力で身を守ることもできましたし」
「ああ。見事な魔法だった。……だが、二度とあんな真似はさせない。今日から警備を倍……いや、三倍に増やす。私の直属の近衛騎士も常駐させよう」
「さ、三倍ですか!? それはさすがに……」
「足りないくらいだ。君はもう、私にとっても、この帝国にとっても、代わりの利かない宝なのだから」
彼の瞳には、少しの狂気じみた独占欲が見え隠れしていた。
どうやら昨夜の事件で、彼の過保護スキルが限界突破してしまったらしい。
嬉しいけれど、少し息苦しいかも……なんて贅沢な悩みだ。
「さあ、朝食にしよう。……今日は君の部屋で一緒に摂りたい」
彼が合図をすると、侍女たちがワゴンを押して入ってきた。
焼きたてのパン、新鮮な果物、そして温かいスープ。
どれも帝国最高級の食材を使った料理ばかりだ。
「あーん」
当然のように、陛下がパンを千切り、私の口元へ運んでくる。
「へ、陛下……自分で食べられます」
「ダメだ。昨夜の魔法で魔力を消耗しているはずだ。……それに、こうしていると私が安心するんだ」
彼は少し拗ねたような目で私を見た。
そんな顔をされては断れない。
私は観念して、口を開けた。
「……ん、美味しい」
「そうか。……なら、次はこれだ」
まるで雛鳥に餌を与える親鳥のように、彼は甲斐甲斐しく世話を焼いてくる。
侍女たちがニヤニヤしながら見ているのが恥ずかしい。
けれど、その空気はとても温かく、平和だった。
食事中、私は気になっていたことを尋ねた。
「あの……ギルバート殿下は、どうなりましたか?」
その名が出た瞬間、陛下の周りの空気がピキリと凍りついた。
スプーンを持つ手が止まる。
「……奴か。今は地下の特別牢獄で、氷漬けのまま保管してある」
「保管……」
「死んではいない。だが、意識はある状態で全身を凍らせているから、永遠に続く寒さと恐怖を味わっているだろう。……皇帝暗殺未遂および王妃誘拐未遂の罪だ。これでも慈悲深い方だと思うが?」
慈悲深い、の基準が違いすぎる気がするが、彼が私のために怒ってくれた結果だ。
文句は言えない。
「ルーン王国には、すでに通達を出した。『王太子は捕虜とした。返還の交渉には応じない。また、今後一切の国交を断絶する』とな」
「国交断絶……。それでは、あちらの国は……」
「終わるだろうな。……すでに食料危機で内乱寸前だと聞く。王太子という最後の希望も消え、頼みの綱の聖女も腐り落ちた。……自業自得だ」
陛下は冷たく言い放ち、コーヒーを一口飲んだ。
「エリアナ。君が心を痛める必要はない。彼らは君を捨て、君の価値を理解しなかった。その報いを受けているに過ぎない」
「……はい」
私は頷いた。
同情はない。ただ、かつて暮らした国が地図から消えようとしている事実に、少しの虚しさを感じるだけだ。
でも、私にはもう新しい居場所がある。
「それより、明るい話をしよう」
陛下が表情を和らげ、私の手を取った。
「来週、帝都でパレードを行おうと思う。……君を正式に、私の婚約者として国民にお披露目したい」
「パレード……ですか? 国民の皆様に?」
「ああ。晩餐会で貴族たちには認めさせたが、やはり民衆の支持も必要だ。……君の美しさと優しさを知れば、国民もきっと君を愛してくれるはずだ」
彼は自信満々に微笑んだ。
「ドレスを新調しよう。今度は白を基調とした、花嫁衣装のようなものを。……どうだ?」
「ふふ、気が早いですね。でも……嬉しいです」
私は彼の手を握り返した。
化け物と呼ばれ、石を投げられた過去。
けれど今、私は愛する人の隣で、祝福されようとしている。
「楽しみにしています、シルヴィス様」
窓の外には、抜けるような青空が広がっていた。
私の新しい人生は、まだ始まったばかりだ。
これからは、この国の人々のために、私の力を使っていこう。
そう心に誓った朝だった。




