第12話
ドサッ……!!
重厚な城門が閉ざされる音と共に、ギルバート王太子は雪の積もる石畳の上に投げ出された。
華美な王族の衣装は濡れそぼり、泥と雪にまみれている。
護衛の騎士たちも同様に、帝国の衛兵によってゴミのように放り出されていた。
「ぐっ……! 無礼な! なんと無礼な……!!」
ギルバートは震える拳で地面を叩いた。
寒さのせいだけではない。屈辱と、そして理解不能な現実に対する怒りで、全身が震えていたのだ。
「あの女が……エリアナだと……?」
脳裏に焼き付いているのは、先ほどの光景だ。
シャンデリアの光を浴びて輝く銀髪。透き通るような白磁の肌。そして、彼を蔑む冷ややかな碧眼。
かつて彼が「化け物」「ドブネズミ」と罵って捨てた女とは、似ても似つかない。
いや、骨格や声は確かにエリアナだった。
だが、その「格」がまるで違っていた。今の彼女は、女神と言われても信じてしまうほどの神々しさを纏っていた。
「……ありえない。あんな美しい女が、俺の婚約者だったのか?」
ギルバートの中で、何かが歪んで繋がった。
そうだ。彼女は本来、あんなにも美しかったのだ。
それを「呪い」という殻で隠していただけ。
つまり、あの美貌は本来、婚約者である俺が独占すべきものだったはずだ。
「……返せ。返せよ」
彼の瞳に、ドス黒い欲望の炎が宿る。
国の危機? 食料不足? そんなものはどうでもよかった。
今の彼を支配しているのは、「損をした」という強烈な喪失感と、「自分のものを他人に奪われた」という被害妄想だけだった。
「殿下! 大丈夫ですか!? ……ここは危険です、一度宿に戻りましょう!」
側近の騎士が駆け寄ってくるが、ギルバートはその手を振り払った。
「うるさい! 戻るだと? 手ぶらで帰れるか! エリアナを連れ戻すまでは、一歩も動かんぞ!」
「しかし殿下! 皇帝シルヴィスのあの殺気……次は本当に殺されます! それに、エリアナ様ご自身も、殿下を拒絶しておられました……」
「黙れ! 貴様ごときに何が分かる!」
ギルバートは血走った目で叫んだ。
「あいつは……エリアナは、俺を愛していたんだ! そうだ、いつも俺を見ていた。俺のために必死に尽くしていた! あの拒絶は演技だ。帝国の皇帝に脅されて、無理やり言わされているに違いない!」
彼の記憶の中で、都合よく事実が改変されていく。
エリアナが彼に向けていたのは、愛ではなく「義務感」と「諦め」だったのだが、ナルシストな彼にはそれが理解できない。
「可哀想なエリアナ……。あの冷酷な皇帝に囚われているんだな。俺が助けてやらなければ!」
彼は立ち上がり、閉ざされた城門を睨みつけた。
その顔には、自分を「悲劇のヒーロー」だと思い込んでいる者の、陶酔した笑みが浮かんでいた。
「待っていろ、エリアナ。……今夜、必ず迎えに行く。そして、あの美しい顔で俺に愛を囁かせてやる」
* * *
一方、城内の温室。
私は、窓の外に広がる雪景色を眺めながら、温かいハーブティーを飲んでいた。
指先がまだ微かに震えている。
先ほどの謁見の間での出来事が、心に波紋を広げていた。
「……エリアナ」
背後から、柔らかい毛布が肩にかけられた。
振り返ると、シルヴィス陛下が心配そうな顔で立っていた。
「顔色が悪い。……やはり、会わせるべきではなかったか」
「いえ、陛下。……むしろ、すっきりしました」
私はカップを置き、自分の胸に手を当てた。
「ずっと怖かったんです。彼らの影に怯えていました。でも、今日こうして対峙してみて……分かりました。彼らは、私が恐れるような『大きな存在』ではなかったのだと」
目の前で見たギルバート殿下は、あまりにも小さく、そして浅ましかった。
かつて私が彼のご機嫌を伺い、怯えていたのが嘘のようだ。
それはきっと、私が変わったから。
シルヴィス陛下がくれた自信と、この力が、私を強くしてくれたからだ。
「……そうか。君がそう言えるなら良かった」
陛下は安堵の息を吐き、私の隣に座った。
「だが、油断は禁物だ。あの男の目……あれは諦めた人間の目ではなかった。執着と欲望に濁った、獣の目だ」
「……まだ、何かしてくると?」
「ああ。おそらく、強硬手段に出るだろう。……だが、安心してくれ。城の結界は強化してあるし、私の影の護衛もつけてある」
彼は私の手を握り、その甲に口づけを落とした。
「もし奴が君に指一本でも触れようとしたら……その時は、帝国の法律ではなく、私の私刑をもって裁く」
その言葉は恐ろしいはずなのに、私には何よりも頼もしく響いた。
「ありがとうございます、シルヴィス様。……でも、私ももう守られているだけではありません」
私は空いている方の手を掲げた。
そこには、小さな光の粒子が集まり、一輪の花の形を作っていた。
「自分の身くらいは、自分で守ってみせます。……これでも、帝国の『真なる聖女』ですから」
「ふっ……頼もしいな。だが、あまり無茶はするなよ? 君にもしものことがあったら、私は世界ごと凍らせてしまいそうだ」
私たちは笑い合った。
窓の外では、雪が激しくなり始めていた。
まるで、これから訪れる嵐を予感させるように。
その夜更け。
城の警備の隙を突き、数名の影が裏口へと忍び寄っていた。
彼らは魔道具を使い、一時的に認識阻害の結界を張っている。
その中心にいるのは、狂気を孕んだ瞳をしたギルバート王太子だった。
「行くぞ。……愛しのエリアナが待っている」
愚かな侵入者たちが、自ら虎の尾を踏みに来るとも知らずに、静寂な城内へと足を踏み入れた。




