第11話
その日、ガルア帝国の皇城は、朝から異様な緊張感に包まれていた。
ルーン王国からの「特使」が到着したからだ。
謁見の間。
高い天井まで届く氷柱のような柱が並び、冷気が漂う広大な空間。
その最奥にある玉座に、シルヴィス陛下が座っていた。
私はその左隣、一段低い場所に置かれた椅子に腰掛けていた。
今日の私は、陛下が用意してくれた「戦闘服」とも言えるドレスを纏っている。
漆黒のベルベット生地に、銀糸で防御陣の刺繍が施されたドレス。
頭には、小さなティアラ。
そして顔には、薄いレースのベールを着けていた。
これは、相手を油断させるためであり、私の正体を劇的に明かすための演出でもあった。
「……来たか」
陛下の低い声と共に、重厚な扉が開かれた。
入ってきたのは、数名の騎士に護衛された一団。
その先頭を歩く男を見て、私は息を呑んだ。
金髪碧眼。派手な王族の衣装。
やつれて目の下にクマを作り、髪も少し乱れてはいるが、見間違えるはずもない。
元婚約者、ギルバート王太子だ。
(……まさか、殿下自ら来るなんて)
それほどまでに、国が追い詰められているということか。
ギルバートは玉座の前まで進むと、傲岸不遜な態度で立ったまま口を開いた。
「ガルア皇帝シルヴィスよ。我がルーン王国の王太子、ギルバート・ルーンである。……遠路はるばる来てやったぞ」
礼儀もへったくれもない挨拶。
周囲に控えていた帝国の貴族たちが、「無礼な!」とざわめく。
しかし、シルヴィス陛下は眉一つ動かさず、氷のような視線で見下ろした。
「……跪け」
たった一言。
ドォォォンッ!!
見えない圧力が空間を支配した。
ギルバートの膝が、強制的に石床に叩きつけられる。
ガシャッ! と鎧の音が響き、彼は無様に床に這いつくばった。
「ぐっ……!? な、何をする! 私は一国の王太子だぞ!」
「ここは私の庭だ。……私の許しなく立っていることなど許さん。それに、『物乞い』に来たのなら、それ相応の態度があるだろう?」
陛下は頬杖をつき、ゴミを見るような目をした。
「さて、ルーンの王太子よ。……我が国の氷魔石を止めたことで、泣きついてきたのか?」
「ふざけるな! 貴様らの嫌がらせのせいで、我が国の食料事情は壊滅的だ! 直ちに輸出を再開しろ! そして……」
ギルバートは充血した目で叫び、そして視線をキョロキョロと巡らせた。
「エリアナだ! 誘拐したエリアナを返せ! あいつは我が国の所有物だ。盗人猛々しいにも程があるぞ!」
所有物。
その言葉に、陛下の周りの空気がピキピキと凍りついた。
室温が一気に氷点下まで下がり、ギルバートの吐く息が白くなる。
「……誘拐、と言ったか? 面白い冗談だ。私の記憶では、君たちが彼女を『追放』し、雪山に捨てたはずだが?」
「そ、それは……あいつが聖女に危害を加えたからだ! 罪人として追放したが、やはり我が国で裁くことにしたのだ!」
苦しい言い訳だ。
陛下は呆れてため息をついた。
「裁く? 違うな。……君たちは気づいたのだろう? 彼女がいなくなった途端、国が傾き始めたことに。彼女こそが、国を守る要石だったことに」
「ぐっ……!」
図星を突かれ、ギルバートが言葉に詰まる。
陛下はゆっくりと立ち上がり、私の手を取って立たせた。
「紹介しよう。……彼女が、君たちが探しているエリアナだ」
ギルバートの視線が、私に向けられた。
ベール越しの私を見て、彼は鼻を鳴らした。
「……はっ、ベールで顔を隠しているとはな。相変わらず醜い顔を見られるのが恥ずかしいのか? おいエリアナ、さっさとこっちへ来い! ティナがお前の呪いのせいで苦しんでいるんだ! 帰って呪いを回収しろ!」
彼はまだ気づいていない。
私が、かつての私ではないことに。
陛下が私のベールに手をかけた。
「よく見ろ、愚か者。……これが、君が『醜い』と言って捨てた女性の、真の姿だ」
さらり、とベールが取り払われた。
シャンデリアの光を浴びて、銀髪が輝く。
白磁の肌、宝石のような碧眼。
会場中の視線が私に集まり、ため息が漏れる。
ギルバートは、ポカンと口を開けて固まった。
「……は?」
彼は目をこすり、もう一度私を見た。
そこにいるのは、彼の記憶にある「黒い痣の化け物」ではない。
女神と見紛うほどの、圧倒的な美女だ。
「だ、誰だ……? 貴様、誰だ……?」
「お久しぶりですわね、ギルバート殿下」
私は静かに、けれど凛とした声で告げた。
「元婚約者の顔もお忘れですか? ……エリアナ・ベルンシュタインです」
「え……えり、あな……?」
彼の顔が、驚愕から混乱へ、そして信じられないものを見る恐怖へと歪んでいく。
「嘘だ……! そんなはずがない! あの痣はどこへ行った!? なぜそんなに……美しいんだ!?」
「痣は消えました。……貴方たちが私を国から追い出してくれたおかげで、身代わりの契約が切れたのです」
私は冷ややかに微笑んだ。
「感謝していますわ、殿下。……私を自由にしてくださって」
その言葉は、ギルバートにとって死刑宣告よりも残酷な真実だった。
逃した魚の大きさなどというレベルではない。
彼は、自らの手で国の守護者を追い出し、そして「世界一の美女」となるはずだった婚約者をドブに捨てたのだ。
「あ、あぁ……」
ギルバートは腰を抜かし、ガタガタと震え出した。
後悔。絶望。そして、どうしようもない未練。
彼の瞳に、ドス黒い執着の炎が宿るのを私は見た。
「か……返せ……」
彼は床を這いずりながら、私に向かって手を伸ばした。
「返せよ! それは俺のものだ! 俺の婚約者だぞ! 綺麗になったなら俺の隣にいるべきだろうがぁぁぁ!!」
見苦しい絶叫が響き渡る。
その瞬間、私の前に氷の壁が出現し、ギルバートの手を弾き飛ばした。
「――汚らわしい手で、私の妻に触れようとするな」
シルヴィス陛下の魔力が爆発した。
謁見の間の気温が絶対零度まで下がり、ギルバートの髪や眉毛が瞬時に凍りつく。
「交渉決裂だ。……衛兵、この汚物を摘み出せ。二度と私の視界に入れるな」
冷酷無比な宣告。
それは、ルーン王国に対する完全なる断絶の通告だった。




