02
神水の滝へ向かう道は、かつては人の通りも多かったというが、今では苔むした石段と朽ちた鳥居が残るばかりだった。
桃太郎と五人の仲間たちは、朝靄のなかを一列になって歩いていた。
「なあ、本当に出るのかよ。鬼ってやつ……」
先頭を歩くユウゴが不安げに言った。
「出ないよ。今まで一度も出たことないって、長老も言ってたじゃん」
そう返したのは村一の秀才、ユウ。
桃太郎は二人のやりとりを聞きながら、何か胸騒ぎのようなものを覚えていた。
風が……重い。
草のにおいに混じって、何か焦げたような、血のような、奇妙な匂いが鼻先にまとわりついていた。
「……ちょっと待って」
そう言った瞬間だった。
――ギィイイ……ッ!
耳の奥を爪で引っかかれるような音。
次の瞬間、森がざわめいた。
枝の間から、紅く光る目が覗いていた。
「鬼、だ……ッ!」
叫んだ直後、森の奥から、異形の影が飛び出してきた。
人の形をしてはいたが、皮膚はただれ、片腕は異様に膨れ上がっていた。
その顔はもはや人間でも鬼でもない、何かが壊れた“何か”だった。
言葉にもならないうめき声をあげながら少しずつこちらに近づいてくる。
「逃げろ!」
ユウゴの叫びと同時に、仲間たちは散り散りになった。
だが――
「カゲル……!」
大柄なカゲルが、一撃で胸を貫かれていた。
赤黒い血が花の上にばらばらと散る。
「待って・・・いやだコウマ・・・!」
「うそだろ……ユウナっ……!早くこっちに・・・・」
異形の爪がユウナを宙へと弾き飛ばす。
勢いは強く、ユウナの手足は一瞬にしてばらばらになった。
崩れていく身体の中でユウナの無念の目がこちらを見つめていた。
ユウナが死んだ。すぐには信じられなかった。
さっきまであんなに元気だった。明日もまた普通に笑顔でしゃべれると思っていた。
ユウゴがそれを見て崩れ落ちる。
コウマの目の前で、次々と命が奪われていく。
血のにおい。骨の折れる音。悲鳴と恐怖と、無力。
ゆっくり鬼が近づいてくる。
コウマもユウゴも動けない。まるで足に鉛がついたように。
となりでユウゴの小さな「あっ」という声とともに鈍い音が鳴った。
足元に赤い血が流れてくる。
彼も膝をついた。
何もできなかった。
「やめろ……お願いだ……やめてくれ……!」
叫んだそのときだった。
世界が、止まった。
あまりにも静かだった。
さっきまでの地獄のような喧騒が、すべて音を失っていた。
目を開くと、そこは――
花が咲き誇る、幻想の森だった。
藤の花が滝のように垂れ、地には一面の桃の花。
水面のように揺れる光のなかで、無数の蝶が舞っていた。
コウマは立ち尽くしていた。
傍らには、さっき襲ってきた鬼が、苦しげにうずくまっている。
そしてその鬼を、仮面を被った七人の巫女たちが取り囲んでいた。
それぞれ異なる色の着物に身を包み、しなやかに舞うように、ゆっくりと円を描いている。
口元は動いていたが、何を言っているのかはわからなかった。
ただ、それは歌だった。
呪文のような旋律。
懐かしいような、けれど何かを引き裂くような、そんな歌声だった。
「……あれは……何なんだ……?」
桃太郎の足は動かなかった。
見ているだけなのに、恐怖で心が締めつけられる。
鬼は苦しみ、のたうち、
巫女たちの唄が頂点に達した瞬間――
パァンッ!!
爆音のように響き、鬼は木っ端微塵に吹き飛んだ。
赤い霧のようなものが空へ舞い、花びらがそれを包み込んでいった。
静寂。
そのときだった。
桃太郎のすぐ隣に、
ひときわ豪奢な着物をまとった巫女が立っていた。
他の巫女たちと同じ仮面をつけていたが、
その表情は、どこか微笑んでいるように見えた。
「――だれ……?」
声にならない声で問いかけたが、巫女は何も答えなかった。
ただ、仮面の奥からあたたかい視線を感じた。
……なつかしい。
この感覚は、いつか夢で、いや、もっと遠い記憶の底で――
そのとき、風が舞った。
桃の花が一斉に散り、視界が花びらで埋まった。
次の瞬間、彼は目を覚ました。
「……っは!」
そこは、倒れ伏した地面だった。
血のにおいが戻り、周囲には無残に横たわる仲間たちの姿。
彼の手には、神水の瓶が砕けた欠片と、一本の桃の花が握られていた。
そして彼のまわりだけ、
奇跡のように花が咲き乱れていた。




