たいへん!食材がないわ!
「お嬢様、お目覚めですか?領地が大変な事態になっております!」
入ってきたのは、眼鏡をかけた凛とした女性。メイド服をびしっと着こなしてるけど、表情はちょっと焦ってるみたい。
彼女、アニエスって名前らしいわね。
私の記憶に不思議と残ってて、この身体が覚えてるのが分かる。
でも、「お嬢様」って、やばい。
そんな年齢じゃないのに!と妙に気恥ずかしい。
前世では、夫と娘がいたはずだけど、頭の中にもやがかかってあんまり思い出せない。
内心で羞恥心にツッコミつつ、平静を装って聞いてみる。
「大変な事態って、どういうことですの?」
アニエスが眉を寄せて説明してくれる。
なんでも、このリバーウッド家の当主である父、マックスが病弱で、領地経営が滞ってるらしい。
盗賊が出没して村を荒らし、食糧不足で領民が困ってるって。
うわ、転生早々ハードモードですわ!
うーんどうしよう…と考えていると
「「グウゥゥゥ」」
メイド長アニエスと私のお腹が同時に鳴った。
空腹で、状況を把握するどころではなさそうね。
「とりあえず何か食べたいですわ」
「厨房へご案内します」
アニエスが厨房へと先導してくれた。
この家はお嬢様も厨房に立つ家庭らしい。
このリバーウッド領、私の頭の中の記憶ではとても貧乏な様だ。
向かう廊下が、ぎしぎしと鳴る。
前世の記憶がなかっただけで私の行動は前世の私と遜色ない。
個性が突然蘇ったわけではないらしい。
普段から調理している私の手はささくれていて、丁寧にオイルを塗って手入れしてあるのが分かる。
ただ、まだ記憶が混濁しているようで上手く全部を思い出せない。前世の記憶もなんだかぼんやりしている気がする。
そう思案して私は厨房に案内された。
厨房に着いたら、もう笑うしかない状況だった。
埃が積もった棚に、干からびたジャガイモと塩の瓶がぽつん。
これで何を作れって言うのかしら!
それでも……。
「ふふ、主婦歴10年の私にかかれば、こんなもの朝飯前ですわ!」
私はそう意気込み、新鮮なジャガイモを手に取った。
「さあ、皆さんに私の腕前を披露しましょう!」
そう高らかに宣言すると、私の手はまるで長年連れ添った相棒のように、淀みなく動き出した。
まずは、ジャガイモの皮を薄く、かつ無駄なく剥いていく。
その手際の良さは、まるで熟練の職人のよう。
次に、剥いたジャガイモを均一な厚さに薄切りにする。
包丁がリズミカルにまな板を叩き、ジャガイモが美しい薄切りへと変わっていく。
大きな鍋に冷水を張り、そこに薄切りにしたジャガイモを投入する。
塩をパラリと振りかけ、ジャガイモの甘みを引き出す。
火にかけ、じっくりと煮込むこと数分。
ジャガイモが柔らかくなり、スープに自然なとろみがついた頃合いを見計らって、火を止める。
厨房に漂うのは、シンプルでありながら、どこか懐かしい、素朴な香り。
それは、ジャガイモの優しい甘みと、塩の微かな塩味が織りなす、心安らぐ香りだった。
「まあ、何て美味しそうな香りでしょう!」
最初に声を上げたのは、一番若いメイドだった。
彼女の瞳は、まるで好奇心旺盛な子供のように、キラキラと輝いている。
他のメイドたちも、その香りに誘われるように、厨房の隅からゆっくりと近づいてきた。
彼女たちは、目を丸くして、鍋の中のスープを覗き込んでいる。その表情は、まるで魔法にかけられたかのようだった。
「お嬢様、この香りは一体……?」
メイドの一人が、思わずといった様子で尋ねる。私は、得意げに胸を張って答えた。
「これは、私の特製ジャガイモスープですわ!シンプルだけど、心も体も温まる、最高のスープなんですの」
「魔法みたいです!」
「お嬢様、すごい!」
「魔法じゃないわよ、主婦の知恵ってやつね」
笑って返すけど、内心ちょっと得意気。
ふふん。見たか。と胸を張る。
「今までも、お上手でしたが。今日の出来は驚くべき才能です、お嬢様。」
アニエスが目を輝かせ、私を褒めちぎる。
スープを掬って口に運ぶと、チーズと野草の香りが鼻をくすぐり、ジャガイモと干し肉の旨味が口の中に広がる。それは、まるで前世で毎日作っていた味噌汁のような、シンプルだけど心に染み渡る味わいだった。
「美味しい……」
思わず呟いてしまう。味噌も入ってないのに、不思議だわ。
そんな穏やかな時間も束の間、玄関の方からドタバタと足音が聞こえてきた。