2.出会い
夜の帳が降りる森の奥深く、薄紫の衣を纏う少女——夢喰いは静かに歩を進めていた。
彼女の唇には、妖艶な微笑み。そしてその瞳には、未知なる味への興味が宿っていた。
「無味の……気配」
感情を喰らう彼女にとって、全てのものは味を持っている。だが、今感じるこの存在には何の風味もない。それは奇妙な違和感であり、彼女にとってはこの上なく興味深いものだった。
生き物はもちろん。草木ですら彼女からしたら味がある。場合によっては彫像や刀剣ですら味を感じるのだ。
木々の間を抜けると、目の前にぽっかりと開いた広場が現れる。そこには、長い年月を経て崩れかけた遺跡が佇んでいた。
かつては神殿だったのか、それとも王の居城だったのか。今となってはただの石の塊に過ぎない。
「ふぅん……ずいぶんと古そうねぇ。でも、そんなことより……」
夢喰いはゆっくりと遺跡の中心に歩み寄る。そして、そこに鎮座する巨大な岩の塊に目を留めた。
「……何これ?」
それはまるで、人の姿を模したかのような石像だった。苔むした表面に、長い時の流れが刻まれている。
「……動くのかしら?」
そっと触れるも何も感じない。完全に無味だ。
「じゃあこっちは……」
横にある朽ちた石像に触れる。
「……あー、これ、ちょっとは味がするわね。でも風化してるから薄っぺらいわ」
崩れた剣の欠片と思われるものにも触れる。
「……うーん、これも微かに……でも、ダメね。時間が経ちすぎてる。
——でも、あんたは"無"ね。まるで最初から何もなかったみたい。」
彼女は悪戯っぽく微笑み、しなやかに手を伸ばした。そして——その舌で、ぺろりと岩肌を舐める。
……何の味もしない。
「……ふーん。面白いわねぇ」
彼女が身を引こうとした、その瞬間。
——ゴゴゴゴゴ……!!
遺跡全体が震えるような、重い音が響いた。
「……!?」
夢喰いの表情が驚きに染まる。
石像が、ゆっくりと動き出したのだ。
ごつごつとした腕が地を押し、その巨体がゆっくりと起き上がる。そして、苔に覆われた顔が、ぎしぎしと音を立てながらこちらを向いた。
暗闇の中で、石像の瞳に光が宿る。
「……二度と……」
低く、くぐもった声が響いた。
「……え?」
夢喰いは無意識に後ずさる。
この巨体は、ただの石像ではない。
これは——ゴーレム。
長い眠りから目覚めた、無の存在だった。
「なぁに……あなた、一体……?」
夢喰いの囁きは、夜の静寂に溶けて消えていった。
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遺跡の奥で動き出したゴーレムを前に、夢喰いは目を丸くした。
「えっ、動いた!? もしかして、魔法仕掛けの像とか……?」
夢喰いはゴーレムの前に回り込み、じろじろと顔を覗き込む。しかし、相手は何の反応も示さない。
そもそも魔法仕掛けの像なのであれば味はするものだ。
「ねぇ、ちょっと! アンタ何者? ここで何してたの?」
無言。
「……聞こえてる?」
やはり無言。
試しに軽く肩を叩いてみる。だが、ゴーレムはピクリとも動かない。ただ、そのままゆっくりと歩き出した。
「ちょっ……無視? いや、ちょっと待ってってば!」
慌てて後を追う夢喰い。
「ねぇ、名前は?」
沈黙。
「……じゃあ、適当に呼ぶよ?」
沈黙。
「ほんと何なのよコイツ……」
苛立ちつつも、夢喰いはゴーレムの隣を並んで歩く。ぴったりとくっつくように、興味津々に見つめながら。
「……ねぇ、アンタさぁ、何考えてんの?」
沈黙。
「というわけで、ついていくことにしたわ!」
沈黙。
「って、無視かーい! もしかして嫌なの?」
沈黙。
「ねぇ、嫌なら嫌って言いなさいよ」
「…………」
少し後、ゴーレムはぼそりと呟いた。
「…………好きにしろ。」
「は?」
思わず足を止める夢喰い。
「え、何? 今喋った? 好きにしろって何よ?」
だが、ゴーレムはそれ以上の言葉を発することなく、ただ淡々と歩みを進めるだけだった。
「もう……ほんっと意味わかんない奴!!」
悔しそうに歯ぎしりしながらも、夢喰いは結局ゴーレムの後をついていくのだった。