1.序章
森の奥深く、焚き火の揺れる赤い光が、静かな夜闇を淡く染め上げていた。
焚き火の周りには複数の男たち。荒くれ者の山賊どもが肩を組み、酒瓶を回しながら、今日の襲撃の成功を祝い合っていた。
「ひゃははっ! ありゃいい悲鳴だったぜ!」
「はっ、さすがに村の連中も懲りただろ。これでしばらくは山の中でのうのうと暮らせるな」
「おうよ、女も酒も奪い放題だ……っと、そろそろ次の獲物も見つけねぇとなぁ?」
そんな下品な笑い声が響く中、誰一人気づかなかった。
闇の奥から、彼らを見つめる琥珀の瞳が光を帯びることに。
「……まあ、いいか。ついでに食べとこう」
しなやかな黒髪を風に揺らしながら、薄紫の衣を纏う少女が炎の灯りが届かない闇の中から静かに足を踏み出した。
彼女の唇には、まるで楽しげな笑み。
――焚き火から少し離れた場所
「飲んでる奴らはいいよなぁ…何で俺たちは見張りなんだ……」
「そう言うな。どうせ少し待てば俺達も……」
その瞬間だった。
「……それなら、こっちをどうぞ?」
突如、眼の前の木々の影から響く甘やかな声。背筋を撫でるような、それでいて妙に耳に馴染む音色だった。
男たちが振り向いた。
そこには、一人の少女が微笑んで立っていた。
漆黒の髪、艶めく瞳、夜に溶け込むような薄紫のドレス。
スリットの入った衣の隙間から覗く白い肌は、松明の赤に染まって艶めかしく映る。
「……誰だ、お前?」
警戒するように腰の短剣を握る。
しかし、もう一人は女を前にした嬉しさからか、警戒よりも好奇心を優先させた。
「へぇ、お嬢ちゃん、一人かぁ? こんな夜更けに迷子かよ」
「ふふ、まあ……そういうことにしておくわ」
彼女は小さく笑う。
山賊たちは、ふと首を傾げる。
――何かがおかしい。
この女、怖がる様子が一切ない。
普通の娘なら、この状況に悲鳴を上げるか、震えて泣き出すはずだ。
けれど、彼女は……
「ねぇ、お兄さんたち」
一歩、足を踏み出す。
ゆったりとした動作、気品すら漂わせる所作。
「ちょっとだけ……私に、付き合ってくれない?」
男たちは、一瞬思考を止めた。
そして、次の瞬間――
世界が暗転した。
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森の中、焚き火の揺らめく光が盗賊たちの影を踊らせていた。酒瓶が回され、粗野な笑い声が響く。しかし、その場の空気は微かにざわつき始めていた。
誰かが、気づいた。
「……おい、何か変だぞ?」
それは、直感に近い恐怖だった。
「変?何がだよ」
「いや……何かこう……妙に、空気が……」
ぞわり。
その瞬間、盗賊Aの動きが止まった。
彼は仲間の盗賊Bと酒を酌み交わしていたはずだった。その手には、酒瓶と——
刃が突き立った短剣。
盗賊Bの瞳が大きく見開かれた。
「……は?」
血が吹き出し、酒の香りに鉄の臭いが混ざる。盗賊Aは、自分が仲間を刺していたことに気づいて、
「……え?」
混乱に染まる瞳。
その絶望の味を、彼女は静かに堪能する。
「——あぁ、美味しい。」
甘美な囁きが、闇に溶けた。
焚き火の光の向こうに、琥珀の瞳が妖しく光る。黒い髪がふわりと揺れ、薄紫のドレスの裾が微かに揺れた。
「な……何なんだよ……!」
誰かが叫ぶが、その声は虚ろな夜に吸い込まれる。
「次は——あなた。」
彼女の視線が、盗賊Cへと向けられた。
彼の前に、幻影が現れる。
愛おしいはずの恋人。死んだはずの恋人。
「……なん、で……?」
震える声が漏れる。恋人は微笑みながら、ゆっくりと歩み寄る。
盗賊Cは混乱しながらも、彼女を抱きしめようと手を伸ばす。
「会いたかった……」
だが、次の瞬間。
ザシュッ——
恋人の首が飛んだ。
虚空を舞い、ゆっくりと地面に転がる。
「————ッ!!!」
悲鳴にならない悲鳴。
膝をつき、恐怖と悲しみに打ち震える盗賊C。その感情を、彼女は美酒のように味わう。
「これもなかなか悪くないわねぇ……」
静かに舌を舐める仕草をしながら、彼女は優雅に歩を進めた。
——— そして、地獄の晩餐が始まる。
刃が閃き、悲鳴が響き、血が焚き火に弾けた。
意識を操られた盗賊たちは、次々と仲間を襲い、殺し合う。絶叫、絶望、懺悔。彼女はそれら全てを、まるで極上の晩餐のように、愉悦の微笑みとともに味わい尽くした。
そして、最後の一人。
盗賊の頭目。
「じゃあ——あなたはどんな味かしら?」
彼女は、静かに歩み寄る。
盗賊の頭目は、恐怖に染まった目で後ずさる。
「や、やめろ……やめろおおおおおッ!!」
彼は剣を振るった。
だが、何もない空を裂くだけ。
————————突如
視界が、ぐるりと回る。
何が起こったのか分からないまま、
ドサッと重いものが落ちた音が聞こえる。
視線の先に、見覚えのある身体があった。
——自分の身体だった。
首のない自分の身体だった。
身体が、ゆっくりと膝をつき、崩れる。
その瞬間、死を悟った。
叫びにならない叫びをあげる。
極限の恐怖。
その感情を、彼女は口元に微笑みを浮かべながら、じっくりと味わった。
「こんなちっぽけなやつらでも——割と、いけるものねぇ。」
琥珀色の瞳が妖しく光る。
そして、夜は静寂を取り戻した。
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彼女の名は『夢喰い』人の夢を、感情を、心を喰う恐怖の象徴であった…………