断罪聖女は復讐を夢に見る
三作目。
ざまぁ要素ありの純愛です。
青空の下、私は無様に跪いていた。
両隣には屈強な男どもが、それぞれひとりずつ立っている。折る勢いで腕を力強く握りしめ、私が逃げ出さないように拘束している。バカみたい。そんなことしなくたって私は逃げないのに。
それにしても熱いなぁ。
何もこんな灼熱の日中に儀式を挙げなくたっていいじゃない。
熱いのは苦手だ。
人々の熱気に当てられるのはもっと苦手だ。
つまり、この状況下は最悪と言えるだろう。
強い日差しに焼かれ、身動きを封じられ、そんな私を何百何千もの民衆が憎悪を込めた視線で一斉に貫いているのだ。
何コレ地獄?
私これでも一応は聖女なのですが。
せめてもの救いは私の顔が仮面の下に隠れていることぐらいか。だって、きっと今の私の顔は、聖女とはまるで真逆な悪魔的な笑みを浮かべているはずだから。
「⋯⋯最後に言い残すことはあるか?」
目の前に立つ男の低い声が圧し掛かる。
うんざりしつつも見上げると、その男の顔は怒りに歪んでいた。
彼は私と婚約するはずだった。
この国の第一王子であり、生まれながらに人生の勝利が約束されていた。
顔も良い。人格だってある。さらには私から聖女の祝福を受けて、全ての幸せと権力を手にするはずだった。
でも残念。
貴方の生涯を費やした企みもこれで終わり。貴方は何も手に出来ない。全てを失う。あぁ、もう本当に――、
「ざまぁみろ」
身に着けた無機質なこの仮面すらも笑ってしまうかのような私の思いに、彼はわなわなと全身を震わせて歯を食いしばった。
「死ねェ! この恥さらしがァ!!」
怒りのままに、剣が振り下ろされた。
首元にまで迫る断罪の刃。
私が次の瞬間に訪れるであろう死を直感した時、まるで走馬灯のようにしてこれまでの出来事が脳を走り抜けていった。
◇◇◇◇◇◇
私の名前はアリエル。
世界に祝福を齎す聖女だ。
でも幼い頃の私はただのアリエルだった。
貧しい家庭で育ち、わんぱくで、そりゃあもう聖女の聖の字だって感じられないような子供だった。
運命が変わったのは十歳の時。
いつも通り家の中でひとり遊んでいると、偉そうな大人たちがわらわらと押し入ってきたのだ。
どうやら国の使いだったみたい。
彼等が言うには、私は世界にひとりしか存在しない聖女だという。手の甲に浮かび上がる紋章が証拠だった。
訳も分からず私は拉致され、王宮で暮らすことになった。
後で分かった話だけど、両親は私が聖女だと気づくや否や陛下に報告したらしい。つまりは私を売ったということだ。今頃は手にした巨万の富でよろしくやっていることだろう。
こうして私は最底辺の鼻垂らしちゃんから、最高峰の鼻垂らしちゃんへと進化を果たしたというわけだ。デデン!
と、ここまで言うと人生勝ち組のひとりだと思われるかもしれない。実際、私も最初はお姫様になれるだなんて可愛い妄想を抱いていた。
けど、現実は残酷だった。
聖女というのは、ただの国の道具に過ぎなかったのだ。
王宮に連れてこられた私は、まず仮面を着けられた。曰く、聖女は来たる日まで素顔を人前に晒してはいけないとのことらしい。意味が分からなかったが、所謂〝仕来り〟というやつだ。聖女は神聖で何色にも汚れてはならない。そういう迷信からくるものだった。
そして、肝心なのは聖女としての務めだ。
聖女と呼ばれるからには、やはり人々の罪や痛みを浄化する、そんな存在なのだろう。私は子供ながらに使命を重んじ、内心既に「明日からのおやつは一日にひとつまでにしよう」などと清く美しい心を持ち始めていたが、陛下から直接告げられた任務はたったのひとつだけだった。
「聖女よ。お前は十八歳になるまで力を使うことを禁じる」
「ふぇ?」
思わず変な声を出したことを覚えている。
だってこっちは既に覚悟を決めていたのに、陛下からは何もするなと言われたのだ。そりゃあ小さくて可愛い脳みそがショートしても仕方がないでしょ。
放心状態のまま、気が付くと私は大きな部屋の中に居た。どうやらここが私の暮らす部屋らしい。それは良いとして、さっきのは一体どういうことなのだろうか。
私は部屋まで案内をしてくれたであろう召使いの人に疑問をぶつけた。結果、返ってきた答えはこのようなものだった。
・聖女の祝福は相手に強大な力と世界一の幸運を与えることができる。
・聖女の祝福は初めて使った者にだけ絶大な効果を発揮する。
・この国では聖女が祝福の力を捧げるのは第一王子と決まっている。
・聖女は十八歳の誕生日に第一王子に祝福の力を捧げ、婚約することとなる。
要約すると、これが聖女のルールらしい。
つまり聖女とはこの国の繁栄のため第一王子に力と幸運を与える存在であり、そのためだけに一生を捧げなくてはならないということだ。
代々この国はそうやって権力を手にしてきた。聖女が死ねば新たな聖女がまたどこかに現れる。何度も何度も、そうやって繰り返してきたのだ。
召使いの人が部屋から出て行き、ひとり残された私は考えた。
これが幸運なのか、はたまた不幸なのかと。
考えるまでも無い。
私は王宮でこれから十八歳になるまで優雅に暮らし、第一王子様と結婚する。こんなの最高に決まってるじゃん!
ひとり部屋の中でガッツポーズを取ると、私はこれから先の明るい未来を想像して胸を躍らせた。
◇◇◇◇◇◇
私が私を無知で純粋であると知ったのは、王宮に連れられて一週間が経過した頃だった。
聖女という特別な称号に浮かれていた私の頭を冷ますかのように、気が付くと全身が水で濡れていた。
「アンタみたいに気味の悪い仮面を着けた泥棒猫にはお似合いの姿ね」
ビショビショに髪も服も濡れた私へと、その女性は軽蔑の視線を注いだ。
何故だか分からないが水を掛けられたらしい。
これまた意味が分からない事なのだが、目の前の女性とは初対面だった。名前だって知らない。
「⋯⋯どうしてこんなことするの?」
当然の疑問が口から出た。
泣き出しそうな声だったと思う。きっと、情けなく震えてもいたはずだ。
だって、その女性は可笑しそうに笑っていたのだから。
「アハハ、いい気味だわ。アンタが悪いのよ? 私の愛するエリック様を横取りしたアンタがね」
そう吐き捨てると女性は颯爽とどこかへ歩いていった。
エリックというのは第一王子の名前だ。
この時の私が知る由も無いのだが、水を掛けてきた女性は第一王子のことが好きだったらしい。彼女だけではない。齢十五歳にしてエリック王子はその圧倒的な美貌を武器に、国中の女性を虜にしていた。
絶大的な人気を誇る将来有望な第一王子。
誰もが夢見る存在に突如として許嫁が現れたのだ。私がこの日を境に、数多くのイジメを受けることになったのは言うまでもないだろう。
食事に虫や泥を入れられたこともあった。
小石を投げられたこともあった。
使われることの無くなった寂れた部屋に閉じ込められることもあった。
でも、誰も私を助けてはくれない。召使いの人たちも私を無視するようになったし、もう王宮には私の味方なんてひとりもいなかった。
どうして?
私は聖女で特別な存在なのに、どうして嫌われているの?
その答えを知ったのは、初めてエリックと出会った時のことだった。
「君がアリエルだね。初めまして」
エリックは笑顔で私に手を伸ばしてくれた。
美しい人だった。
金色に靡く髪も、凛々しい目元も、柔らかく優し気な笑顔も、全てが完璧で私はつい見惚れてしまった。
この人が私の王子様。
この人と私は結婚して、幸せに暮らすんだ。
今までのイジメがどうでもよく感じてしまう程の幸福が全身を包み込んだが、エリックは無理やりに私の手を取ると、耳元にまで顔を近づけて誰にも聞こえない声量で言った。
「⋯⋯十八歳になるまでもう二度と俺に会いに来るな。お前のようなガキにウロチョロされると目障りなんだよ。それからはっきりさせておくが、俺はお前の祝福を貰ったら好きな女と婚約する。分かるか? お前はただの道具に過ぎない。精々、残りの数年偽りの宮廷暮らしを楽しむんだな」
先ほどの優しい笑顔がまるで嘘だったかのようなエリックの低く冷たい声に、私は恐怖の余り全身を震わせることしか出来なかった。
その様子に満足したのか、エリックは私から離れると満面の笑みを咲かせた。
「これは申し訳ない。俺としたことが嬉しさの余り近づきすぎてしまったようだ。アリエル、君の十八歳の誕生日を心から楽しみにしているよ」
確かそんなことを言って、エリックは御付きの人を連れて去っていった。
この時のことは、あまり覚えてはいない。
ただ悲しくて、悔しくて、私は無我夢中で走っていた。
人目も憚らず走り回って心も体も疲れ果てた私は、大きな庭にある一本の木に背中を預けて座り込んだ。
もう、全てがどうでもよかった。
聖女である意味だとか、第一王子との婚約だとか、国のためだとか。全てが馬鹿らしく思え、気が付くと私は仮面に隠れて涙を零した。
私は誰にも必要とされていなかったのだ。
ただの道具。使い終われば捨てられる。それが私の運命だった。
「うぅ、グスン。うっ、うぅ⋯⋯」
「どうかしたの?」
膝に顔を埋め、泣きじゃくる私の頭上から声が聞こえた。
ゆっくりと顔を上げてみると、そこにはひとりの少年が不思議そうな顔でこちらを見つめていた。
フードを深く被っているため、少年の顔はよく見えない。
ただ、彼が私を心配して声を掛けたことは理解出来た。
「大丈夫? どこか痛いの?」
「⋯⋯あっち行って」
私は拒絶するように手で払いのける。
今これ以上心に傷を負える余裕は無い。どうせ彼も他のみんなと同じだ。心配するふりをして、私をイジメ、傷つけ、笑う。そうに決まっている。
「⋯⋯ひとりにさせてよ」
「えぇ、でもそこ僕のお気に入りの場所なんだけど」
少年は突然私の隣に座ったかと思うと、同じように木へと背中を預けて空を見上げた。
「ほら、こうやって空を見ると気持ちいいんだ。やってみなよ」
「⋯⋯空を?」
言われるがまま、私は空高くを見つめた。
真っ青な雲一つない大空。
果てしなく広がる空を見ながら、隣に座る彼は言った。
「こうしてると全部がどうでもよくなるんだよねー。こんな大きな空の下じゃ、僕ら人間の悩み何て小さなものだろう? そう思わない?」
少年は無邪気に笑ってみせた。
真っ白な歯を出して、一欠片の悪意も感じさせない彼の笑顔に、私も自然と笑みが零れる。
「ふふ、そうだね。そうなのかも」
「だろっ! 君も泣いてるより笑ってる方がいいよ」
「なっ、別に泣いてないもん!」
「嘘だぁ。仮面越しでも泣いてるの分かったよ? 鼻水垂らしてぇ、皺くちゃな顔でぇ、超不細工なのが!」
「不細工じゃない!!」
私がムキになって声を荒げると、彼は心底面白いというように大声で笑った。
「アハハハ! ごめんごめん!」
「もぉ、ふふ。はははは!」
気が付くと、私も声を出して笑っていた。
こんなにも笑ったのはいつぶりだろう。
くだらない会話をしたのはいつぶりだろう。
一頻り笑い終わった私は一度大きく息を吸った。
新鮮な空気が肺を満たし、重く圧し掛かっていた苦しみを解放してくれる。
再び私は空を見上げた。
青い空。それは本当に大きくって、今までの悩みがどうでもよく感じられた。
「そうだね。決めたよ私! 絶対にアイツ等を見返してやるんだから!」
私は勢いよく立ち上がると、未だ脱力して座る彼に向かって手を伸ばした。
「ねぇ、君! ちょっとお願いがあるんだけど⋯⋯」
◇◇◇◇◇◇
七年後。
私は十七歳になった。
今も仮面を着け、のうのうと王宮生活を堪能させてもらっている。
イジメは昔よりもだいぶ減った。
なんせどれだけの嫌がらせをしたって私が碌な反応を示さないのだから、相手からすれば仮面で表情が隠れていることも相まって、それはもう不気味なことだったろう。
それに第一王子のエリックにもあの日以来会ってはいない。
そういう約束だったし、私としても好都合だ。あんな奴の顔なんて、復讐が決行されるその日まで見たくもなかった。
私はこの七年間を復讐のためだけに生き抜いてきたのだ。
そしてついに明日、私は十八歳の誕生日を迎える。見てろよ。明日があの馬鹿共の最期だ!
私が仮面の奥底で笑みを浮かべていると、隣に立っていた男性が呆れたように溜息をついた。
「アリエル様。またひとりで笑っているのですか? 気味悪いので止めてください」
「なっ、はぁ!? べ、別に笑っていませんけど? 言いがかりはよしなさいよフィリップ!」
復讐の炎をスパイスに、優雅なティータイムを楽しもうとしていた私の手が震える。カチャカチャとティーカップが揺れるせいで、フィリップの視線がより一層強くなった。
「と、とにかく! 私はこれから聖女らしく? その、お紅茶を飲みますので! 仮面をズラすのであっち向いていなさい!」
強引にフィリップに命令する。
彼は面倒くさそうにしながらも、百八十度体の向きを反転させた。
危ない危ない。
本当にこの執事は油断も出来ないわ。
私は仮面を動かし、唇へとティーカップを触れさせた。
そう、私は七年を復讐のために生きてきた。
準備は万端。布石は上々。後は十八歳の儀式を待つのみだというのにも関わらず、とんだ障壁が立ちはだかっていた。
二年前。
私の専属執事としてこの男、フィリップが現れた。
昔から王宮には働いていたらしいが、どうやらかなりの問題を抱えているらしく、たらい回しにされたあげく、私のところへ来たというわけだ。
年齢は私と同じか、少し上ぐらいだろうか。
興味も無いので知らない。
ただ、顔は整っていた。
それこそあの顔だけクソ野郎のエリックと良い勝負をするぐらいには。
顔は良い。
イケメンだ。間違いない。
けど、こいつは性格が終わっていた。もうね、本当にどうしようもない。よく今までクビにならずに済んだなと心底思う。
例えばだ。
こうして今、彼の淹れてくれた紅茶を飲んでいるわけだが、普通に命令してもあの馬鹿は素直に淹れてはくれない。
私が紅茶を用意してと言えば、
「私の紅茶の味がアリエル様に分かるわけが無いでしょう。馬鹿舌にお出しする物はありません」
などと言う。
いや舐めているのかこの男は?
腐っても聖女である私に仕えている癖に、これは一体どういうことなのだ。
それでもどうにかお願いすれば重い腰を上げ、一応は紅茶を淹れてくれる。まぁ、冷めに冷めた手抜きのマズイ紅茶だけどもね!
「⋯⋯いい加減ちゃんとした紅茶が飲みたいのだけれども」
「アリエル様の舌が私の紅茶に追いついたのならば考えましょう。一生無理でしょうが」
いや失礼だろ!!
フィリップはこういったことを平然と言ってのける。相手が優しき聖女の私でなければ、即刻打首になっているはずだ。
それに問題は性格だけじゃない。
この男は趣味も終わっている。
何やら私に隠れてコソコソとガラクタを集めているようで、気になった私は直接尋ねたことがあった。
「フィリップ。貴方何を集めているの?」
「これは魔導書です。封印されしドラゴンや悪魔の召喚方法。それと強い呪いについて書かれています」
「それをどうするの?」
「馬鹿舌で偉そうな奴でも呪ってやろうかと」
いつにも増して怪しくニヤリと笑うフィリップに、それ以上私は言及することが出来なかった。
他には⋯⋯そうね。
案外子供っぽいところもあったりする。
お伽話が好きなようで、よく私のために絵本を持ってきてくれた。
「アリエル様。これは聖女と勇者の話でしてね。聖女の力には魔の物を倒す力があるとされているのです」
「あのねフィリップ。私は子供じゃないのよ。そんな絵本は読まないわ」
「ですがアリエル様は子供のように⋯⋯コホン。いえ、子供よりも無知で頭が悪いお子様なのでお似合いかと」
「何で言い直したのよ! まだ子供みたいと言われた方がマシよ!!」
そうやって何度怒鳴ったことだろう。
本当にフィリップは口が悪い。性格が悪い。趣味が悪い。良いのは顔だけ。皮が良くとも中身が腐っていては無意味だ。
でも、そんなフィリップのことを私は本心から嫌いにはなれずにいた。
そりゃあ彼の性格が終わっているのは事実だ。傍から見れば最低最悪。でもね、私だけは知っているの。フィリップが本当は優しいことを。本当はただの不器用な執事であることを。
あれはフィリップと出会って半年が経つ頃だったか。
その日のイジメはここ数年でも特に酷かった。
どんな陰湿な嫌がらせにも、どんな過度な暴力にも耐えることの出来る自信があったのだけれども、人間そこまで強くは無かったらしい。
私はついに限界を迎え、部屋の隅で涙を流していた。
悲しくって、痛くって、もう死にたかった。身も心もボロボロで、復讐の炎も悲しみで消えかけていたの。
そんな時、フィリップが初めて私に温かな紅茶を出してくれた。
「アリエル様。今日は気分が良くてですね、特別に私の紅茶を飲ませてあげましょう。こんな幸運はありませんよ?」
相変らずの調子でフィリップは笑っていたけれど、どこかぎこちなかったのを覚えている。瞳の奥が揺れていたのを覚えている。
私はティーカップを手に取ると、味わうようにゆっくりと紅茶を口に含ませた。
「⋯⋯温かいだけで味はやっぱりマズいのだけど」
「なっ、そ、それはですね。そう! やはり味に関してはまだ私の本気を見せるには早いかと思いましてね」
珍しくフィリップが動揺した。
もしかして⋯⋯、
「貴方、本当は紅茶を淹れるの下手なんでしょう?」
「ハァ!? な、なな何を仰っているのか分かりませんね! これだから馬鹿舌は!」
これまた珍しくフィリップが声を荒げたかと思うと、彼は顔と耳を真っ赤にして逃げるように部屋から出て行った。
「ふふ。変な執事」
私は再び紅茶を飲んだ。
やはりマズイ。
苦くって、香りも無くって、最悪だ。
でも、心が温かくなる。
悲しみを消してくれる。
だって、フィリップの優しさがこの紅茶から感じられたから。
どれだけ性格が悪かろうが、私はこの紅茶の味を知っている。優しさを知っている。だから、私はフィリップを嫌いになんてならない。何年も悪意に晒され続けた私だから分かるの。フィリップに敵意が無いことぐらいね。
そうでなきゃ、二年も一緒に居るわけないでしょう?
最低最悪の王宮の中で、私の心が安らぐ場所はここ以外には無いもの。
私は思考を現実に戻し、ティーカップを置くと、仮面を被りなおしてフィリップに此方を見るよう促した。
「ところで、お願いしていた件はどうなったのかしら?」
「昔王宮で会った少年を探せ、という無茶ぶりですよね? 残念ですが私の腕をもってしても情報すら手に入りませんでしたよ」
大げさにフィリップは肩を落としてみせた。
いちいち反応が気に食わないが、こういう場面でフィリップが嘘を吐かないことも知っている。やはり彼はもう王宮にはいないようだ。
七年前。
復讐を決意するキッカケをくれた少年を、私はずっと探していた。
十歳の私は相変らず頭が回っておらず、少年にとある協力をしてもらうと、名前も聞かずにそのまま別れてしまったのだ。
その後、もう一度彼に会いたくなって探し始めたのだが、ついには今日まで見つかることは無かった。
せめてお礼を言いたかったんだけどなぁ。
残念だけど仕方ない。少なくとも彼が幸せに暮らしていることは間違いないので、それで良しとしよう。
「そう。ご苦労だったわねフィリップ。ありがとう」
「おやおや。アリエル様が私を褒めるだなんて、明日は雨でも降るのですか?」
意地悪に聞き返してきたフィリップに、私も意地悪く言い返してやる。
「生憎明日は雨は降らないわ。その代わり、最高に気持ちの良い負け犬の遠吠えが聞けるかもしれないわね」
◇◇◇◇◇◇
「聖女アリエル! この瞬間、俺はお前との婚約を破棄する!」
運命の日。
聖女が祝福を齎す儀式、つまりは私が第一王子のエリックと正式に結ばれる由緒正しき場で、あのクソ野郎は抜け抜けとそう言い放った。
大勢の民衆が見守る祭壇で、私がエリックに聖女の祝福を与えたまさにその瞬間のことだった。
「この女は聖女の地位を利用して、今まで王宮で数多くの人間に不幸をばら撒いてきた! 特に私の大切な人であるリニアに嫌がらせをした! そうだなリニア?」
演劇でもしているかのように大げさな身振りで、エリックはひとりの女性を祭壇に上げた。もちろん無断でだ。ここまでは想定内ではあるけど、この男に常識は無いのだろうか。
呆れて物も言えない私の前に、リニアと呼ばれた女性が歩み寄った。
「その通りよ! 私は彼女に今まで何年も嫌がらせを受けていたの! 泥水をかけられ、食事に虫を入れられ、腕には火傷を残されたわ!!」
おや、これまた名演技。
リニアは涙を流しながら、包帯の巻かれた右腕を民衆に見せつけた。
待って。
そもそもこの女、私に初めて水をかけてくれたイジメの主犯格じゃないの。道理で嫌がらせの内容に既視感があると思った。だって、全部この女に私がされたことだもの。
「皆聞いたか!? さらにアリエルは他の女性たちにまで同じような嫌がらせを繰り返していたんだ! 俺はこの女を許すことはできない!」
両手を広げ、エリックは民衆を煽った。
イケメンで、優秀で、人格者とされている第一王子がここまで言うのだ。誰も彼が嘘を吐いていると思うはずが無かった。
「最低だ! 処刑しろ処刑!」
「あの女は偽の聖女よ!!」
「エリック様の言う通りだ!」
などと、民衆たちが煩く騒ぎ始めた。
分かってはいたことだけど、流石に傷つくなぁ。被害者は私なのですけれど?
「⋯⋯あの、陛下は何と?」
一応確認はしておこう。
いやね。どうせ無意味な確認なんだけどさ。
「当然、父上の了承の元だ。まさか助けてくれると期待したか?」
「ぷぷ、残念だったわねお間抜けさん」
エリックに続いてリニアも笑う。
うわー凄い嬉しそう。そんなに私のことが嫌いですか。そうですか。でもね、残念なのはそっちだから。私だってこのまま黙って殺される程馬鹿じゃない。今こそ復讐を実行するときだ。
「あのエリック様。ひとつよろしいですか?」
「どうした。命乞いか?」
「いえ、私が処刑されるのは確定なので。そうではなく、体調はどうかと思いまして」
「体調?」
意味が分からないと首を傾げるエリックが可笑しくて、私はつい笑ってしまう。
「ふふ。いや、だから聖女の祝福を受けたのだから、こう力が漲ったり、特殊な変化が現れたりしているのかなぁと」
「別に変化はないな。やはりお前は聖女としても役立たずみたいだな。直ぐに効果が現れないとは才能の欠片も無い」
「そうですねー。でも、いくら時間が経過しても効果は現れないですよ? だって、聖女の力を使ったのはこれが二度目ですから」
「はぁ?」
呆気に取られたようにエリックがポカンと口を開けた。
最高だ。
この間抜け面が見たかったんだ。
「ど、どういう意味だ?」
「そのままの意味です。私の聖女としての祝福は、とっくの昔に別の誰かに齎されています。つまり、今の貴方には絶対的な力とやらも、世界一の幸運とやらも何も無い。残念でしたね」
これが私の復讐だった。
七年前。
庭で偶然出会った少年に、私は既に初めての祝福を捧げてしまっていたのだ。
残っているのはただ傷を癒す程度の力だけ。
私の祝福のためだけに必死に演技し、積み上げてきた人徳も計画も全くの無意味。目の前で呆けている男は、ただのこの国の第一王子でしかない。
「長年良い子ちゃんのフリご苦労様。まぁでも安心してください。エリック様が第一王子であることは変わらないので、勝ち組人生満喫してください。私はもう満足しましたので」
「この平民のクソ女がァッ!! 衛兵! コイツを拘束しろ!!」
怒りのままにエリックが叫ぶ。
思ったより効いているみたいで安心した。別に聖女の祝福なんて無くとも、いずれ国王にでもなれるだろうに。もしかして、私が思っている以上に聖女の祝福は特別な物なのかもしれない。
呑気にそんなことを考えている間に、私の身柄は拘束されてしまった。
両腕を掴まれ、跪き、私の体は完全に自由を奪われた。
大人しく地面を見つめる私に、エリックは腰に差していた剣を引き抜いた。
「⋯⋯最後に言い残すことはあるか?」
懸命に冷静を装うエリックを見上げ、私は心の底から言い放った。
「ざまぁみろ」
「死ねェ! この恥さらしがァ!!」
怒りの沸点に達したエリックが、ついに私に向かって剣を振り下ろした。
あぁ、これで最後か。
まぁどちらにせよ私は死んでいただろうし、一矢報いただけでも十分かな。でも、そうだなぁ。やっぱり最後に一度でいいから、あの日に出会った少年にお礼を言いたかったな。
全てを受け入れ死を覚悟した時、私を襲ったのは冷たい刃の感触ではなく、エリックの戸惑う声だった。
「何だ、アレは⋯⋯!?」
どうしたのだろう。
私も再び顔を上げて見ると、そこには暗闇が広がっていた。
先ほどまで雲一つない晴天が広がっていたはずなのに、いつの間にか空には黒い雲が立ち込め、その中心には巨大な生物が浮遊していた。
黒い体に、巨大な翼。
間違いない。アレはドラゴンだった。
「何故ドラゴンが上空に!?」
驚いたのはエリックだけではない。
民衆の騒ぎ声が悲鳴に塗り替えられ、辺りは一瞬にしてパニックに陥った。
私を拘束していた衛兵も逃げ出し、気が付くと祭壇にはエリックとリニアだけが取り残されていた。
「ど、どうにかしてくださいエリック様!?」
「う、煩い! 無理に決まっているだろ! オイ、誰か! 誰かこの俺を助けろ!! 俺はこの国の第一王子だぞ!?」
「ちょっと、待って! 私を置いてかないで!!」
醜い言い争いが始まった。
人間、自分の命が大事だもんね。
まさか死ぬ前にこんな光景が見られるなんて。
いっそのこと、全員あのドラゴンに焼き殺されてしまえばいいのに。
「同感ですが、アリエル様が死ぬのだけは勘弁してほしいですよ」
「え?」
私の心を読んだかのように、聞き覚えのある声がした。
と、同時に、上空を飛んでいたドラゴンの首が斬り落とされていた。
巨大なドラゴンの肉体が広場に落ちる。
激しい音と広がる土埃。時間を置いて視界が晴れだすと、そこにはひとりの男性が立っていた。
剣を握りしめ、こちらへ向かって歩くその男性を私は知っていた。
「フィリップ!?」
「どうもアリエル様。遅ればせながらこのフィリップ、貴方様の大事な大事な儀式をぶち壊すべく参上致しました」
現状がまるで掴めず混乱する私を無視しフィリップは祭壇に上がると、剣を掲げて大声で叫んだ。
「このドラゴンは第一王子エリック・ルーデインが仕組んだもの! 彼の部屋からドラゴンの封印を解く魔導書が大量に見つかった! 彼は国家転覆を目論む反逆者である!」
「なっ、ハァ!!?」
フィリップの発言に誰よりも驚いたのは言うまでも無くエリックであった。
「な、なにを言っている!? 俺はあのドラゴンとは無関係だ!!」
「証拠は出揃っていますよ? 私は陛下から命を受け、お前のことを調べていたのだ。そうですよね陛下?」
祭壇の奥。
王宮の安全な場所から高みの見物を決め込んでいた陛下へと、フィリップは尋ねた。
「う、ううむ。そ、その通りだ! 衛兵! その反逆者を捕えよ!」
「ま、待ってください父上!? 私は無実です!!」
「黙れこの裏切り者が!」
有無を言わさない陛下の圧力に、衛兵たちもようやく状況を理解したようだ。エリックを取り囲むように瞬時に動き出すと、あっという間に彼を捕らえてそのまま王宮へと連行した。
最後までエリックは無実を証明すべく無様に叫んでいたが、この場でそれを信じる者は誰一人としていなかった。
「⋯⋯まさかエリック様が反逆者だったなんて」
私もそのひとりだった。
信じられない光景を目の当たりにして硬直していると、耳元でフィリップが教えてくれた。
「いや、あのドラゴンは僕が召喚した。エリック様は普通に無実だよ」
「ハァ!? ど、どどどういうことよ!!?」
「僕の自作自演ってこと。陛下に頼まれてっていうのも嘘。ただ証拠も山のように準備したし、あの場はもう陛下もああ言うしかないよ。時間が経つにつれて不利になるのはあっちの方だし」
とんでもない男だ。
いや、フィリップの性格が終わっていることは知っていたけど、ここまでとは思わなかった。正直、もう情報のオンパレードで気を失いそうだ。
「でも、どうしてこんなことを?」
「そりゃ復讐するにはこのぐらいは必要だろう? 七年前、君の計画に手を貸した時点で僕も共犯さ」
「七年前って⋯⋯!」
私が目を見開くと、フィリップは優しく微笑んだ。
「ようやく気付いたのかよ。酷いよな本当」
「だ、だって! そ、その! じゃあ教えてくれれば良かったのに!?」
「誕生日サプライズってことで。それにアリエルを揶揄うの面白かったからついな」
執事だった頃には見せなかった色気のある表情に、私もようやく全てを理解した。
フィリップこそが七年前のあの少年だったのだ。
再会したのが五年後であることや、最初に出会った時にフードを被っていたことで気が付くことが出来なかったが、あのドラゴンを倒したのが何よりもの証拠だ。
聖女の祝福には魔の物を倒す力がある。
そして、人間離れした圧倒的な力を手にすることも出来る。
フィリップがドラゴンを倒すことが出来たのは、紛れも無く聖女の祝福によるものだった。
「それにしてもエグイわね。まさかここまでするなんて」
「アリエルが優しすぎるんだよ。君はどうせ、僕に祝福を与えただけで復讐した気になっているだろうとね。何年も君のために準備をした僕が馬鹿みたいじゃないか」
「それは、その⋯⋯そうよね、ごめんなさい。貴方を巻き込んでしまった」
フィリップがここまで協力してくれたのは、全て私が勝手に祝福の効果を押し付けたせいだ。
あの日、私が復讐のためにフィリップを巻き込んだ。もしも私がもっと利口だったら、他の道を見つけることだって出来たかもしれない。全て、私の責任だ。
「本当にごめんなさい」
「⋯⋯アリエル。僕は」
と、フィリップが何かを言うよりも早く、祭壇に残されていたリニアが彼に詰め寄った。
「フィリップ様と仰るのですね! どうでしょうか。そんな最低最悪の偽者の聖女よりも、私のために仕えてくれませんか? 私、フィリップ様のように強くって格好良い殿方が好みですの」
甘えるような猫なで声で、リニアがフィリップに近づく。
聞いているだけで吐きそうだ。
でも、彼女といる方がフィリップも幸せなのかもしれない。無断で私がこの国のルールを破り、聖女の祝福を使ったのも事実。私が処刑されることに変わりはない。
私はフィリップから離れるべく、祭壇から下りようとした。その時だった。
「どこへ行くんだい。僕の聖女様」
「え?」
フィリップが私の腕を掴み、強引に引き寄せたのだ。
「何をしているのですか!? フィリップ様から離れなさいこの泥棒猫がッ!!」
激高するリニアへと、フィリップは鋭い眼光を向けた。
「僕の大切な人をこれ以上侮辱するのはやめろ。君のような醜い女性よりも、僕は彼女を選ぶ」
「ふぇ?」
変な声が出た。
いや、だって、今フィリップは何て言ったの?
大切な人?
彼女を選ぶ?
待って待って。つまり、フィリップは私の事を⋯⋯。
「私が醜いですって!? 有り得ない! その女の方が百万倍醜いに決まっているわ!!」
「では確認するかい?」
「え」
フィリップは私の顔の高さまで屈むと、そっと仮面に手を伸ばした。
「待ってフィリップ! 仮面は来たるべき時まで外しちゃいけないのよ!?」
顔を見られる恥ずかしさから、私は必死に抵抗した。でも、フィリップには無駄だった。
「今がその時だよ。それに、君はもう聖女じゃない。僕のたったひとりの大切な人。ただのアリエルだ」
そして、フィリップは私の仮面を取っ払った。
露わになった私の顔。
それを見て最初に声を上げたのはリニアだった。
「うそ、綺麗。私よりも⋯⋯? 嘘よ、嘘! 有り得ない!?」
絶望するように膝から崩れ落ちるリニアを無視し、フィリップは嬉しそうに微笑んだ。
「ほらね。やっぱり君は美しい」
「⋯⋯っ、だから嫌だったのよ。私が貴方を好きになっていること、バレちゃうじゃない」
顔から火が出ているようだった。
焼けるように熱い。
きっと、私の顔は赤く火照っているのだろう。
目の前にいる男性が好きで好きでたまらない。この溢れ出る好きが、隠すことが出来ずに顔に出てしまっている。
「アリエル。僕はずっと君のことが好きだった。だから謝らないでくれ。僕は僕が君に協力をしたくて今ここにいるんだ。それに謝るなら僕の方だ。周りの目があったとはいえ、君には冷たい態度ばかり取ってしまった。ごめん、アリエル」
フィリップの謝罪に私は微笑んだ。
「大丈夫よ。私に王宮で関わる以上、冷たく接するしか方法がないもの。でもねフィリップ。嘘はダメよ。貴方が私に悪い悪い性格を押し付けたのは、恥ずかしかったからでしょう? 大好きな私と一緒に居ることが」
普段のフィリップを真似て、私は意地悪く笑って見せた。
「どうなのかしらフィリップ? 最後ぐらい素直になったら?」
「⋯⋯最後ぐらい。そうだね。じゃあアリエル。僕のもうひとつの罪も聞いてもらえるかい」
「もちろんよ。だって、罪を浄化するのが聖女の役目ですもの」
私の言葉にフィリップは真剣な表情を作ると、熱の籠った瞳を向けた。
「聖女様。僕はひとりの美しい女性を愛してしまいました。そして、その女性を虜にしてしまったのです。僕はこの罪を一生背負い、彼女を心の底から愛し続け、幸せにすると誓います。⋯⋯アリエル。僕と結婚してくれないか?」
「⋯⋯はい、喜んで」
私が返事をすると、フィリップはどこかホッと胸を撫で下ろしていた。
彼なりに勇気を振り絞ってくれたようだ。
そう考えると、さらにフィリップのことが愛おしく感じられた。
「それじゃあ行こうかアリエル」
フィリップは目配せをすると、私の体を抱きかかえた。
所謂、お姫様抱っこというやつだ。
「ちょ、ちょっと!?」
「大丈夫大丈夫。そこまで重くは無いから」
「何でちょっと重い風に言うのよ!? じゃなくて、どこに行くつもりなの?」
「この国じゃないどこか。君と一緒に幸せに暮らせる場所さ」
「そんな場所、あるのかしら?」
少しだけ不安を零すと、フィリップは私の額に唇を触れさせた。
「大丈夫。僕には世界で一番可愛い聖女様の祝福があるからね」
フィリップの言葉に私は笑った。
そうだ。
私たちには、きっと幸せな未来が待っている。
聖女じゃなくっても、祝福が無かったとしても、貴方と居られればそれが私の幸せなのだ。
私が頷くと、フィリップは勢いよく空を駆けた。
暑苦しい日差しに負けない程の心地の良い熱が、私の体を優しく包み込んでいた。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
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