手筈通りに
「!!」
背後から唐突に呼び掛けられたケルシュは、声がした方を振り向き固まった。
エイトルよりも背が高くケルシュよりも年上に見えるその男は、黒い瞳を細めて猜疑心に溢れた疑いの目を向けてくる。
明らかに警戒されており、懐に手を入れるその男は剣を持っているに違いないと直感で感じ取った。
マズイところを見られたわ…
常に隣国と小競り合いをしている辺境伯家は、王都にいる貴族達のように平和ボケしていないから手加減しない。ここで下手なことを言えば、拘束される可能性だって十分にあるわ。
これ以上家族に迷惑を掛けるわけにはいかない。なんとか上手く乗り切らないと…
「沈黙は反逆の意思ありと捉えるぞ。」
男は噴水を回り込み、向こう側に立つケルシュに一歩近づいた。
「私はただ…」
軽く両手を挙げ敵意が無いことを示した上で、ただ逃げて来ただけだと事情を話そうとしたが、そこから先の言葉が続かなかった。
…って、ちょっと待ってよ。
私はこの家の夜会に招待されて参加した結果変な男に迫られてここに逃げ付いただけであって、何一つ悪いことなんてしてないじゃない。
こんな風に頭ごなしに言われる筋合いなんてないわよ。私が謝る必要なんてどこにもないわ。むしろ文句の一つでも言うべきよ。
「まずは、何かあったのかって心配して声を掛けるべきなんじゃないかしら?貴方そんなことも分からなくて?」
ケルシュは胸の内に沸いた疑問を無視することが出来ず、気付いたら口走っていた。
「…かった。」
「え?」
「…悪かった。」
「は」
今度ははっきりと謝罪の言葉を口にした男に、ケルシュは別の意味で固まっていた。
目を丸くして口を半開きにしたまま男の顔を呆然と見返す。
この国では、男が女に対して謝るということは滅多に起きることではなく、それも初対面で年下相手に自分の非を認めることなど絶対にしない。
だからこそ、ケルシュは自分の身に起きたことがすぐには理解できなかった。
「ちょっと貴方一体何を言って….」
「ケルシュ!」
ケルシュが男に真意を問おうとしたその時、ひどく焦った様子で力強く彼女の名を呼ぶ声がした。声の主はエイトルだ。
彼女の行方を追っていた彼は、人気のない場所で大男と対峙しているケルシュを見つけ、血相を変えて走って来たのだ。
自分の方を振り向いたケルシュにぶつかる勢いで距離を詰めると、力強く抱きしめた。
「エイトル?」
困惑する彼女を無視して、エイトルは彼女の膝と脇に手を入れて軽々と抱き上げた。
「は?ちょっと!いきなり何するのよっ!」
いきなり全身を浮遊感に包まれた彼女は、手足をばたつかせた。
だが、いくら彼女が暴れたところでエイトルがそれを気にする様子はない。
彼の視線は、目の前の大男に固定されていた。
「俺の女に手を出すな。」
横目で鋭く睨みつけると、前を向いたまま普段よりもやや大きな歩幅で会場内へと向かう。
男がエイトルに対して何か言うことはなく、黙って去り行く背中を見ていた。
「もう大丈夫だから降ろしてちょうだい。」
「やだ。お前が言ったんだろ。」
会場内に戻っても尚、エイトルが彼女を手放す素振りはない。
多くの視線を浴びながら、確実な足取りで会場出口へと向かう。
「言ったけれど…」
「なんだよ、今更恥ずかしがるのか?」
腕の中にいるケルシュが目を逸らす姿を見て、エイトルの口元が僅かに緩む。無意識に期待するような眼差しを向けてしまう。
「やっばり私、モノ扱いされるのは嫌だわ。背中が痒くてしょうがないの。次はもっと違う台詞にしましょう。」
「・・・」
無駄な期待と分かっていたエイトルだったが、想像以上の返しに言葉が出てこない。
その代わり、何を言われても今自分の中に彼女がいる事実は変わらないのだと、彼は無理やり前向きに捉えることにしたのだった。