16 裁きの杖
「・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・・ん・・」
「・・・裁きの杖を使っても、何も起こらんな・・・」
海賊たちや女神の祝福たちは、顔を見合わせていた。
「ぐあはははは、人間の力などそのようなものだ」
バルバロスが高笑いした。
「大丈夫だ。裁きの杖は絶対だとルカの民には伝わっている。バルバロスに、これから起こる全てのことが、天の裁きとして下されたものだ」
ガイが唾を飲み込み、真剣な面持ちで呟いた。
バルバロスが残忍な笑みを浮かべた。
「来るぞ。魔法波だ」
マナツが叫んだ。
「もう止めてー」
エーアデが、バルバロスに向かって声を張り上げた。
「・・・ど、どうしたことだ。魔法波が出ぬぞ」
バルバロスが、動揺し始めた。
「チャンスだ。一気に決着をつけるぞ」
マナツが指示を出した。
その時、上空から黒い炎がバルバロスに降り注ぎ、全身を包んだ。
「あ、キュキュだわ。キュキュー」
テラは上空を見上げると、茜色の空にキュキュの影が映っていた。
キュキュの黒い炎を浴びたバルバロスから青白い光が飛び出て行き、キュキュに吸い込まれた。
「キュキュ、今まで何をしていたの」
『キュキュ、タタカッテ・・イタノ』
「戦うって何と?」
『・・・アレ』
「え?」
地上を影が覆った。その刹那、バルバロスは、空から舞い降りてきた巨大な生物に下半身を喰いちぎられた。
「なんだ、何が起きたのだ」
デューンが大声を上げた。
あまりにも巨大な生物が、至近距離に現れたため、目の前が真っ黒に染まりこれを識別できないでいたのだ。バルバロスの上半身が地面に転がり落ちてきた。
テラが指をさす。
「あ、あれ・・・始祖龍ファーブニル」
グルォォォォーン、凄まじい雄叫びが鼓膜を震わせる。
「く・・海賊たちは、古代樹の陰に避難しろ。走れ」
マナツが指示を出す。
「女神の祝福、攻撃を開始する。狙いは始祖龍ファーブニル」
女神の祝福メンバーは、ファーブニルを中心に展開を始めた。
「母さん待って。ファーブニルの姿が少し変よ」
ファーブニルは、人間たちには目もくれず、バルバロスからライフフォースを摘まみ上げた。
ハフが、ファーブニルの状態を観察する。
「キャプテン、ファーブニルは、こちらには関心が薄いようだわ。それに、翼に穴が開いて、喉の鱗も剝がれ、血が滲んでいるわ」
リッキも、ファーブニルの体を改めて観察してから指摘する。
「ハフの言う通りだ。角の先端も折れている。ファーブニルがボロボロだ」
「もう、イフリートを呼ぶしかない」
デューンは、胸の受胎の刻印に手を当てた。魔力を右掌に込め転写して、炎祭神獣イフリートを召喚しようとしている。
それを見たリッキが、デューンの前に手を突き出して制止する。
「デューン、待て!」
「え、リッキさん、どうして」
始祖龍ファーブニルが、胸を張り左右の翼を広げた。辺り一面に影が差す。ファーブニルが巨大な翼で羽ばたくと、ブワッと突風が起こり、草木が靡いた。
女神の祝福たちも、腕を顔の前に当てて、突風を避けている。始祖龍ファーブニルは力強い羽ばたきと共に、茜色の天に舞い上がり、北へ飛び去って行く。
リッキは、ファーブニルから視線を逸らさずに呟く。
「ファーブニルの目当ては、ライフフォースだ。目的を達成したら、無益な戦いはしない。歴戦の戦士と同じ考え方だ」
ダンも額の汗を拭い、1つ息を吐く。
「ファーブニルは、我々が潜在的パートナーと本能で理解したのかもしれませんね」
「儂は、ばりばり肝を冷やしたばい。あしぇもほれ」
ファンゼムは掌の汗を見せた。
デューンは、胸の刻印に触れたまま、リッキを見上げる。
「リッキさんは、どのような状況でも、敵を冷静に観察している。やはり本物の戦士だ」
下半身をファーブニルに喰われ、上半身だけとなったバルバロスが、粗い呼吸とも苦痛の呻き声とも区別のつかぬ音を上げる。
「ゴフー、ゴフー、ゴフー、ゴホッ、ゴホッ・・・」
テラが、バルバロスの千切れた上半身に近づいて行く。
「いよいよ、バルバロスもこれで終わりね。今、楽にしてあげるわ」
「これで、我も人間として生を終えられる」
「その手は、2度と通じないわ」
「・・・・私には、もう回復する力はない。先ほど全ての魔力を消滅させられたのだ。そこのダックスにだ」
当のダックスは、訳が分からず金色の瞳を大きくして、首を左右にブルブルと振っている。
「ゴフー、ゴフー・・・ダ、ダックス、・・・いや、エーアデ、お前は・・・まだ気づいておらぬが、反属性魔法が・・、魔力を・・・消滅させる力が・・あるのだ。だから、この最悪の時のために・・・お前を船に・・ゴホッ」
バルバロスは、仰向けのまま天を見上げる。
「・・・これも裁きの杖の杖の効果・・・ゴホッ・・なのか、人の心が蘇ってきている。あの・・温かな思い出と共に・・・ダディ様、シュリ様、メグ様・・・」
メグが、脇腹を抑えながら、バルバロスの上半身に倒れ込む。
「バルバロス・・・・」
「ゴホッ、メグ様・・・俺は焦り過ぎていたようだ・・いつもそうだ。肝心な時にへまをする」
「バルバロス、貴方の苦悩を傍でずっと感じていた」
「・・・人の心が蘇った時に、まずダディ様との出会いを・・思い出しました」
「バルバロス、もう良い、無理をするな」
「いえ、メグ様、どうぞ聞いてください。私のダディ様とシュリ様、そしてメグ様との温かくも悲しい思い出です。それは、まだ、今のメグ様よりも若い頃・・・」
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
「放せ、手を放せよー」
「大人しくしろ」
少年は、守護者のナグリとハリューに両腕を押さえられている。少年は歯を剥き出して激しく抵抗する。
「痛っ、此奴、俺の腕に噛り付いていやがる」
ナグリは少年の腹に膝蹴りを入れた。
少年は、ゲホッと息を吐いた。ナグリは腕を抑えながら、少年の髪を鷲掴みにして顔を睨んだ。
「小僧。よく聞け。お前が盗んだべグルはくれてやる。その無色透明の瞳。お前はルカの民だな。この国や大陸にいるルカの民のことを知っていたら、俺たちに教えろ」
「・・・ルカの民なんて知らねぇよ。早く手を放せよ」
「小僧、よく聞け。その無色透明の瞳は隠しようがない。安心しろ、俺たちもルカの民だ」
少年は、抑えつける男の瞳を見た。
「琥珀色の瞳・・・・嘘つくんじゃねぇよ。お前たちは琥珀色の瞳じゃないか」
「お前、自分でルカの民と認めたな。俺たちは守護者だ。無色透明からこの瞳の色に変わったのだ」
「いい加減なことを言うんじゃねえよ」
その時、前方から若い男の声が響いた。
「私の名はダディ・ア・プロナジャタ。ルカの民、長の直系だ」
「・・・・・」
少年は、ダディの顔を見上げ、その無色透明の瞳で琥珀色の瞳を見つめた。
「其方は、名を何と申す」
「・・・バルバロス」
バルバロスは、視線を斜め下に落として苦い表情をした。
「バルバロスよ。私は、迫害を受けるルカの民を救いたい。私と共に来い」
〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇
「あら、よいお味。バルバロスは、何でもできるのね」
「シュリ様、貴方が教えてくださるお陰です」
「今日のこの煮込みは抜群だな」
「ダディ様のお口に合って何よりです」
「バルバロス、私は、10年間で、この国に隠れるように住んでいるルカの民全て探し出すつもりだ。そして、全てのルカの民と共に、我が故郷ルカの里へ帰郷する。それまでの間、保護したルカの民の住まう隠れ里を、この地に造ろうと思う。バルバロス、この事を覚えておけ」
「ダディ様、承知しました」
〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇
「バルバロス。ルカの民ばかりではなく、虐げられていたドワーフ、獣人、エルフなども我々の下へ集まって来ているな」
「この者たちもこの隠れ里に匿いとうございます。ダディ様、よろしいでしょうか」
「当たり前のことを聞くでない。偏見や迫害に苦しむ全ての者たちを救うのだ」
「ありがとうございます。今日だけでも、多数の多様な者たちが、この隠れ里パラディに逃げ集まって来ています。それは、日に日に増えております」
「バルバロス、この者たちの面倒を見てやってくれ」
「若輩者の私には荷が重すぎます」
「お前には、心の優しさがある。その慈悲の心で皆に接するのだ」
「・・・皆が私のことを認めるでしょうか」
「バルバロス、お前ならできると信じておる。それに、今では、お前を実の弟の様に感じている」
「勿体ないお言葉です」
「お前が私の右腕となって、パラディの民をまとめろ」
ダディはバルバロスの肩に手を置いた。
「・・・承知しました」
バルバロスは、ダディの琥珀色の瞳を真っすぐに見て答えた。
〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇
「やったぞ。水源を掘り当てた。井戸が湧いた。これで川だけでなく、新しい水源もできた」
ダディとバルバロス、守護者、エルフ、ドワーフ、ドワーフなどが肩を叩き合って喜びを分かち合っている。
「ダディ様、やりましたね。ぷっ、ダディ様の顔が泥だらけですよ」
ダディが湧いた水を両手ですくい、顔を洗った。
「冷たくて気持ちいが良い。バルバロスお前も顔を洗え。皆も洗え」
パラディの民も顔を洗い、喉を潤す。
「冷たくて、旨い。ダディ様のお陰です。この国に生まれた獣人の私が、生活に希望を持てるなんて夢のようです」
「そうですとも。私たちドワーフ一家も豊かに暮らせています」
「人として、希望と誇りを持てます。ありがとうございます」
「それは、私の願いに皆が協力してくれているお陰だ。家族のため、このパラディのために今後とも頼むぞ」
「はい、勿論です」
バルバロスは、ダディとパラディの民の喜ぶ顔を見て、満ち足りた心になっていた。
〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇
エデアに逃げて来た家族に、お互い様だと言って、自分の食料を分け与えている女性たちがいた。何度も頭を下げて感謝の言葉を述べる家族、分け与えた女性たちも優しい笑顔で応えている。
「貧しくとも互いに分け合い、それを双方の喜びとしている。人とは素晴らしいものだな」
「隠れ里パラディが、理想郷のあるべき姿を示してくれているようです」
「バルバロス、覚えておくのだ。人に奉仕するという事は、与えた物やその恩恵に価値があるのではない。行為そのものが尊いのだ」
「はい。行為そのものが尊い。しかと肝に銘じます」
「こうしてみると、パラディの住民同士が、一つの家族の様だな」
「それも、ダディ様のお陰だと、皆も感謝しております」
「お前の力が大きい・・・バルバロス、お前には人を統べる才がある」
「え、私に? もったいないお言葉です」
「これからも住民と共に力を合わせ、差別がなく、全ての民が公平で健やかに暮らせるパラディを共に築いていこうではないか」
「はい、それが私の使命だと考えています」
〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇
「ダディ様、ご指示のあったあの居住区の増設は順調です。森の開墾も進んでいます。来年には畑もかなり広くなります」
「バルバロス、苦労をかけるな」
「それから、2日前に、不足していた鍛冶職人と織物職人の家族がこのパラディに移り住んできました。皆の力で日に日に希望が膨らみます」
「異なった才を合わせることで発展していく。素晴らしいことだな。これが人の世のあるべき姿だ」
「はい、私もパラディの民も、この里の発展が生きがいとなっております」
「これから、もっと人も増えるであろう。大きな里になるぞ」
「はい、自分の存在感と有用感を味わえる里が、こんなにも皆に活力を与えるとは知りませんでした。楽しみが増えます」
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バルバロスが、遠くを見つめ、涙を流していた。
「バルバロスよ。どうしたのだ」
「嬉しくて・・・思わず涙が・・・見てください。あの乳児と母親」
バルバロスは、腕で涙を拭いながらダディに続ける。
「ここに着いた時には、あの乳児は栄養失調で衰弱していました。母親もひどく痩せ、痣もあちこちにあり、精神的にも不安定でした。でも、今は、体力も回復し、幸せそうに笑っています。このパラディに来て安心して生活できているからだと思います」
「むう、偏見や差別とは、なんと惨いことなのだと改めて感じるな。人としての尊厳の有無が、人の心を生かしも、殺しもする。このパラディの存在意義を実感できる」
「はい、あそこの子どもたちを見てください。エルフ、ドワーフ、獣人、ルカの民が混じり、偏見や迫害とは無縁に、楽しそうに遊んでいます」
バルバロスが指さす先には、子どもたちの姿があり、そこから笑い声が響いていた。
嬉しそうにバルバロスが喜びを口に出す。
「幼い子供たちを年長の子どもたちが、面倒を見ながら遊んでいます」
この姿にダディも目を細める。
「子どもの時には、自然にできていたことが、大人に成ると難しくなる。いや、社会の偏った価値観に染められていくためなのか。そして、知らず知らずのうちに、互いが不幸になっていく」
「幸福を求めているはずなのに、皮肉なものですね」
「あー、ダディ様、バルバロス様」
「ねー。一緒に遊びましょうよ」
子どもたちが走り寄って来る。ダディとバルバロスにしがみ付く。
「子どもとは良いものだな。心が優しく明るく成れる」
「全くです。我々の希望です」
ダディとバルバロスは子どもたちに広場へと手を引かれて行った。
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「ダディ、報告があるの。私、妊娠したみたい」
「誠か! シュリでかしたぞ」
ダディがシュリの腹を優しく撫でる。シュリの腹に耳を当てる。
「やだ、まだ何も聞こえやしませんよ」
「そ、そういうものか・・・」
「ダディ、これで貴方もパパね」
シュリがダディの琥珀色の瞳を覗いた。
「ダディ様、シュリ様、ご懐妊おめでとうございます」
「ありがとう。バルバロス」
〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇 ・ 〇
「オンギャー、オンギャー・・」
「シュリ、生まれたのか、お前の体は無事か」
お産婆をしていたドワーフのファファ婆が答える。
「シュリ様は、無事です。母子共に健康です」
「貴方。女の子です」
「そうか。よく無事に産んでくれた。女の子か、そうか、そうか。俺の子だ。俺の子だ」
「ダディ様、女の子が生まれたのですね。おめでとうございます。私も嬉しいです」
ダディは、バルバロスと抱き合いながら跳ねていた。
「貴方、嬉しいのは分かりますが、まず、次期巫女としての祝福の儀式を・・・」
「あぁ、そうであった。まずこの子の名だ・・・メグとする」
「メグ・・・良い名です」
ダディは、短杖を生まれたばかりのメグの額に当て、目を瞑った。
「メグに祝福を。メグが巫女となり、ルカの民を統べる時に、道を違えた場合には天の裁きを」
ダディが短杖を鞄に戻す。
「ダディ様、その杖の儀式は何ですか」
「これは、裁きの杖だ。メグが道を違えぬためのルカの儀式だ」
「ダディ様とシュリ様のお子ならば、必ずや良き指導者となることでしょう」
「バルバロス、メグを支えてやってくれ」
「お誓いします。メグ様をお支えします」




