第8章 橙色の食卓
第8章 橙色の食卓
母屋の中は見かけよりも広く感じた。中央にテーブルと椅子、樽、その右にはちょっとしたスペース、梯子の上には広めのロフトがあった。左には暖炉、その脇の壁にはショートソード、ソード、槍、斧も数本ずつ掛けてあった。さすが鍛冶職人の小屋だ。
バイカルさんは部屋に入ると、左肩に担いでいたサンドバック型のバックをテーブルに置いた。ゴトッと音がして相当な重量だったことが窺えた。背中から大剣を外すと、壁に掛っているソードの脇に並べて掛けた。この大剣は、自作の一品物だそうだ。
そこへ息子のペーターと初老の男性が入って来た。初老の男性は60代半ば、頭髪も、顔の輪郭を隠すような立派な髭もほとんど白かった。身長こそ低いが、がっしりしていて力強そうだ。バイカルさんと同じような黒いつなぎと革の黒い紐靴を履いていた。炭焼き職人として、ここで春から秋にかけて住み込みで炭を作っているそうだ。
「ダイチです。森の河原でバイカルさんに助けてもらいました」
と、名乗ると男性は、
「ガリムじゃ。森の河原で1人か、それは難儀じゃったのう」
こちらを真っ直ぐに見て言った。その時、妻のミリアさんが入って来て、俺の前に立った。
「こんにちは、バイカルの妻のミリアです。もし、よろしければこれをどうぞお使いください」
と、微笑みながら、靴と靴下を俺に手渡してくれた。先程小屋の前で会った時に、裸足と泥だらけの靴下を見止めていたのか。
「よく出来た奥さんですね、バイカルさん。羨ましい!」
心の中で叫んでいた。
「ダイチといいます。バイカルさんに助けていただいた上に、このようなご好意をいただくとは恐縮です。ありがたく使わせていただきます」
背筋を伸ばしお礼を伝えた。どことなく品を感じる女性なのでついつい改まった口調になってしまった。ミリアさんは、二十代後半、黒色の瞳と髪、長い髪を後ろで束ねている。服は質素だが上手に着こなしていている。女性が俺の眼を見ながら話をしてくるので、つい照れてしまう。外で子供たちと挨拶をした時も子供たちはこちらの眼をしっかりと見ていたので、母親がよい躾けをしているのだなと感じた。
「あはははは、ダイチ、そう硬くなることはない。ペーターもエマもここで自己紹介をしろ」
ペーターはすっと前に出て、こちらの眼を見ながら、
「ペーターです。10歳です。初等学校に通っています。得意なことは、物づくりです」
しっかりとした口調で話した。
ペーター君は、アイテムケンテイナーのボックスサイズの持ちで、バイカル家の自慢の息子だということだ。
今度は妹のエマちゃんだが、緊張したのか急に母のミリアさんの後ろに隠れてもじもじしていた。ミリアさんがその場にしゃがんで、エマの瞳を見て微笑んでからエマの背中を優しく押した。エマちゃんは前に出て下を向いていたが、目を上げた、
「エマです。5歳です。歌が好きです」
照れながらもエマの瞳は俺を見ていた。
「よし、自己紹介は終わった、ダイチはしばらくここにいる。よろしく頼む。外国からこのローデン王国に来て間もないので、困った時には力になってやってくれ。それじゃ、次はこれを・・・・あ、ダイチは靴下と靴を履いてくれ」
と言うと、バイカルはテーブルの上に置いたサンドバック型のバックから龍神赤石を取り出した。
「こりゃー、龍神赤石じゃねえか」
ガリムが驚いて龍神赤石を掴むと持ち上げてしげしげと見つめ出した。
「まちがいねぇ、龍神赤石だ、しかも大きい。これをいったいどこで」
「ダイチだ。河原でダイチが龍神赤石を見つけ、俺がそのダイチと出会った」
バイカルはそう言いながら、バックの中に手を入れてガラガラと龍神赤石をテーブルの上に広げた。
「おいおい、こりゃすげー。さすがバイカル親方だ。よくこれだけの量を持ち帰った」
ガリムは龍神赤石を持ったまま振り向いて、靴の紐を結んでいるダイチを見た。
「龍神赤石は、魔物を寄せ付けないかならな、その分値が張るがなー。これだけあったら、大きなお屋敷だって建っちまうんじゃねえかぁ。これで坊ちゃん、嬢ちゃんたちも安心だ。まぁ、兄ちゃん、いやダイチ、大手柄だな。がっはははぁ」
ペーター、エマからも、
「お兄ちゃん、赤いお石をありがとう」
と、言われてダイチは少し照れた。
「靴履けました。ありがとうございます」
「よくお似合いですよ。少し大きいでしょう。大丈夫かしら」
ミリアが、心配そうに尋ねる。
「俺のお古だから見栄えはよくないが、よく似あってるぜ」
バイカルは、顎に手をあてながら言った。
「いえ、靴下は清潔だし、靴もしっかりとしたものだったのです。ご配慮に感謝します」
バイカルから貰った革の黒い紐靴は、炭焼き小屋に置いてあった予備の靴であったらしく、ほぼ使用した感じがなかった。鍛冶作業にも使用する靴なので、厚手の革で作られていて耐熱仕様、何より硬くて頑丈だった。足首の上まである登山用シューズに近かった。
ダイチは、サイズが少し大きめだけれども、紐で締めれば問題なしと考えていた。
「お前たちには、これをお守りにあげよう。魔物から守ってもらえるからな」
と、言うとバイカルはペーターとエマに1つずつ龍神赤石を手渡した。
「ありがとう、お父さん」
ペーターとエマは大事そうに両掌で包み込むように龍神赤石を持ち、しばらく見つめていた。
「少し早いが夕食にするか」
バイカルさんの声に、
「やったー。今日は美味しいお肉が食べられるー」
と、小躍りするエマちゃん。
ミリアさんは炊事場へ、ガリムさんは作業場へ、俺はバイカルさんと一緒に小屋の周辺に魔物除けに龍神赤石を置きに行った。
夕食は、ハーフラビットのソテーとジャガイモと玉ねぎ、にんじん、ハーフラビットの肉を煮込んだプ―プ、それとベグルというこの世界の一般的なパンだった。ベグルは、バターや牛乳、卵を使わずに生地をリング上にして茹でてから焼くパンで、元の世界のベーグルに似ていた。
テーブルは4人掛けだったが、詰めて6人で掛け、中央にはランプを置いていた。6人の顔や服もほのかに橙色がかかり温かな色合いだった。その後ろの壁はうっすらと橙色に染まり6人それぞれの影が時より揺れていた。
「今日、僕はジロジ山脈にあるキリセクレ山に白いドーナツのような雲がかかっているのを見たんだ。カミュ―様の輪かもしれないね」
と、ペーターが言うと、バイカルが、
「それは縁起がいいな。今年は12年に1度のお干支祭だからな。ペーターもエマも初めてだろう」
「うん、とても楽しみだよ。カミュー様の姿をした山車を早く見てみたい」
「エマもカミュー様の飾りつけとお歌を歌うんだ」
「エマはミュー様の童歌をお干支祭で歌えるのが嬉しくてしょうがないみたいね」
ミリアさんが微笑む。
「あそこで歌えるのは、小さい子供だけだから、一生に1度あるかないかの大舞台じゃな」
ガリムはエマを見て言った。
ダイチは微笑ましい会話にうんうんと頷いていた。
食事は、どれも温かく美味しかった、特にハーフラビットのソテーは脂身がほとんどない赤身で、柔らかな歯ごたえもあった。臭みも感じられずメイン料理に相応しい味だったと、ダイチは感激していた。ピーターもエマも美味しいと繰り返した。
橙色の温かな光は顔のほりを際立たせ、美味しそうに食べる子供たちを見るバイカルやミリアの笑みをいっそう幸せそうに演出していた。ダイチはこの世界に来て、初めての安全、安心を実感した。自分の心が穏やかで温かくなって、この家族と共に団らんを実感している。そして癒されている。そんな思いが湧き上がっていた。
食事が済むと、バイカルとガリム、ダイチと3人でテーブルを囲みサトウキビから作られたラームという酒を飲んでいた。この地方ではラームと、ジャガイモと穀物を発酵させてから蒸留したジラク、ワイインという葡萄を発酵させた酒が一般的らしい。ミリアさんと子供たちは脇に置かれた大きな樽をテーブルにして、ブドウを絞ったジュースを飲んでいた。笑い声の響く楽しいひと時となっていた。
「ところでガリム、あれだけの龍神赤石があるということは、ジロジ伝説通りだな」
バイカルが切り出した。
「バイカル親方、ありゃー伝説ではない。俺たちのように昔から森や山で炭を焼いたり、石を掘ったりしている山の民は、子どもの時からその話を言い聞かされてちょる」
ダイチは伝説という言葉に興味をそそられた。
「ジロジ伝説ってなんですか」
ガリムは杯を傾けながら語った。
「ジロジ伝説ってのはな、このドリアド地方には、作物の豊かな実りを与えてくださるカミュー様がおられて、我ら民は皆、感謝の祈りを捧げておる。ジロジ山脈にある洞窟にそのカミュー様が住んでいらっしゃるって話じゃ。カミュー様の住んでおられる洞穴の中には滝と泉、池、川がある。その泉の水は川となって流れ、その川はカミュー様の通り道になるそうじゃ。その通り道には黒曜石や極稀に龍神赤石が取れるということじゃ。この地方の童歌にもあるぞい」
「なる程、ということは俺がたどり着いたあの川はカミュー様の通り道だったということか」
ダイチは杯をぐいっと空けた。あの川底に巨大な頭蓋骨があったよな、カミュー様と関係があるのか聞いていてみようと思ったところに、
「お、やるじゃねえか。もっと飲め。ぐっといけ」
バイカルはテーブルの上に置かれたミニ樽からラームをダイチの杯に注ぎながら尋ねた。
「ダイチ、そういえば草原で多数の魔物と人間たちの戦いを見たって言っていたが、どんな特徴の魔物だったんだ」
「緑色をしてヒョウ柄の鎧を着て、手には斧を持っていました」
その答えを聞くとバイカルの動きが止まった。
「何、それはオークだ。オークの数と戦っていた人間はどうだった」
「オークは400匹位で、後から小隊が次々と参戦して来ました。人は全身に銀色の鎧を着ていて輝いていました。400人位いたと思います」
ダイチは一つひとつあの光景を思い出しながら答えた。
バイカルは、バーンとテーブルを右手で叩いて立ち上がった。ミリアもピーターもエマも俺もビクッと体を固めてバイカルを見た。
「なんだとー! しくじった。オークめ、本格的に攻めて来やがった」
「そりゃ、ローデン王国軍とオーク軍との戦闘に違いねえ」
ガリムも顔を上げ、目をダイチに向けた。ガリムは手の杯を握りしめていた。
「俺は、ダイチを連れてここに戻る途中の森の中で、3,4匹の獣人と思われる足跡を見た。しばらく観察したが、あれはここ1日、2日の足跡だった。まさかとは思ったが、つじつまがあった、あれはオークの足跡だ」
ダイチは森の中でバイカルが顎に手を当てて、足跡をしばらく見つめていたのを思い出していた。
「オークは人間ほど協調性に富んでいない。ほとんどが血縁の4,5匹の小部隊で活動することが多いと言われている。足跡は森の端に近く、ここら1時間程だ。オークの小部隊が迫っている可能性がある。この炭焼き小屋は放棄する。出発は明日の早朝、日の出とともにだ」
「ダイチがみた戦闘でオーク軍が勝ってりゃ、ここにもオーク軍が攻めて来るかもしれねぇ、負けても落ち武者となってここに来ることも十分考えらるしなぁ。4,5匹の小部隊でのゲリラ戦もあるかもしれねぇ」
そう言うと、ガリムは小屋の方へ向かった。
「ミリアは最低限の荷物だけをまとめろ。食料は4日分。それからポーションと毒消薬だ。子供たちは外に出るな」
ミリアは黙って頷くと、不安そうな目で覗き込む2人の子供たちの背中を抱きかかえた。
「大丈夫よ。父さんがいるわ」
と、2人の子供の達の瞳を交互に見ながら微笑んだ。
「お父さんがいるから、大丈夫だよ」
「おとうさん、大丈夫よね」
「勿論だ。俺が守る」
と、2人の子供たちと妻の背中を抱きかかえた。子供たちはバイカルの大きな背中に手を回し、服をぎゅっと握っていた。
バイカルは立ち上がると壁に掛けてある大剣を背負った。腰にはソードを鞘付きのベルトごと装着した。
ミリアは荷物を整理し始めた。
夜のうちに出発しなかったのは、闇夜の移動では思わぬ遭遇の危険がある。家族を連れている以上は遭遇戦を避けるべきだと判断したためだ。
バイカルとガリムは母屋の戸口から右側10メートル程先に置いてある馬車の荷車に水亀を乗せ、炭の束を降ろしていた。荷車を少しでも軽くするためだろう。
ダイチはバイカルには話してもよいかなと判断して、
「アイテムケンテイナーを持っているので、それに木炭が入るだけ入れておきましょう」
と、伝えた。バイカルは驚いたような表情をしたが、黙って頷いて炭を3人で格納していった。まだ炭焼き小屋に置いてあった炭まで全部収納した。
「結構入りましたね」
と、ダイチが言うと、
「ルームサイズは初めて見た」
「儂もじゃ」
と、この量が入ることにバイカルとガリムも驚いていた。
母屋の中では、ミリアさんが最低限の荷物をまとめ上げていた。
炭焼き小屋の戸締りが終わったバイカルとガリムは母屋に戻ってきた。
「知性を持ったオークには、神龍赤石の効果はあまり期待できねえからなぁ。来たら戦うしかねぇ」
ガリムは壁に掛けてある武器から槍を選んだ。バイカルは腰に帯びていた鞘付きのベルトを外し、ソードごとダイチに渡した。ダイチの目を見ながら低く囁くように、
「俺に何かあった場合には家族を頼む」
俺は頷いた。
このソードはバイカルが鍛造した魔物も両断できる逸品だった。
夫の覚悟を悟ったのか、ミリアも壁からショードソードを掴むと、バイカルを見つめ頷いた。
「今夜、この小屋を攻めてくる可能性は低いかもしれないが、夜襲を受けた場合の被害は甚大となる。常に命の危険に晒されながら、厳しい現実を生き抜いている彼らは、最悪の結果を想定した素早い決断を繰り返してきたのだろう。この過酷な世界で家族を守るということは、このような判断の積み重ねの結果なのだろう」
と、ダイチは考えていた。
ミリアとピーター、エマはロフトへ上がった。ミリアは細い指で鞘のついたショートソードを握り、ピーターとエマは龍神赤石を両手で握っていた。
バイカルは、大剣を片手で押え、腰にはショートソードを履き、部屋のドアの前にテーブルを倒し、樽を置いて作ったバリケードの後ろに座った。
ガリムは、窓の木枠に板と家具を置いてバリケードを作り、壁にもたれ掛かっていた。
ダイチは、ソードを腰に差し、中央に置いた椅子に腰かけていた。
配置についた後に、ダイチはローデン王国とオーク蛮国について尋ねた。バイカルの話では、この10年近くはオーク軍の侵攻はなかったと言う。不可侵条約を結んでいたからだ。
オーク領からローデン王国に侵攻する場合には、2つの国を分かつジロジ山脈があるために、2つのルートに限定されるそうだ。
1つはオーク領からジロジ山脈を越える最短ルートだ。この場合にはジロジ山脈のハーミゼ高原を越えることになる。ハーミゼ高原はジロジ山脈の峠であり、そこを抜ければ真西への侵攻となり終着点は首都ガイゼルだ。ダイチが目撃した草原での戦闘はまさにこのハーミゼ高原だった。
2つ目のルートは、ジロジ山脈越えを避け、南に迂回してから北西に侵攻していく迂回ルートである。
最短ルートは、首都ガイゼルに侵攻しやすいのがメリットとなるが、山道とはいえ山脈を越えなければならないため、大軍での侵攻は困難を極め、事実上不可能だ。また当然、ローゼン王国は、監視所や砦を数か所に築いている。
迂回ルートは比較的平坦なルートとなるため大軍での侵攻に適していることがメリットとなる。ただこのルートは、山脈の南には、ローゼン王国の軍事城塞都市ゼンベが控え、守りを固めている。4年前にローゼン王国と隣国ザーカード帝国は友好条約を締結しているため、迂回ルートでオーク軍がローゼン王国を侵攻した場合には、東からザーカード帝国がオーク軍の背後を脅かすことになるということだ。
バイカルは静かに、
「俺が見張りをする。他は寝ろ」
「年寄りに睡眠不足は堪えるが、夜の見張りは交換じゃ。バイカルの次は儂じゃ」
「俺も見張りをします」
「感謝する。俺、ガリム、ダイチの順でお願いする」
窓の塞がれた母屋には、月明かりもなく、床に置かれたランプの橙色をした細い火だけが揺れていた。
夜は静かに更けていった。
ミリアにしがみ付くようにエマが寝ていた。その脇でペーターがスースーと寝息を立てていた。カタッと、風で戸が微かに音を立てる度にダイチはビクッとして身構え、ミリアはエマを抱きかかえる手にギュッと力が入った。バイカルとガリムはピクリとも動かなかった。ただ、開かれたその眼は爛々と光っていた。
ダイチには、これまでで最も長い夜だった。ランプのわずかな光と静寂の中、脳裏には黄色い目を見開き、雄叫びを上げて大斧を振るうオーク兵の姿が浮かんでは消えていた。喉が渇き、1度水を飲みに歩いた。喉に水を流し込むと、カラカラに乾いていた喉に少しの痛みを覚えた。それから元の椅子に腰かける。遠くで甲高い鳴き声が響く。夜行性の魔物かとダイチは考えてみたが、龍神赤石の効果を信じ、今は最大の脅威となるオーク兵に備えた。
ダイチはうとうととしていたのだろうか。
「交代の時間じゃ」
と、ガリムに肩を叩かれ、目を開けた。ガリムは元いた場所に戻ると、座ったまま壁に背をあずけた。バイカルは、バリケードで塞がれた戸口の前に座り、大剣を片手で押えたまま動かない。
ダイチには、静寂の中、母屋周辺の景色が浮かんでいた。薄暗い中でじっとしていると、心臓の鼓動が聴こえてきた。
「見張りってこんなに不安なんだ」
わずかな風音にも不安を募らせ、耳を澄ます。ただそれだけの時間だった。
バイカルは、静かに立ち上がった。3人の視線が集まる。バイカルは大きく息を吐くと、
「朝が近い。外を見てくる」
と、バリケードを解いて、静かに戸を開けた。群青色の空が薄くなり、東の空が白くなり始めていた。バイカルは大剣を持ち、慎重に辺りを見回しながら母屋の回りを1周して来た。
「起きろ。出発の準備だ」
ミリアは、ピーターとエマを起こした。2人は目をこすりながら、
「おかあさん、おはようございます」
ミリアはにっこりと微笑み
「おはようございます」
3人揃ってロフトから降りて来て、俺とガリムにも挨拶をすると手早く身支度をした。
バイカルは、魔物対策に炭焼き小屋の周辺に置いてあった龍神赤石をいくつか拾い、それを戸口の右側にある馬車の荷車の中へ投げ込んだ。厩に近寄ると馬はブロロロロッと低く鳴いた。バイカルは大剣を背に戻すと、茶毛の馬の首元を撫でながら、飼葉を口先に出した。馬は黒くまんまるな目をしたまま首を上下に振り、口を動かした。
ダイチはソードを構えながら残りの龍神赤石を拾い、次々に荷車に入れていった。荷車の中は、水亀と龍神赤石が散らばっていた。鳥のさえずる声が聞こえ始めた。東の空が橙色の光に照らされ、辺りは徐々に明るくなり、朝日が昇ろうとしている。
バイカルが戸口に手を掛けながら、
「行くぞ」
と、小屋に声をかけた瞬間、バイカルの右腕をかすめるようにして母屋に矢が刺さった。バイカルは反射的に母屋の中に飛び込だ。
「敵襲だ。伏せろ」
バイカルは戸口の壁に身を隠し、外を窺う。次の瞬間、2本目の矢が戸口から飛び込みコンと床で跳ねた。その矢は奥の壁に刺さった。
バイカルは、テーブルを戸口に立てバリケードを作った。テーブルにカツ、カツと矢が突き刺さる。そのテーブルの陰から、大声で、
「ダイチ、大丈夫か」
「大丈夫です。馬車の荷台の陰に隠れています」
と、無事と場所を伝えた。
オーク兵は矢を射る時に、茂から立ち上がるので、上半身が見えた。
「矢を撃った位置が見えました。その戸口から12時の方向、正面です。距離30歩の茂の中からです」
ダイチは叫んだ。自分でも冷静に対応できたことに驚いている。情報伝達の仕方は、大勢の子供たちに的確に伝える必要がある職業だったので、その技術と経験が生きた。
「そこから9時の方向、3匹が丘を駆け登ってきます。距離50歩」
ダイチは再び叫んだ。
9時の方向は母屋の戸口からでは死角になり、バイカルには見えない位置だった。
「逃げ道を正面からの矢で押え、横から小屋に突撃する気だ。ダイチ、ここに突撃されたら、そこは矢の的になるぞ。無茶はするな」
バイカル叫んだ。ダイチは荷車の陰に身を潜めた。3日前のあの戦場の時とは違い恐怖に支配されてはいない。恐怖は感じているが、まだ考える余裕があった。
「俺が弓のオーク兵を倒せば、バイカルさんは戦える。そして戸口に突撃するオーク兵の背後に俺が回り込み、挟み撃ちもできる。よい作戦だと思うけど、どうやって弓オーク兵まで近づき、倒すかだ。む、無理だな」
ダイチの頭が高速回転する。全てがスローモーションに見えてきた。
「俺がやらないと、みんながやられる。ピーター君もエマちゃんもミリアさんも、バイカルさんも、ガリムさんもここで死ぬ。試すしかない。召喚無属性魔法エクスティンクションを」
30メートル程離れた弓オーク兵を視界に入れる。ゴクッと唾を飲む。エクスティンクションの範囲制御に失敗して丘全体が吹き飛ぶイメージが浮かんだ。
「ダメだ、できない。この魔法はイメージだ。このイメージのまま撃ったら丘ごと消滅する。落ち着け、落ち着いて再イメージだ」
自分に静かに語るように呟いた。次は粉々に吹き飛んだオーク兵のイメージが湧いた。
「魔物とはいえ、俺に殺しが耐えられるのか」
迷いが生じ頭を下げた。その時、昨夜の食卓で橙色に染まる笑顔を思い出した。
「オーク殺しは俺が背負えばいい。救いたいと願う命だけ救えればいい。俺の掌はまだ小さい」
茂から立ち上がって弓を引き絞るオーク兵の顔が見えた。1点の違和感への解答は・・・・最大効果点だ。覚悟を決めた。
「エクスティンクション!」