遺志を継ぐ者編 第1章 ルカの民 1 盲目の黒ひげ海賊団
9月2日
数十匹のマグロがあちらこちらの海面から水飛沫を上げて飛び跳ねる。
2mを越えるマグロの巨体が重力に逆らって飛翔する姿は、その迫力と躍動感で見ている者たちを虜にする。キャラックの商船「サウザンドゴールド号」の甲板からこれを見ているクルーたちも、丸々と太り、銀と青黒い魚体のマグロが宙に舞い、弧を描き飛沫を上げて海中に戻る度におおーと歓声が上がる。この船の船長であるホモ・サピエンスのクアナ・パーも顎髭に手を当てて熱い視線を送っている。
護衛として雇われた冒険者10名のリーダーのジロ・ラングは渋い表情で息を吐く。
「ロスリカ王国のサンズール湾を出港して2日、もうここは海賊の縄張りだというのに、この気の緩みは何たることだ」
同じ甲板の上には、右手を懐に忍ばせながら、透き通った琥珀色の瞳で、甲板ではしゃぐ船員たちを静かに眺めている男がいた。名をジャジャイといい、年齢は70代半ばの長身細見、藤色の髪、琥珀色の瞳を持つ老人であった。
ジャジャイは、このサウザンドゴールド号のクルーとして乗り込むのは初めてであった。それまでの経歴は不詳である。
ジャジャイは懐に入れた右拳の中にある指輪を大事そうに握っている。
「・・・あの日から・・・60年待った。それもあと16日だ」
ジャジャイは、透き通った琥珀色の瞳で宙を眺めた。
エジックス島の遥か南東のエメラルドグリーンに輝く外洋は、熱帯低気圧から頻繁に台風の卵を生み出す海域として知られ、船乗り達が近づかない海域があった。その海域とは、ユメリア大陸の遥か西のキプロ諸島、キプロ島という1つの大きな島と無数の島が浮かぶ諸島である。
キプロ諸島のほぼ全ての住民が、裏では海賊行為を生業としており、その主な獲物はユメリア大陸で交易をする商船であった。
9月3日
ユメリア大陸に近い穏やかな洋上で、ガレオン船が商船のキャラックに接舷していた。
ガレオン船のメインマストには、2匹の白蛇が外側を向くようにS字と逆S字に体をくねらせて交わり、その蛇の交わった部分を1本の剣で上から貫くような意匠の黒旗が靡いていた。その黒旗は海賊バルバロスの乗船するガレオン船「コーラルリーフ号」のものであった。
「野郎共、行けー」
コーラルリーフ号のヤードから垂れ下がったロープを振り子にして、海賊たちが次々に商船サウザンドゴールド号に乗り込もうとしている。
商船の甲板でこれを待ち受けていた護衛10名が弓や剣で必死の防戦を開始する。
「弓構え、狙え、放てー」
護衛のリーダーであるジロ・ラングが叫ぶ。
商船の護衛として雇われた冒険者たちはなかなかの手練れであり、海賊たちを次々と海面に射落とし、あるいは切り倒していく。
深緑色の服を着た海賊が、ロープを振り子にしてコーラルリーフ号から商船に飛び移った。
「若頭が商船に1番乗りをしたぞ。俺らも続けー」
「後れを取るなー」
重鎮のリーンダルとバイが海賊たちに叫んだ。
「若頭がいれば安心だ。俺も行くぞー」
「若頭に遅れるなー」
海賊たちの士気は一気に高まり、次々にコーラルリーフ号へと飛び移って行った。
やがて、海賊船船長バルバロスが、激しい戦闘が行われている商船の甲板に乗り込んで来きた。辺りは、武器を手にした海賊と商船の護衛との激戦となっていた。
バルバロスは、商船の甲板をコツコツと杖をつきながら無言で歩く。その後を魔物のロングファングイグアナが付き従う。両目を閉じたまま立ち止まると、左手に持った杖を商船の護衛たちに向けた。
「イグ、あの護衛たちをヤレ」
その合図で、Aクラスの魔物であるロングファングイグアナが、その巨体を俊敏に動かして護衛に飛び掛かって行った。
ロングファングイグアナがその巨体で覆いかぶさり護衛リーダーのジロ・ラングを圧殺、尻尾の一振りで他の護衛を薙ぎ払い、護衛の頭に噛みつきながら首を左右に振り動かすなどの一方的で、無慈悲な攻撃によって、護衛たちが次々と倒れていく。猛り狂うロングファングイグアナの姿に、商船の甲板は悲鳴を上げて逃げ惑う人々の姿で、阿鼻叫喚の地獄絵図となっていた。
商船の抵抗とその悲痛な叫び声も長くは続かなかった。
「大頭の勘が当たりやしたね。見て下せえ・・・いえ、失礼しました。この商船には砂金や宝石がたんまり積んであやす。小麦やワイインもどっさりでさー」
「ぐははは、1週間で2つの大物商船に恵まれるとは、俺もついていたぜ」
襲撃した商船の甲板に立つ海賊船船長ジョリー・バルバロス(ホモ・サピエンス36歳)が黒い顎髭を撫でながら大声で笑った。
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バルバロスは若い時分に視力を失い、常に瞼を閉じていた。「盲目の黒ひげ」という二つ名があり、その非情さからユメリア大陸中に悪名を轟かせていた。また、バルバロス海賊団は、大多数がドワーフや獣人、エルフなどホモ・サピエンス以外の人種で構成されているという特徴があった。
バルバロスは、黒の提督帽に焦げ茶色の提督服、腰には珊瑚色(黄色がかった淡い紅色)の長いサッシュを垂らし、曲刀と短銃、短い杖を携帯していた。左手には歩行用の黒い杖を常に握っている。
海賊バルバロスは海軍から強奪したガレオン船コーラルリーフ号を旗艦として、キプロ諸島の海賊を束ねていた。
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バルバロスの脇には、黒と橙、黄色の迷彩模様のロングファングイグアナが商船の護衛を踏みつけ、蛇の様な赤い舌をシュルシュルと出し入れしていた。ロングファングイグアナはテイマーである船長バルバロスが使役する体長5mの魔物である。
海賊船員がバルバロスに向かい、
「大頭、商船の船長クアナ・パーが、生き残った船員に慈悲を与えてほしいと願い出ておりますが、イグの餌にしますか」
と、ロングファングイグアナを見ながら尋ねる。
「ひゃー。い、命だけは、お助けをー」
商船のクルー11人が悲鳴を上げた。
商船の船長クアナが震えながらバルバロスを見上げた。
「ど、どうかクルーの命だけはお助けください」
小柄なクアナが、更に体を小さくさせて懇願した。
商船のクルーたちも甲板に頭を摺りつけ、祈るように拝んだ。老人ジャジャイだけは、琥珀色の瞳に反抗心を燻ぶらせて、バルバロスを睨んでいた。
バルバロスは、口元に笑みを浮かべ、腰から短い杖を抜くと、それを振り下ろして裁きを下す。
「慈悲は無用」
「へい、分かりやした」
海賊たちが生き残った商船の船員を見下ろし、腰の剣を抜いた。
「キャプテンバルバロスお待ちください」
と、後ろからたしなめる声がした。
バルバロスが振り返る。イワンがその無色透明の瞳で、バルバロスに射るような視線を向けていた。
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イワン・ナイガル(ホモ・サピエンス18歳)は、バルバロスの片腕の若頭である。
イワンは、白い肌に藤色髪で中世の貴族の様ないでたちをしていた。白い鳥の羽の付いた深緑色のハットを被り、丈の長い深緑のフロックコートにベスト、深緑のズボンにブーツ、白い手袋とシャツ、赤に金の刺繍があるネクタイスカーフを首に巻いていた。黒のベルトには銀に輝くサーベルを帯びていた。イワンはまだ幼い時に、バルバロスに拾われ、養われてきた。
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「イワン、またお前か。イグの食事の時間だ。黙っていろ」
バルバロスは野太い声で凄んだ。
「いえ、黙りません。食事ならイグに踏み潰された死体1つで良いはず。無益な殺生はお控えください。・・・寛大なる慈悲の心を示し、海の女神から更なる慈愛を受けるのです」
「黙れ・・・貴様が、古代樹のゲートへと導けるルカの民だからといって調子に乗るな。お前の命は安全だと過信するなよ」
バルバロスは腰に差していた短銃を抜くと、右手を伸ばしイワンに銃口を向けた。全盲のバルバロスの銃口は、イワンの眉間を狙っている。
イワンは黙ってバルバロスを睨む。このやり取りを目の当たりにした海賊たちが唾を飲み込み、小声で囁いく。
「・・・また、若頭の慈悲願いか・・・今回は、大頭も収まらないかもしれないな」
「若頭は、事あるごとに慈悲だ、施しだと大頭に盾突くよな。大頭もいい加減うんざりしているに違いない」
頭に水色の長いターバンを巻いた少年の海賊ダックスが、青い瞳に緊張の色を浮かべて言葉を発した。
「ま、待ってくだ・・・」
その時、ンゴッ・・ゲフと音がした。ロングファングイグアナが踏みつけていた護衛を頭から呑み込んでゲップを吐いたのだ。
「ぐはははは・・・命拾いしたなイワン。イグは護衛の死体で満足したらしい」
バルバロスは、ロングファングイグアナに横顔を向けながら笑った。そして、短銃を腰のサッシュに差し、イワンに顔を向ける。
「イワン、そのルカの民の瞳で、古代樹のゲートを必ず見つけ出せ・・・商船の生き残りには慈悲を与える」
手に持った短杖を振り下ろして、改めて裁きを下した。短杖を腰に納めると、コツコツと黒い杖を鳴らし、海賊船コーラルリーフ号へと歩き出した。
命拾いをした生き残りの船員たちは、イワンの後ろ姿に口々にお礼を述べた。イワンが振り向いて、その船員たちを見つめた。
「ひー、無色透明の瞳だ。ルカの民だー」
「悪魔のルカの民だ。助けてくれー」
「我が神ルクゼレ様、この悪魔を払い給え」
その船員たちはイワンの瞳を恐れ、神に祈り始めた。
イワンは船員たちを、その無色透明の瞳で一瞥した。そして、深く息を吐く。
「ふーっ・・・残念だが、この船員たちを我らの楽園には連れては行けぬな。幸い、キャプテンバルバロスの寛大なる慈悲が出た。全ての生き残りをボートに乗せて流せ。オールは2本のみ。水と食料5日分を持たせろ」
「へい、若頭、分かりあした」
海賊たちも事態の収拾に胸を撫でおろし、返事を返した。
「今回は、大頭も本気だったよな。若頭をこのまま撃ち殺すのじゃないかと、肝を冷やしたぜ」
「若頭が無事で良かったぜ」
「あぁ、全くだ・・・若頭の慈悲深さと抜群の統率力は、見ていて惚れ惚れするからな」
「愁眉淡麗、神々しいとは、正にあれを指して言う言葉だな」
「それにしても、ルクゼレ教の船員はひどいな。慈悲を願い出た若頭にあの態度とは・・・」
「毎度のこととはいえ、呆れ返るぜ」
キラキラと目を輝かせてイワンを見ていたダックスが海賊たちに尋ねた。
「僕も若頭みたいに成れるかな」
「あははは、ダックス、お前も顔は確かに整ってはいるが、神々しさには百年早いぜ」
「その通りだぜ、がはははは」
「それに、子どものダックスが、この海賊船の船員に大抜擢されたことも不思議な事なんだぜ」
「その通り! キプロ諸島の小さな島で婆さんと2人暮らしをしているダックスを、大頭が見つけ、大抜擢とは驚きだ」
「大頭が目を掛けたのなら、ひょっとすると将来は大海賊になるかもしれんな。がはははは」
「ちげえねえ、あはははは」
海賊たちの馬鹿笑いをよそに、イワンは、生き残りの船員たちがボートに移るところを静かに眺めていた。
ボートに乗り込もうとした琥珀色の瞳を持つ老人が、イワンとすれ違う刹那に何事かを呟いた。その言葉は波音に消されて他の者には聞き取れなかったが、一瞬イワンの目に驚きの色が浮かんでいた。
商船の生き残りがボートに乗り込むと、ボートからは2本のオールが出た。海賊船コーラルリーフ号から逃げるようにしてオールを漕ぐが、潮流に流され意図せぬ方向へと遠ざかって行った。
イワンが流されていくボートを見守るように眺めていた。
少年の海賊ダックスが、イワンの顔を見上げて言う。
「若頭が助けた命・・・無事に救助されると良いですね。でも、この海域には人食いのマーマンがいます」
イワンはダックスの瞳に視線を落とす。
「キャプテンバルバロスの慈悲は得た。最後は海の女神の慈愛を得られるかどうかだ」
ダックスは、両膝を着き、両手の指を交互に組み合わせ、それを額に付けた。
「・・・・・・」
それは、海の女神への祈りのポーズだった。
イワンはダックスのポーズを静かに見つめていた。ダックスはイワンの視線に気づくと、はっとして右膝を立てた。右膝を立てて祈りを捧げることが、剣を帯びる海の男の習慣であったからだ。祈りを捧げながらダックスの黒目が横に立つイワンへと動く。イワンの視線は、もうダックスにはなかった。
「この商船を戦利品としてキプロ島まで曳航していく」
「了解しました」
イワンの厳とした命令に海賊達が従った。




